サイン会

 2018年8月。


「――はい。では第三巻の店舗特典はそういう形で提案しますね。たぶんこのまま通ると思います。お疲れ様でした」


 都内のカフェで向かいに座る長い黒髪の女性――ワルナス文庫編集長のススムラが頭を下げる。


「よかった~。いやあ、一気に三巻分も特典考えるの辛かったッスよ」

「無事全部決まったんだ、よくやったと思うぞ」

「いやいや、先輩のおかげッスよ!」


 隣に座るもじゃもじゃ頭――ずーみーがバシバシと背中を叩いてくる。


「よッ、有能編集者!」

「編集はススムラ先生だぞ」

「あはは。わたしは出版のお手伝いぐらいですし、いわゆる漫画家さんと編集者の関係――『漫画作り』の側面で言うとユウくんが編集って感じはしますね。いつもずーみー先生を支えていただきありがとうございます」

「先生って言われるの未だに慣れないッスねー……年下だし、もっと軽く呼んでもらっていいんスよ?」

「そこは編集者として譲れないところですから」


 ススムラは毅然として断ってから――


「……まぁ、普段から先生呼びしてないと、うっかり他の人の前で変な呼び方しちゃうので」


 ボソリと呟いた。


「そーゆーもんスかねえ。……あ、先輩だけこの中で先生じゃないッスね。仲間はずれもかわいそうだし、先生って呼びましょうか?」

「お前は俺の後輩だろう?」

「いッ……と、そ、そーッスね! はっはっは!」


 わしゃわしゃ頭をかいて笑うずーみーに、ススムラもクスクスと笑う。


「ああそうだ。店舗特典の打ち合わせはこれで全部なのですが、もう一件決めないといけないことがありましたね」

「え、そでしたっけ?」

「ええ」


 ススムラはバッグから資料を出してテーブルに広げる。


「サイン会なのですが、いくつかの店舗から手を上げてもらうことができました。地方の書店もあったのですが、やはり都内の方が先生もファンの方も移動しやすいでしょう。都内の店舗で絞ったリストがこちらです。日程としては発売同日がベストではありますが、先生は学生ですし平日は難しいと思いまして、近い土日で都合のいい日をと……」

「ちょちょちょ、ちょーっと待ってください!」


 資料を示しながら話し続けるススムラを、ずーみーは両手を振って止めた。


「さ、サイン会ってなんスか!?」

「え?」

「なんスか!?」


 ずーみーが俺に問いかけて来るが――


「俺も知らないな」

「あ、あれ? 広報の……ライムちゃんからサイン会を開催するように言われたのですが……。やらないと出版の話はナシにするぐらいの勢いで……」


 ライムか。


「すまない。こちら側の連絡漏れだったようだ」

「そ、そうでしたか。それではこの話は……」

「ああ。悪いが」


 眉を下げるススムラに向かって言う。


「サイン会にどういう効果があるのか、説明してもらっていいだろうか?」

「……え、はい?」

「ちょ、先輩!?」

「ライムが企画したということは、何か考えがあってのことだろう。ススムラ先生に説明してもらうのは悪いが、まずは検討しないといけないと思う。……ずーみーが嫌なら、断るが」

「え、いやっ、嫌というかその、サイン会とか、有名なベテラン作家がするもので、初めて本を出す自分がなんて」

「その辺はどうなんだろうか?」

「キャリアはあまり関係ないですね」


 ススムラは真剣な顔をして言う。


「サイン会の目的はまず第一にファンサービスです。一般的にサイン会は『開催場所の書店で購入した書籍』へのサインということになっているので、販促という側面もなくはないですが……書店さんとしても対応に人員を割かれて面倒ですし、応援したい作家さんでもなければ場所を貸してくれません」

「何店舗か手を挙げてくれたそうだが」

「それだけずーみー先生が人気だということです! 初めての本とか関係ない、いやむしろ初めてだからこそ、みたいなところがありますね。ケモプロのデザイナーであり、ケモノイラストのトップランカー。ネームバリューも問題ありません。それが実際の販売数に結びつくかは未知数ですが……しかし、『いける』と踏んでいるわけです。わたしも、書店の人たちも」


 人気というのは量りづらいものだからな。ネットだと特に、ひやかし目的の人気なんてものもあるわけだし。けれどそれを踏まえても、プロの判断はいけると考えているということか。


「しかし……」


 と、ススムラは少しトーンを落とす。


「ずーみー先生が知らなかった、ということだと、ひとつ確認しないことには進められません」

「というと?」

「こう言うのもなんですが……ずーみー先生は大変かわいらしい女子高生じゃないですか」

「へ?」

「そうだな」

「ふぇ!?」


 ずーみーが変な声を上げて固まる。が、俺とススムラは無視して話を進めた。


「サイン会をするということは顔出しするということです。正直大変な騒ぎになると思います。ずーみー先生が棚田高校にいることは昨年の文化祭に訪れた人から噂になっていますが、生徒の皆さんリテラシーが高いようで、写真が出回るようなことにはなっていませんでした」


 そういえばカナがドラフトで指名されたときも、先生たちが釘を刺すまでもなく、生徒一丸となってカナを守ろうみたいな雰囲気だったな。……なんかそういうリテラシー関係の授業があったような気もしなくもない。


「それがサイン会で顔を出す。人は集まるでしょうし、写真が出回ればもっと話題になります。もしその話題性を生かして宣伝活動をするなら、ケモプロも獣野球伝も大きくファンを増やすこと間違いなしだと思います」


 宣伝効果は大きい。だからライムも進めようとしていたわけか。……半分ぐらい、自分がずーみーのサイン会に行きたいからという気もしないでもないが。


「将来的にタレント活動を目指していく、ということならやらない理由もないと思います。ただ……」


 これも言いづらいことだがと前置きして、ススムラは言った。


「その、色気のある絵とかも描いていますし、女性作家が……っとなると結構めんどうな人に目をつけられる可能性はあるんですよね。ストーカーとか……。その辺り本人が了承済みだと思って、準備を進めていたんですが……どうでしょうか、ずーみー先生」

「………」


 ずーみーはぎゅっと手を握ってそれを見つめて――こちらを見上げた。


「……ケモプロのためになるなら……先輩の力になるなら、自分は」

「――ずーみーがやりたいなら、俺も、KeMPBのみんなも力を貸す。危険があるなら守ろう。でも」


 俺は小さな後輩のもしゃもしゃ頭に手を載せた。


「ケモプロを何十年と続けていくのが俺の目標だが、後輩を犠牲にしてまでとは考えていないぞ」

「先輩……」

「こちらが言い出したことで悪いが、書店でサイン会をするというのは取りやめてもらえるだろうか」

「わかりました。……大丈夫よ、まだ提案の段階だったから」


 ススムラが笑うと、ずーみーもホッと息を吐いて笑った。


「いやー……まあ、少し残念ッスね。サイン会ってやっぱ憧れがあるじゃないですか。なんか、自分がすごいすごくなったような感じ?」

「すごいすごくってなんですか」


 クスクスと笑う。調子が戻ってきたようだ。


「そうですね、わたしも残念です。もちろん、先生の身の安全が一番ですが」

「ファンにお礼をしたい気持ちもあるんスよね。うーん、覆面レスラーならぬ、覆面漫画家とかならあるいは?」

「そういう人もいなくはないですけど」


 覆面か……ふむ。


「……そういえば、ススムラ先生のところではサイン会はしないのか?」

「うちですか? ……出版社として? いえいえ、書店ではないので……編集部の建物でサイン会とかはあまり聞いたことも――」

「いや、書店をやるだろう?」


 近日中にオープンする予定の。


「電子書籍ストアの『HERB Books』では、サイン会はやらないのか?」



 ◇ ◇ ◇



 2018年9月20日木曜日。


「ニャニアン! 久しぶりだね!」

「エムサンもお変わりナク」


 たまねぎのような髪型――ミシェルが、手を広げて出迎える。


「トイウカ、なんデス? その格好?」

「技術者っぽいだろ?」

「マッドサイエンティストってとこじゃねェか?」


 着ている白衣を見せびらかすミシェルに、ミタカは耳をほじりながら言った。


「まァ、箔がつくって考えりゃいいんじゃねェの? せいぜいすぐ剥がさねェようにな」

「アスカは本当に素直じゃないね」

「も~! 言ってくれたら、らいむがスペシャルコーデしてあげたのに」

「ははは、悪かったね。なにせ準備に忙しくてさ」


 頬を膨らませるライムに、ミシェルはウィンクして応える。


「ミシェル。ススムラ先生は?」

「やあ。いろんな企業とのご挨拶でてんてこ舞いだよ。代表ってのは大変だね」

「ひとごとじゃねェだろが。ムッさんも話すんだろ?」

「そりゃぼく以上にHERBを分かってる人間はいないからね、当然ぼくがプレゼンする。けど、知ってのとおりそれで緊張するような人間でもないのでね。それにこっちにも人手は必要だろう? ほらほら、主役がガチガチになってるじゃないか」

「おッ……お、おッス」


 一人少し遅れていたずーみーが短く反応を返すと、ミシェルは苦笑した。


「この様子だと普通のサイン会を開かなくて正解だったかもしれないね?」

「そん代わりめちゃくちゃめんどくせェけどな」

「ワタシは面白いと思いマスヨ?」

「世界初、ってアピールしたら取材もたくさん来ることになったし! ずーみーちゃんの晴れ舞台なんだから、少しぐらい大変でも全然問題ないよ!」


 ライムは雲のように笑う。


「世界初、電子書籍ストアにおける、電子上の――VRサイン会! 楽しみだなあ!」



 ◇ ◇ ◇



【革命的新型電子書籍デバイス『HERB』『HERB Glass』発表会、および同日発売『獣野球伝 ダイトラ』作者による世界初!?のVRサイン会レポート】 / 2018年09月20日投稿


 2018年9月20日。東京都内のイベント会場にて、株式会社HERB Projectによる新型電子書籍デバイスの発表会が行われた。先日行われた『ケモノプロ野球リーグ第二回ドラフト会議兼発表会』(記事は【こちら】)でも発表されていたVR図書館『VR Library』に加え、その図書館で使用する新型コントローラー、そしてまったく新しい2種類の電子書籍デバイスの発表が行われた。

 本記事ではそれらの発表に加え、同時に会場で行われた世界初のVRサイン会についてもレポートをする。まずは『VR Library』と連携する……――


 (中略)


・世界初!? 電子書籍ストアならではのサイン会、『VRサイン会』レポート


 さて同日、会場の別のフロアでは本日発売される、『獣野球伝 ダイトラ』第一巻を記念して、作者のずーみー氏によるサイン会が行われていた。このサイン会は普通の――作者が現地で対面してサインを描くものではなく、電子書籍ストアやVR図書館といったプロジェクトにふさわしい、『VRサイン会』として行われた。


 (画像:VRサイン会の様子。丸メガネをかけたシマリス系のケモノ女子が参加者と握手している)

 /*これがVRサイン会だ。


 事前にサイトから応募し抽選された参加者がサインをしてもらえる、というのは普通のサイン会と同じだ。しかしそれがVR空間上で行われるというのは初めての取り組みだろう。さらにこのサイン会は、現地に行かなくても参加できる「インターネット参加枠」もあった。地方民には嬉しい仕様だ(VR機器を所持しているというハードルがあったにも関わらず、倍率は相当だったという)。


 (画像:獣野球伝の書影)

 /*なお参加に当たっては会場での『獣野球伝 ダイトラ』第一巻の購入か、電子書籍ストア『HERB Books』での購入が必要だった。筆者は電子書籍で購入した)


 詳しく説明するためにも、まずは現地で記者が体験した様子をお伝えしよう(※数名分のメディア参加枠があり、そちらで当選した)。整理券の時間に受付へ行くと、スタッフにVR機器の装着と簡単なレクチャーを受ける。ヘッドセットをかぶると、他の参加者や遠くにずーみー氏の姿が見えた。周囲には『獣野球伝 ダイトラ』関連のイラストがVR空間らしく浮いており、待ち時間も苦にならない。順番になるとずーみー氏の元まで移動する(コントローラーでの移動ではなく、大型アミューズメント施設と同じで実際に歩いての移動だった。初心者には分かりやすいと思う)。


 (画像:笑顔で参加者を見上げるシマリス系のケモノ女子)


 かわいらしいケモノアバターを使うずーみー氏と挨拶し、目の前でサインを書いていただく。そして握手をして(しっかりとした握手の感覚! 詳細は後ほど)終了という流れだ。サインは電子データが事前に登録したメールアドレスに、印刷されたものがその場で手に入るという形だった。


 さてこれらがどのようになっているかというと、まずは特別に取材させていただいた会場の実際の様子をご覧いただこう。


 (画像:殺風景な部屋をVRヘッドセットをつけた参加者が、ケーブルを持ったユウたちスタッフを引き連れて無人の机に向かい、腕と手だけのマシンと握手する様子)


 ……とまあこんな形になっていたわけである。VR機器の中にはバックパック型もあるが、今回は参加者の負担と機器の数からケーブルを延ばす形をとったとのこと。

 握手部分にはVRエヴァンジェリストGOROman氏が2013年に制作された「Miku Miku Akushu」(【参考記事】)のシステムを参考にしたとのこと。VR握手会というものはこれまでもTGSなどで行われてきたが、VRコントローラーで行うものが多かった。こちらは実際に握って動かすことができるので筆者は現実感があって好みである。スタッフに聞いたところずーみー氏側にもフィードバックがあるそうで、もう少し振り回しても――迷惑になるので知らなくてよかったかもしれない。


 サインについてはずーみー氏が液晶タブレットに書いた映像をVR側のサイン色紙に反映、書いている様子は描画点とVR上のペン先と手を連動して反映して再現。こちらはバーチャル同人作家おぐら氏の「VDRAW」(【参考記事】)を参考にしたとのことだ。


 インターネット参加ではVR機器をもつユーザーのみが参加可能で、ネットという利点を生かして遠方からの参加者が多かったという。憧れの作家のサイン会に行きたいが距離が……という悩みをなくすひとつの解決策かもしれない。なお、インターネット参加の場合、電子データは即時に受け取れるが現物は郵送とのこと。


 大成功のうちに終わったサイン会だが、現実と比べた場合のデメリットとして、参加人数の少なさが挙げられる。インターネット参加は様々なトラブルが考えられるし、現地参加は機器装着脱の時間がかかり、そのため人数は合計50人に限られてしまった。

 それから作家さんとの交流という面では、アバター越しとなってしまったのが残念である。差し入れをしたかったという参加者の声もあった。とはいえ顔出ししたくない作家さんにはメリットかもしれない。漫画にあわせたアバターを着るなんてこともできるだろう。今後、未来のサイン会の一形態として普及するかもしれない……?


 (画像:笑顔でVサインをするシマリス系のケモノ女子)

 /*まあアバターのずーみー氏も大変かわいらしかったが。声も元気系で力が出る感じなので、Vtuber活動とかして欲しい。

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