消化試合のヒーロー(後)
『試合は二回裏、2アウト。ここまでサクサクとアウトを取ってきたタケイシ。ここで今日一番の声援を受けるバッターを相手にします――六番、指名打者、オオムラカナ!』
球場が大きく鳴り響く。俺が拍手をしたところであっさりかき消されそうだ。
『オオムラ選手、落ち着いてバッターボックスに入ります』
打席に立つ幼馴染。その姿がバックスクリーンのモニターにも大写しになる。大歓声の中、幼馴染はメガネを少し直してバットを構えた。
『ベテランのタケイシ投手、どう入っていくか。初球――際どいがストライク! 入っていましたスライダー。オオムラ、これは手が出なかったか』
『いいコースでしたねえ』
『――ストライク・ツー! 同じコースにズバリ! オオムラ、スイングを止めて見送りましたがストライク。早くも追い込まれました。やはり緊張しているんでしょうか』
『一軍は二軍とは別物ですからね。プレッシャーはあると思いますよ』
『一球大きく外してボール。1ボール2ストライク2アウトとなりました。タケイシ、次で決めてくるか。第四球!』
ザワッ、と観客がどよめき、すぐに息を吐く。
『一塁線に切れていきました、ファール。タケイシ、ここまでストライクコースは三球すべて外角低めのスライダー。マルオカさん。これはオオムラ選手の弱点ということなんでしょうか?』
『目立った弱点があると聞いたことはないですね。今の打球も悪くなかったですよ』
『オオムラ選手の、貴重な初出場初打席。その結果はどうなる。第五球! ――打った!』
「おおッ!」
カナの父親が立ち上がる。だがそれを注意する人間は誰もいなかった。――総立ちだったので。
『抜け――ない! オダギリ止めた! ショートにトス、送球間に合うか――アウト! オオムラ選手、初打席はオダギリ選手のファインプレーに阻止されました。スリーアウトチェンジ!』
「あぁ……」
がくりとうなだれて、カナの父親が座る。周囲もだいたいそんなタイミングで座っていた。
『いやー、セカンドのオダギリ選手、ファインプレーでした。抜けたと思ったのですが、ダイビングキャッチ。ショート、クサマ選手にトスしてファーストに送球。オオムラ選手、懸命に駆け抜けましたが一歩及ばずアウトです』
『打球が強すぎましたね。それで送球が間に合ってしまった。いやオダギリ選手のポジショニングと反応もよかったですよ。深く守っていたのが効きました』
『さすがイケメン・オダシュンですね。オオムラ選手が手を出した最後の球は……カットボールと出ました』
『タケイシ選手のカットボールは一般のものと違って遅いんですよね。一見抜けスラと間違えてしまう、難しい球です。この回までほとんど投げていないですね』
『なるほど、奇襲ということですか』
変化球にもいろいろある。ケモプロのAIだったら今のボールは何と判定するんだろうか。
『オオムラ選手もよく食らいつきましたが、プロ公式戦初打席はセカンドゴロに倒れました。二回裏、三者凡退で三回表の守備に移ります……――』
カナの両親の緊張を他所に、試合は進んでいく。テンマ選手が投げるからか、守備のときでも応援の声が大きかった。それは翻れば悲鳴の大きさに変わる。三回に連打から失点した際の女性ファンの叫びは相当なものだった。
『……――さあ四回裏、2対0。2点リードされていますがここでチャンスを迎えます。今日は四番を打ちますサカタ選手、ツーベースを放って、2アウトランナー二塁としました。なんとか一点返したいところ。さあ五番シマ――初球から行った! これは長打になる! シマ一塁回った! レフト送球間に合わない! タイムリーツーベース!』
歓声が上がる。未だ続くチャンスに期待して。
『1点追いつきました、2対1。さあまだチャンスは続きます! 2アウトランナー二塁。バッターは六番指名打者、オオムラカナ! 本日二回目の打席です!』
『ここは打ってほしいですね。早めに逆転してテンマ選手を楽にしてあげたい』
『テンマ選手は10勝がかかっております。勝利投手の権利を得てマウンドを降りたいところです。さあタケイシ選手対オオムラ選手、二度目の対戦』
「おちつけ、おちつけよ」
カナの父親がピザを握り締めながら呟く。……後で手を拭くものを渡そう。
そんなことを考えている間にも、試合は続く。
『ボール! オオムラ、よく見ました。これで3ボール2ストライク2アウト。フルカウントになりました』
『いやー、オオムラ選手も苦しいでしょうけど、タケイシ選手も苦しいですね。持ち玉はすべて見せてしまいましたし、ことごとくカットされてます。次に何を投げたらいいのか悩みどころです』
こちらからはカナの背中しか見えない。今どういう顔をしているんだろうか。
『今日はご家族も球場に来ていますオオムラ選手。なんとかヒットを打ちたいところです』
――ん?
「……おじさん」
「なんだね」
「映ってます」
「は?」
バックスクリーンのモニターに。
『こちらがオオムラ選手のお父様で……あッ』
ぐしゃり。ピザがつぶれて手の中から飛び出して落ちる。カメラはそれを追った。落ちていくピザ。
『……緊張していらっしゃるようですね』
『一人娘の晴れ舞台ですからね』
『っと、タイムがかかりました。オオムラ選手、いったん外れます。うつむいて……深呼吸、です、ね?』
いや、あれは笑いをこらえているんだと思うな。
『オオムラ選手、深呼吸してバッターボックスに戻りました。さあ状況はフルカウント。一塁は空いていますがここまでくれば勝負でしょう! タケイシ投げた!』
カンッ!
「うおおおっ!」
『オダギリ取れないッ! センター前に飛ぶ! シマ三塁蹴った、間に合うか、バックホーム! 回りこんでベースタッチ、セーフ! 1点返した! 同点、2対2! オオムラ選手、プロ初ヒットは値千金のタイムリーヒット! 試合を振り出しに戻しました!』
カナの父親の雄たけびが聞き取れないほどの歓声が球場に鳴り響く。外から秋の風が吹き込んできているというのに、それを跳ね返す熱気が生まれていた。
『オオムラ選手、見事なセンター返しでした。オダギリ選手も飛びついたんですが、今回は届かず、打球はセンター前へ。投げると同時にスタートしていたシマ選手、気迫の走りで点をもぎ取りました。いやー、すばらしい打撃でしたね』
『あれはタケイシ選手の遅いカットボールでしたね。二度は通じないぞと打ち返した形です』
『オープン戦では凡打に倒れたオオムラ選手でしたが、プロデビュー戦では最高の結果を残しました。さあ四回裏、2対2、2アウトランナー一塁。連打でこの回2点を追加しています。できれば逆転したいところ!』
――が、続く打者は三振に倒れあっさり交代となった。
『さあ援護をもらってテンマ選手、五回表のマウンドに向かいます。10勝まであとひとつ。勝利投手となるためにはまずはこの回を投げきらなければいけません。ピシャリと押さえて裏での逆転を期待したいところ!』
マウンドに立つテンマ選手は笑顔で声援にこたえる。笑顔だけでなく、投球内容でも。
『――ストライク、アウト! 最後は三振! 三者凡退! テンマ選手、この回を0で抑えました!』
『いやー、すばらしいピッチングでした。自分の持ち味をうまく生かしていますよ』
『さあルーキーの勝利を援護できるか。五回裏の攻撃となります!』
しかし、打線は好調とはいかなかった。五回、六回、共に三者凡退に終わってしまう。同点のままでは勝利投手の権利が得られないためか、テンマ選手は続投――そして七回表。
『高く打ちあがった! これは外野フライか……と、ライト、センター、どちらが取る? どちらが取る!? ――落とした! 痛恨! 二塁ランナー走った! ボールはまだ転がっている! 三塁蹴った! センターバック、しかし間に合わない! 3点目! 七回表、3対2! テンマ選手、打ち取ったかと思いましたが飛んだ場所が悪かった! 思わず守備の足が止まってしまった! 記録はヒット、1点のリードを許すことになりました』
『う~ん。今のは投手としてはしんどいですねえ。ライトが処理するべき打球に見えましたが……』
マウンド上でテンマ選手は汗をぬぐう。
『ここから崩れないといいのですが』
『いやあテンマ選手はこれぐらいでは崩れないでしょう。伊達に甲子園を優勝していませんよ』
解説の言葉通り、テンマ選手はこの後バッター二人を打ち取って守備を終えた。七回裏の攻撃となり――
『本日二本目! シマ選手、ノーアウトからツーベースです! さあチャンスで打順が回ってきた! 六番、指名打者オオムラカナ! 本日の成績は2打席1安打1打点。先ほどの打席でタイムリーヒットを放ちました。対するピッチャーはミヤイ選手。オオムラ選手の2年先輩になります』
『ストレートとほとんど差のない高速シンカーの使い手です』
『高速シンカーといえば春ごろにメジャーでとんでもない球速のシンカーを投げる投手が出たとかで話題になりましたが』
『海外で言うシンカーは落ちる速球ですね。日本とはちょっと定義が違うんです。ミヤイ選手が投げるのは落ちて曲がる日本式シンカーです。とはいえ、やっかいなのに変わりはありません』
『なるほど。さあオオムラ選手攻略できるか。カウントは2ボール2ストライクとなりました。第五球――』
ガキッ!
『打った大きい!』
「おおおああああ!?」
カナの父親が叫んで立ち上がる。もちろん、周囲の観客は全員立っていた。
『ライト方向どうだ!? 入るか!? ――いやライト構えた! キャッチアウト――ランナースタート!』
ため息が一転、緊迫する。
『三塁へ送球! 深いところからだがどうだ? ……セーフ! シマ、タッチアップ成功! ベース上で雄たけびを上げます! アツい男、シマ! わずかなチャンスも逃さずにチームに貢献しました。1アウト、ランナー三塁となりました。観客から惜しみない拍手が送られます。いやー、オオムラ選手は惜しかったですね。スタンドインするかと思ったんですが』
『ミヤイ選手が投げたのはストレートですね。わずかに球威が勝ったというところでしょうか。しかしあれだけ奥に飛ばせば、進塁の機会も生まれるということです』
『さあチャンスを生かしたい。1点を追う七回裏、1アウト、ランナー三塁。バッターは七番、ライト、フクマ選手。表の守備では疑問符のつくプレーでしたが……』
カァン!
『初球から行ったライト前――っとこれもオダギリ追いつく! しかし本塁間に合わない、一塁送球、アウト! その間にランナーはホームへ! 3対3、同点! 試合は再び振り出しへ戻りました!』
『いやー、今日はオダギリ選手の守備が冴えますね』
『ライト線抜けるかと思われましたが、歩幅を大きくして追いつきました。しかし体勢に無理があったと判断したのでしょう、体を入れ替えて冷静に一塁送球。傷口を最小限に抑えた形です。状況は七回裏、3対3、2アウト、ランナーなしとなりました』
続く八番バッターは三振に倒れ、試合は八回表へ。
『さあ八回ですが……ベンチから出てきたのは、テンマダイチ! 続投です! なんとしてもルーキーに10勝をという監督の意思でしょうか』
『シーズンに入ってからは完投はないんですが、オープン戦は完投勝利していますし、何より甲子園を勝ちきったスタミナの持ち主ですからね。おそらく今シーズン最後の登板ですし、やらせてあげたいのではないかと』
『なるほど。さあ先頭打者に対してテンマ選手第一球――ストライク! 球速は145! この回に入ってもまだ体力は十分か!』
テンマ選手は八回を難なく抑えるも、八回裏も逆転はできず同点のまま。九回表にも登板し――同点のままマウンドを降りることになった。
そして、九回裏。
『……三振! シマ選手、最後はスプリットに敗れました。九回裏、これで2アウト』
『いやーソウダ選手のスプリットはえげつないですね。今日の出来じゃちょっと打てないんじゃないかと』
『との評ですが、まだ、まだ分かりません。野球は九回裏2アウトから! 3対3の同点、次の打順はオオムラ選手ですが……こういったシーンではやはり、代打、テンマ選手でしょうか?』
『自分で逆転して勝つ、という展開もこのシーズン多かったですからね。バッターとしても非凡なものをもっていますから、可能性はありますが、しかし今日は九回を投げていますし、次が――おお?』
『ベンチから出てきたのはオオムラカナ! バッターは六番、指名打者、オオムラカナ! テンマ選手、ここは同期のオオムラ選手に託しました! オオムラ選手の今日の成績は3打席1安打1打点。先ほどの打席はあわやホームランというところでした』
カナがバッターボックスに立つ――と、カナの父親は手にしていた飲み物を置いて手を払った。
「……なんだね」
「カナパパ、テレビの視線感じちゃった~?」
「いや、違うぞ? 集中して応援するためだからな?」
隙あらば映してくるんだよな、テレビ。リアルタイムでなくても、リプレイで映ったり。
『さあテンマ選手もベンチから身を乗り出して見守ります。この回逆転すれば10勝。延長に入る場合は……続投でしょうか?』
『オオムラ選手と交代しなかったですし、ありますね。とはいえ、球数がだいぶ重なってきていますからねえ。テンマ選手的には問題ないでしょうが、球団的には大事を取って下げるかもしれません。実際、球威は下がってきていますからね。それでも計算してアウトが取れるのがテンマ選手のすばらしいところですが』
『なるほど。大事な打席となりそうです。何とか後続につなげてほしいところ。オオムラ選手のご両親も――』
ほらきた、とばかりにカナの父親はビシリと姿勢を正す。
『――……固唾を呑んで見守っていますね』
周囲で少し笑いがおきて――ん?
『オオムラ選手、少し後ろを向いていたでしょうか? ご両親は本日、バックネット裏で観戦されています。さあ、ソウダ構えた。初球――』
一瞬球場が静まり返った、その間を切り裂いて。
快音が鳴り響く。
『打った!』
球場が揺れる。
『センターバック! オオムラ一塁蹴る――が、これは!』
ここから打球はよく見えないが、その行方なら知っていた。
『入った、入った! ホームラン! オオムラカナ、プロ初試合で初本塁打! サヨナラです! サヨナラソロホームラン! 3対4! 初球を見事に捉えました、バックスクリーンに飛び込む見事なアーチ! 4打席2安打1本塁打2打点! オオムラカナ、今ホームを踏みました! ゲームセット! チームメイトが駆け寄って祝福します!』
『いや、すばらしいですよ! 少し高めに入ったスプリットを見事に打ち抜きましたね』
『そして勝利投手はテンマダイチ選手! 今、オオムラ選手のもとに駆け寄り、固く握手を交わし……その手を上げました! 球場の拍手は鳴り止みません! まるで優勝したかのようなお祭り騒ぎです!』
『ははは、消化試合なんですけどねえ』
『ヒーローインタビューは……お分かりでしょう、この二人を呼ばなければ誰も納得しません! 九回を投げぬき、10勝を達成したテンマ選手! そしてサヨナラホームランを打ったオオムラ選手! ビッグルーキーのカップルがインタビューを受けます!』
◇ ◇ ◇
「おっ、ほらほら、あれ俺の娘!」
あわただしく球団やスポンサーのロゴが入ったパネルが運ばれてくる。言われて見てみると、それを運んでいるのはニシンだった。パネルが置かれて、二人がその前に立ち、アナウンサーによるインタビューが始まる。
『――……放送席、そしてファンの皆様、ヒーローインタビューです! それではまずは完投勝利して今季10勝となったテンマダイチ選手! おめでとうございます、今の気持ちを聞かせてください!』
『ありがとうございます。チャレンジする機会を与えてくれたチームと監督、応援してくれたファンの皆、それから勝利の女神に感謝したいですね』
テンマがカナに微笑みかけると、カナは苦笑して否定する仕草をした。
『なかなか勝利投手の権利を得られない、苦しい試合展開だったんじゃないでしょうか?』
『いや、自責点3ですからね、自分が不甲斐なかっただけですよ』
『オオムラ選手の一発がなければ、延長もありえましたが、続投するつもりでしたか?』
『もちろん、志願したと思いますよ。もちろん、この回で決まるだろうと信じていたけどね』
『なるほど、ありがとうございます! それでは次にオオムラカナ選手! プロ初出場、そして初ホームラン、おめでとうございます!』
『ありがとうございます』
テンマ選手が拍手をし、球場もそれに続く。
『初出場ということで、緊張されたんじゃないでしょうか』
『それはもう、もちろんです。代打出場だったら失格の内容でしたね』
『いやいや、蓋を開けてみれば4打席2安打1本塁打2打点ですよ! 最後のホームラン、狙っていたんでしょうか? 手ごたえは?』
『指名打者の仕事だと思って、狙いました。今日はテンマ選手の代わりに打席に立っていましたので、代役をしっかり果たさないといけないなと』
『いや、僕だったらどうだろう、初球からはいけなかったかな。オオムラさんの勝負強さを見せてもらったよ』
『うーん! うらやましい! オオムラ選手、初ホームランを決めた喜びを、誰に伝えたいですか!?』
『――そうですね』
カナは、メガネを直してこちらを見た。
『気持ちを伝えたいひとはたくさんいるんですけど……まずは応援に来てくれた家族に』
ズビッ。鼻をかむ音がした。そちらを向かなくてもバックスクリーンのモニターを見れば大写しになっている。
『それから家族ぐるみのお付き合いの幼馴染に、ですかね? ――サトミちゃん、おいでおいで!』
『おっ、球団忍者さんですね?』
パネルの脇に座っていたニシンが、大げさに手を振り首を振る。「いけるわけないじゃん」とか「さすがに怒られるよ!」とか言っているんだろう。それを見て、カナとアナウンサーは笑う。
『なるほど、ありがとうございました。テンマダイチ選手と、オオムラカナ選手でした! 皆様、今一度大きな拍手をお願いいたします! ありがとうございました!』
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