世界の文化

「ホーゥ。インドネシア、デスカ」


 固まったように見えたのは一瞬だけ。ニャニアンは興味深げな様子で頷いた。その後も特に不自然な様子はなかったし……固まったように見えたのは見間違いかもしれない。


「話を持ってきたのはインドネシアのイベント会社だ。ケモプロはインドネシア語にも対応しているだろう? その縁で知ったんだそうだ」

「おおー、そういえばそうでしたね。最初から日本語、英語、インドネシア語の3言語対応だったから、次はインドネシア! ってなるのは順当って感じッスね!」


 正確には4言語だな。あまりチェックする機会がないが。


「ローカライズは少しでもユーザーを増やしたかったデスカラ。デモ」


 ニャニアンは首をかしげる。


「インドネシアで野球って流行ってないデスヨ? ド・マイナースポーツ、デスヨ?」

「そうなのか」

「エエ。人気があるのは定番のサッカーと、あとバドミントンデスカネ。野球は……アジアの大会とか出てたと思いマスケド、パッとしない成績だったと思いマス」

「だな。そもそもアジアの野球大会っつったって、日本、韓国、台湾以外は似たようなもんだろ」

「ムフ。アジア野球選手権大会はその3ヶ国で上位を独占してる感じだね!」


 そんな感じなのか、アジアの野球。


「現実の競技としての野球人口はほとんどないけど、ケモプロはそうでもないかも? ずーみーちゃんの獣野球伝のおかげだよね!」


 インドネシア市場向けにも獣野球伝を電子書籍で出している。


「インドネシア語の書籍はないのに、日本語の書籍が輸入されているらしいな。電子書籍にはインドネシア語版があるのに」

「日本語できる人が多いからかな? ムフ」

「高校の第二外国語で選択できマスカラネ。トユーカ、漫画・アニメから入る人が多いと思いマスケド」


 獣野球伝は日本語を学ぶツールにもなっている、ということかな?

 ちなみにインドネシア語の翻訳は専門家に依頼していて、ニャニアンには出来上がったものの最終チェックだけ頼んでいる。


「ニャン先輩、インドネシアって人口どれぐらいなんスか?」

「日本の倍ぐらいデスヨ。ナント、世界第四位デス!」

「おおっ! 日本の倍で四位になるんスね。えっと……一位が中国で?」

「二位がインド、三位がアメリカだよ! 市場規模としては十分じゃない?」

「日本の倍お客さんが見込めるってことッスよね?」

「ン、それはちょっと違いマスネ」


 ニャニアンは腕を組む。


「裕福な人もいマスケド、ソーじゃない人もたくさんいマスカラ」

「あ~、いろんな基準はあるけど、貧困率は高いらしいね。ケモプロのファンになってもらえる、見てくれるIT環境や余裕があるのは……人口の半分ぐらい、かな? つまり、日本と同じぐらい?」

「どデスカネ。マ、お金持ちはお金持ちデスケド、貧乏は貧乏デスヨ」

「貧富の差が激しいんだってね。そういえば首都のジャカルタでも、高層ビルのすぐそばにスラム街があるとか?」


 ライムが問うと、ニャニアンは肩をすくめる。


「ビルの近くだとカンポンのことデスネ。マ、確かにスラムもありマスケド、カンポンはそんなひどくはないデスヨ」

「ちなみに、そういったところに住む人たちはケモプロのユーザーとしては見込めない感じだろうか? なんとか見る環境を用意したとして……」

「人間相手ならともかく、AIを応援するような余裕はないデショウネ」


 余裕、余裕か。確かに現実には実在しないケモノ選手を応援することは、余裕の表れかもしれない。ケモノ選手はファンに便宜を図らないが、人間は恩義を感じて動くものだろうし。俗物的な考え方かもしれないが、そうしなければいけない環境もあるだろう。


「話を聞いてだいたい事情は分かった。イベント会社の提案の意図もなんとなく掴めたと思う」

「あァ、提案、提案な。んで、どんなをしてきてんだよ?」

「韓国や中国と違って、内容を変えてくれということはないんだ」


 警戒の色を浮かべるミタカに、答えながら資料を渡す。


「要望は――日本とアメリカの、二軍、三軍のリーグに混ぜてくれ、ということだな」


 ◇ ◇ ◇


「二軍、三軍のリーグに……ッスか?」


 ずーみーが首をかしげる。


「それってマイナーリーグになりたいってことッスかね?」

「方針としては二案提示されていて、ひとつめは既存の二軍のチーム名を買う、マイナーリーグ化の方式だな。その際の独占的にチームの販売権をくれ、という話だ。もう一つは二軍のリーグに、インドネシアチームを作って参加させてくれ、と」

「二軍がインドネシアで興行するか、二カ国の混ざったリーグになるか……って感じッスか」

「そうなるな」


 自国だけで視聴者がまかなえないなら、他国を巻き込もうという発想だろう。


「ケモプロ側の仕組みとしては問題ないと思うがどうだろう? 最初は国内だけで2リーグ制にしようと考えていたし、二軍リーグが12チームになっても平気だよな?」

「できなかねェけどよ。サーバーはどこに置くんだ?」

「インドネシアではなく、合流する国に置いてくれとの話だな。つまり今ある場所から動かす必要はない」

「つーことはインドネシアからは海越しのアクセスになるわけだが……」

「マ、そこは問題ないデスヨ。そもそも二カ国から見るならどっちかがワリを食うわけデスシ」


 技術的な問題はなさそうだな。


「……そのイベント会社だっけか? 10億で買ってどう回収する予定なんだよ?」

「チームの販売権でという話だ。何チーム売れるのか分からないし、日米合わせて12チームとしても1チーム1億ぐらいで販売しないといけないんじゃないかと思って、それだけの見込みがあるか気になってたんだが……金持ちなら可能なんだろうか?」

「インドネシアでも富裕層ならだせるんじゃない? 海外に野球チームを持つのがステータス! って感じで煽れば、買ってくれるのかも?」

「ン。マァ、お金持ちなら」


 ライムに水を向けられて、ニャニアンは小さく頷く。


「ダイヒョー、やるんデスカ?」

「一番可能性は高いと思っているんだが」


 しかし、懸念点はある。


「金持ちがチームを買う、それはいいだろう。ただ長続きするのか、という観点では疑問だ。もしケモプロを見るのがその金持ちだけだったら、金持ちが飽きてしまったら簡単にやめてしまうだろう。チームを利用してうまく売上を……たくさんのユーザーから応援してもらって利益を得て、続けるモチベーションを持ってもらうことが必要だと思う。その下地が、今のインドネシアにあるかどうか」

「ファンがいれば、簡単に投げ出すなんて文句言われそうだからできないッスよね」


 そういう視点もあるな。とにかく、少ない人間で楽しむだけに留まってしまっては困るわけだ。


「とはいえ、その辺りは実際に打ち合わせしてみないと分からないと思う。少なくとも現時点では実現の可能性が高いと思っているから、進めるならこれだろうと思っているんだが、ひとつ問題が」

「このイベント会社、素性がよく分からないんだよね~」


 ライムがタブレットを操作しながら言う。


「いちおう英語のコーポレートサイトもあって、富裕層向けのイベント企画をやってる会社だってのは書いてあるんだけど、広報が手抜きなのか実績とかが載ってないんだよね」


 俺も見たが大した情報は載っていなかった。フジガミも仲介されただけということなので、詳細は知らないという。


「インドネシア語のサイトにはもうちょっと情報ありそうだし、イベント実績とかも出てきそうなんだけど、Google翻訳使いながらじゃさすがに限界でさ。あとは口コミ専門の会社かもしれないし? だからニャニアンちゃん、ちょっとどういう会社か調べてもらってもいい? 信用調査会社に依頼してもいいんだけど、概要ぐらいは掴んでおきたくって」

「ン。いいデスヨ。ツテを当たっておきまショー」

「それじゃあその調査結果待ちで……」

「待て待て。その会社のことを調べるのはいーけどな、もひとつ大事なことが抜けてンだろ」


 ミタカが割って入ってくる。


「インドネシアってイスラム教国だぞ、ケモプロ導入できンのか?」

「イスラム……?」

「オォ」


 ポン、とニャニアンが手を叩く。


「ソーイエバ、ソーデシタネ」

「イスラム教国……ということは、イスラム教の国なのか?」

「国教というわけじゃないデスケド、90%ぐらいがイスラム教徒デスネ。島によって事情は違いマスガ」

「イスラム教国としては世界最大の国だよね」


 そうなのか。なんとなく中東にしかないイメージがあったんだが。


「で、それがどうかしたのか?」

「いや、マズいだろ。ブタがいんだぞ、ケモノ選手」

「ああ。そういえば食べちゃいけないらしいな、ブタ。でも別にブタのケモノ選手を食べさせるわけじゃないぞ?」

「いやブタは不浄な存在っつーことで、見せられること自体拒否されるハズだぜ」

「……見るだけでアウトなのか?」

「程度によりマス」


 ニャニアンは肩をすくめる。


「地域によって教義の解釈はそれぞれデス。地方によってはバリバリに厳格なところもアリマスヨ。ケドマ、都市部はゆるいデス。最近はフツーに生足出してるアイドルグループが人気らしいデスヨ。JKT48ってユー」

「JKT……タバコが?」

「そりゃJTな。AKBぐらい知ってんだろ? あれの海外版だよ」

「ワタシは見たことないデスケド、握手会も数万人単位で集まるらしいデス」


 イスラムでアイドルってイメージ沸かないな。


「しかしそれが許されるなら……ブタのケモノ選手は?」

「許せる人、許せない人、それぞれじゃないデスカネ? 本物のブタだけがダメと考える人もいれば、ケモノ選手はブタそのものじゃないからセーフとする人もいる、って感じデス。あ、そういえばイヌもダメデスネ」


 イヌもか。ペットの代表格だと思うんだが。


「それを考えるとサーバーが日本かアメリカにあって、とゆーサービス形態はリスクマネジメントとして納得デキマスネ。富裕層向けとユーカ、あまり一般ユーザーのことを考えてないのもデス」

「なるほど」


 しかしこういう事情があっても、イベント会社は10億以上のリターンがあると見ているわけだよな。


「……話を聞いてみるまでは分からないな。まずはこのイベント会社がちゃんとした会社なのかどうか、だな」


 ニャニアンの調査待ちだな。


「いやー、外国とやるのって難しいッスね。でもBeSLBの時はそんなでもなかったッスよね?」

「アメリカはキリスト教国だが、ありゃ動物関係でタブーはねェからな。そもそもディズニーの国だし」

「教派によってはあるよ? でも甲殻類とかだから今のとこ関係ないね」


 ケモノ選手にカニが採用されるのは……どうだろうなあ。野球をする以上柔軟性は必要で、硬さを捨てた甲羅を持つカニは……カニなのか?


「文化的にもそこまで大きなギャップがねェからな。ファックサインぐらいだな、気ィ使うのは。たく、指一本立てた程度の単純なモーションに、そこまで過大な意味を見出すなよって言いてェ」

「言ってるじゃないデスカ」

「BeSLBは、代表のバーサさんが『ケモノ世界の文化を受け入れる』って言ってくれたのが大きいよ」


 日本は日本、アメリカはアメリカ。そしてケモノ世界はケモノ世界。それぞれを尊重してありのまま受け入れると、BeSLBの立ち上げ時にバーサは言って、他のオーナーもそれに納得してくれた。ローカライズは必要だが、カルチャライズ……文化の変更まではしなくていい、と。


 もちろん最初にケモノ世界を作ったのは俺たちで、日本文化の影響は大きい。だが野球のルールがNPBのものとは少し違うアレンジが加えられていたり、大げさなジェスチャーで意思疎通をしたり、そもそも同性で結婚できることからして、独自の文化と言ってもいいだろう。


「んで、これでそのフジガミってヤツが持ってきた話は全部だったか」

「そうなるな」


 資金の貸し手の話は多かったんだが、ケモプロのサービス導入に金を出す話はこの3件だけだ。


「オレとしちゃオリンピックに直接絡むより、eスポーツ大会に混ざる話と、省庁後援のイベント打つ方に注力したほうがいい気がするぜ。もちろん絡めりゃデカいとは分かってるが」

、というのも当然アリだと思う。しかしフジガミとしてはオリンピックをメインに考えて欲しいそうだし、検討すると言った手前、きちんとした理由もなしに断るのは違うだろう」


 とここまで言って、もう一つの件を思い出した。


「そうだ。フジガミがもう一つ気にしていることがあったんだが」

「なンだよ?」


 面倒ごとか? と表情で訊いてくるミタカに、俺は首を傾げて言う。


「エンタメ業界以外の、海外からの仕事を請けるときは連絡して欲しいそうだ。なんでか分かるか?」



 ミタカは――無言のままニャニアンと視線を交わすのだった。

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