農場のガレージから(前)

 2018年7月27日。


「シャーマンが会議室を月末まで抑えてくれている……という話だったと思うんだが」


 高いむき出しの天井。よく分からない大型の機械とベルトコンベア。広いスペースの中央に、染みだらけの机とパイプ椅子。それを囲む業務用扇風機。


「……倉庫だよな?」

「倉庫ですね」

「農地の真ん中に会議室があるわけないじゃん?」


 俺とシオミの視線を受けても、ライムは平然と肩をすくめる。


「ロス周辺の貸し会議室なんて借りてたら、お金がいくらあっても足りないよ? 今さら体裁なんて気にする仲じゃないし、構わないでしょ。こんなだけど、ネットは繋がってるから大丈夫だよ。Wi-Fiのパスワードはこれね。あと、プリンターとかも借りられるよ!」

「ちなみに、ここはいくらで借りたんだ?」

「ムフ。オーナーのご好意でタダ! あ、泊まるところもタダだよ。オーナーの家だし」


 ホテルではないよなあ、と思っていた。やけに気のいいおばさんが出迎えてくれたし。置いてきた従姉が少し心配だ。


「オーナーというからには農家の方だと思いますが、ご迷惑では?」

「レモンの収穫は10月からだから、それまでここは使わないって」

「レモン農家なのか」

「そうだよ。お、噂をすれば」


 ライムと同じ方向を向くと、シャーマンともう一人、作業着を着て鼻の下にふさふさと髭を生やしたしかめっつらのおじさんが、揃ってトレイにコップを載せてやってきた。


「Hi. (何を話しているんだ)?」

「(……レモン? の話を)」

「That's nice. (時間……レモンの……アウト? でも時間があるから大丈夫?)」

「お兄さん、こちらがオーナーの人だよ」


 ライムが髭のおじさんを紹介する。


「そんな気はした。Nice to meet you. My name is」

「Lemonade」


 ドン。


 おじさんは一言そう言って、トレイを机に下ろした。そして、黙りこむ。オーバーオールの作業着のポケットに手を突っ込んで、うろんな目つきでじっと見てくる。


「……レモネードさん?」

「いやいやさすがにそれはないよお兄さん」

「万が一があるかと思って」


 では置かれた飲み物がレモネードということだな。アメリカ横断中、道端で何度か買ったことがある。レモネードの販売は子供の夏休みの定番の小遣い稼ぎだそうだ。ちなみにその時ライムにも経験があるのかと聞いたが、白けた目で見られたな。


「フランク・グリーンさん。この農場のオーナーだよ」


 ぜんぜんフランクな感じではないが。黙ってじろじろとレモネードと俺を交互に見てくる。……飲め、ということだろうか。仕方ない、飲むか。


「……これは、うまいな」


 一口飲んで、自然な酸味と甘みに素直な感想が出る。いやひどいレモネードだと酸っぱかったり甘すぎたりで……これはハチミツでも入れてるのかな。む、果肉が入っている。


「あ」


 コップを見ていると、フランクはさっと踵を返して出て行ってしまった。うーん、お礼のひとつも言っておけばよかったか……いや数日滞在するわけだし、また機会はあるか。


「(座ってほしい。何について話すか)?」


 シャーマンに促されて、パイプ椅子に座る。この一ヶ月英語を聞いてきたこと、シャーマンが簡素な文章をゆっくり喋ってくれることで、ライムの翻訳を待たなくても大意は分かるようになってきた。……喋るほうはまだまだなので、ライムの通訳頼りだが。


「まずはここまでの尽力に感謝を言いたい。シャーマンがいなければ、B-Simの売り込みは成功しなかっただろう」

「(自分の仕事だから気にしないでくれ)」

「いや、スケジュールから移動方法まで任せきりだったからな。本当に助かった」


 正直自分の頭ではもう、どこからどう移動したのかサッパリ分からない。場所は点と点で覚えていて、線で結べない状態だ。


「今日時間を取ってもらったのは、シャーマンにひとつ相談というか、聞きたいことがあるからだ」

「(何が聞きたい)?」

「この一ヶ月、営業の合間にいろいろなものを見せてもらった」


 B-Simの運用は技術者――従姉やグレンダとその部下が中心だ。シャーマンは関係者との橋渡し、シオミは契約関係の話をする。けれど俺はあまり出番がなかった。最初の挨拶をするぐらいで。

 なのでライムと共にシャーマンに案内された場所を視察したり、地元メディアからインタビューを受けたりしていた。後半は特にインタビューが増えたが……ともかく、今話したいのは視察のことだ。


「球場だったり、その付近のいわゆるボールパークと言われる一帯だったり。少年野球を見せてもらったこともあったか。日本と違う野球の姿を知ることができて、勉強になった」


 一番驚いたのは、『大人は野球をしない』ということだな。……いや、一部やっているところもあるしそのガラの悪い試合も見学したのだが、日本のように週末は友達と集まって草野球、というような風習はないのだそうだ。

 では大量にいたはずのアマチュア選手はどうするかというと、ソフトボールがその受け皿になっているらしい。それも観戦したが、イメージにあった腕をグルグル回して速い球を投げるものでなく、山なりの緩い球を投げるスローピッチ・ソフトボールというものだった。こちらが主流らしい。


「違いはあったが、共通するものもたくさんあった。たとえば野球が好きだ、という熱意は変わらない」


 子供を少年野球のチームに入れて将来のメジャーリーガーを目指させるとか。ホームランを打ったときの盛り上がりとか。スタジアムの熱気とか。テレビを囲んで観戦する様子とか。

 細かい違いはあっても、野球が好きだという点においては何も変わらない。だから。


「だから、聞きたいんだが……ケモプロは、アメリカでも受け入れられるだろうか?」

「……(それはケモプロをアメリカ人が見るという意味か? アメリカにもケモプロを見ている人はいる)」

「ある程度視聴者がいるのは知っている」


 一度アメリカのYoutuberにケモプロが紹介されたことがある。タイミング的にはペナントレースの終盤戦、ゴールデンファイナルの直前。アクセス数が増えたのは最終節だからかと思ったら、よく調べてみると海外からのアクセス増が大部分だった。

 ただ、これはあまり後には続いていない。おそらくペナントが終わったからだろう。多言語対応はしているので、いちおうそれぞれの言語の実況者はいるのだが、母数が多くないためあまり人気のある実況がなく、獣子園に入ってからは実況も減って、連鎖する形で海外視聴者は数を減らしている。


 いや、それだけじゃない。


 海外にもこんなに野球好きがいるのに、ケモプロから海外視聴者が減っているのには、別の理由があると、俺はそう考えている。


 だからシャーマンに確認したかった。


「見てもらうだけではなく、俺はアメリカのユーザーに応援をしてもらいたい。だが、アメリカからケモプロを応援するのは難しいだろう。なぜなら、聞いたこともない土地のチームだからだ。応援をしてもらうためには、背景が必要になる。見知った土地の、見知った名前」


 シャーマンの目を真っ直ぐに見る。


「……アメリカ版のケモプロを展開したら……AIの野球を、アメリカ人は受け入れてくれるだろうか?」


 ◇ ◇ ◇


 シャーマンはライムの翻訳を聞き終えてもまだ、黙っていた。


「……アメリカで展開したい、と言ったのにはもちろん、理由がある」


 まだ説明が足りないのだと理解して、俺は先を続けた。


「ケモプロのビジネスモデルは、広告と球団の物販がメインだ」


 キャラクターグッズの展開も増えてはいるが、キャラクターつまり選手は球団の所属なので、取り分の大半は球団にあり、KeMPBは物販と同じく手数料――サーバの維持費程度の取り分に留めている。


「つまり海外で見てもらっても、あまり収入に結びつかない」


 視聴者数連動型の広告は少し増えるが、広告を出しているのは日本の企業だ。あまりに海外からの視聴が多いと、連動して費用を貰うことに不満が出てくるだろう。物販もほとんどが海外への発送には対応していないし。ありがたいことにゲーム内アイテムへの課金は多少あるものの、日本からのものに比べれば微々たるものだ。


「ケモプロを続けていくためには、応援してもらうことが必要だ。それも、たくさんのユーザーに。しかし、海外のユーザーは直接応援する手段が少ないという状態になっている。だから、応援できるようにしたい。そのためにはやはり……ケモプロと同じことをする必要があると考えた」


 それがアメリカでの展開だ。


「アメリカを地元とするチームを作る。アメリカの企業にオーナーになってもらう。そうして応援をしてもらいたい。メジャーリーグは30球団といったが、アメリカの州は50……50ぐらいだろう? しかもここカリフォルニアには5球団もあると聞いた。単純に25ぐらいの州はメジャーリーグのチームがないんじゃないか?」


 マイナーリーグの約200球団どれだけ分散してるかしらないが、アメリカは広いから供給が間に合ってない地域もたぶんあるはずだ。マイナーリーグは一番下のクラスでさえ、日本プロ野球の二軍より観客動員数があるというので、空白地を探すのは難しいかもしれないが……そこは、プロに聞けばいい。


「どうだろう、シャーマン」


 凄腕のエージェントに。


「せっかくケモプロを見てもらえるなら、日本のユーザーと同じように熱中して、応援できるようにしたい。インターネット上の、バーチャルな球団を受け入れてくれそうな都市や、企業は――アメリカにあるだろうか?」


 シャーマンはライムの翻訳を聞いて、腕を組み、鼻で大きく息を吐いた。


「Lime」

「ムフ。(なに、シャーマンさん)?」

「(これは君の計画したサプライズなのか)?」

「(自分も驚いた)!」

「(たくさんの仕事を守った?)」


 シャーマンは手を組んで身を乗り出した。


「(ユウ。仕事をさせてほしい。リーグの管理をする会社を作りたい)」

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