新事務所(前)

 11月25日。


 駅から徒歩18分と3分増えた代わりに、5階から1階ドラッグストアすぐ上の2階となった新事務所。

 建物すぐ隣の坂道に伸びる細い階段を上がって扉を開けて廊下を歩き、すりガラスの扉の脇に備え付けられたカードリーダーにスマホをかざして開錠、中に入る。


「あっ、代表。お疲れ様です」


 がらんとした空間に立ってスマホをいじっていた長身の男が頭を下げてきた。いわゆるウルフヘアというやつが崩れて、茶色の前髪が目にかかっている。


「そちらこそお疲れ様だ。悪いな、雑用を手伝わせてしまって」

「いやいや、新入りですしね。当然のことですよ」


 礼儀正しく言うが――やっぱりなんか慣れないな。


「やっぱり、普段の言葉遣いでいいんじゃないか?」

「いやいや! 配信とリアルは別ですって! これが普通ですんで!」

「いつものンゴンゴ言っているほうが聞き覚えがあってな……」

「そこまでンゴ言ってませんが?」

「トリニキと呼んでくれても」

「勘弁してくださいよ……」


 嫌なら仕方ないか……と考えている間に表でトラックが止まる音がし、しばらくして入り口のほうに人の気配がやってくる。


「ちょうど届いたみたいだ。手伝ってもらえるか、ロクカワさん」

「任しといてくださいよ。タッパはあるんで見た目より力はありますからね」



 ◇ ◇ ◇



「やっほー、ユウ! 事務所移転おっめでと~!」


 元気な声が事務所に響く。


「へえー! 意外と広いじゃん! お、ピザあるピザ! 食べていいやつ!?」

「もう始めているからな。構わないぞ」

「よっしゃあ! うひょー、こっちはお寿司だ!」


 小さな――いやもう俺と背は並んだから小さいとは言い切れないが、幼馴染同士で比べれば小さい方、ニシンが、長机に並べられた料理に向かって突撃していった。


 11月25日。今日は事務所の移転祝いということで、KeMPBやその関係者を呼んでささやかな食事会を行っている。レンタル業者から借りた机や椅子を事務所内に持ち込み、ケータリングの料理を受け取ったり取りに行ったりと、ロクカワと一緒に雑用係らしい仕事をこなして準備したのだ。

 ……明日、この机を返すことを思うと少し気が重い。搬入は業者も手伝ってくれたんだが1人だったし、階段が細いし、ロクカワとの身長差があって……。


「ひさしぶり、ユウくん。事務所移転……拡大? おめでとう」

「ありがとう。人が増えるので広いところにしたんだ。おじさんにはいい物件を紹介してもらった」

「お父さん、すごく張り切ってたから。気に入ってもらえたなら嬉しいな」

「満足している。荷物が入れば狭くなると思うが……今も少し狭いか」


 料理を置く机に休憩用の椅子。事務所にあるのはそれだけじゃない。


「ふふ、人で一杯だもんね。すごいなあ、こんなに……あ、ツグさんは?」

「家にいると言っていたんだが、連れ出してきた」


 集団を避けて、隅のほうで大きな体を小さくしている。だが、しっかりとピザは食べていた。……今日ぐらいはいいか。


「おめでとうといえば、カナもだ。昨日たくさん表彰されたそうじゃないか」

「あはは、ありがとう。二軍のタイトルだけど、やっぱりお祝いされるのはうれしいね。記録のタイトルは事前にもらえるの分かってたんだけど、優秀選手賞とかスポンサー表彰は私も知ったのがギリギリで驚いちゃった」

「カナの実力だ。来年は一軍での活躍するところが見れそうだな」

「そう言ってもらえると張り切っちゃうな。タイトルはちょっと難しいけど」

「なんでだ?」

「規定打席って仕組みがあるから。もしDHに採用されても、テンマさんもDHで出ることはあるだろうし、そうなると打席数が足りなくてタイトルはもらえない……かな?」


 なるほど。1打席だけ出場してヒットを打ってあとはずっと休み……とすれば記録上は打率十割だが、そんなケースで受賞させるわけにもいかないものな。


「ではテンマ選手にも出番を渡さない活躍を期待している」

「あはは。うん、がんばるよ。ユウくんが応援してくれてるんだもの」

「ところで話は変わるが、後ろの人は誰だ?」

「……あ、僕か!」


 背が高くがっしりした体。スポーツ刈りの頭をぴしゃりとやる男を、その隣にいたエーコが連れてくる。


「事務所移転おめでとう。紹介するわね、こちらは――」

「どーも、移転祝いの人質でっす!」

「……ついに人身売買を」

「ついにって何よ。ソウムラさんもやめてよね」


 エーコはこめかみを抑えてため息を吐く。


「……ミタカさんに相談を受けて探していた、解析システムの運用・営業の人材よ。オオトリ君とミタカさんが揃って出席するって聞いたから、ついでに面通しさせてもらおうと思って」

「なるほど。そういうことなら」


 俺は声を上げてミタカとロクカワを呼ぶ。もう一人……は見かけないな。トイレかな。後にしておこう。


「待たせたな。Bass、B-Sim担当のミタカと、この事務所でユーザーサポートをするロクカワさんだ。KeMPBで働くことになれば、顔を合わせることが多いだろう」

「どうも! ソウムラアツシです! よろしく!」

「お、おお、ども……」


 手を握られたロクカワは恐縮しながら頷く。ミタカの方は品定めするような目で応じていた。

 ふむ、しかしそれにしても。


「ソウムラ、ソウムラか……」

「代表、どうかしたんで?」

「いや聞き覚えがある名前だと思って……人違いかな?」

「いやーたぶんそれ当たりですよ! 父からね、代表のことは聞いてますし!」

「父……あ、もしかして」

「そうそう! ソウムラエイシの息子なんですよ僕!」


 ソウムラエイシ。思い出した。『ササ様と学ぶ野球』の放送直前特番に一緒に出演した、元プロ野球選手のタレントだ。野球のおもしろおじさんだった。


「おお……マジか。ソームランの使い手の」

「知っているのか、ロクカワさん」

「ええまあ。ソウムラエイシと言えば平成新世代の強打者で、ソロホームランがめっぽう多かったんでついたあだ名がソームラン。まあ自分が小学生の頃引退したんで、リアルタイムじゃあまり見てないですが」

「ロクカワさん詳しいですね! それじゃ僕のことも知ってたり?」

「え」


 ロクカワは口ごもる。


「……まあ……いわゆる二世選手ってやつで、まーその……」

「ドラフト三位で入ったのに大した活躍せず万年二軍のやつ。はっはっは、いいんですよ! 事実ですからね!」


 ソウムラ――アツシは朗らかに自虐する。


「野球は好きだったんですけどね、ずっと僕自身は『一流』じゃないなあって感じてました。甲子園にも出たけど、プロになるかどうかは迷っていて。というか、ならないつもりだったんですけどね。ある日家に帰ったらオヤジがいて。『届けはもう出したのか』って聞かれたからつい咄嗟に『もう出したよ』って答えて、慌てて翌日監督に届けを出して……まあそれでも指名がかからないんじゃないかと思ってたら指名されて。びっくりしたし……何より不安でしたねえ」


 アツシはフゥッと息を吐く。


「ま、不安は的中するわけです。周りのやつらはスゴいぞ、僕なんかとはぜんぜん違うぞって。二軍でも成績は奮わなくて、それでも出してもらった一軍でも結果が出なくて。それきり、二軍に居座っていたんですが、そろそろね。『覚悟しておけよ』って言われて。じゃあどうしようか……と思っていたところ、ツヅラマネージャーに声をかけていただいたんですよ」

「趣味がパソコンだって聞いてたし、解析システムも率先して見に行っていたからね」

「ああいうの好きなんですよ! 引退しても野球に関われるなら、是非やらせてほしいです。野球は――才能はないけど、嫌いじゃないんで」

「わかった」


 俺も野球は好きだ。体を動かすのはサッパリだが。


「適性は後日ミタカに見てもらう」

「よろしくお願いします!」

「ヘッ。まァ期待してら。手は抜かねェから覚悟してな。――てめッ、セプ吉! それオレの皿だぞ!」


 ニッっと笑ったミタカは――皿を持って逃げ始めたニャニアンを追って行ってしまった。

 ……まだ料理はたくさんあるから、別の皿に盛ればいいのに。


「あー……あとは、そうだ。もし働くことになったら、基本的にこの事務所に出勤してもらうことになる。荷物の受け取りや発送も業務のうちだ」

「まかせてくださいよ! 下のドラッグストアも、食べ物売ってて便利ですね、このビル。そういえばなんか面白い名前でしたね」

「フナガモビルだな」

「それそれ。カモってついてる名前は縁起がいいですよ! カモにされるってことでヤクザが避けるらしいんで」

「へえ、そうなのか」


 かわいい名前にする、というのは聞いたことがある。前のビルもペンギンビルだし。


「いやー、今考えたんですがね!」

「今かい!」

「ははっ、すいませんね先輩」

「あ、いや」


 思わず、といった形でツッコミを入れたロクカワが、慌てて口を押さえる。


「いやその……自分の方が年下だし、大した人間でもないんで……」

「でもKeMPBの従業員なんでしょう? なら先輩ですよ!」

「はあ、まあそりゃ……」

「新しい人ですよね? ユウくん、紹介してくれる?」

「この人はロクカワコーイチさんという」


 しかし次の名前の方が覚えやすいだろう。


「またの名を、ケモプロ実況者、『やきうのあんちゃんズchチャンネル』のあんちゃんだ」

「ちょ、代表」

「あー、それってンゴンゴ言ってる人だ!」


 皿に料理を盛って帰ってきたニシンが、何か頬張りながら言う。


「いやそんなに言ってないや……言ってないですよ?」

「やっぱりいつもの口調がいいんじゃないか?」

「いやッ、これが普通ですし!?」

「俺は面白くていいと思う」

「おもしろて……いや皆さんに失礼でしょ」

「失礼と言ったら、一般的には俺がロクカワさんに話しかける口調の方がマズいらしいぞ」


 いまだにうっかり敬語が外れて怒られたりするしな。


「いや、あん……あなたは代表ですし」

「それこそ気にしてない。他の皆もそうだと思うが」

「うんうん!」


 力強く頷いたのはニシンだった。他の面々も、苦笑しながらもそれに続く。


「はい! それより僕は先輩がなんでKeMPBに入社したのか知りたいですね! 実況の人だったんでしょう? 気になる! 僕ばっかり説明して不公平じゃないですか? ぜひ、ンゴンゴ言いながら説明してくださいよ!」

「……はぁ。……怒らんとけよ? あと、そんな面白い話やないからな」


 ロクカワは頭を掻いてさらに髪をぼさぼさにしながら口を開いた。


「まあ何や。前職もサポセンの……電話とかメール受付の部署でな。入ったばっかはよかったんやが、事業拡大とか言い始めてからブラックになってな。病んで引きこもってたんや。んでケモプロの実況とか始めてみたりな。ウケたのは予想外やったけど。でもいい加減そろそろ働かんとなーって考えとったんやが、そん時トリニ……トリ代表に、ケモプロの企画に呼ばれてな」


 鳥類代表みたいになってしまった。


「まあ~久しぶりの外出やったし、酒も入ったしで、打ち上げの席でいろいろこう……愚痴を言って。そしたらトリ代表が会社に誘ってくれてな。迷ったんやけど、お世話になろうと」

「妹さんからずいぶん後押しされたと聞いた」

「いやアイツは妹じゃなくてハトコで……や、まあ、どうでもいいやろアイツは」


 ちなみにナゲノにも背中を叩かれていた。物理的に。いい音がしていた。


「あー、あとはまあメールサポートをやるわけなんやけど、家で仕事とかサボりそうでな。事務所に出社させてもらうことにしたのよ。だから、さっきもトリ代表が言ったけど同じ職場やな」

「なるほど! 同じワケあり同士、これからよろしくお願いします! 気軽にアツシと呼んでください!」

「お、オウ……よろしく」

「あとはもう一人、事務所で顔を合わせる人間がいるので紹介したいんだが……ちょっと見当たらないな」

「楽しみにしておきます!」

「見たらびっくりするやで……」

「?」


 遠い目をして呟くロクカワに、アツシが首をかしげたその時。


「ちっすー。いやーマジヤベーわ、下のドラッグストア紙皿置いてないし。コンビニダッシュしたわ。はい追加ね、使って使ってー」


 入り口からビニール袋を提げた女子高生――の制服を着たヤマンバギャルがあらわれた。テキパキと机の品物を補充する。俺はその背中に声をかけた。


「ちょうどよかった。イサ、新しいメンバー……候補を紹介したい」

「マジで? 代表ちゃん人集めんの早くね?」

「今回はエーコのおかげだ」


 ロクカワも特に採用活動しようと思って集めたわけじゃないし。


「イサ。こちらはソウムラアツシ。ミタカに面接してもらう予定で、決まればBass、B-Sim関連の仕事をやってもらうことになる」

「チョリーッス! イサマルミでーす! ルミ姉、って呼んでくれていいよ!」


 ちなみに俺は呼ぼうとしてシオミに止められた。


「あ……ああ、どうも。アツシです。いや、お若い」

「アハハハ! マジウケるんだけど。まー若いのは否定しないけどさ、アタシ子持ちなんで。そこんとこヨロシク!」

「えッ」


 アツシは目を丸くする。


「え……お子さんおいくつですか?」

「今年で小三。ウケるっしょ。これ写真ね」

「……立派な息子さんですね」

「っしょ!」


 イサはニッと笑った。


「んじゃアッちゃんもこの事務所に出勤することになんの? ヤバくね? よっしゃ、んじゃ親睦深めちゃおーよ! 他の人も紹介すっし!」

「あッ、ちょ」


 イサより体の大きいアツシは、引きずられるようにして料理の並ぶ机へと連行されていくのだった。

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