カウンター(上)

「連れ出して悪かったね」


 エレベーターのドアが開くと、ユキミは思い出したように言った。


「頼まれたし、タクシーの中で話は聞いて納得した。必要なことだと思う」

「私はどうかと思いますが……ユウ様が決められたのなら」

「頼もしいね。さてと」


 ユキミはずんずん進むと、無人の受付ホールに入り、内線電話を手に取った。


「番号はっと……もしもし? ああ、タカナシ社長はいるかな? 代わってくれる? ……僕? ユキミって伝えてくれたら分かると思うけど? うん。……やあ、お待ちどう。間に合ったかい? そりゃよかった。入ってもいいかな? ああ、案内はいらないよ。じゃ」


 内線を切ると、ユキミは「こっちだ」と奥へ向かっていく。どうやら会議室スペースのようだ。数部屋あるうちのひとつ、一番奥まった扉を、ユキミはノックもせずに開ける。


「や、どうも」

「……なんだね君は?」

「すいません、僕が呼んだんです」


 大きな会議室に、スーツ姿の男性がたくさんいる。ユキミの体の脇から、立ち上がった小さな姿が見えた。タカナシシュウト。株式会社カリストの代表取締役。


「ユキミさん、どうぞこちらへ」

「どうもどうも。連れもいるんだけどかまわないよね?」


 そう言ってユキミは体をずらして俺の姿を室内に晒す。誰もが俺の顔を見て驚き――


「なッ、なんでケモプロの代表が?」


 声を上げたのは顔の丸い中年の男性。確か――叔父にあたるんだったか。タカナシ……なんだっけ。とにかく、シュウトの叔父だ。


 引越しパーティを切り上げ、ユキミに連れてこられたのは株式会社カリスト、『育成野球ダイリーグ』の運営会社の事務所。何度かインタビュー記事で紹介されていた会議室だった。


「それに、そう、そいつはケモプロのオーナーじゃないか。部外者どころか敵対企業だ。出て行け!」

「僕が呼んだんですよ、叔父さん」


 シュウトは少しかすれた声で叔父を制した。……よく見ると、目の下には隈が出ているようだ。ずいぶん疲れているらしい。


「ああ、秘書の方もきてくれたんですね。えっと、椅子は足りるかな」

「はぁ!? 取締役会だぞ! 企業秘密だってある、部外者は入れられないだろ!」

「ハハ。それを言ったら、この場には他にも部外者がいると思うけどね?」


 ユキミは面白そうに言って室内を見渡す。誰かが何か口を開こうとしたが、それより先にシュウトの叔父が食ってかかった。


「この方たちはうちの社外取締役だッ」

「ふむ? いやいや……まだ部外者だろう? シュウト君?」

「ええ」


 シュウトは椅子に深く座りなおして、ふう、と深く息を吐いてから答える。


「決議はまだですね」

「……は?」

「これから弊社に協力してもらうため、取締役になってもらう話はしていましたが――決は採っていません。今はまだ取締役は僕ら三人だけ。そうですよね、ヒライズミさん」

「えーっと、そうだね」


 細身でくせ毛の髪の男性――ヒライズミが戸惑いながらも頷く。


「シュウト君がノリノリだったから決まったものだとばかり思ってたけど、決議って意味ではまだだね」

「なッ、ならさっさと――」

「まあまあ、そう焦ることないだろう? ほらほら、ケモプロさんも座ってさ」


 ……この中を通っていくのか。入り口近くの席がよかったな。

 なんとか視線に耐えて、空いている席に座る。ユキミはコの字になっている机の真ん中へと足を踏み入れた。


「だいたい、追い出すなんてひどいじゃないか。さっきもシュウト君が呼んだって言ったろう? 実は僕に仕事の依頼があってね。その報告に来たのさ。ほら、僕はもうオーナーじゃないから、ケモプロと関係ないし? 仕事を請けたっておかしくないだろ?」

「そんな屁理屈……! だいたいそっちのケモプロの二人は無関係――」

「彼らは被害者だからね」


 ユキミは――冷たい声を出す。びくっ、とシュウトの叔父の動きが止まった。スーツ姿の男たちも、一部で顔を見合わせる。


「おっと、心当たりある人が他にも何人かいるみたいだね。タカナシカズヒトさん?」

「ひっ、被害とか、何をでたらめを言って!」

「やましいことがないなら、黙っていたほうがいいんじゃないかな? それとも僕が喋ると何か都合が悪いのかい?」

「だだ、黙るのはそっちだ! 部外者は出て行け、このゴシップ記者がッ!」

「往生際が悪いな。大声でどなってごまかせるのは小学生までだよ」


 ユキミが眉をひそめるが、タカナシ――カズヒトは止まらない。顔を赤くしてまくしたてる。この場に集まった何人かがその口汚さに辟易した顔を見せ始めた、その時。


「使途不明金」


 息継ぎのタイミングで、ユキミが鋭く口を挟んだ。虚を突かれたカズヒトが、目を丸くして止まる。


「カズヒトさんは色々な会社とお付き合いがあるようだね。会社にいないことも多いとか。なかなか派手にやっているようで、だいぶ交際費がかさんでいるそうじゃないか。しかも領収書の貰い忘れも多いんだって? シュウト君も心配するはずだよね」

「……ハッ。子供に付き合いのことなんて分かるわけない。ゲーム会社は横の付き合いが大事なんだよ。領収書は、酔って忘れることもある。しかたないだろ。金額は財布で計算してるから間違いない。まったく、そんなことを調べさせてたのか。無駄な出費を……」


 ハァ~、とカズヒトは深く強く息を吐く。


「なあシュウト、不安になるのは分かる。すぐに何か見返りがあるわけでもないのに金が消えていくんだからな。こっちも身内だからって甘えていたよ。領収書がなけりゃそりゃ不安になるよな。ただ、分かってくれ。いちいちキッチリやってたら進むものも進まない。スピード勝負の世界だからな、ある程度アバウトになるのは仕方ないんだ。それに大人は付き合いってモノが重要でな、お前はまだ子供だから理解しがたいだろうから、そこはこっちの仕事だと割り切って支えてやっているんだ。おかげで仕事に集中できてるだろ? それに何も成果がゼロってわけじゃない。この間とってきた案件だって、こういう付き合いの結果なんだ。心配ならちゃんと説明してやるから、こんなうさん臭いやつを使わないで、こっちを頼ってくれ、な?」

「うさん臭いのは否定しないけどね」


 ユキミはニヤニヤと笑う。


「やましいことがないなら調査結果ぐらい聞いたらどうだい?」

「シュウト、聞く必要なんかない。なんだかんだこじつけて金を請求してくるつもりだ。この手のヤツらは一度払ったらそれをネタにズルズルとゆすってくるぞ。今ならまだ間に合う――それとも、まさかもう払ったのか?」

「払ってないですよ」

「ならギリギリセーフだ、まったく危ないところだった。会社どころか皆さんを巻き込むところだったんだぞ。いいか、自覚をしないといけないぞ。変なところとの付き合いは――」


 シュウトは「違います」と短く告げる。


「これからお支払いするつもりです」

「は? いやいや、そんなことする必要はない。どうせ契約書とかも交わしてないんだろ? 口約束だけなんじゃないか? なら大丈夫だ。そんなことに使うぐらいなら、もっと他の事に回したほうがいい」

「口約束ですよ、確かに。……書類を残すと叔父さんに知られちゃいますしね」

「は? お前……」

「管理系の部署は皆、叔父さんの仲間ですからね。だから社内では誰にも知られずに動く必要があった。で、考えたんですよ。口約束で、後払いでも仕事を引き受けてくれて、僕たちの会社をかぎまわっていてもおかしくない――僕からの依頼だとは気づかれないような人に頼まないといけない」


 シュウトはユキミと目を合わせる。


「『面白そうだ』って受けてくれる人はオールドウォッチさんしか思い浮かばなかった」

「いやはや、うまく乗せられちゃったよ」

「ここまで計画していることです。報告を聞かないわけがない。……叔父さんが聞きたくないなら、出て行ってもいいですよ。他の皆さんがどうするかは、分かりませんが」

「……はぁ。後悔するぞ」


 カズヒトは腕を組んで座った。ジロリ、とユキミ――でなくなぜか俺を睨んでくる。


「僕だって何事もなかったという報告が聞ければ、それでいいと思いますよ。ただ……僕は叔父さんが単純に横領をしたんだと思っていたんですけど、ケモプロさんが被害者、とは……?」

「まあまあ、順を追って話そうか。シュウト君から『叔父が横領していないか調べてほしい』って依頼を受けて、カズヒトさんの金の動きを調べたんだ。これがなかなか手ごわくてね。普通に考えたら領収書がないところが怪しいわけだけど、まんべんなくあったりなかったりでね。ま、『うっかり忘れた』なら当然かな? いやいや」


 ユキミは手を振って自ら否定する。


「まんべんなさすぎる。紛失するなら、特定の会社との付き合いで頻発している方が自然だね。酒癖の悪い相手がいるとか、そういう理由が考えられる。けれどあまりにもばらつきが少なかった。つまり意図して忘れていると……そう思わないかい?」

「くだらない印象操作だ。それに領収書を忘れても、後でちゃんと出金伝票は書いて経理に出してる」

「知ってるよ。シュウト君が苦労してスキャンして送ってくれたからね。さて領収書と伝票が手に入ったら、普通はそれが正しいか、偽装されていないかのチェックだ。水増し請求、二重発行、不正の手口はいろいろあるからね。まあ特に怪しいのは領収書でない、カズヒトさん自身が記憶を頼りに書いて提出した出金伝票だろう。通常はこれを精査していくことになる。実際にその店舗があるのか、その日に店舗を利用したのか、店側の帳簿と合っているか……これがなかなか地味な作業だ」


 一店舗ずつとなると大変だろうな。店側だって大変だろうし、非協力的な場合もありそうだ。


「だからそれは調べなかった」

「え、ええっ!?」


 シュウトが目を丸くすると、ユキミはくつくつと意地悪く笑った。


「いやいや、二、三件は調べたけどね。思ったより正確だったからすぐにやめたんだ」

「そ、その程度じゃ、本命が他にあったかもしれないじゃないですか?」

「いいや、おそらくだけど全部正しいね。なかなかいい記憶力をしてるよ――わざと領収書を貰い忘れたのでなければね」


 ユキミはカズヒトに目を向けるが、カズヒトは黙ったままそれを見返した。


「うん。つまりねシュウト君。君の叔父さんは横領はやっていないのさ」

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