新居で報告会
4月10日。
東京のはずれ。事務所とは別の最寄り駅から徒歩10分。ニャニアンと協力してタクシーからスーツケースを降ろし、住宅街の中の庭付きの家を眺める。
二階建て、庭付き、駐車場あり。
帰ってきた――という感じはまだしないな。内覧や内装の打ち合わせで何度か来たけど、住むのは今日からだし。
「先輩!」
などと考えていると、二階からドタドタと足音がして玄関が開く。飛び出してきたのは、もじゃもじゃな髪に丸メガネをかけた小さな後輩。
「おかえりなさいッス!」
「おかえりー、お兄さん」
その後ろからひょこりと――ずーみーの背を追い抜いて、金色の髪が肩まで伸びたライムが顔を出す。さらにその奥から、大きな姿。ぼさぼさな髪を無造作に伸ばして、でかいメガネをかけた従姉が。
「おかえり、同志」
「オー、大歓迎デスネ?」
「……ああ」
帰ってきたな。
「ただいま」
◇ ◇ ◇
「遅かったじゃねェか」
ぞろぞろと一階の共同作業スペースに向かうと、椅子をくるりと回転させてミタカが言った。椅子の上で器用にあぐらをかいている。
「……あンだよ?」
「いや」
従姉の作業場所の横に空けておいたスペースに、きっちりミタカ用の机と椅子、機材が置かれていた。ニャニアンの読みどおりといったところか。しかし指摘すると機嫌を損ねると釘を刺されているし、ここは何も言わないでおこう。
「なんかその顔ムカつくな」
なんでだ。
「ユウ様、出張お疲れ様です」
キッチンスペースからやってきたシオミが、人数分のカップをトレイに載せてやってくる。
「いや、そちらこそ引越しを全て任せてすまなかった」
「……ええ、まあ」
シオミは疲れた目線を従姉に送り、従姉は大きな体を縮こませて「ふ、ふへ」と笑う。シオミは小さくため息を吐いた。
「立ち話もなんでしょう。荷物を置いてお茶にしませんか」
「そうしよう。せっかく全員揃っているんだし」
利点を生かさない理由はない。
「お茶をしながら報告会といこう」
そういえば、全員で現地に集まって報告会するの、実は初めてじゃないか?
◇ ◇ ◇
二階は各人の寝室兼プライベートルームだが、俺だけ一階の共同作業スペースのすぐ隣がプライベートルームになっている。まだダンボールが山積みの部屋にスーツケースを放り込み、作業スペースに戻った。ダイニングもあるが、軽食程度ならそれぞれの作業スペースでも取れる。中央を向けば全員顔を合わせられる配置だし、わざわざ移動するよりここでいいだろう。こういう配置での話し合いも増えるかもしれない。
……まあ、実際はニャニアンはここに住まないし俺も外出が多いので、VR空間での報告会が基本になるだろうけれど。
「あらためて、引越しお疲れ様だ。手伝えなくてすまなかった。問題はなかったか?」
「自分は親とまさちーが手伝ってくれたんで」
ずーみーはカップを抱えて言う。
「荷物とか資料の移動とかは思ったより楽でしたね。それより見てくださいよ、これこれ!」
ペシペシと背後の作業机を叩く。そこには大きな液晶タブレット。
「ああ、買ったのか」
「買ったッス! 印税で! いやー、サンディエゴで触った環境がよくてよくて……アスカ先輩と相談して買いそろえたッス」
サンディエゴの事務所で、ずーみーはデザインチームを驚愕させた。仕事をする、と言って取り出したのがタブレット型端末、Surfaceだったからだ。ずーみーの仕事量と機体のスペックが釣り合わないと散々言われた。
そこでずーみーは試しにデザインチームと同じ環境を使わせてもらって――こうして日本で揃えることになったわけだ。
「今までので十分だと思ってたんスけど、使ってみるとやっぱ違うもんッスね。ディスプレイも増やしたから、漫画描きながらケモプロ見てデザインチェックできるようになりましたし」
「……目はついていけるのか?」
「いやさすがに同時には見てないッスよ? 三つも目ないッスから」
これまで画面を切り替えるか、小さくワイプして表示してやっていたのを全画面で表示しぱなっしにできるのがいいらしい。確かに、切り替えよりも視線を動かすほうが早いな。
ちなみにずーみーだけが重装備なわけでなく、作業スペースではみんな複数のモニタ、複数の機材を配置している。ノートパソコン一台だけ、なんていうのは俺だけだ。
「はいはーい! らいむはねぇ、服を厳選するのが大変だったな!」
引越しにあたってだいぶ服の量を減らしたらしいライムが手を上げる。
「ま、サイズ合わなくなっちゃったのが大きいけど。あ、そうそうお兄さん。服の荷解きは一緒にやろうね? せっかく一緒に住むんだし、お兄さんの服は全部らいむがスペシャルコーデしてあげるから!」
「それは助かる。ライムに選んでもらった組み合わせは評判がいいんだ」
「ムフ。でしょ? だからお兄さんのクローゼットは管理させてね?」
「わかった」
そもそも品揃えもほとんど把握されているし、これまでも管理してもらっていたようなものだ。
「ツグ姉はどうだ? カナの家から預けていた荷物を回収したと聞いたが」
「う、うん……がんばったよ」
「仕分けして、不要なものは処分していただきました」
シオミが疲れた声で言う。島根の実家から回収したデバイス類も今となっては古くて使いどころがなく、カナの家に預けたダンボール箱のほとんどが処分されたらしい。……まあ、それらがなくても二年以上生活できていたわけだしな。
「ミタカはどうだ? GDCから帰国後すぐの出張はハードスケジュールだったと思うが」
「大したこたァねェよ」
ひらひら、と手を振ってミタカは言う。日本に帰ってすぐに、B-Sim体験会のため兵庫に行くというスケジュールだったのだが。
「ソームラがよくやってたかんな。オレはほぼ機材トラブル対応だけって感じだったぜ。ま、腐っても元プロってとこだな、ガキどももよく指示に従ってて混乱は……あー」
「何かあったのか?」
「オマエ、ヤクワって知ってっか?」
「ヤクワさんなら、めじろ製菓の社長だろう」
「あァ、まァそうなんだけどな。ソイツのイトコの方。そいつが会場に来てて、オマエを探してたンだよ。そん時は名前が同じだなってぐらいだったが、後でめじろ製菓に確認したらイトコだと。んで、どうよ?」
「イトコがいたのは初耳だな」
「挨拶ッスかね?」
「にしちゃ不穏な感じはしたけどな。オマエがいないって言ったらすぐ帰ってったし。マ、気になったのはそれぐらいだな。それよかGDCの方だろ、デカいのは」
ミタカはギィ、と椅子を鳴らしてニャニアンの方を向く。
「どーよ、最近の反響は?」
「あ、チョト待ってくだサイ」
水を向けられたニャニアンは、眉をひそめてスマホを操作していた。
「あンだよ、アラートか? 帰って早々ツイてねーな」
「違いマス。……マ、いいデショウ」
ニャニアンはスマホを置く。
「おかげさまでGDCは大成功デシタ。講演の規模のわりには、名前が売れたんじゃないデスカネ?」
「だな。パーティに参加した時もけっこー話しかけられたしな」
「フフフ。アスカサンがモテモテデシタネ。『(君がcontuguuかい)?』ッテ!」
「うっせェ」
ミタカは口をへの字に曲げる。contuguuは従姉のハンドルネームで、ケモプロのクレジットも、メインプログラマー・contuguu表記だ。
「わ、わたし……?」
「あァ。ツグと話をしたいってヤツが多かったぜ。名刺はもらったし、サーバーに共有してあっけど、会いてェヤツいたか?」
「あー、うーん……い、いいかな別に」
従姉が縮こまり、ミタカが肩をすくめ、ニャニアンはクスクスと笑った。
「マ、さすがはGDC効果ってところで、仕事の話は増えたな。ゲーム作らねェかとか、手伝ってくれねェかとか、そういう」
「以前にも言ったと思うが、KeMPBとして開発の依頼を受けるのは構わない。そこはミタカに任せる」
「あいよ、精査しとくわ。つっても、オレだけじゃなくツグまで関わるならなおさら、神ゲーの見込みがあるようなプロジェクトじゃなきゃ受けねェがな」
「オ、ということハ?」
ニャニアンがキラリと目を光らせて身を乗り出す。
「ケモプロは神ゲーってことデスネ?」
「うっせェ。オレとツグが関わってんだぞ。当然のことをイチイチ聞いてくんな……やめろその顔」
ミタカはシッシッと近づいていったニャニアンを追い払う。
「ケモプロはもう大型アップデートは年毎だかんな。スケジュールに余裕はある……余計なことしなけりゃな?」
「ムフ?」
「……んで、収入も増えてオレらの取り分も今月からマシになったからな。急いで選ぶ必要はねェ」
四月分から社員の報酬を上げた。おかげでだいぶ生活は楽になる。
「少し余裕が生まれた、ということでいいんだろうか」
俺のスケジュールはパンパンだが、開発陣――従姉たちの方は。
「んだな。まァゆっくり案件を選んで――」
「わ、わたし、働きたいな!」
「……ツグ姉?」
「寝る間も惜しまず、働きたい!」
「どうした急に」
急にブラックな勤労意欲に目覚めた従姉に戸惑っていると、シオミがため息を吐いてメガネを直した。
「スケジュールに余裕が出てきたでしょう? ツグさんの作業量も、一時期と比べればずいぶん減りました。朝から晩まで働くような必要はなくなったわけです」
「そうだな」
「そこで、アレです」
シオミが従姉の作業場付近を指す。そこに鎮座するのは、PCでもモニタでもなく。
「……自転車? エアロバイクか?」
「エアロバイクは商標な。一般的にはフィットネスバイクってんだぜ」
「そうなのか。それで、これを?」
「ツグさんの体調管理の一環として、室内でも運動できるようにと導入しました」
「同志! 何か新機能欲しくない!? なんでも、なんでもいいから!」
なんとなく想像はつくが……と答えを求めてずーみーを見ると、こちらも力なく笑った。
「秘書先輩厳しいッスよ。自分もやらされてるッス」
「特にお二人は家からほとんど出ないですからね。……悲惨な体型にはなりたくないでしょう?」
「うう……でも……同志ぃ……」
「わかった、ツグ姉」
俺は覚悟を決めた――出費の。
「もう一台買おう」
「同志!?」
元々、エア――フィットネスバイクを買うことは以前から検討していた。
ケモプロは何十年と続けていく。そのためには従姉の力が必要だ。だから従姉には長生きしてもらわないといけない。外に出なくても健康でいてさえくれればいいが――去年の健康診断の結果を見れば改善を検討しなければいけないのは明らかだった。
なのだが、購入に至らなかったのは金欠……というのもあるのだが、アパートが狭くてスペースが確保できなかったためだ。しかし、ここなら問題ない。
「ツグ姉だけに辛い思いをさせるわけにはいかない。俺も一緒にやろう」
せめて鬼コーチからは解放してやろう。
「KeMPB代表として、ケモプロをしっかり見るのも仕事だからな。一緒にバイクをこぎながら試合を見る、という形なら続けられないか?」
「ど、同志……」
「先輩! 自分も一台買うッス! お供します!」
「そういうことなら、らいむも一緒にやる!」
「いや、そんなに台数置けねェだろ」
続々上がる手に、ミタカがツッコミをいれる。スペース的に二台が限界だろうな。
「うう、しょうがないッスね……交代制……いや、先輩が三倍やれば?」
「……さすがにそこまでの時間は捻出できないぞ」
「冗談ッス」
そうだろう。そうであってほしい。従姉の気持ちが少し分かってきた。
「マ、諦めろや。だいたいツグが徹夜で働かなきゃなんねーようなプロジェクトってありえねェだろ」
「うぅ……」
「運動の話はこれでいいな? ……ああ、ところで試合で思い出したんだが、視聴者数があまり伸びてないと聞いた。何か状況が悪いのか?」
「いやー、盛り上がってはきてるんスけどね」
ずーみーはもさもさと頭を掻く。
「特に鳥取サンドスターズは東京を抜いて一位に躍り出たんで、ファンは大騒ぎッスね。伊豆も三位だけど調子いいんで……まあアメリカじゃ負けましたけど、でもそれはそれってことで。あとは青森。島根抜いて五位浮上ですからね。上も詰まってるんで、この調子なら上位までいけるんじゃないかって盛り上がってます」
「盛り上がっている……のに、伸びていない?」
「コアなケモプロファンは盛り上がってるけど、それ以外だよね!」
ライムが雲のように笑って言う。
「『野球が好き』なら、面白い野球であればそっちを見る。お兄さんがプロ野球を見ていなかったのは、その時いた野球選手に興味が持てなかったから。なら、そんな野球に疎い人でも興味を持てるような選手が出てきたら?」
「……サン選手か」
「そういうこと!」
ライムはニコニコとしながら言葉を続ける。
「結局、最後は人なんだよ。先月、イチローの引退が話題になったでしょ? でもなんでイチローが来日してたのか知ってる人なんて、騒いでる人たちの中にはほとんどいないよ」
「……なんで来たんだ?」
「メジャーの開幕戦を日本でやったからだろ……知ってろ」
メジャーリーグなのに日本でやるのか。
「東北勢初の甲子園優勝をしたテンマ選手フィーバーもそう。普段野球を見ない人でも話題にして、その結果を気にしていた。そこへ恨みと執念で絡んでいくサン選手! わかりやすくて、おもしろいよね! ケモプロよりそっちを見たくなっちゃう気持ち、分からなくないよ!」
「向こうにいても話題になったな。2回目の対戦はサン選手が勝ったんだったか」
サン選手がテンマ選手を4打席抑えて400万円獲得。最終回でテンマ選手にサヨナラタイムリーを打たれて勝利投手ではなくなったが、それでもサン選手の勝利だとして大きく報道されていたと聞く。……試合には負けているので負けだ、という意見もあって評価が割れているそうだが。
ちなみに俺の幼馴染、カナは最近は一軍帯同の代打出場が主で、こちらも打席に立って成績を残した試合は大きく取り上げられている。お互い忙しく会うことはできなかったので、一軍昇格のお祝いは電話で伝えておいた。
「つまりサン選手の試合を見るため、情報を追いかけるため、『普段はそれほどプロ野球を見ていない人』がプロ野球に行ってしまったわけか」
「ムフ。協力体制はとってるけど、やっぱりNPBが一番のライバルってことだよね」
「大きなライバルだな。根幹はどちらも野球というゲームの面白さだし……」
「のんのん! 違うよ、お兄さん!」
ライムは雲のように笑う。
「ケモプロから視聴者が減ったのは、『人』を見に行ったからだよ。結局、人にとって最強のコンテンツって『人』なんだ。根源は人格、背景、物語! そしてね――ケモプロはそれを生み出してる。だから面白いんだよ。歴史を重ねればもっともっと面白くなる。だから、まだまだこれからだよ!」
「……なるほど」
根源が同じなのにプロ野球に興味が持てなかったのは、知る方法、楽しむ方法を教わらなかったからかもしれない。これからより重要になるのは、ずーみーの描く漫画や、ライムの広報、ナゲノたちが行う実況ななどだろう。もちろん、それを支える従姉たちの技術も。
「KeMPBも設立二周年を迎えたが、今までやってこれたのも、そしてこれからも、みんなの力が必要だ。改めてよろしく頼む」
みんなの顔を見渡して言う。真剣にうなずく者、呆れたようにする者、反応は様々だった。
「他にはないか? それじゃあ、解散としよう。と、ニャニアンはまだ時間あるか?」
「……オ? なんデス?」
スマホに目を落としていたニャニアンが顔を上げる。
「夕食を食べていかないか?」
「ホホウ。それはダイヒョーの手作りデ?」
「もちろんだ」
雑用の仕事はまだまだ俺の担当だ。帰国したてだから、なんて言ってサボッていられない。シオミに代役をしてもらっていた分は取り返さないと。
そう考えながら頷くと、ニャニアンはスマホを下ろしてニッと笑った。
「ごちそうになりマス」
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