無償の信用

「いい雰囲気のお店じゃん!」


 店員に案内されて席に座ると、ライムはそう言って窓から外を見る。


「おー、高い。夜景もいい感じ!」

「お眼鏡にかなったなら何よりだ」

「こんなお店よく知ってたね?」

「シオミがこの間連れてきてくれたんだ」

「わーお正直」


 そのシオミは先に家に帰っている。


 イルマとフジガミとの打ち合わせの後、シオミにライムと話をするように念を押され、二人で都心の高層ビル内にある店にやってきていた。ライムが「どうせ食事するなら雰囲気がいいところがいいな」と言うので、これまでシオミに案内された店の中でも毛色の違ったものを選んだ次第だ。


「……え、ていうかシオミお姉さんと来たの? 二人で?」

「そうだが?」

「へぇ~……」


 ライムは語尾を延ばしながら店内を見回す。控えめの照明の中、客はそこそこ入っているようだった。


「カップルの多いお店だね!」


 言われてみれば男女の組み合わせが多いかな? 全部が全部カップル――恋人同士かどうかは分からないが。


「ムフ。らいむとお兄さんも、そういう風に見られてるかな?」

「どうかな。あまり注目されている気はしないが」

「ん、そりゃそうだ。みんなお相手に夢中だもんね」


 店内の配置的に、意識しないと他のテーブルに目がいくこともないだろうしな。


「腹が減ってるだろう。まずは食べようじゃないか。どれもなかなかうまかったぞ」

「そうだね。ちょっと疲れちゃった。何がお勧め?」

「この間食べたのだとトマトのパスタの……――」


 メニューを見てああだこうだと話をし、注文する。手早く飲み物が運ばれてきた。


「お兄さん、誕生日まだだったね」

「再来月だな」

「シオミお姉さん、一緒にお酒飲みたくてソワソワしてるんじゃない?」

「そんな感じはしているな」


 20歳になったら一緒に飲もう、とことあるごとに言われている。よほど楽しみなんだろう。


「でも今日は未成年同士だね。じゃあ乾杯!」


 杯を合わせてフルーツジュースを飲む。


「んっ。おいしーね、これ。さすが生絞りって感じ?」

「そうかもしれない。ストレート・レモネードもアメリカでフランクが作ってくれたやつの方がうまかった」


 BeSLBのフレズノ・レモンイーターズのオーナー、ストレート・レモネード社のレモネードは、日本国内でも流通を始めている。BeSLBの発表後すぐ目をつけた貿易商社が交渉し、少量ながら輸入を始めたからだ。主な卸先はホットフットイングループと、スーパー牛虎ヴルトラ。評判も悪くなく、そのうち大手飲料会社と独占契約をして大々的に広報を――という話があるらしい。

 たまに近所の牛虎で見かけるので買うのだが、あの時の味とは少し違う。やはり絞ってすぐの新鮮さというのは重要なんだろうか。そんなことを考えながらジュースをもう一口。うまい。……酒はこれよりうまいんだろうか?


 やがて料理が運ばれてきて、食べ始める。お互い思ったよりも空腹だったのか、会話も少なく食事は進んだ。あっという間に食べ終わり、食後のお茶とデザートになる。イチゴを使ったケーキか。これもうまそうだな。


「お兄さんさ」


 早速食べようとフォークを手にしたところで、ライムが話しかけてくる。


「話、聞かなくていいの?」

「そのことか」


 ……フォークは置くか。


「まず一つ言っておくと」

「うん」

「シオミはああ言っていたけど、ライムが話したくないなら話さなくていいぞ」

「……えっと」


 ライムは机をじっと見てから視線を上げる。


「驚かなかった?」

「ライムが学校に通っていないことか? それは確かに意外だったが、義務教育は中学までだろう。ライムは1月生まれの16歳だから、とっくに中学は卒業している。だったら何も問題ないし、俺がどうこう言うことじゃないと思うんだが」

「らいむのこと、どうでもいい?」

「そんなことはない」


 どうでもよかったらこうして一緒にいるわけがない。


「でも、他の人の前でお兄さんがらいむのことよく知らない、ってバラしたようなものだし、怒ってる?」

「怒ってない」


 事実知らなかったんだから、怒るのはおかしいだろう。


「それにライムのことなら十分に知っている。両親が日本人のアメリカ生まれで、ミタカも認める開発能力があって、セクはらを使いこなすファッションセンス、激マズおかしを世間に流行らせるほどの広報能力の持ち主だ。ずーみーが好きで、KeMPBの仕事も楽しんでやっている」

「でも、逆に言うとそれだけだよね」


 ライムはポツリと言う。


「他の事は何も知らないよね。学校に行ってないことだって、今日らいむが言わなければ気づかなかったでしょ? お兄さん、優しいけどあまりらいむのこと聞いてこないよね。……らいむに興味ない?」

「そういうわけじゃない。前にも言ったと思うが、ライムが話したければ話してほしい。ライムのことを知るのは楽しいからな。けどライムが知られたくないことなら、無理に聞こうとは思わない」

「なんで?」

「ライムのことを信じているからだ。俺は、俺がライムのことを信じるのに十分なだけ知った。だから、他の聞いていないことは、後から何が出てこようと信じている」

「……えっと」


 ライムは目を揺らす。


「それって、らいむのせいでKeMPBが潰れても信じていられるの?」

「潰れるようなことがあるのか?」

「いや、ないし、しないけど……例えばの話だよ。らいむだって何か失敗するかもしれないじゃん」

「成功が必ず約束されていることなんてないだろう」


 あったらみんなそうしている。必ず成功する方法があるなんて言うのは詐欺だろう。


「ライムは成功させる為に動いていて、俺はそれを信じている。会社の代表は俺だから、責任を取るのは俺だ。ライムが失敗して会社が潰れるというのは想像できないが……もしそうなったとしてもライムは最善を尽くしたんだと信じる。そのことで後悔したりはしない」

「突然事務所に押しかけてきた謎の美少女を、なんでそんなに信じるの?」


 自分で言うか。確かに美少女の枠に入るとは思うが。


「もしかしてお兄さん、らいむのこと好きなの?」

「好きだぞ」

「ぇッ」

「嫌いな人間と一緒に仕事しようなんて思わないだろう。KeMPBのメンバーは全員好きだ」


 とはいえ今の規模での話だろうな。これから先KeMPBの規模が大きくなれば、馬の合わない従業員も出てくるかもしれないし。


「……お兄さんホント空気読まないね?」

「何かマズかったか?」

「別に~。それよりなんでらいむのこと信じてるのか、好きって理由以外で教えてよ」

「逆にひとつ聞きたいんだが」


 頬を膨らまして窓の外を見るライムに問いかける。


「どれぐらいライムのことを知っていたら信じていいんだ? 30%? 60%? それとも100%、ライムのことを何から何まで知っている必要が?」

「………」

「俺は人を信じるというのは、割合や量の問題じゃないと思う。他人のことを全部知っている人間なんているわけがない。だから自分が納得できるだけの材料を知っていればいい。……ずーみーのファンで短時間でWebサイトを作って、誰も気づかなかったSNSアカウントやドメインを確保して、深夜のうちから事務所に乗り込んで玄関前で寝ていたポップでキュートな小学生を、俺は信じると決めたんだ」


 雇えと言われて雇うと答えた時に。シオミはずいぶん焦っていたが。


「……あの時はもう14歳だったよ」


 そうだった。小学生じゃないな。


「会ったその日に、それだけの理由で信じたってこと? それで会社が潰れても後悔しないぐらい?」

「そうだ」

「重たいよ」


 ライムは机の下で手を組み、うつむく。


「……そんなことだけで人を信じるなんて、おかしいよ。そりゃあ、信用されるのはうれしいけど……それだけしか理由のないお兄さんが信じられないし、信じていいか不安だよ。だって」


 絞り出すような声で。


「……どうやってその信用を返せばいいか、わからないじゃん……」



「返す必要はないんじゃないか?」



「は?」


 ライムは目を丸くして、こちらを見る。


「いや俺がライムを信用しているからといって、ライムが同じだけの信用を俺に持つ必要はないだろう。俺が勝手にライムを信じているだけだし、もし裏切られたとしても恨むのは筋違いだし」

「何も返さないのに信じるの?」

「見返りが欲しくて信じているわけじゃない。……いや、もちろんKeMPBの仕事はする、と信じているし期待はしているが」


 今はそういう話じゃない、ということぐらいはさすがに分かるぞ。


「ライムが信じてくれなくても、俺は信じている。それだけの話だ。それで何かを要求するわけじゃない」

「……何もしなくても信じていてくれる?」

「そうして何も悪いことなんてないだろう。KeMPBを辞めたって、ライムを信じることに変わりはない」

「なんか……変なの。そんなこという人、はじめてだよ」


 ライムは――くしゃっと顔を歪めて笑った。


「……ねえねえ、お兄さん」

「なんだ?」

「らいむもね、お兄さんのこと、好きだよ。お兄さんと同じ意味で、お兄さんと同じぐらい。それってなんか変だと思ってたけど、一緒なら変じゃない、かな?」

「どうだろう。一般人のつもりなんだが」

「いやあ、お兄さんはかなり変わり者だよ!」


 ライムは体を揺らして笑いをこらえる。


「……うん。わかった。話さなくても信じてくれるんだよね? ま、でもさ。一度言っちゃったことだし、それで詳細を説明しなかったら隠し事してるみたいで嫌だから、話すよ。といってもそんなに難しい話じゃないけどね?」

「高校に行ってないんだったな」

「うん。実はね、中学校も小学校も行ったことないよ!」

「……うん?」


 いや、待て。何かからくりがあるな?


「義務教育って何か放棄できる手段があるのか? ……そういえば子役俳優は学校に通ってないとかいう噂を聞いたことがあるな」

「ムフ。あるねえ。でもあれって、ただの『欠席』なんだ。知ってる? 実はねえ、小中学校には出席日数って仕組みがなくってね、一日だって登校しなくても中学校までは卒業できるんだよ! 日本には卒業試験もないしね!」


 そうだったのか。小中学校なんて、やたら学校に来るように脅されていた気がするんだが。


「でも残念! らいむは欠席じゃなくて、そもそも学校に所属してないのでした!」

「となると……」


 ライムのもう一つの国籍に関わるか?


「アメリカは義務教育がない?」

「あるよ」


 そこまで自由な国ではないらしい。


「じゃあアメリカの学校に通っていた?」

「えっとね、ホームスクーリングって制度があるんだ。オンラインでも受けられる教育。それで単位とってるから学校にはやっぱり行ってないよ。日本で言うところの高校卒業資格はとっくに取れるんだけど、取ってない」

「なんでだ?」

「取っても終わりにならないから。先生には大学を薦められたけど、研究がやりたいわけでもないし……いろいろ面倒だからさ」


 ライムは肩をすくめる。


「今後の国籍選択は日本にするつもりだし、これからは日本に住むから、義務教育はアメリカで取った単位分でおしまい! って感じだよ。何も悪いことはないよね?」

「問題ないんじゃないか?」

「でしょ。手続きとかはいろいろ面倒だったけどね。そこはらいむの人望と操縦術で?」


 マンションを用意したとかいうおじさんが協力してくれたんだろうな。


「シオミお姉さんに説明した時ちょっと微妙だったから不安だったんだけど、お兄さんなら『そうか』で終わると信じてたよ!」

「シオミも理解はしてくれただろう?」

「まあね。フクザツな表情してただけ」


 しただろうな、フクザツな表情。


「そんなわけでさ。学歴について聞かれると ナシって回答にしかならないんだよね。日本で高卒認定受けられるのはもちょっと後だし……さっきも言ったとおり、らいむ別に大学行きたいわけじゃないんだよね。研究より働きたいんだ。やりたい仕事をやって生きていきたい」

「それでKeMPBか」

「うん。ずーみーちゃんもいるし、ケモノの子はかわいいし、広報のしがいはあるし、技術的にも面白くて楽しいよ!」


 ライムは笑って――ケーキを口に放り込む。


「だから、これからもよろしくね、お兄さん。らいむはKeMPBに――お兄さんに全額賭けたんだから!」

「こちらこそ頼りにしている」

「ムフ。らいむの隠された秘密はまだまだあるからね」


 雲のように笑って、見つめてくる。


「長い付き合いになるんだもん。これから少しずつ教えてあげるから、おったのしみに!」

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