霞が関(上)
4月22日。月曜日。少し早めの朝。
「おっはよ、お兄さん!」
「おはよう、朝食できてるぞ」
「ん、食べる~」
二階から降りてきたライムはそう答えるも、俺の前から動かない。
「ん~」
じろじろっと上から下まで見られる。
「これ、今日の服?」
「マズかったか?」
「悪くないよ。でも、もっと良くなるかな! 後で着替えようね!」
「あまり奇抜なのはよしてくださいよ?」
一足先に朝食を終えてコーヒーを飲んでいたシオミが釘を刺す。すでにスーツ姿で仕事モードだ。
「センスは認めますがTPOというものが――」
「わかってるって。らいむ、もう16歳なんだからね」
「あなたを見ていると年齢で判断ができなくなりますよ……」
「ムフ」
こめかみを押さえるシオミに対し、ライムは雲のように笑う。
そして朝食を手早く済ませば、鼻息も荒く俺の部屋へと連れ込まれた。
「んー、今日はちょっとフォーマルめにしないとね~。これと合わせてみよっか!」
「……それ、大丈夫か? 柄が……ダ」
「大丈夫大丈夫! これとこれをこうしてね~」
結局自分で着たものは全て取り払われ、ライムのコーディネートで上から下まで一新される。
「ジャ~ン! スペシャルコーデ完了! どうどう?」
「先輩、決まってるッス!」
「う、うん。似合ってる」
遅れて起きてきた従姉とずーみーが、朝食を食べながら認める。
「いいですね。安心しました。セクはらを取り入れるんじゃないかと少し心配していましたが……」
「いいでしょ、これ。ここだけセクはらなんだ!」
「……全く気づきませんでした」
「今日はセクはらにも行くし、必要だよね! 取引先のアイテムで好感度アップ!」
「まあ……言われないと気づかないですし、違和感はないですから、いいでしょう」
単品の時はあんなにダサかったのに、組み合わせるとなじんでいる。不思議だ。
毎日服は自分で選ぶようにしているのだが、なかなかライムから合格がもらえない。センスを磨くというのは難しいな。
「今日も帰りが遅くなりそうだ。食事はちゃんと食べて……ツグ姉は運動もするように」
「もっ、もちろんだよ?」
「自分が責任を持ってやりとげるッス!」
「頼んだ」
「それじゃ、そろそろ行こうか、お兄さん、シオミお姉さん!」
玄関に向かって、ライムはくるくると回ってステップを踏む。
「いざ、出陣!」
◇ ◇ ◇
「タカサカおじさん、元気そうで良かったね」
「そうだな」
電車の中。吊革に掴まって並んで揺られていると、ライムがぽつりと言った。
衣料品チェーン店『セクシーはらやま』の東京営業部部長のタカサカは、去年の手術後からしばらく、会社に『療養に専念するように』と休職を命じられていた。ウガタ曰く、会社に来させると絶対に医者の言うことを聞かずに全力で働き始めるのが目に見えているから、とか。
そんなわけで半年ほど療養し、働き始めたのが先月のこと。ライムも俺も何度かお見舞いに行ったし、ライムは復職後にも会っているのだが、それでも会うたびにタカサカの健康を心配していた。
それでも今日の打ち合わせではそんな様子は全く見せなかったし、むしろライムと一緒に新作の服で盛り上がって大騒ぎし、ウガタに怒られていた。変わったのは体型ぐらいだな。
「あ、ねえねえお兄さん。アレ」
ライムが袖を引いて、少し離れた場所に座る女性を指す。
「知り合いか?」
「知り合いをアレなんて言わないよ。そっちじゃなくてほら、持ってるやつ。HERBじゃない?」
言われて見ると、本を読んでいるメガネに見覚えがあった。メガネストラップに見せかけたケーブル、首かけ型の本体。ブックカバーがされているが、あの本も隣の人が覗き込めば全ページ白紙だろう。『HERB Glass』、機械にしか見えないマーカーの描かれた白紙を、専用のメガネを通して見て本とするデバイス。年末に発売されたHERB Projectの第三弾製品。
「ああ。たまに見かけるな」
「そうなの? らいむは初めて見たよ」
売れ行きはススムラ先生曰く、『ちょっと厳しい』とのことだ。目新しさからガジェットマニアには良く売れたものの、本好きにはなかなか届いていないらしい。
「関わったものが使われてるところってさ、なんか、いいね」
「今は手を離れているがな」
「んー、残念だけど、大手と組んじゃったらそういうこともあるよ」
資金を出す会社が大きな発言権を持つ。ススムラ先生は推薦こそしてくれたものの、HERB Glassの広報の仕事をKeMPBは取れなかった。ではHERB Projectが選んだ他の広報会社が業績不振の原因かというと、ライム曰くその会社の実力は『そこそこ』だそうなので、それだけではないだろう。
第四弾の商品。全ページ電子ペーパーの本『HERB Book』で勝負を仕掛ける、とは聞いている。そこで協力できればいいのだが。
「でも本当に、いいと思うんだよね。仕事の成果が見えるってさ。らいむ、KeMPBに入ってからずっとそう思ってるんだ」
「前もWebデザインの仕事をしていたんじゃなかったか? それこそ成果は見えそうなものだが」
「んー、あの頃はお金が必要だったから、とにかく数をこなすことしか考えてなかったし」
ライムは肩をすくめる。
「ぶっちゃけ流行らないだろうなとか、ちょっと怪しいなとか、そういうサービスでも報酬だけ見てサイト作ったり、企画やってたりしてたからね。実のとこ、あの頃はあんまりユーザーの反応は見たくなかったんだ。……前にも言ったけど、らいむ、KeMPBに入ってよかったと思ってるよ」
「こちらこそ、ライムがいてくれて助かってるぞ」
「ムフ。らいむとお兄さん、名コンビ?」
「……メイ、の字が違わないようにお願いしますよ?」
シオミが横から突っ込みを入れる。
「ひどーい、シオミお姉さん! らいむ、最近はホーレンソーちゃんとしてるよー?」
「確かにホウレンソウをもらえる段階は早くなりましたが……」
「今回だって、最初から相談したじゃん」
した。単にライムがいち早くメールに気づき、いち早く計画を立てて、いち早く発言をしただけで、勝手に相手と話を進めていたということはなかった。
「話の仕方が唐突なんですよ。心臓に悪いというか」
「ムフ」
とシオミが言うのも、分からなくはない。
何せ、今日行く所についての第一声は――次のようなものだったのだから。
『ねえねえ、お兄さん――霞が関に行こうよ!』
◇ ◇ ◇
霞が関。日本の省庁が集中する街。
その名を冠する地下鉄駅から出て、縦にも横にもデカいビルに入り、受付を済ませて中に案内される。やがてたどり着いたのは小さな会議室。待っていたのは見知った顔だった。
「ユウさん、久しぶりです」
「イルマも、元気そうで何よりだ」
七三分けの良く似合うイケメンと握手する。イルマ。従姉の兄で、元島根県の職員、元島根出雲野球振興会の代表補佐。4月に異動になり、今はここで働いていると聞く。
「スエトミは問題なくやっているでしょうか?」
「今のところ問題ない。振興会のアジキともうまくやっていると聞く」
「安心しました。何かあれば遠慮なく言ってやってください。……と、失礼、まずはこちらの紹介を」
イルマは隣に立っていた男性――バキバキ言いそうな短い髪を立てて鋭い目つきをしている男性を紹介する。
「フジガミトオル。今回の件の担当者です」
「フジガミさんか。今日はよろしくお願いします。KeMPB代表のオオトリユウです」
「話は聞いている私はフジガミと呼んでもらって結構だし君も話し方を好きにして構わんよ」
イルマの大学時代の先輩だと聞いている。フジガミは少し早い口調で言うと、無駄のない動きで名刺を交換した。速い。
「そちらは」
「秘書のナカガミシオミです」
「広報担当のクジョウライムだよ!」
機械的な動きでフジガミは名刺を交換する。
「フン。若いな」
「ムフ。若いのはお嫌い?」
雲のように笑って首をかしげるライムに取り合わず、フジガミは交換した名刺をしまいながら尋ねる。
「今日は平日だが学校は?」
「通ってないよ?」
ライムが答え、フジガミが眉をぴくりとさせ――
「そうなのか?」
俺がそう聞いたらみんな押し黙った。ライムは面白がって目を輝かせ、シオミはこめかみを押さえている。
「……シオミは知っていたのか?」
「一ヶ月も同居すれば、知る機会はあります。というかユウ様が知らなかったことが……こう……生活の様子とか見ていて疑問に思われなかったのですか?」
ライムの生活の様子……夜遅くまで起きていて昼まで寝ていることが多いな。もしくは一緒に外出する。曜日に関係なくだ。……なるほど、普通の学校には通っていないな?
「今まで一人暮らしだったし、自己管理はできているんだろうと思って、特に聞かなかった」
「信頼の証ってことだね!」
「そうだな」
頷くとライムは笑みを深くして、シオミはますます眉間に皺を寄せ、何か口を開こうとして。
「そこまで」
フジガミが間に入ってくる。
「理由は良くわからないが私は特に興味がないのでそこの相互理解は後にしていただきたい」
「わかった」
当然だ。フジガミとは仕事の話をしにきたのだから。
「……気になりませんか?」
「有能な人間が来るとイルマから聞いているし能力不足なら話をしているうちにわかる」
シオミが尋ねると、フジガミは表情少なくそう言って――いや、最後に口角を少し持ち上げた。
「イルマがここにいるのだからみな有能に違いないと思っているがね」
「なんで俺たちが有能だと、イルマがここにいるんだ?」
「島根のWeb広報室はケモプロのおかげで好条件のポストになった。ケモプロがなければこいつが戻ってくるのは来年になったかあるいは戻らなかったかもしれないのだからオオトリ君はこいつに恩を売ったと考えていい」
「はは。フジガミの言うとおりですよ。ケモプロがなければどうなったことか」
「イルマよケモプロに乗ることを決めたのはなぜだ?」
「妹の才能と……彼の意志を信じたからですよ。やり遂げると信じられた」
従姉の才能は本物だ。ミタカも太鼓判を押しているし、BeSLBからも驚かれている。俺がケモプロを何十年と続ける意志を持てたのも、従姉の技術力あってこそだ。
「私は後輩のイルマを信じているし」
フジガミは小さく口角を持ち上げた。
「それが君たちが有能だと信じる理由だ。前置きが長くなったがさっそく打ち合わせを始めさせていただこう」
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