サンとヒロイン

「ダメ元で誘っておいてなんだが、仕事は大丈夫なのか? 省庁は激務だと聞いているが」

「問題ない」


 会議室で少し待つように言われて30分ほど。仕事を済ませてきたというフジガミとタクシーに乗り込む。


「私は時間をコントロールすることで能力を発揮しているしなにより国を挙げて働き方改革などと言っているのだから手本になるのが当然だ。もちろん必要な時は残業せざるを得ないしその頻度については伏しておくがね」


 チケットは二枚。同行者を募っていたのだが全員都合が合わずにどうしたものか困っていた。そこでライムからフジガミを誘うように提案を受けたわけだが……『今日行こう』でオッケーがでるあたり、フジガミは本当に野球が好きなんだろう。

 話をしているうちにタクシーは渋滞を抜け、球場の近くに到着する。ここからは徒歩で球場へ。


「そういえば誘っておいてなんだが、フジガミはどこの球団のファンなんだ?」


 球場の中に入り、チケットに記載された内野席を探して歩く。すでに球場は満員に近く、人を掻き分けて席を見つけるのはなかなか難しかった。


「もちろん贔屓の球団というものはあるがそれが他人に漏れると面倒だから答えは控えさせていただこうそもそもオオトリ君はこちらの方のファンなのだろう?」

「応援したいと思っている」


 やっと座席を見つけて並んで座る。すでに試合は始まっていて、四回の裏から。


「だいぶ遅れてしまったな申し訳ない」

「急な話だったし、道が混んでたせいだから気にしないでくれ」


 そう答えた次の瞬間、観客席が盛り上がる。女性客の圧がすごい。マウンドに走っていったのは、テンマ選手だ。


「すごい人気だな」

「当然だろう前人未到の白河の関越えをやってのけ民衆にヒーローと呼ばれる男だ」


 スコアを見ると、ここまで両チームとも無失点らしい。


「フジガミもテンマ選手が好きなのか?」

「好む好まざるでいうと……」


 珍しくフジガミが言葉に詰まる。


「……複雑な気持ちがある。彼の偉業は英雄と称えられるのにふさわしいものでそれを成したことには畏敬の念があるし選手の能力としても非凡なものがある。彼個人を指すならば好ましいと言えるのだが彼という現象については思うところがなくもない」

「テンマ選手と言う現象?」

「少人数の公立高校が出場し全試合を一人のエースが投げきったという部分だけが美談として取り上げられていてならば他の人間でも不可能ではないだろうという風潮が散見される。過剰な練習や選手の酷使に疑問の声が上がっていたところにテンマ選手が現れて『できる人間にはできるのだから問題ない』という声が強まり意識改革はずいぶん後退したとみていいだろう」


 テンマ選手は甲子園を連投、完投したんだから、他の選手が多投することに外野が文句を言うな、という意見が増えているらしい。


「テンマ選手が特別すぎたのが問題だろうと考えていて私はこの点に関しては彼が世に出ないほうが学生野球の健全化が進んだのではないかと思うのだがしかし」


 バッターを三振に切って取るテンマ選手を見て、フジガミは溜め息を吐く。


「それでいてなお魅力的な選手だと言わざるを得ない」

「なるほど」


 歓声と共に、テンマ選手がベンチに帰ってくる。この回も無失点に抑えていた。次は五回の表か。


「うおっ?」


 テンマ選手を称える歓声が一転、口汚い野次が多くなる。向こうのベンチからやってくる投手――サン選手に向かって、球場の大部分から敵意が寄せられていた。


「現地で聞くとすごいな」

「テンマ選手に喧嘩を売っているのだから民衆からのこの反応は当然だろう」

「これは、投げにくいんじゃないか」

「当の本人は『甲子園よりもプロ野球の観客の方がマナーがいい』などと言っているようだがね」


 サン選手は野次にまったく動じずに投球練習をしていた。


「ちなみに、サン選手のほうはフジガミ的にどうなんだ?」

「彼の評価ということだったら能力は高いと思うそもそも例の逆指名騒動がなければ1位指名は間違いないとまで言われていた選手だ。特筆すべきはいつでも登板できるというスタミナと対応力だろう甲子園でも急な交代にも関わらずきっちり抑えていたしプロでは中継ぎとしてうまくやっている。まあ今日のようにテンマ選手がらみでは先発起用されるあたり球団はショー要員として考えていたのかもしれないが総合的に見てお買い得だっただろう」


 騒ぎを起こしておいても3位指名だし、野球好きからしても評価は高いのか。いや、そうでもなければ雇うわけはないか。


「あ……」

「どうしたね?」

「すまない、ラジオを聞いてもいいか?」

「いいともそれも野球の楽しみ方のひとつだ私も好きにさせてもらおう」


 打順を確認して、俺は急いでラジオアプリを起動してイヤホンを耳に突っ込む。フジガミも荷物をかき回し始めた。


『試合は中盤に差し掛かりました、五回の表。マウンドにはサン、ここまで無失点。0対0の投手戦が続いています。ここまでのサンの出来はどうでしょうか、イマナガさん』

『好調じゃないですか? いいピッチングができていると思いますよ。これでテンマ君ぐらいかわいげがあればねえ。どうしても疑っちゃうから』

『と言いますと』

『4月に先発したときは結構打たれてたでしょ? それが今日はほとんど打たれてない。もしかして前回はテンマ君を抑えるのに気を取られて、他の選手に対しては気を抜いてたんじゃないか……とか。今日は勝ち投手にならないといけないから気合入れてるのかな、とか』

『それは……どうでしょう。確かにサンの契約上、テンマが先発しなければ試合で勝つ意味はありませんが……』

『まあ憶測ですけどね』


 どうやら解説はあまりサン選手に好意を持っていないらしい。


『さあっ、この回の先頭バッターが登場します。観客席から大きな声援!』


 ベンチから一人の選手が出て行く。その背中、背番号の上には見慣れた名前。


『六番、指名打者、オオムラカナ!』


 バッターボックスにおさげの幼馴染が立つ。


 スケジュール的に今日出るかもしれない、と聞いてチケットを用意しておいてよかった。3月はアメリカだったし4月からは忙しかったからなあ。


『先ほどの打席は内野フライに終わりました。今回の打席はどうでしょう』

『守備を免除されてるんですから打ってほしいですねえ……』

『無失点に抑えているテンマのためにもそろそろ先制点がほしいところ。オオムラ、チャンスメイクできるか? 初球――ストライク! 内角低めの厳しいところ』

『いやー、あれはオオムラさんには見えないんじゃないですかねえ』

『続いて第2球――おっと危ない!』


 客席から悲鳴が上がり、カナがバッターボックスから身を引いて出る。野次――というよりは怒号が、サン選手に浴びせかけられる。


『あわやデッドボールというところでした。徹底した内角攻めです。1ボール1ストライク』

『サン君の容赦のなさと言うか、度胸のあるところは買いますよ。まあ今日は変化球も切れてるし、こういう小細工はいらないと思うんですけどねえ。これはオオムラさんはもう打てないでしょう』

『どうなるか。第3球――』


 ガッ


 ボールが一塁側に――こちらにフェンスを越えて飛んでくる。こちらに――これはフジガミ――


 パシッ


「これぞ現地観戦の醍醐味だな」


 飛んできたファールボールを、自前のグラブで捕球したフジガミはこともなげに言う。


「お怪我はありませんかー?」

「問題ないがこれはいただいても構わないかね」

「あっ、はいー、お持ち帰りくださーい」


 球場スタッフに確認を取ると、フジガミは捕ったボールを荷物にしまう。


「コレクションするわけではないのだが母校に野球部があってね万年ボール不足ということなので寄付している」

「フジガミも部員だったのか?」

「昔の話だ」


 なるほど……と頷いていると、何か視線を感じた。顔を上げる。――カナはマウンドの方を向いていた。気のせいか。


『オオムラ、外のボールに踏み込んでいきました。これはシュートですね』

『やっぱり腰が引けてるから打ててないね。これはサン君の勝ちかな』

『1ボール2ストライク。さあ仕留めにくるのか。サン、第4球――』



 バキッ!



『打ったこれはどうだ!? 引っ張った打球は――切れずにレフトスタンドへ! 入った! ホームラン! オオムラ、今期2本目! 先制ソロホームランです!』


 打った瞬間から歓声が鳴り止まなかった。


『ここまで無失点のサン、初失点はオオムラのソロホームランから! オオムラは内角に食い込むスライダーを綺麗に引っ張りました。イマナガさん、どうでしょう』

『綺麗な内角打ちでしたね。オオムラさんは内角にヤマを張ってたんだろうね。サン君は外で勝負するべきだった』

『オオムラ、今ホームベースを踏みました。五回表、1対0! 手を振ってベンチに戻っていきます』


 観客席も両手を振ってカナを迎える。俺も手を振っておこう。


『オオムラの先制ソロホームランで1点のリードを得ました!』

『事故みたいなものだからねえ、サン君は切り替えていきたいところだね』

『さあ、この勢いで追加点なるか?!』


 ならなかった。


 サン選手は何事もなかったかのように後続の打者を抑えてチェンジとする。試合は進み、六回の裏には今度はテンマ選手が連打を浴びて逆転され、1対2に。サン選手の勝ち投手の権利が発生する。


 七回は誰が投げるのか。注目の中、表のマウンドに立ったのは――


『交代はありません! 六回で勝ち投手の権利、500万の権利に手をかけているサンニンタロウ、続投です! テンマが降りるまでは先に降りる気はないということでしょうか』

『そういうことをテレビで言っていたらしいですね』

『七回表は四番からです。そろそろサンも苦しくなってくるか』


 サン選手はサインに頷いて――大きく腕を振って投げる。


『――……三振! 四番、五番をあっというまにアウトにしました、サン!』

『変化球が切れてますねえ。これは追加点は難しい――』



 ――カァン!



『高く上がった! レフト、見送る! 入った、ホームラン!』


 おおお、と球場が揺れる。


『オオムラ、初球をレフトスタンドに叩き込みました! 二打席連続ソロホームランです! 1点追加、2対2、試合が振り出しに戻った! 育成ドラフト13位で史上二人目の女子プロ野球選手として入団したオオムラ、一年目は二軍で力を蓄えていました。二年目から一軍で、指名打者、代打として起用されていますが、それに見合う結果を出しています!』

『ああ、まあ、そうですね。オオムラさんはサン君と相性がいいのかもしれませんね』


 後続は続かずにチェンジとなる。競り合う試合に、応援も白熱していた。

 七回裏、0得点。八回表、0得点。八回裏――テンマ選手が打線につかまる。


『――……さあ九回表、2アウトまでやってきました。2対3。マウンドには完投勝利を目指すサン選手。ランナー二塁で迎えるは――六番、指名打者、オオムラカナ!』


 カナに打ってくれと観客が呼びかける。


『本日ここまで3打席2安打2打点、2本塁打! 今回の打席はどうか!』

『オオムラさんしか得点していないのがね、今期の打線の低調さを物語っていますよ。テンマ君に対して援護が足りない。ここはなんとしても塁に出てほしいですね』

『バッテリー、慎重にサインを決めています……初球は外、きわどいがボール。続いては――危ない!』


 ボールがミットを叩く音が悲鳴を切り裂く。


『ボール、ボールです。オオムラ、顔面すれすれでしたが一歩も引かずに見送りました』

『いや、捕ったキャッチャーを褒めたいですね。あのクロスファイヤー、バッターの頭の後ろで捕球するのは地味に難しい』

『オオムラは球種を見切っていたんでしょうか』

『……まあここにきてボーッとしてたってことはないでしょう』

『球場からブーイングが上がっています。サン、次は何を投げるのか。第3球――』


 表情を変えないサン選手が、腕を振る。



 ガキッ!



『打った鋭いライナー抜けた! これは入ッ――らない、フェンス上部を直撃! ライトクッションボールを処理して、ランナーは三塁蹴った! 中継からバックホーム!』


 大きく迂回して滑り込んだランナーに、キャッチャーが倒れこむようにしてタッチする。


『どうだ!? ――アウト! 試合終了!』

『これは守備を褒めるところですね。見事な返球リレーでした』


 あぁ……と、こちら側の観客席から溜め息が漏れる。


『オオムラ、シンカーを流し打ちでフェンスに叩きつけました。それを見た熱い男、シマ、三塁を蹴ってホームに突入しますが、守備の見事な連携に得点を阻まれてしまいました。テンマ、完投勝利ならず。そしてサン、プロ初完投勝利です!』

『九回までパフォーマンス落とさず投げてましたからね。先発、いけるんじゃないですか』

『これによりサンは球団との契約上、500万円の出来高を手にすることになります』

『400万あればとりあえず死にはしないんだから、おごる必要もなかったと思いますがね。まあテンマは援護が得られなかったのが全てですよ。去年からずっとそうです。打線がもっと打っていれば勝ち星も多かったはずなんですがね』


『放送席、放送席!』


 失意と共にこちら側の観客がはけていく中、向こう側の客席を向いてヒーローインタビューが始まる。……こちらからはついたてが邪魔で様子がよく見えないな。


『ヒーローインタビューです! 今日はプロ初勝利、しかも完投勝利という記念すべき一日となった、サン選手にインタビューします!』


「……喋らせて大丈夫なのか?」

「1年目の新人が初完投勝利ともなれば喋らせないほうがファンから不満が出るだろうもっとも他に候補がいなかったというところも大きいだろうが」


 フジガミが横からスマホを見せてくれる。中継動画の中で、わずかに眉を寄せたサン選手がインタビューを受けていた。


『初勝利、それも完投勝利という結果を成し遂げた気持ちはいかがですか!』

『チームが勝つことが第一だよね』

『おッ、殊勝なお言葉!』


 ……いやそれ多分、昼のテンマ選手へのインタビューの引用だぞ。煽ってるぞ。


『奪三振の数も多かったですね! 七回の四番のサカタ選手への三球三振は自信が――』

『七回だったら聞くのはそっちじゃなくない?』

『えっ……と、では、五番シマ選手を外野フライに打ち取ったスライダー――』

『ホームラン打たれた感想聞かなくていいわけ? どうみても向こうのヒーロー? ヒロイン? だけど? むしろここに呼んだら?』

『………』


 インタビュアーがオロオロしている。が、どこかから指示が来たらしい。頷いて顔を引き締め、マイクを持ち直す。


『五回、七回とオオムラカナ選手にホームランを打たれましたが、感想は?』

『なんで打たれたのかイマイチわかんないんだよね』


 サン選手は首をかしげる。


『打たれたときは普通理由がわかるわけ。でも今回は理由が見つかんなかったから』

『はあ』

『これは研究が必要だと思ったね』


 カメラ越しに目が合う。黒くて深い瞳。


『では今後、オオムラ選手は要注意の選手だと』

『一番警戒しないといけないと思うね。なんで出場回数少ないわけ? ああ、そういう作戦?』

『一番、ですか? えっと……』

『まあ、そういうわけで早く帰りたいんで。終わりで』

『えっ。あっ』


 サン選手は一方的に打ち切りを告げると、さっさとお立ち台から降りてベンチに帰っていく。


『えぇ……い、以上! サンニンタロウ選手でした! ご来場の皆様、お気をつけてお帰りください!』

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