ワガハイ レモン マルカジリ

 2018年7月27日、夜。


 フランクの奥さんに用意してもらった食事を食べ、シャワーを浴びる。今日はフランクの家に泊まりだ。

 昼から続いたオーナーたちとの打ち合わせは、一日ではまとまらなかった。こじれたわけではない。お互い話すことが多すぎてうまくいかなかっただけだ。どうしても明日に用事がある者を除いて、彼らは近郊のホテルに泊まってまた明日ここへやってくる。


「Yuu!」


 割り当てられた部屋に戻ろうとして、リビングに迷い込む。部屋はどっちだったか……と考えていると、テレビの前のソファーに座っている人物から呼び止められた。


「(何をしている? 今自由か? こっちへ来い)!」


 ドカンドカンとバーサはソファーを叩く。バーサとマギーだけが俺たちと同じでフランクの家に泊まりだった。遠縁だが親戚だというので、当然か。

 断る理由もなかったので横に座る。


「(違う。もっと近くだ。照れるな! ガハハ)!」

「むぐッ」


 太い腕で抱き寄せられる。甘い香りがした。……コーラとポテトチップスの油の匂いだな。机の上にたくさん載ってる。


「ああ、ケモプロか」

「(うむ)」


 テレビに映っていたのはケモプロだった。どうやらバーサはそれを見ていたらしい。

 この数日忙しくて、そういえばまともに試合を見ていなかったな。リアルタイムだと日本は昼だから……これは録画か。ん? いや、あれ? 文字が英語? アメリカリーグ? えっもう?


 ……って、なんだ、UIを英語にしているだけか。ケモプロは日本語、英語ともう2言語に切り替えられるのだが、日本語以外で見る機会がないからびっくりした。フォントからして違うんだな。


「(ユウ)」


 ポテチを唇で挟んでひらひらさせながら、バーサはテレビを見つめて言う。


「(プロ野球選手はどこだ)?」

「これは獣子園で、高校生の試合だからプロの選手は出ないぞ」


 バーサはフンッと鼻を鳴らす。


「(彼らは幸運だ。私とユウのことを知らない。そして全力で野球をしている)」

「俺とバーサのことを知らないのが幸運?」

「...(考えていたんだが)」


 バーサは肩に腕を回したまま俺のほうを向いて、不機嫌そうに言った。


「(ユウは英語を喋れるだろう? 英語で話せ)」


 そういえばライムもマギーもこの場にはいないんだった。


「(少しだけなら。……バーサは、プロ野球選手の試合が見たいのか)?」

「(これも悪くない。しかし、選手の名前が分からない。場所と球場の名前もだ)」

「ああ。……なじみってどう言うんだ。ええと……(場所と選手を知らない)?」

「(プロ野球選手の名前も読めないぞ。なぜ、ドーラやルーサーのような英語の名前じゃないんだ)?」


 ちょうどテレビに映った選手名を見てみる。Kumon Edatobi。……ああ、なるほど。言語を英語に切り替えても、名前がアメリカ風になったりはしないんだったな。元が英語名のケモノは表記も英語になるんだが。


「(名前が読めないから、アメリカでリーグを開催したい。昼にいろいろ話したが、単純に自分のためだ。ガハハ! ついにケモプロを完全な英語で楽しむことができる)!」


 バーサは機嫌よく笑って瓶コーラをラッパ飲みした。


「(バーサは日本語が喋れないのか)?」

「(そうだ。なんだ)?」

「(日本語は勉強している)?」

「(なぜ勉強しないといけない)?」


 ゴフッ、とゲップを吐いてバーサは続ける。


「(私はKeMPBオブアメリカのボスになる。スタッフ全員が英語を話す。ユウも英語を話す。私が日本語を話す必要があるか)?」


 確かに普段は必要ないか。


「(そうだな。しかし、ケモプロは日本でサービスしていて、日本人のファンがいる。彼らも、アメリカのリーグのことを知りたいはずだ)」

「(ふむ)?」

「(バーサのコメントを彼らは知りたいだろう。同じように、自分のコメントがアメリカで必要かもしれない。俺は英語で話すが、バーサには通訳が必要だな)」

「(む……)」


 マギーがいるから大丈夫かな。ああ、でも日本語を喋るのは苦手そうだったな。そうなるとやはり専門家を――


「(おい、ユウ)」


 肩を寄せる力が強くなった。どころか、バーサが額をこちらにぶつける勢いで顔を近づけてくる。


「(英語を誰に教えてもらっている)?」

「(ライムが教えているが)」

「(ライム。あの少女が)?」

「(そうだ)」


 いまいち困惑しているバーサに、事情を説明する。


「(ライムはアメリカで生まれて、しかし、両親は日本人だ。日本語はネイティブだと、俺は思う。英語もネイティブだと思うが、バーサはどう思う)?」

「(彼女はアメリカ人だと思っていた)」


 金髪だし英語喋るし、そう思うよな。もちろんアメリカ人で、日本人でもあるのだが。


「(よい教師なのか)?」

「(そうだな)」


 最近英語漬けの環境ということもあるかもしれないが、ライムに的確にフォローされてここまで喋れるようになったと思う。一度教えた単語を二度聞くと煽ってくるので対抗心が沸くというか……教えた単語を全部記憶しているのもすごいよな。俺が知らなさそうな単語はいち早く解説してくれるし。


「(よし)」


 バーサは小さく頷くと――ガッ、と俺の額にぶつかってきた。痛い。目の前に星が散る。


「(貸せ)!」



 ◇ ◇ ◇



 2018年9月9日。


『オロカナ、ニンゲンドモ』


 バーサはドラフト後の発表会で、悪い笑顔を浮かべて言う。


『ワガハイ、ノ、ナ、ハ、バーサ・クルーガー。Beast League Baseball、ノ、オサ、ダ!』


 そしてドヤ顔をキメる。


 いや、よくやったなと思う。俺は中学校からずっと下積みがあってからの渡米一ヶ月だが、バーサは何もないところからの一ヶ月で、日本語を喋っているのだから。

 ……ワガハイとか、オサとか、その辺のチョイスはライム仕込みなんだろうな。


『Beast League、ハ、ニセン、ジュウ、キュウ、ネン、カラ、ハジマル! コウリュウセン、ト、World Series、ガ、タノシミ、ダ! タタキノメシテ、ヤル!』


 フフン、と息を吐いて――固まる。目がキョロキョロ動く。そして顔をしかめて、カメラの外から紙を取った。目を細めて、紙を近づけたり遠ざけたりして――焦点が合ったのかしばらく止まると、紙を元に戻した。


『シカシ、Beast League、ダケ、デハナイ、ゾ! ユウ、ヨ! オロカナ、ニンゲンドモ、ニ、キチン、ト、オシエテ、ヤルノダ! ガハハハハ!』


 バーサの哄笑が鳴り響き、やがてフェードアウトしていって動画が終わった。会場に明かりが戻る。


 ……あれかな。ツノが生えているということはケモノのコスプレなのかな。だから愚かな人間呼びなのか? その辺も説明して欲しかったな……。


「ご清聴いただきありがとうございました」


 そういう困惑はまるっと飲み込んで、俺は当然という顔をしてマイクを取った。


「BeSLBの代表、および2019年秋開始の2020年度ペナントレースより参戦するビーストリーグの各オーナーの紹介は以上になります。バーサも言ったとおり、交流戦やワールドシリーズ以外の取り組みもありますが、それらの細々としたことはインターネット中継終了後にお話しするとして……ここまでの内容、そうですね、BeSLBについて質問があればお答えしたいと思います」

「はーい、アシスタントのキタミタミです! 質問のある方は挙手をお願いしま~す!」


 フロアに出てきたキタミが呼びかけると、記者たちは顔を見合わせて、苦笑いした後一斉に挙手をした。


「おっと、多いですね! じゃあ一番前のあなたから!」

「あ、どうも、へへ……。いや、ねえ、皆言いたいことはひとつですよ、聞きたいことしかないだろ! って」


 会場に笑いが起きる。


「BeSLBのことで、となると、自分からはトイワードについて聞かせてください。先ほどの紹介ムービーでは『日本支店に先駆けて』とありましたが……あのトイワードが、日本に支店を出すんですか?」

「はい、出店します」


 聞かれたら答えていい、と言われているので隠すことなく伝える。


「トイワードはおもちゃの製造部門と販売部門とがあります。現在日本ではトイワードのおもちゃを輸入してさまざまな会社の量販店で売っていますが、このたび直販店が日本でオープンする予定です。アメリカのトイワードと同じ、子供用のアクティビティを備えた店舗と聞いています」

「出店する場所はどこですか?」

「まずは東京都内ということです。具体的な発表は今後トイワードから行われます」

「わかりました。ありがとうございます」


 記者がマイクを返し、キタミが次の質問者を見繕って手渡す。


「ッス。ええーと……千葉県のチームの……」

「ノースダコタのビスマーク・キャッツですか」

「それです。もしかしてハコキャッツをやっているところですか?」

「オーナーはブライトホストという会社で、確かにハコキャッツという放送事業を行っています」

「あの、それも日本に上陸します?」


 んん?


「上陸……というと、どうでしょう。アカウントがあれば今でも日本から見れますよ。ただアメリカ向けなので、音声はすべて英語ですが」

「あ、いやその、オリジナルコンテンツがあるじゃないですか」


 はて。ドラマとかは制作してないと聞いているが……アニメもまだ翻訳しかやってないそうだし。


「えっと、代表はご存知ないかもしれないですが、その……猫をずっと映すチャンネルがあるらしくて……」

「……ああ、そういえば聞いたことがあります」


 猫好きのスタッフに押し切られて……とかなんかボヤいてたな、エリック。そんなことよりアニメのチャンネルを増やしたいとか。


「それを見てみたいんですが、海外アカウント作るのはちょっとハードルが高くて」

「なるほど。番組については部門を統括している球団代表のエリックにも伝えておきましょう。アカウント作成ですが、手続が日本語でできるようになります。決済も含めて。このあと詳細をお話します」

「あ、ありがとうございます。以上です」


 思わぬ需要があることを知れたのはありがたいことだ。用意しておいてよかったな。


「はい、次どうぞ!」

「ども。えーっと、いろいろ気になるんですが、とりあえず一球団だけ、勉強不足でオーナーが分からなくて。レモンのおじさんっていったいどういう……?」

「彼はフランク・グリーンといいます。グリーン農場の経営主で、ストレート・レモネード社の社長でもあります。ストレート・レモネードはご存知ですか?」

「いや、パッとは出てこないですね……検索すれば……」

「アメリカで最近販売されているレモネード飲料の商品名です。新種のレモンで作った……ああ、サンプルがありますが、試しますか?」

「え、いいんですか? ぜひ」


 念のため用意しておいてよかった。俺は演台の下に置いておいたサンプルをふたつ取り出し、そのうちひとつをキタミに投げ渡した。キタミはにこりと笑って、それを記者に手渡す。


「……え?」

「先日アメリカから、特別に送ってもらったものです」

「レモ……」

「ストレート・レモネードは果汁100%ストレートのレモネードで」


 写真を撮れるようにサンプルを掲げる。


「つまりこれを絞ったものです。品種名はグリーン・レモン。名前と違って黄色いですけどね」

「え……」

「農薬は使ってないのでご安心を。事前に洗いましたし」

「え? 何? ちょ!?」


 そして俺はそれを――皮ごとまるかじりした。


「えッ……ええ?」

「もぐ……ああ、皮は剥いてもいいですよ」

「……代表は、何か特殊な訓練を受けているとか……?」

「どうぞひとくち」


 記者は手にしたレモンを見て、左右を見て助けを求め、キタミの笑顔に気圧される。


 ……うん、種を知っていると、あれだな、面白いな。

 フランク、やっぱりあんな顔しながら楽しんでやってたな。


 ……このレモン、実はめちゃくちゃ甘いんだよな……。

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