新事務所(後)
「なんだか頼りがいのありそうな人だったね」
「だね。あたしもルミネーって呼んでいいかな」
「電話応対もメールも完璧で、頼りになっている」
イサは以前、シオミと同じ職場にいたそうだ。お堅い会社だったとのことで、ずいぶん苦労したらしい――シオミが。その後退職して久々の復職ということだが、ブランクを感じさせない働きぶりで助かっている。
「ところで」
体の大きいアツシが移動したことで、その背中に隠れていた大きな人がハッキリ見えるようになった。腰まで伸びた長い黒髪を何段かに分けて縛る、トレードマークのタイガーテール。
「なんでタイガは隠れているんだ?」
アツシがいなくなったのでエーコの後ろに隠れていたタイガは、びくりと反応すると、ソロソロと顔を出した。うん……エーコも大きめのほうではあるが、まったく隠れていなかったからな。
「ッたし……ことッ………ットル……なかッ……たし」
「刺し殺したる!?」
言ってないぞロクカワ。俺の背中に隠れないでくれ。人が多いし聞き取りづらいのはわかるが。
「タイトルの話か?」
「う……ん」
どうやらタイトルが獲れなかったことを気にしているらしい。
「確かに獲れなかったことは残念かもしれないが、俺はタイガならいつかやってくれると思っている。プロ野球の世界にはすごい選手がたくさんいるけど、タイガは間違いなくその一人だ。今期も活躍しているのを見た。来期には祝わせてくれることを期待してる」
「……ん」
タイガは頷くと、やっとエーコの背中から前に出てきた。
「ひさッ……り。……ユゥ」
「ひさしぶりだな。今日は時間は大丈夫なのか?」
「キャンプおわッ……、オフ、に……ったから」
そういえばプロ野球は秋もキャンプがあるんだった。あまり話題にならないから知らなかったけど。
「そうか。それならゆっくり楽しんでいってほしい」
「ん……」
タイガはホッと息を吐くと、口をvの字にした。
「あの……トリ代表?」
と、背後から声がする。俺の後ろに隠れていたロクカワだ。
「こちらは……やっぱり、タイガ選手で?」
「そうだが……何か?」
「いや、『何か?』っておま」
ロクカワは目を剥く。
「史上初の女子プロ野球選手と、二人目と、呼び捨てにする仲ってどういうことなん!?」
「カナは幼馴染だし。タイガはケモプロの協力者だ」
相談に乗ってもらったり、モーションを取らせてもらったりした。球場にもよく招待してもらって、とても参考になっている。応援することでしか恩が返せていない。他にできることがあればいいんだが。
「えぇ……何その人脈。てかそれにしたって、こんなプライベートで会いに来るとかありえんやろ……? あッ、そういやなんかオオムラ選手のデビュー戦で、親父さんの近くにトリ代表っぽいのが映ってたような……?」
「ロクカワさんでしたか? カナさんとタイガがここに来たことは他言無用でお願いしますね?」
「アッハイ」
エーコに睨まれて、ロクカワはビシリと直立不動になる。……警戒しすぎじゃないかな。
◇ ◇ ◇
「イェーイ、ダイヒョー、盛り上がってマスカー?」
しばらくカナたちから最近の話などを聞いていると、ミタカとニャニアンがこちらへやってきた。
「オ? カワイイ子ばかりじゃないデスカ。ダイヒョー、端に置けマセンネ!」
「隅な」
「そういえばニャニアンは、この三人に会うのは初めてじゃないか?」
「オー、鬼マネサンの秘蔵っ子たちデスネ!」
エーコにはB-Simの手伝いをした時に会っているらしい。
「うわ、キレイな人だね……はじめまして、ニイミサトミです」
「ニャニアン・セプタ、日本人デス! ヨロシク!」
「え? ……え?」
「ウンウン。これこれ、これデスヨ」
首をかしげるニシンを見て、ニャニアンは腕を組んで頷く。
「このネタをやったらそういう反応がほしいもんデス。見習ってくだサイ、ダイヒョー」
「努力しよう」
「まったく、報われない職場デスヨ」
ヨヨヨ、と自分で言いながらニャニアンは泣きマネをする。
「この事務所の内装・電気・LAN・ネットワーク・セキュリティもワタシが手配して、そのうえ一部は自分でやってまで間に合わせたというノニ! ボーナスもなしナンテ!」
「社員への報酬はすぐには変更できない決まりで……」
「こういう! こういうトコデスヨ! ネエ?」
ニャニアンに振られて、ニシンは深く頷き、カナは苦笑した。
「ハー、いいデスケドネ、今さらデス。せいぜい綺麗に使ってくだサイヨ? ロクカワサン、机とか大きな物置く時は相談してくだサイネ? やれなくはないデスケド、床剥がせない状態で追加配線とかゴメンデスカラネ?」
「お、おう、わかったわ」
ロクカワはカクカクと頷く。
「それで、こちらがタイガサンとカナサンデスカ。ドーモ、ニャニアン・セプタ、日本人デス!」
「あはは……オオムラカナです。最近のユウくんの周りは楽しい人ばかりですね。安心しました」
「そデスカ? 昔からこんなデハ?」
「いやー……だいぶ変わったよね、カナちゃん」
「そうだね」
ニシンとカナが顔を見合わせて頷く。
「中学の頃とか勉強の鬼って感じで近寄りがたくてさー……あたしら以外に付き合いとかなかったっしょ? そっちの学校でも」
「なかったな」
頭がいいわけでもない。棚田高校に入るためにはとにかく時間をかけるしかなかった。
「高校に入ったら今度は『ニートになる』とか言って投げやりっていうか、研いでないナイフみたいな感じでさー。これまた近寄りがたい感じだって言われてて」
「む……」
「でもさ、会社をはじめてからは――イイ感じだよね?」
「そうだね。ユウくんがやりたいことが、ちゃんとできてると思う」
槍でもナイフでもなくなったのなら、いいことだろう。
「ホー。ダイヒョーにも歴史アリ、デスネ! ワタシも若い頃はギラギラしてマシタカラネー。親近感が沸きマス。ネ、アスカサン?」
「ア? あァ、そーだな。クソ生意気だったぜ。マ、経歴考えりゃ調子に乗るのも仕方ねェ気もすっがな」
「オッ、アスカサンが理解を? これは、デレ!?」
「うっせェ」
とミタカは顔をしかめる――だけで、いつものように手も足も出してこない。調子が悪いのかな。
「大人しいデスネー。タイガサンがいるから緊張してるんデショ? わかりマス、推しがいるとそうなりマスヨネ!」
「ああ」
「ちょ……てめ、『ああ』じゃねェ!」
「そういえばミタカさんにサインを渡すのを忘れてたわね。タイガ、今書いてもらえる?」
「ん。わかッ……た」
「えッ、マジ。あ、その、ども……」
ミタカは赤くなって怒ったり照れたりする。そんな様子を――
「変な顔で見てるんじゃねェ!」
俺とニャニアンはそろって叩かれた。照れ隠しが痛い。
◇ ◇ ◇
「ツグネー、久しぶり! ずーみーちゃんも!」
「おっ、ニシン先輩おひさしぶりッス!」
カナたちを連れて一通り挨拶して回り、最後にやってきた隅のほう。従姉を中心に、ずーみーとまさちーと、そして――
「うわっ、かわいい。お人形さんみたい。あ、もしかして」
「ああ、そういえば初めて会うんだったか。紹介しよう――」
「ふっふっふ、それには及ばないぜえ!」
ニシンは俺を遮ると、コホンと咳払いして話しかけた。
「はろー。ないすとぅーみーちゅー! まいねーむいず、サトミ・ニイーミ! ぷりーずこーるみー、サトミ!」
話しかけられた相手は――雲のような笑顔で応えた。
「(丁寧に教えてくれてありがとう! わたしはらいむ・クジョー、こちらこそよろしくね!)」
「ふふん」
ニシンはドヤ顔をこちらに向けてくる。
「いやー、球団にもさ、フツーに外国人とかいるから。球団職員としてはかるーい英会話ぐらいできないとね? ケモプロ、海外展開するんでしょ? 事務所祝いのためだけに来てくれるなんて、スタッフのひとも大変だね~」
「まあ……家はそれなりに遠いらしいな。ライムは今日来るのにどれぐらいかかった?」
「んー、一時間半ぐらいかな!」
「あれ、日本語!? 日本語ナンデ!? え、日本人?」
「らいむ、アメリカ人だよ!」
「ええ!?」
「日本人でもあるけどね! よろしくね、ニシンちゃん!」
「あれ? ええ? えぇ……?」
混乱するニシンを見て、らいむは笑みを深める。……それぐらいで勘弁してやってくれ。
「ツグさんも、久しぶりです」
「うん、ひさしぶり……あッ」
カナに言葉を返した従姉は、ハッと言葉に詰まる。
「あの……その、ご、ごめんね? 荷物、置きっぱなしで」
「あはは。気にしないでください。オフの間ぐらいしか帰らないですし、寝る場所はなんとかなるので」
それに、とカナは言葉を続ける。
「父から聞きました。ユウくんもツグさんも、春に向けて引越しするんでしょう? その時引き取ってもらえるなら大丈夫です。ああでも……その話をするとき、なんだか父が難しい顔をしていたんですけど……何かありましたか?」
「ああ! き、聞いてよカナちゃん! ――同志がひどいんだよ!」
「……えっ?」
「最初はさ、部屋も狭くなったし、私と同志、別々の家に住もうって話を始めて……それなのに、しばらくしたらずーみーちゃんと一緒に住むって言うんだよ!」
「え……ええっ!?」
カナがこちらを見てくる。……半分ぐらいは事実だから否定はできないが、しかし言い分はある。
「いや、正確には『家賃と場所の問題を考えると、一緒に住んで家賃を分担したほうが効率的だと気づいた。とりあえず、ずーみーとは話をして一緒の物件を探すことにしたんだが、ツグ姉も一緒に来ないか?』と言ったんだ」
「う、うーん……」
カナは腕を組んで唸る。判定は――
「アウト……かな?」
「……そうか」
「ユウくんらしいけどね」
苦笑しながらフォローされてしまった。
「それにしても、そう、三人で」
「はいはい! らいむもずーみーちゃんと一緒に住む!」
「……四人?」
「か、五人の予定だ。人が多ければ一人当たりの家賃負担は同じでも、仕事場に使える共用スペースが増やせるからな」
「そういうことか。あはは、賑やかでいいね?」
「実際住んでみたら、意外とうるさいとかあるかもしれないぞ?」
「えー、何その楽しそうなの。ずるいなー! あたしも住ませろ!」
「構わないが一年で何ヶ月いられるんだ?」
「……二ヶ月ちょい?」
「それなら住むというより、泊まりに来たらいいんじゃないか? たぶんそれぐらいは余裕できると思うぞ」
「マジ? そっかー、泊まりに行っていいんだ! あっ、あー……でも、うん」
ニシンは宙に視線をさまよわせてから手を合わせた。
「ゴメンゴメン、ナシで。仕事の邪魔しちゃ悪いし」
「そんなことは――」
「おっとー、それより、そこの女の子! 全然喋ってないじゃん! ヘイヘイ、自己紹介してくれよう!」
「あッ、は、ハハーッ!」
まさちーは勢いよく頭を下げる。
「それがし、棚田高校に所属する、姓はミギシマ、名はサチ、ペンネームはまさちーと申すもの! 偉大な先輩のご尊顔を拝見できて光栄でござります!」
「……武家の子?」
「埼玉の子だ」
生年月日も確かめたから、タイムスリップもしてないぞ。
「女性初のプロ野球選手、タイガ選手に、二人目のオオムラ大先輩。そしてそれを支えるニイミ大先輩。ケモプロの一端に関わるものとしてだけでなく、大変尊敬を――」
「うひゃー、やめやめ! カナはともかく、あたしまでやられるとこっぱずかしいよ! 普通にして、普通に!」
「し、しかし……」
「わたしも、そこまで後輩にかしこまられると傷つくなあ~」
「うッ。そ、その……それでは、オオムラさん、ニイミさんで」
「え~まだ硬いなあ……まっ、ドノとか言われないだけいっか」
殿までいったら武士レベルが上がってしまうな。
「そっかー、埼玉出身なんだ。マタロー選手と同じだねえ」
「マタロー?」
「サンニンタロー選手のあだ名だよ! ほら、入団会見ですごいこと言った選手。おかげでカナの報道も減ってありがたいけど、それ以上だよねー、メディアの加熱っぷりったら」
「ああ……テンマ選手と戦うと言って話題になっていたな」
動画も見た。すごかった。机に肘立てて手組んでるし、睨みあげるようにしてカメラを見ている目が怖かった。
「あッ、あの……そのサン選手なのですが……テンマ選手は大丈夫でございましょうか?」
「ん? んー、なんか最初は『サン? 誰だっけ?』とか言ってたらしいよ。ま、メディアにコメント出す時には完璧に『彼は強かった、対戦が楽しみだ』なんて、覚えてた風に言ったみたいだけど。なんだろう、眼中にない、みたいな感じだったかな? ま、実際去年の甲子園は楽勝だったみたいだし」
「そうですか……」
「何かあったの? ええと……まさちーちゃん」
「ああいえ、大したことではないのですが」
まさちーは手を振りつつ答える。
「地元がニシタケザワの近くなので、その。ニシタケザワは新設でわりと力が入っていてですね、親に勧められて説明会に行ったことがあるのございまして」
「……ニシタケザワ?」
「マタロー選手の出身校だよ」
ああ。ニシなのか。西武竹沢と書いて『セイブタケザワ』で、電車のグループと何か関係があるのかと思っていた。
「その日、ちょうど西武竹沢の野球部が甲子園で負けて帰ってきたところで……ちょっとその、道に迷って反省会みたいなことやってるところに行ってしまって。そこでサン選手がその……こう、怖いことを言っているところを聞いてしまいまして……テンマ選手を破滅させてやるうー、とか……」
「へえ、そりゃスクープだ。詳しい話を聞きたいところだね」
「ふぇ!?」
スッっと脇から細身の男性が入り込み、まさちーは飛び上がる。
「ユキミさん。弊社の従業員を怖がらせないでいただけますか?」
「おっと、秘書さん手厳しいね。失礼失礼」
ユキミ。日刊オールドウォッチの編集長で電脳カウンターズの前オーナーはニヤニヤと笑って、後ろからやってきたシオミに弁明した。カナたちを案内する間、シオミには主に取引先の人たちを任せていたのだが。
「ユキミが来ているとは知らなかった。挨拶に行かなくて申し訳ない」
「いやいや。僕もね、急用で今さっき来たところさ」
「急用……というと最近いい予感がしないな」
「はっは。僕が痩せてるのは元からで、病気じゃないから安心してくれよ」
そのスタイルで大食いということを考えると、改めて心配になるんだが。
「ま、ちょっと時間がないんでね。手短にいこうか。KeMPBに確認したいことがあるんだよ」
「なんだろうか?」
「証言がほしいんだ」
ニヤッ、と笑って――ユキミは尋ねる。
「ダイリーグから企業の引き抜きをしたって話は本当かい?」
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