Big Bertha
2018年7月27日。
「(待たせたか)?」
農場に車を止め、倉庫に入ってきた人物の第一声は、自信満々なそんな声だった。腰まで無造作に伸ばして、顔にもかかっている黄金の髪から、青い瞳がギラリと覗く。がっちりした体にタンクトップ姿のラフな格好をした女性だ。
「(待たせて申し訳ありません)」
その後ろから現れたのは、大きなメガネをかけた黒人女性だった。白いノースリーブの服から覗く細腕がタブレット端末を抱えている。二人とも背が高いが、こちらの方が細身でより高い印象を受けた。
「(問題ない。ユウ、紹介しよう――)」
「(ユウ! お前がユウか!)」
「ぅぉッ」
タンクトップの女性の方が、シャーマンを無視してノシノシと近づき、ぐるっと首に腕をかけて引き寄せてくる。太い腕がはさまって首が限界まで反り返り、さらに背中も大きな胸に押されて反らされ――足が宙に浮く。苦しい。
「(お前の名前はユウ!? 本当か)!?」
「い……Yes」
「(とても変だ! ガハハ)!」
ユウ、という名前は英語のYouとかぶるので、アメリカ人にはとても面白いらしい。なので自己紹介するたびに何度か笑われたことがあるし驚かない――ここまでオオウケされたのは初めてだが。
「い……息が……」
「(オウ、すまん)!」
バッと腕を放して下ろされ、息を吸おうとしたタイミングでバシバシと背中を叩かれる。吸えない。目から涙出てきた。
「(ユウ、私のことは知っているか)!?」
「い、いや……」
「(よい! 自分で紹介したかった)!」
肩を掴まれてぐるりと正面に向き合う形になる。見下ろされて、顔が近い。
「(私はバーサ・クルーガーだ! そして彼女はマギーだ)!」
「(マーガレット・カパディア、バーティのアシスタントのようなものです。マギーと呼んでください)」
バーティ? ……ああ、バーサのニックネームか。英語は難しいな。
「わかった。バーサと、マギーだな。よろしく」
「(何て言った)?」
「(彼はただ、よろしくと)」
「(よろしくな、ユウ)!」
バーサはマギーに確認を取ってから笑って言った。マギーが通訳をやっているんだな。
「(シャーマン! どこまで進んだ)?」
「(今、全員が自己紹介を終えた。ユウにはケモノプロ野球オブアメリカの会社を設立したいと話した)」
バーサはそれを聞いて満足そうに頷く。
「シャーマン、ひとつ確認しておきたいんだが」
話が進む前に聞いておかないと。
「アメリカでリーグを開催する場合でも、6球団でやりたいと思っている」
「(知っている。なぜそれを言った)?」
「いや、既にオーナー希望者が6団体あるだろう?」
ダレル、マルセル、チェルシー、ジョージ、フランク、エリック。全員球団のオーナーを希望していたはずだ。
「もしかして7つから6つを選ぶ必要がある、とかいう話だろうか?」
それだとあまり期待を持たせるわけには。
「(ああ、違う。バーサはチームのオーナーではない)」
「ではスタッフの一人か」
「(スタッフ。違う。それは正しくない。……ユウ。自分はケモノプロ野球オブアメリカのスタッフだ)」
シャーマンは青い顎をなでてニヤリと笑った。
「(自分はボスじゃない。バーサがボスだ)」
◇ ◇ ◇
「(自分はバーサから仕事を受けた。彼女はケモノプロ野球をアメリカでも放送したいと言った)」
バーサが腕を組んで不敵に笑う隣で、シャーマンが説明する。
「(彼女は地元のチームが必要だと考え、フランクとチェルシーを参加させた。しかし詰まってしまった。そこでチェルシーが自分に質問して、協力することにした。最初にダレルと話したとき、ミシェルからメールを受け取った。KeMPBに関わる仕事だと聞いて、驚いたよ)」
独自に動いていたところ、最終的に交渉する相手から連絡が来た、という感じか。
「オーナー集めから進めていたのか。先に話してくれてもよかったんだが」
「(最初の殴りが戦いの半分だ)」
バーサが胸を張って言う。その太い腕で殴られたら半分といわず一発で終わりそうだな。
「(ユウ。彼女はよいボスになるだろう。自分はそれによくない。自分は調整することができるが、決断はよくない。我々には力強いリーダーが必要だ)」
「それでバーサか」
確かに力は強かったな。
「バーサがよいボスになると言ってたが、何か経験が? それに、どうしてケモプロをアメリカでもやろうと思ったんだ? オーナー集めまで始めるとなると、単なる思い付きなんかではないと思うが……」
「(ビッグ・バーサを知っているか? バーサ・クラン・レスリングは)?」
「どちらも知らないな」
「はいはい! じゃあらいむ説明するね!」
ライムが手を上げて飛び跳ねる。
「バーサ・クラン・レスリングっていうのはね、バーサが立ち上げたアメリカの女子プロレスの団体の名前だよ! 今は女子プロの団体もいろいろあるんだけど、当時は珍しかったんだ。全米で興行を行う、すごい団体だったんだよ!」
「だった――というと」
「うん。もうなくなっちゃった。5年前、20周年を迎えたBCWのイベントで、他団体との試合にビッグ・バーサ――あ、バーサのリングネームね? ま、ともかく、バーサが負けちゃってね」
マギーが同時通訳しているのを聞いたバーサが、苦い顔をする。
「当時のプロレス界の連勝記録を塗り替えそうな勢いだったから、ファンの間でも相当ショックな出来事だったよ。ま、それ以上に『負けたらこの間ウチとの交流戦で危険な反則をしたレスラーを、根性叩きなおしてやるからウチに移籍させろ』って条件を受けて負けた――ってことが大きいかな?」
「なんでそんな条件でやったんだ」
団体を移籍とか、その人の生活に関わる大事じゃないだろうか?
「プロレスの世界じゃナメられたら終わりじゃん? 負けたら従業員の生活が危ないからイヤです、なんて言えると思う? これまでも勝ってきたんだし、なら選択肢は『勝てばいい』しかないって」
……格闘を興行している人間、それもトップが『負けるかも』では断れないか。連勝中ということであればなおさらだろう。
「なんで負けたんだ?」
「ムフ。賭けの対象になってたレスラーの裏切りだよ」
ライムは雲のように笑う。
「前の試合でわざと反則したところから仕込みだったわけ。彼女も人気のあるレスラーだったけど、BCWはバーサが絶大な人気を誇っていたからね。上に上がるためにはバーサが邪魔。だから移籍しよう、って人たちが結構いてね。妨害を受けてそれで負けたんだ」
「バーサの団体に所属したのに、バーサが邪魔?」
「恩知らずはどこの国にもいるんだよ」
「それは……つらいな」
バーサはそのレスラーを守る為に戦ったんだろうに。
「かな? (バーサ、裏切られた試合についてどう考えてる)?」
「(私の失敗だ)」
バーサは重くそれだけ言って目を逸らした。その後を継いでマギーが口を開く。
「(私の失敗でもあります。カサンドラのトリックを見通せなかった。それと彼女たちの不満。私は組織が大きくなるのに忙しく、バーティは試合で忙しかった。私たちは組織の運営に失敗した)」
「原因はなんだろうか」
「(考えるに、単純に、短い手……?)」
「……マギーはなんだって?」
「人手不足が原因だって」
「(違う)」
バーサが目を逸らしたまま呟く。
「(私が戦うべきではなかった)」
試合がなければ部下を見ることができた、という意味か、それとも部下が反発することもなかった、という意味か……そもそも断るべきだったということか。いずれにしろバーサはそれきり黙ってしまう。マギーは唇に指をやって思案すると、タブレットを操作してこちらに向けた。
「(これは当時のバーティです)」
リングでポーズをとるバーサは、今より体が大きく、髪は短い。それになにより。
「覆面レスラーだったのか。何かのキャラ付けとかか?」
「(いいえ。彼女はベビーフェイスを持っている。彼女は43歳には見えない。ヒールがベビーフェイスというのは笑えないでしょう)?」
「(やめろ)!」
バーサが顔を赤くしてマギーからタブレットを取り上げる。
「(彼女は試合に負けてから、5年の間もカウチポテトだった。そのためやせこけてしまった)」
「(やめろ、……? 何だ?)!」
ため息を吐くマギーに、バーサが歯を剥いて唸りをあげる。
「ライム。ベビーフェイスと、カウチポテトって何だ? あと最後にバーサが言った言葉も」
ヒールは悪役……だよな?
「ムフ。Babyface は童顔、ってことだよ。プロレス用語だと善玉だね! Couch potato は引きこもり。Nincompoop はバカモノ! って感じかな」
なるほど。確かに43歳――シオミと同い年には見えないな。ライムの姉と言っても通じそうだ。じゃがいもは何の関係があるのか分からないが。
「引きこもりだったのか」
やせこけた……ようには見えないが、写真と比べると確かに今の方が全体的に細いな。
「(はい。5年間働かず、家の中にいました。朝起きて、パソコンを起動し、オンラインゲームをプレイして、寝ていました、毎日)」
「5年も引きこもって大丈夫だったのか? やせたということだが……食べ物が買えなくて?」
「(キャリアで得たお金が十分あります)」
働かなくていいぐらい蓄えがあるということか。ツグ姉とは違った方向でプロの引きこもりだな。
「(お金の問題ではありません。彼女の心と体の健康の問題です。彼女はオンラインゲームでも人間関係の問題にあって、コミュニティとゲームを別のものに変えることを繰り返した。彼女は死んでいるように見えた。しかし――)」
マギーが視線を向けた先――チェルシーがニッと笑って近づいてくる。
「(私の番)?」
「(はい。チェルシーがバーサにケモプロのことを話して、すべてが変化した)」
「チェルシーが?」
「(バーサはオンラインゲームで初めて会った友達。私たち同じギルドに所属していたの。久しぶり、バーサ)」
「(ああ、うむ)」
2倍も年齢が違う相手に、バーサは少し気後れしたように頷いた。
「(ケモプロの話? ケモプロがとてもエキサイティングだったから、バーサに話したの。その当時、彼女はゲームに疲れていた。私は……なんだ?)」
「バーサに気を紛らわせてもらいたかったんだって」
「なるほど」
「(数日後、彼女はとてもよくなった)!」
チェルシーがニコニコとして言い、その隣でバーサは少し顔を赤くしてそっぽを向いた。肌が白いからだろうか、赤くなるの早いな。
「(私とバーサは毎日ケモプロについて話した。数ヵ月後、彼女はアメリカでケモプロを計画するようになった。チームのオーナーにフランクを誘ったと話すので、私も加わったの)」
「フランクとバーサはどういう知り合いなんだ?」
「遠縁の親戚だって。ケモプロ自体は、バーサが声をかけたときにはすでに見てたらしいよ!」
意外だ。……いや農場全体にWi-Fiを飛ばしてるとか言ってたし、そうでもない、か? IT農家という感じで?
「それで、あとはチェルシーからシャーマンに連絡して……という流れだったか」
「(はい)」
「事情は分かった」
発起人のバーサが中心になり、シャーマンが人を集めて今ここに集まっている。
「ここに集まった人たちが全員、本気だということも――ここまで、こちらに了解を取ることなく進めてきたんだ。それは、分かった」
マギーが翻訳して伝えると、バーサは悪い笑顔を浮かべて胸を張った。……怖くはないので、確かにマスクは必要だろうな。
「ただ、それだけで――バーサが代表となる会社に、すべてを任せられるかどうかは決められない」
「......?」
「ケモプロは何十年も続けていく」
首をかしげるバーサの目を逃さないように見つめる。
「ケモプロをアメリカでもやるというのなら」
ケモノ選手たちを、このアメリカでも生かすのなら。
「アメリカのリーグも、何十年と続かないといけない。できるだろうか?」
バーサは俺の目を見返したままマギーの翻訳を聞いて――笑いながら牙を剥いた。
「(ブリ――何?)!」
「……ライム、なんだって?」
「上等だ! ってさ。しまらないね、お兄さん」
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