GDC2019
3月18日。
「うひゃー、会場でっかいッスねえ!」
交差点から見える建物を見上げて、ずーみーが声を上げる。
「ビッグサイトの東ホールぐらいッスか?」
「東ホール一個ぶんよりちょっと大きいぐらいデスネ」
「3フロアあっから床面積は三倍な」
手でフレームを作って覗いてニャニアンが判じて、ミタカが鼻を鳴らす。
「言っとくがこの西館だけじゃなくて、他に北館と南館もあんぞ。カンファレンスが西、エキスポが北と南で別々にやってっからな?」
「おお。やっぱデカいイベントなんスねえ!」
カリフォルニア州サンフランシスコ。Game Developers Conference、GDCの会場になるモスコーニセンターの西館……モスコーニウエストの前にやってきていた。周囲はもう関係者しかいないのだろう、いかにもそれっぽい人たちばかり歩いている。
「んじゃ早速仕切ってもらっかね?」
「そうだな。(グレンダ、説明を始めてくれるか)?」
俺に声をかけられて、赤毛の女――アメリカでB-Simのチームを率いているグレンダが、ギロリとこちらを睨む。……相変わらずあまり印象がよくないみたいだ。
「(オーケイ。よく聞け)」
一同がグレンダの顔を見て、グレンダはそれを見渡す。GDCに参加経験があるという彼女に、全体指揮を取ってもらうことにしていた。
「(アタイらはこれから西館に行って登録をする。オールアクセスのバッジを受け取るから、絶対に無くすな。そこのニャニャ)」
………。
「(……そこの、ニャニアンのおかげで人数分のパスは無料で確保した。彼女に感謝しろ)」
「イエイエ、おかまいナク」
顔を赤くするグレンダに、ニャニアンはニコニコとして応える。ニャニアンの提出した講演内容が通ったことで、関係者として無料でパスがもらえることになったのだ。
「(バッジを紛失した場合、再発行は当日券と同じ料金、2500ドルかかる。いいか、絶対無くすな)」
無料券の余裕はない。日本から俺を含めて四人。それにサンディエゴのデザインチーム、グレンダのチーム、ノースダコタから来たサーバーチーム、バーサたちBeSLBの営業部……と希望者が集まった結果、余剰はなかった。
しかし、2500ドル、約28万円か……交通費や宿泊費と比べても大きな金額だな。オールアクセスだからこの値段ということだが、エキスポ――企業の展示だけ見れるパスでも350ドル。東京ゲームショウが1000円ぐらいだったはずだが、桁違いだ。
「(アプリはインストールしたな? スケジュールはそこで確認できる。講演に参加したら、文字起こしアプリも必ず起動しろ。後でチームで共有する)」
GDC、ゲーム開発者たちの技術交流のこのイベントにおいて、講演は800近く行われるという。開催期間5日ということだから1日約160講演。とてもじゃないが回りきれない。同じ講演を複数で聴くよりも、分担しようという話になっていた。
「(バッジを受け取ったら、ケモプロ講演チームは準備に入る)」
一日目の早い時間に配置されていた。主役のニャニアンだけでなく、ミタカとグレンダがスタッフとしてトラブルに備える。俺やバーサもこれを見守る予定だ。
「(他の奴らは好きにしろ。以上だ。行くぞ)!」
「……え、それだけッスか?」
「子供の遠足じゃねェんだ、こんなもんだろ」
ゾロゾロと移動を始める。西館でまずはバッジの受け取りか。
「見たい講演がなかったらエキスポに行ってもいいッスか?」
「構わないぞ」
ずーみーはそもそも卒業旅行の一環だしな。それに展示から学ぶものもあるだろう。
「っつっても、三日目までエキスポはねェぞ? 今日明日は講演だけだぜ」
「お、おぉ……そうなんスか。えっと、なんか面白そうな講演あるッスかね? アート関係は行こうと思ってるんスけど」
「まァ、なかなか面白そーな講演はあるっちゃあるが……」
ミタカはちらりと、視線を背後にやる。
「一番気になるっつーか、話題になりそうなのはGoogleだな」
「グーグル?」
「向かいにメトレオンっつーショッピングセンターがあンだろ。あそこでGoogleが展示をやってる。さっきセプ吉とグレンダと、チラッと見てきたんだがな」
「オー、不穏な展示デシタネ!」
言葉とは裏腹に、ニャニアンはニコニコして言う。
「ターニングポイントになったゲーム機を年代順に展示シテ、2019年、カミングスーン、デスヨ!」
「えっと……つまりどういうことッスかね?」
「2019年に、Googleがゲーム機にターニングポイントを作る、って言いてェんだろ」
一方のミタカは不機嫌そうだ。
「すでにネットでも噂になってるぜ。Googleが新ハード出すんじゃねェか、とかな」
「お、おお? グーグルがプレステみたいのを作るってことッスか?」
「九割ねェな」
「ないデスネ」
「えぇ……なんでッスか?」
「今から三つ巴やってるプラットフォームに食い込んでいくには、さすがにGoogleとはいえ辛ェモンがある。っつーかそもそも、今のコンシューマ業界にそんなにウマみがねェだろうよ」
「それだったら、コンテンツが集まってるGoogle Playを生かしたほうがマシデショーネ」
「ふむ。……Google Playに対応した新ハードを発表する?」
「スマホのPixelがあンだろ。それで十分だっつの」
……まあスマホ向けに作られたゲームを、スマホ以外の何でやるんだという話か。
「んー、わからないッス。アスカ先輩とニャン先輩は予想がついてるんスか?」
「……まァな」
「んでもって、それがあんま面白くなくて膨れてるんスか?」
「膨れちゃねェよ」
「イエイエ、不機嫌デスネ! マ、だいたいわかりマスケド」
ミタカが顔を逸らし、ニャニアンが面白そうにそれを覗き込む。
「マ、予想から行きまショウ。展示のところには、アルファベットのエスっぽいロゴがあったんデスヨ。Googleの得意分野で、ゲームで、ターニングポイントで、エスとなると――ズバリ、
「ストリーミング……ッスか?」
「クラウドゲーミング、と言ったら分かりマスヨネ?」
「ああ」
ケモプロでもベータ版で提供していた。ゲームをサーバー上で実行し、ユーザーの操作に応じてグラフィックを描画し、ユーザー側の端末に画像だけ送る仕組み。ユーザー側の端末では動画を再生できる程度のスペックと安定した回線さえあれば、ケモプロが最高画質で楽しめるという内容だった。……アクセス過多でサーバーが落ちて、結局この仕組みを使うのはやめたのだが。
「Googleには巨大なデータセンターがありマス。Youtubeとゆーストリーミングサービスも持ってマス。クラウドゲーミングをはじめるのは難しくないデショーネ」
「なるほど。……で、アスカ先輩は何が気に食わないんスか?」
「もしストリーミングサービスだとしてだ。ひとつは……」
ミタカは舌打ちしてから続ける。
「それでターニングポイントを名乗るのが気に食わねェ。まるっきり流行っちゃいねェが、クラウドゲーミング専用機はG-Clusterっつーのがすでにある。200……4年だったかにサービス開始して、専用ハードになったのは2013年ぐらいか」
「専用ハードだともっと先に出したとこもありマシタヨ」
「オマエらが知ってるのだと、PlayStation Nowか? あとは同時期に出た3DS版ドラクエ10とかもクラウドゲーミングだな」
……両方ともよく知らないな。
「とにかくだ。ストリーミングサービスにしても、その専用ハードにしても、すでに前例がある。それをあの展示の並びにいれようってェんなら、気分はよくねェだろ」
先駆者を無視している形になるからか。
「ふたつ目は……クラウドゲーム、ストリーミングだとしたら、ゲーマーも馬鹿にされたもんだって話だ」
「どういうことッスか? 高性能なゲーム機が手元になくてもいいって、すごいことだと思うんスけど」
「ケモプロみてェなのなら問題ねェんだよ。いいか、ストリーミングの最大の問題はな」
ミタカは指を立てて、言い切る。
「光が遅すぎるってことだ」
「……えっと、光より速いものってないッスよね?」
「光速は秒速約30万キロメートル。光ファイバー内では屈折率の関係で減速して約20万。1秒で地球を5周。半周にかかる時間は100ミリ秒」
ずーみーの問いかけを無視して、ミタカはぶつぶつと暗唱する。
「60
「場所によりますけど、90から200ぐらいデスカネ?」
「んじゃ167としてアメリカにクラウドサーバを置いて日本から通信したら、こっちで操作した結果が画面に反映されるのに往復で20フレーム、まァ0.33秒ぐらいかかるってわけだ。どうだ? 操作が0.33秒も反映されないゲームで、ゲーマーが遊びたいと思うか? あァ?」
格闘ゲームとかは無理だろうな。1桁フレーム単位でアレコレ言ってる印象がある。あとはVRも駄目だろうな。頭の動きと映像がズレるだけで酔いそうだ。
「ミタカはあまりクラウドゲーミングにいい印象がないのか。なんでケモプロではやろうとした?」
「プレイヤーが選手を操作しねェからだ。普通の野球ゲーだったらやろうと思わねェよ。投球開始から捕球まで30フレームぐらいだぞ?」
ピッチャーが投げたなと視認できた時点で、すでにボールはキャッチャーのミットの中、みたいな感じか。
「そーゆー不完全なモンを出してこようとしてるなら、気に食わねェって話だよ」
「なるほど」
聞くからに問題は大きそうだ。立ちはだかっているのは物理法則だし。しかし……。
「それでもGDCというイベントで発表しようとしているなら、Googleには勝算があるんじゃないか?」
「そりゃ……まァ」
「ミタカならどうする? そもそも、既存のサービスはなぜ流行らなかったんだ?」
ミタカは少し目線を宙に向けると、真剣な目をして戻ってくる。
「既存のサービスが失敗したのは、広告の目玉のハイエンドゲームが手抜き実装だったのが大きいだろーな」
「ハイエンドなのに、手抜き?」
「元々コンシューマーゲームとして売ってるやつを、クラウドゲーミングで安くできますよっつって持ってきたんだよ。雑に、丸ごとクラウドにしてな。すっとさっき言った遅延の問題が出てくる。確かにグラフィックはハイエンドなゲームが遊べるが……シャキシャキ感がなくなっててな?」
……料理か何かか?
「UIを動かした時のキビキビ感、シャキシャキ感っつーの? カーソルで項目を選択したときのシャキッて感じが、遅延のせいで無くなンだよ。こっちはポポンッて反応を期待してるのに、……ポポンッ、ってされたら気持ち悪ィだろ? 全然シャキシャキ動いてねェのに、SEはシャキシャキ言っててさ」
なんか擬音を連発してるのが面白いな。
「他にも専用の新作を用意できなかったとかマーケティング的な理由はあるが、気持ちよく操作できねェっていうクラウドゲーミングの弱点をそのまま放置したのが敗因とオレは見てるね。まずもって評価するのはゲーマーだぜ? そいつらに不満を持たせたらなァ……ライト層はその評判を聞いてやってくるもんだろ? せめてUIだけでもレスポンス性が気にならないように作り直すべきだったな。っつーか、専用ハードを用意するならそもそもハイブリッドクラウドにしろって話だ」
「ハイブリッドクラウド?」
「UI側だけクライアント、ユーザーの手元のハードで処理させる形式だ。これならUI操作のレスポンス性は失われねェ。すでにそういうアプローチを取ってるサービスもあるぜ」
なるほど。ボタン類の表示ぐらいなら、それほどスペックもいらないだろうな。
「そーだな。もうひとつのアプローチとして、レスポンス性が不要なゲームを用意するって手もある」
「反応が悪いのが不満なんじゃなかったか?」
「反応が悪ィのが自然ならいいんだよ。オペレーターズサイドってゲーム知ってるか?」
知らない。ずーみーとニャニアンの顔を見る。誰もが首を横に振った。
「あー、まァ概要を説明すると、マイクを使って声でゲーム内のキャラに指示を出すゲームだな。敵が見えたら『撃て』っつえば撃って攻撃するし、『足を撃て』っつえば足を撃つ。探索もどこを探せとか何を取れとか動かせとかな。これなら多少遅延があっても、キャラが指示を理解するまでの時間がかかったんだな、って受け入れられるだろ?」
「そんな感じはするな」
「今は音声認識の技術も上がったし、Siriみてェなのもいるしな。そういうAIとコミュニケーションをとるようなゲームは、クラウドゲーと相性がいいだろうよ」
「AIッスか」
「レスポンス性が気にならないようにするってなっと、AI任せにするってのはひとつの答えだ。最近の中華系スマホ用MMORPGがどうなってっか知ってっか? 狩りからクエストまでオートで進行だぜ? プレイヤーがすることは全体的な指示だけ。そういうのとかオートチェス系なんかもクラウドと相性がいいだろーな。他にも完全同期マルチプレイなんてのもクラウドならではってヤツで可能性はある。そういう方向だとシンラとかな、期待してたんだが……」
モノは使いよう、ということか。
「では、そういうゲームを用意すれば勝ち目はあるか?」
「レスポンス性の必要ないゲームなんてジャンルが限られてつまんねェと思うが、ま、ゲームはどんな発明があるかわかんねェからな。めちゃくちゃ面白ェゲームが出てくりゃわからなくねェが……それでもクラウドゲーミングにはまだいくつか問題があるぜ。例えば、需要が逆転していることだな」
「需要が逆転……?」
「クラウドゲーミングは、高スペックなハードを持ってなくてもハイエンドのゲームができるってェのがウリだ。つまり、金をあんま持ってないやつがターゲットってワケよ」
「ところがストリーミングでゲームをするにはひとつ条件がありまシテ。安定した帯域の回線が必要なんデスヨ。HD画質にしようと思ったら、5~10Mbpsデスカネ? 4Kだとその4倍チョイ。実効値でそれだけ確保できるエリアに住んでいて、回線を契約している。スマホでやるなら安定した無線環境も構築済み。……それってなかなかお金持ちデスヨ?」
「んでよ、それぐらい金持っててゲームに興味あるやつらが、わざわざ遅延するクラウドゲーミングを選択するか? って問題だよ」
なるほど。逆にお金が無い人たちはクラウドゲーミングをできる環境に無いと。
「遅延、コンテンツ、ユーザー側の環境。これらの問題がある以上、クラウドゲームが『本格的なゲーム』を食うことはねェだろってのがオレの予想だ。クラウドゲームで釣れるのはライト層ぐらいだろうよ。んで釣ったところで質のいいゲーム体験が提供できねェだろってなると……人が騙されてるトコ見るのは気分がよくねェだろ?」
「なるほどー。それでアスカ先輩は不機嫌と」
「ワタシは楽しみデスケドネ」
ニャニアンはニコニコして言う。
「アスカサンが言った技術的課題も、『本気』でやるならいくつか解決法はありマス。あとはどこまで本気なのか? それが講演で分かるのが楽しみデス。本気で行くなら、ワタシみたいなインフラ屋にもかなりスポットが当たるでショウシ? ……マ、もっとも? ストリーミングじゃないかもしれないデスケドネ! ハッハッハ!」
「まーな。なんにせよ」
ミタカはフーッと溜めていた息を吐き出す。
「もっとも気に食わねェのは、タイミングが最悪だってことだ。セプ吉の講演に目を通してくれる――ケモプロが宣伝したいライト層が、ごっそり持ってかるワケだかんな」
「アッハッハ。マー、地味な部分の講演デスカラネ! 仕方ないデスヨ! 記事になってもきっと小さいデショウネ~」
「オマエな。オマエの講演だぞ。わかってんのか?」
「オ、アスカサン、心配してくれてマス?」
「ばっかオマエ」
口ごもるミタカに、ニャニアンはニコリと笑ってみせる。
「ダイジョーブ! 講演はバッチリやってやりマスヨ!」
◇ ◇ ◇
【GDC2019】常時学習するAIたちによるゲームを支えるインフラ技術 / ゲーム系ニュースサイト 2019年03月19日掲載
(画像:壇上に立つニャニアン)
/*KeMPBの七尾ニャニアン氏
北米時間3月18日、GDC2019の会場において『ケモノプロ野球リーグ』を運営するKeMPBが、サーバーインフラをテーマにしたセッションを行った。登壇者はKeMPBのインフラ担当という七尾|(ななお)ニャニアン氏。ケモプロといえばAIによるプロ野球リーグで、そのAIの仕組みやゲーム構造については様々なメディアで語られてきた。しかしながらそれを支えるインフラの観点からの話はされたことがなく、GDCという場において初めて語られることとなる。
本稿ではセッションの内容を……――
(中略)
――……前述の通り対戦中はひとつのサーバーに選手をまとめなければならない。そのため日米の交流戦では球場の所在地に応じて、日米どちらかのデータセンターに選手のデータを移す必要がある。常時更新される選手の学習、記憶、モデルなどの各データを速やかにそして確実に転送するため、両データセンター間に帯域保証型の専用回線を……――
(中略)
――……すでに開発は完了しており、日本時間の3月24日よりアマチュアチームの交流練習試合が行われるという。これで問題が無ければ日本時間4月7日にプロ3球団がアイダホ州のアマチュアチームと現地で交流戦を行うとの事……――
(後略)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます