製菓会社より

 1月下旬。


 狭苦しく不安になる音を立てるエレベーターが5階に到着し、ゴトゴトとどこかにぶつかりながら扉を開く。一歩踏み出せば事務所の扉が――開いていて、目に飛び込んできた状況は非日常だった。


 大きな電動式のチェーンソーを抱えた男の背中。

 男の足元で、土下座をする黒いスーツ姿の女。


 緊張に満ちた空気の中、エレベーターの扉が閉じて唸るのをやめる。


「……ライパチ先生、ついに」

「ついにって何だよ!?」


 チェーンソーをもった男――無精ひげを生やした中年男性、棚田高校の社会科教師は抗議の声を上げるのだった。


 ◇ ◇ ◇


「ご迷惑をおかけして、真に申し訳ありませんッ!」


 シオミとライムと、ライパチ先生と俺が見守る中で、女が土下座をする。


 どうしてこういう状況になったのか、少し時間をさかのぼって整理する必要がある。


 ペンギンビル5階。KeMPBの前事務所は月末で解約になる。一般的なオフィスだと現状復旧工事というものが必要になるそうだが、ここは清掃さえすればいいと言われているので時間はかからない。――ひとつの問題を除いて。


 それは事務所内に鎮座する、前の借主が置いていった無駄に大きな机と椅子。これを退去時に処分することが契約の条件になっている。


 机の大きさからして、扉からは絶対に出ない。ねじ穴も見当たらないから組み立て型じゃない。窓から入れたんじゃないか、ということで業者に搬出の見積もりを依頼したところ、吊るすためのクレーンも5階ともなれば大型のものを用意しないといけないし、道路も狭いから作業中通行止めの許可を警察に取らないといけないし、街路樹が邪魔になるから市に伐採許可も取らないといけないことが判明した。

 さらにそこまでやっても、机が窓から出るかどうかは微妙だと言われた。ギリギリ窓枠と干渉しそうだと。……前の借主がどうやって机を搬入したのかはビルオーナーも覚えていないらしく、ミステリーは迷宮入りだ。


 ということで机は解体することにした。わりと高価なものらしいけど、使わないし。


 業者に頼んでもよかったのだが、ニシンから『ライパチ先生がDIYを始めようとしてチェーンソーを買った後まるで使っていない』という情報を得たので借りることにした。冬のため棚田高校野球部も活動を縮小しているらしく、ライパチ先生が届けるついでに解体を指南してくれるとの事。

 ありがたくその申し出を受けてビル前で待ち合わせたところ、チェーンソーは抜き身でタクシーから出てきた。カバーを紛失したらしい。人目につかないようビル内へ急いだところ、別の階のテナントの人と鉢合わせ。

 チェーンソーを持った不審人物をひとり階下に残すわけにもいかず、先に別テナントの人たちとライパチ先生でエレベーターを使ってもらって――


「……申し訳ありませんでした!」


 これだ。すでにライパチ先生とチェーンソーは部屋の脇に寄っているが、女は部屋の真ん中で土下座し続けている。


 その正体はめじろ製菓株式会社の社長、ヤクワヒノリ。


 先日、KeMPBの公式問い合わせフォームから連絡を取ってきた。なんでもこれまでのことについて直接謝罪したいとのこと。謝罪も何もデマ関係はカリストの問題で、別にめじろ製菓に何かされたわけじゃないからいらないと断ったのだが、どうしてもと食い下がられた。

 報告会でライムに「面白そうだし会ってみよう」と言われたことと、僅かな時間でも構わないということだったので、机の解体をする日にチラッと会うぐらいならと承諾した。まあ玄関先で挨拶するぐらいかなと思っていた――のだが、俺とは入れ違いになって先に5階に上がっていたらしい。


「えっと……も、申し訳ありません……あの?」

「ほらヒノリさん。やっぱりボクの言ったとおりですよ」


 俺が土下座をマジマジと見ていると、ヒノリの隣に細身の男がかがみこむ。厚手のトレーナーを着て腕まくりした男は――ガシッとヒノリの頭を両手で押さえつけた。


「さ、どうぞ」


 言って、隈の浮き出た目でこちらを見てくる。能面のような無表情で。


「首は差し上げます。でもできればお墓に入れる骨は欲しいので、胴体は返してもらえますか?」

「ちょッ――ちょ、な、何言ってるのよ!?」

「どうみても準備万端だし、こうでもしないとおさまらないってことですよ。おとなしく斬首されてください」

「いや、いらない」


 首をもらってどうしろって言うんだ。


「あ、いらないですか。よかったですね、ヒノリさん。価値のない首で」

「言い方!?」

「とりあえずお二人とも、普通に座っていただけますか」

「うんうん、座って座って!」


 疲れた声でシオミが促す。その隣で、ライムが雲のような笑顔を浮かべていた。


「相談ごともあるんだって? らいむ、早く聞いてみたいな!」



 ◇ ◇ ◇



「ボクはコーヒーゼリーパフェで。皆さんはどうします?」

「んー、らいむはイチゴのブリュレかな。お兄さんとシオミお姉さんは?」

「俺はホットコーヒー」

「……同じで」

「ヒノリさんはどーします? これとかおいしそうですよ?」


 ずい、と男はメニューを指しながらヒノリに肩を寄せる。その頭を押しのけながら、ヒノリは声を潜めて男を叱った。


「ばかなの!? 謝罪に来てパフェ食べるやつがいるの!?」

「え? ボクは謝罪に来たわけじゃないですよ?」

「あなたは私の会社の社員でしょ!?」

「でもボクはケモプロさんに何もしてないですよ?」


 男は不思議そうな――顔はしていないな表情筋が死んでいる。わずかに眉が上がっているぐらいか。


「ケモプロさんが謝れっていうなら、仕方ないですけど。謝ったほうがいいです?」

「悪いことをしてないなら、謝る必要はないだろう」

「ですよねえ、ほら」


 ヒノリは酸欠の金魚のように口をパクパクとさせる。


「あの」


 そんな彼女を見かねて口を挟んできたのは――店員だった。


「ご注文は?」

「……ドリンクバー……」

「お腹へってないんですか? まあ、以上で」

「ごゆっくりどうぞ」


 結局、あの狭い部屋には6人も入っていられなかった。

 無関係なライパチ先生が気まずいかなと思って、机の解体は後日にしようかと思ったのだが「やっとくから話してこい」と言ってくれたので、ライパチ先生を解体作業のため事務所に残し、近所のファミレスへと場所を移した。


 ビルから出たとき、上のほうから「おっ、すっげえ切れる! ヒャッハー!」とかずいぶん楽しそうな声が聞こえたので、気兼ねなく話ができる。


「それで、ヒノ――ヤクワさんは謝罪がしたいとの事だったが」

「は、はい!」

「何についての謝罪だろうか? 悪いが特に心当たりがない。ダイリーグの関係者だったから、とかいう理由だったら、当事者じゃないなら別に構わないんだが」


 カズヒトのやったことについてシュウトが謝る、のは分かる。会社としてやってしまった形になる以上、社長が責任を取るのは当然だ。だがめじろ製菓はただの球団元オーナー。何かをしたという記憶が――


「その、めじろ製菓がダイリーグのオーナーになると決まったときの、発表の記事で……」

「……ああ」


 思い出した。


「ずいぶん写真とは印象が違うと思った」


 もっとごちゃごちゃ着飾っていた印象がある。ダイリーグのドラフト会議でもゴージャスな衣装だった。


「そっ、それはその、こいつの趣味で! 私じゃないんです!」

「……この人の?」

「はい、ボクです」


 男は表情を変えずに頷く。


「あ、ボクはマサキジョウジって言います。日本人だけど、ジョージでいいですよ」

「……うちの製品開発部の部長です……」

「どうも、ヒノリさんを飾るのが趣味な部長です。イエイ」


 男――ジョージはにこりともせずブイサインをする。


「ヒノリさんは素材がいいのに地味な服ばっかり着てもったいないんですよ。今日のスーツだってダサいからやめろって言ったのに」

「わかるわかる! お葬式かな? って思っちゃったよね。らいむも写真で見たキラキラしてるやつのほうが似合ってると思うな!」

「おお、いいですね。ライムさんとは話せそうです」

「話さないで。私の服の話はいいから……」


 ええー、と抗議の声を上げるジョージの顔を手で押さえつけながら、ヒノリは説明する。


「あの記事の中で、大変失礼なことを言って……『ケモプロは秋田を見放した』とか……」

「ああ。そういえば」


 ケモプロのオーナー探しで秋田県は除外されていた。めじろ製菓からコンタクトがあったわけでもないので、ずーみーなんかは逆恨みだと怒っていたが、秋田に声をかけたことがないのも事実ではある。辛らつなコメントをされても仕方ない。


「大変申し訳ありません! ケモプロさんを悪者扱いするようなことになって!」

「半分ぐらいは事実だし、野球が好きだからそう言ったんだろうなとは理解できるから、気にしてない」

「それは……そう、ですか。そうですよね……今さらですし」


 去年の6月だから……7ヶ月ぐらい前のことか。


「はぁ~~~」


 と計算していると、長く呆れた調子のため息が流れてきた。ため息の主は――ジョージだ。


「ヒノリさん、あなたバカですね」

「ちょっ!?」

「自分で全部の責任を取ろうって姿勢もバカですけど、これからお願い事するのにわざわざ悪印象かぶりにいくのもバカですよ?」

「だっ、だって言い訳とか見苦しいじゃない」

「事実を述べることは言い訳じゃないですよ。すいませんねオオトリさん、ヒノリさんがバカで」


 謝られても困る。


「ちゃんと説明すればいいじゃないですか。自分はそんなこと言ってないって」

「そッ、それは……」

「そうなのか?」

「……はい。あの、ケモプロのことはシーズンが始まってから知ったんですけど、秋田のチームがなくて残念で、だからダイリーグの時はチャンスだと思って申し込んだ……というようなことは、記者さんに言ったんです。それがなぜかあんなことに。訂正をお願いしたんですが、受け入れてもらえず……」


 過激な発言に書き換えられた、と。ライムに目をやると、彼女は頷いた。


「カズヒトさんの仕業じゃない? 公にネガキャンできるチャンスだぞって」


 そんなところか。真相は分からないが、少なくともヒノリのせいではないだろう。


「そういうことなら、それこそヤクワさんが謝る理由はない。この話はおしまいでいいだろう」

「いえでも、その時直接謝れなかったせいで長らく不快な思いをさせてしまって……」

「お兄さんは別に気にしてなかったらしいよ?」


 今の今まで忘れてたな、うん。


「そんなことよりさ! 相談したいことってなに? らいむ、それが気になってるんだよね!」


 ライムはパタパタと足を動かして、雲のように笑う。


「広報担当者に相談したいことって、なぁに?」

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