チャリティーマッチ最終日・伊豆対島根

「そういえば、この三日少し思っていたことがあるんだけど」


 マスクをした長い髪のおば――女性。ナゲノは、コップにお茶を注ぎながら言った。


「なんだろうか?」

「いやその、当然みたいにこの三日やっていたけどね? ……なんで」


 ナゲノは声を低くする。


「……なんで、私の家で収録するわけ?」


 9月30日。


 28日から行われているケモプロのチャリティーマッチイベント。その一日、二日目を終えて三日目、伊豆対島根の試合の実況のため、俺は今日もナゲノのアパートを訪れていた。


「ほら、契約更改の時はスタジオでやったじゃない? 今さらだけど……なんで?」

「あれは全員VRのアバターで参加する収録だったからな。あんちゃんはVR機器をもっていなかったから、スタジオでやることにした」


 兄ちゃんにVR機器をレンタルしてもよかったのだが、準備が大変だしトラブルに対応するには付け焼刃では難しい。ミタカやニャニアンのバックアップを受けられる環境でなければ、いざと言うときに大混乱だっただろう。


「今日は――というか、チャリティーマッチは普通の実況だから大掛かりな機材はいらない。必要なのはいいPCとマイクと……あとは防音環境だろうか?」

「そうね。雑音が入っても困るし」

「そういう条件を満たしているのはナゲノの部屋になるわけだ」


 この部屋の壁や天井はもこもこしていて、ふかふかな床は足を多少乱暴に踏み下ろしたところでわずかな音しかしない。高そうなミキサー……音響機材はあるし、少人数での放送には十分だ。


「……まあ、自分用の配信スタジオが欲しくてやってきたわけだから、評価してもらうのはいいけど。KeMPBで専用のスタジオとか用意したら?」

「使用頻度が少ないからなあ」


 検討はしたのだが、イベントがなければ使わないし、そうなると初期費用が問題だ。


「毎日収録するとかなら用意してもいいんだが、こういうペースだと難しいな。その時その時でスタジオを借りたほうが安くつく」

「ふうん? アメリカに進出するんだしお金に余裕できたんじゃないの?」

「そういう印象をもたれているようだが……ギリギリだぞ」


 BeSLBとのライセンス契約では、バーサに頑張ってもらってそれなりのお金が入ってくることになっている。が、それを右から左にサーバーなどの機材の費用に回している状況だ。今期の昇給は見送りだ。


「ふーん、優雅に泳いでいるように見える白鳥も、水面下では絶え間なく足を動かしてるってやつ?」

「……鳥って水に浮かばないのか? 空を飛ぶのに?」

「……例え話よッ!」

「グェッ」


 脇腹が痛い。


「ああもう。だいたいねえ、せめてあの子、ライムちゃんとか連れてきなさいよね」

「ライムはちょっと忙しくてな」


 BeSLB側の広報にも関わっているから、時間の調整が難しいんだよな。


「会いたかったのなら、伝えておくが」

「そういうわけじゃないけど……ああ、いい、いいから! 余計なこと考えないで! ――そろそろ時間でしょ!」


 ナゲノは机を叩いて立ち上がる。


「最終日の実況も、気合入れていくわよッ!」



 ◇ ◇ ◇



「お待たせいたしました。平成30年7月豪雨、平成30年台風第21号、平成30年北海道胆振いぶり東部地震支援チャリティーマッチ、KeMPB主催、伊豆ホットフットイージス対島根出雲ツナイデルスの試合を放送いたします。まずはKeMPB代表のオオトリさんよりご挨拶させていただきます」

「まずはこのたび被災されました皆様に、心よりお見舞い申し上げます。本イベントは被災地支援のため、そして被災者の一時の気晴らしとなることを祈って開催させていただきます」

「本イベント中に購入いただきましたKeMPBが販売しておりますゲーム内アイテムの収益はすべて被災地支援に充てさせていただきます。収支報告は後日公式サイトよりご案内いたします」


 前日、前々日とイベントを行っているが、売上は過去最大だった。それだけ今回の災害に思うところのある人が多いのだろう。


「さて、初日の青森対東京、二日目の鳥取対電脳に続き、最終日の本日は伊豆対島根となります。本試合では各球団のドラフト一位が先発出場するという条件がついています。ドライチの姿が一足先に、一軍の試合で見れるというのが魅力なわけですね!」

「伊豆ホットフットイージスの一位は一ノ原いちのはらサクラナ選手。島根出雲ツナイデルスの一位は山巣穴やますあなビスカ選手です」

「サクラナ選手はケモプロ最速右腕のシマウマ女子! 獣子園でこそ初戦でプニキ率いる高知に敗れましたが、予選での防御率0と球速を買われての一位指名です。持ち味はもちろん最速のストレートと、ブレーキの効いたスローカーブ!」


 ブルペンで投球練習するサクラナを映す。シマウマの一種がモチーフだが、手には縞模様がないので白手袋の令嬢とファンから呼ばれている。


「対するビスカ選手は獣子園ベスト8までチームを導いた左腕です。速球に織り交ぜる変化球のキレ味がケモプロファンの間でも評価されています。そして――」


 マウンドに立って投球練習していたビスカッチャ――ネズミ系寸胴女子が、大あくびをしてキャッチャーから投げ返されたボールを捕り逃がす。


「……こういう物怖じしないところも、評価されているようですね」


 ちなみに一位以外のドラフト指名選手は出場しない。公平に新人全員を出そうと思うとなかなか難しいからだ。


「また本試合はDH制なしとなっています。新人選手の打撃にもご期待ください。さあ、投球練習が終わりました。試合開始です。先攻は伊豆ホットフットイージス。一番、砂南すなみなみブチマルが無駄に元気に走ってバッターボックスに到着です。プレイボールが告げられました!」


 ブチ丸は舌なめずりをしながらバットを構える。その打ち気を見た捕手――アルパカ男子のルーサーは、チェンジアップのサインを出した。


「さあピッチャー構えて……構え……構えて?」


 マウンド上のビスカは、動かない。


 目を閉じて気持ちよさそうに――立ったまま寝ていた。しばらくして、審判がボールカウントを告げる。


「……ケモプロでは20秒ルール、あるいはピッチクロックというルールが採用されています。簡単に言えば20秒以内に投球しなければボールカウントになるわけですが……私は初めて見たわね……」

「そういえば日本のプロ野球ではもっと短いんだったか」

「15秒ね。とはいえ、よっぽどの遅延行為じゃないと適用しないけど。わざわざストップウォッチ使うわけでもないし。……使ってるの? ケモプロの審判は?」

「審判だけは時計を常に参照できるようになっている」

「便利ねえ……さて、ルーサー、タイムをかけてビスカに駆け寄ります。肩を叩かれて……ようやく起きたようですね。1ボールノーアウトから再開します。ブチ丸に対してルーサーからのサインは同じ――」


 ビスカは今度こそ投球したが、ボールに勢いがない。響く快音。


「打ったッ! ライト前ヒット! イージス、初回先頭打者が出ました。ツナイデルス、初回からの失点は避けたいところですが……おっと、ツツネさん、二番打者の森畑もりばたけタカネにサインを出します」


 ツツネは喉につけた咽喉マイクを押さえて、指示を出す。初球から、ピッチャー前に――


「バントだ! ピッチャー前に転がった……がッ! 遅ッ! ビスカ、追いついたときにはもう遅い! ゆうゆうセーフで、ノーアウト、ランナー一、二塁! ツナイデルス、初回からピンチを迎えました!」


 かりかりと頭をかくビスカに、ツナイデルス側応援席からブーイングが飛ぶ。が、それに対する答えはさらなるあくびだった。


「これは……ひどいというか……準々決勝でもこんなことあったわね」

「そうなのか?」

「連投の疲れが出たのか、獣子園準々決勝ではいきなり連打を浴びてノックアウトされたのよ。そのときの様子と同じね。ただ……なんというか今の様子を見ていると」


 三番打者、沼暮ぬまくれライが、気の抜けた球をフルスイングする。高々と舞う打球。


「眠かっただけ、とか……?」


 一回表。ツナイデルスは打者一巡の猛攻を受け、スコアを5対0としてようやく裏の攻撃に回るのだった。



 ◇ ◇ ◇



 その後もビスカは失点を重ね、三回裏の攻撃に参加した後交代する。その一方、伊豆ホットフットイージスのドラフト一位、サクラナは――


「――……三振! サクラナ令嬢、ここまで無安打無失点に抑えています! 打者一巡してもまだツナイデルスは最速右腕を捉えられない! 五回裏2アウトまでもってきました!」


 華麗に汗を手で払う姿がマウンドの上にあった。


「公式試合ではないですが、スコアは8対0、この回投げきればまず間違いなく勝利投手となるでしょう。新人にいいようにやられて悔しくないのかツナイデルス! 私はくやしいッ! けどッ……次のバッターが……ッ」


 のそり、とバッターボックスに巨体が入ってくる。


「……六番、山茂やましげみダイトラ! 四回から巣穴野すあなのラビの球を受けるため交代した、ツナイデルス第二捕手! 昨シーズンの打撃成績は――一割を切ります!」


 ナゲノの実況は聞こえていないが、ダイトラはフンッと鼻を鳴らしてバットを構えた。


「どうして……どうしてアラシ監督はルーサーを下ろしたの……ラビ太とダイトラを組ませるファンサービスなんてどうでもいいのよ……勝負でしょ? それとも勝負を捨てて完全にファンサービスに? そうなの? 忖度監督?」

「勝敗のつかない試合だし、そういう方向でも」

「やるからには勝って、新人の鼻を折っとかないといけないのよ!」


 そういうものだろうか。……そういえばタイガもカナに洗礼を浴びせていたな。


「さあ打者ダイトラに対してバッテリーは……外角低目へスローカーブを選択。ダイトラ――スイング止めた! 判定はボールです。よく見ました。しかしバッテリー、初顔合わせだからか慎重になっていますが……そんな必要ないでしょ……ダイトラよ?」

「ある意味信頼が厚いな」

「続いてインハイにズバッとストライク! ダイトラ、これにはぴくりとも手を出しません。球速は150キロをマーク。サクラナ、スタミナはまだまだ十分か。さあ外内ときて……外角高め、今度はストライクゾーンにスローカーブ!」


 ガッ!


「一塁線ッ! ……切れました、ファール。1ボール2ストライク。バッテリー、慎重に次の球を決めます。狙い球をスローカーブと見て……カウントに余裕があるうちから仕留めにかかる様子! 低めに真っすぐ!」


 振りかぶり、大きく腕を振ってサクラナが投げた――瞬間、ダイトラの顔がカットイン演出で割り込む。


「えッ」


 ガキィッ!


「嘘!? あ、いや、打った大きい! 低めのストレートを綺麗にすくい上げた! レフト、クオンちゃんバック……えぇ? 見送って……入った!? 入ったの!?」


 白球は――スタンドの中に消える。


「ほ、ホームラン! ダイトラ、ソロホームランです!」


 愕然としてスタンドを眺めるサクラナを横目でチラリと見て、ダイトラはのしのしと塁を回る。ホームベースを踏むと、同じく驚いて硬直しているチームメイトたちがいるベンチへと帰り、一人ラビ太だけがハイタッチしようと構えていたところを無視して、のしりと座った。


「ここまで最速右腕から一本のヒットも出なかったツナイデルス、まさかの初ヒット、初打点は打撃不振の第二捕手、ダイトラでした。リプレイ……えー、真ん中に入った低めのストレート、球速は151キロ。これをダイトラ、うまく打ち返しました。……ついに打撃がよくなったのかしら!?」

「そうだといいな」

「そうであってほしいわよ! こんな打ち方できるのに普段はダメとかないでしょ……緩急つけられたのにタイミングバッチリだし……と、とにかく、サクラナ選手は初失点。8対1、ツナイデルス、わずかに点差を縮めました。ここから逆転できるでしょうか? 五回裏、8対1、2アウト、次の打者は七番ライト、岩ノ間いわのまテル」


 がやがや怒鳴りながら、ラーテル系男子のテルがバッターボックスに立つ。構えて、なかなか投げないサクラナに投げろ投げろと怒鳴りつける。


「いつも以上にひどいわね……と、打った! 高く上がったが――レフト前落ちた! テル、一塁セーフです。今日はレフトを守る氷土ひょうどクオン、少しスタートが遅れたか。続くバッターは、八番ライト、庭野にわのメリー」


 小さな体のヒツジ系女子がバッターボックスへ。


「サクラナ、投げて――ボール、大きく外れました。第二球――ワンバウンド、ボールです。キャッチャーの乾原かんばらココロ様、楽にするよう声をかけていますね」


 しかしサクラナはそれからストライクが入らず、二者連続でフォアボール。


「五回裏、8対1、連続フォアボールで2アウト満塁のピンチを迎えました。新人にして最速右腕のサクラナ、ダイトラのホームランから立ち直れないか? 打者先頭に返って一番サード、灘島なだしまマテン……と、イージス、タイムがかかりました」


 マウンドに内野陣が集まる。


「ここは交代でしょうか。サクラナ選手は獣子園でもプニキにホームランを打たれてから大崩れでした。新人としてはここまで頑張ってきたと思いますし――と?」


 ツツネはサクラナの肩を叩き、目を見て言う。吹き出しに出てきたアイコンは少ない。


「……ここから全部ど真ん中に投げろ? ストレートだけ? え、何ダイトラみたいなこと言ってるの?」


 しかしナゲノの反応を他所に、いの一番にバラスケが「自分のところへ打たせろ」とドヤ顔で言い、ゲラゲラと女性陣(ココロ様を含め――ると全員だが)に笑われて顔を真っ赤にする。そしてサクラナが戸惑っている間に、全員クスクス笑いながら守備位置に戻っていった。


「ええっと……ココロ様――本当にど真ん中に構えました。サクラナ、首を振りますが――ミットを動かしません。内野陣から応援する声が飛びます」

「頼もしい先輩たちだな」

「本当にね……。ツナイデルスも見習って欲しいんだけど……」


 未だに個別に仲がいいような選手たちはいても、結束しているようなところは見受けられないツナイデルス。成績は残しているもののチームには我関せず……といったところの代表が、バッターボックスで待ち構える打者、マテンだろう。


「サクラナ、観念して構えますが――マテン、初球から行く気だ!」


 ガツッ!


「真正面打ち返し――ショート弾いたッ!」


 サクラナの頭上を越えるように飛んだ打球。それに飛びついたツツネだったが、グラブの先で弾き――


「バラ助カバーに向かうがこぼれ球捕れない! 転がる球を拾って――バックトス!? ラビ太スライディング――アウト! スリーアウトチェンジ! これはファインプレーです! ツツネさん、打球を弾いてからベースカバーに戻るのが速かった! バラ助もこぼれ球をノーバンでこそ捕れませんでしたが、追いついてからのノールック、肩越しのバックトスは見事ツツネさんのグラブに納まりました。最後に顔面から転ばなければ完璧!」


 あれは痛そうだ。センターからやってきた半砂はんずなカリンが、ゲラゲラ笑いながらバラ助に肩を貸している。


「リプレイです。弾いて転がる球を拾ったバラ助……ゴミ箱に物を投げるような送球でしたが、見事なコントロール。ツツネさんも全身を伸ばして捕りましたね。一方のツナイデルス、ラビ太は走塁間に合いませんでした。塁に出たのも確か……そうですね、対外試合では初です」

「走塁の経験が少なかったのが効いたのかな」

「ケモプロは基本、DH制ですからね。DHのない今回のイベントならではといったところでしょう」


 何はともあれ、イージスは危機を脱した。マウンド上で気の抜けているサクラナにワラワラと守備陣が集まっていき、ライがサクラナを肩車してベンチに凱旋する。


「五回裏、イージス、最高の形でピンチを切り抜けました。その名に違わぬ鉄壁の守備。8対1で終盤を迎えます」



 ――その後、サクラナは代打を出されて交代。伊豆ホットフットイージスは7点のリードを守りきり、このチャリティーマッチの勝利投手をサクラナとしたのだった。

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