アメリカ横断計画

「Cheers!」


 言葉は分からなくても何をしようとしているのかぐらいはわかる。俺はホテルのバーカウンターに隣り合って座るシャーマンと、グラスを持ち上げて打ち合わせた。


「(何かに謝る? 飲めない? 何がだ)」

「(日本……では20歳以下はアルコールを飲めない、から、気にするな?)」


 同じくバーカウンターに座るシオミが堅苦しく応えると、シャーマンは眉を上げて笑う。


「(日本が何だ? アメリカでは……カリフォルニアは21? 何が18だって?)」

「(日本にいた方が早く……俺と飲める、のが楽しみ? 1年後?)」

「(日本に行く? 何でだ)」

「モテモテだね、お兄さん」


 ライムよ、状況だけ教えてもらっても良くわからないんだが。


「……話が弾んでいるようなら、何よりだ」


 コーラで喉を潤す。うーん。日本のコーラと同じ商品名のはずなのに、アメリカにいるのだというテンションのせいか微妙に味が違う気がする。


「今日の成功はシャーマンが上手く手配してくれたおかげだ。改めて礼を言いたい」

「そんなのThank youだけでいいよ?」

「Thank you, Sherman」


 ちょうど酒を口に入れたばかりのシャーマンは、大げさに頷きながら喉を鳴らした。気にするなと言いたげだ。


「ところで、シャーマンに少し聞きたいことがあるんだが……ライム、翻訳してもらっていいか?」

「断らなくても隣にいるときは必要に応じてするって。聞きたいことって?」

「今日営業……というかデモに付き合ってくれたチームは、マイナーのアドバンスドAで、シャーマンの古巣だと聞いた」


 スタッフたちともずいぶん親しげで――そしてそれぞれが真剣だった。


「今日も、ずいぶん練習して臨んだという話だが……現役に復帰するのか?」

「お、聞いちゃう?」


 ライムがニマっとしながら通訳すると、シャーマンは朝に比べて伸びて黒くなってきた顎をさすりながら口を開いた。長い。……全編に渡ってリスニングが不安なので、ライムを待つ。


「その気はないって」

「……いやもっと長かったが?」

「要約したらこれだけだよ?」

「理由も話していたんじゃないか? そのあたりも知りたいんだが」

「ムフ。そりゃそうか。えっとね。今日、シャーマンさんが投げたのは、理由は三つあるの。ひとつ、ナックルをちゃんと投げられるピッチャーは少なくて、シーズン中にデモのためには動かせないこと。ふたつ、イップスみたいな原因不明の不調を暴けるほどの精度があるか確認するのに都合が良かったこと」

「なるほど。三つ目は?」

「シャーマンさんの忘れ物、だって」


 ライムは肩をすくめる。


「シャーマンさんはナックルが投げられなくなって引退した。そのことにもう未練はないんだけど、『なんでナックルが投げれないのか』がずっと気がかりだったんだって。その答えが知りたかっただけで、現役復帰なんて考えてもいないってさ」

「そういうものか」


 プロになるほど野球が好きなのだから、プロに戻るチャンスがあればそうするんじゃないかと考えたんだが。


「それは、プロ野球選手よりも今の仕事の方が楽しいからなのか?」


 ライムが短くシャーマンに問いかけると、帰ってきた言葉はまた長かった。しばらくして、ライムが翻訳する。


「野球を引退した後、友達の会社で働かないかって誘われたんだって。それで人事部門に入って」

「野球選手から人事か。大変じゃなかったか?」

「シャーマンさんは大学も出てるし、性にもあってたんじゃないかな? シャーマンさんが入ってから、会社の業績が何倍にもなったんだから」

「それはすごい。ということは、今でもその会社に勤めているのか」

「ハズレ! その友達ね、シャーマンさんを解雇しちゃったから」


 なんでだ。


「んー、会社を乗っ取られるとでも思ったんじゃない? シャーマンさんの実力は本物だよ。フリーランスになってますます評判はいいし、なんなら友達の会社はシャーマンさんがいなくなった後、業績がガクッと落ちちゃったからね」

「今日の成功からもそれは明らかだ。……今の仕事が向いてるから続ける、ということでいいのか?」


 シャーマンを見ると、くりくりとした目が真っ直ぐに見つめ返してきた。


「(野球選手にはならない。けど、野球は好き。野球の……仕事がしたい? この……今回の仕事を、楽しんでいる、と)」

「It……あー……Good. 楽しんで仕事をして貰えているなら、何よりだ。それで、今後の話なんだが」

「はいはい! らいむから説明するよ! 今日、投球シミュレーターの有用性が確認できたので、本格的な営業がこれからはじまりまーす!」


 ライムは元気よく話し始める。


「ここからはより上のランクのチームにも営業をかけていくよ。メジャーのチームも、シーズン中だから難しいけど何件か。グレンダお姉さんたちのチームには、ツグお姉さんに指導してもらって、このアメリカ滞在中に投球シミュレーターのセットアップから運用までマスターしてもらうよ」

「手伝い、ではなく、マスターか」

「滞在期間後は、グレンダお姉さんが中心になって残りの球団を回ってもらうからね」


 現地スタッフ用の予算が大きいと思ったらそういうことか。


「あと正式に球団にシステムを配備した後は、球団スタッフへのサポートもやってもらわないとだしね。実際に使うのは球団スタッフになるわけで……」

「ん? そうなると拘束期間が長くならないか? ……というか、そもそもグレンダたちはどういう扱いになってる? シャーマン……はフリーランスだから、その部下というわけじゃないだろう?」

「シャーマンさんが手配してくれた、小さな会社の技術者だよ。今は短期で契約してるけど……今後についてはそのうち相談だね!」


 なるほど。アメリカで何かあっても距離も時差もあるし、すぐ対応できるスタッフがいるのが望ましい。投球シミュレーターが本格導入されるなら、グレンダの会社に業務を委託するようなことも考えないといけないな。


「今日一日で改善点も見つかったしな。ミシェルにはがんばってもらわないと」


 特に、透明ボールの量産が急務だった。それ以外にもモーションキャプチャー用のカメラやスーツも、契約が決まれば各球団分用意しないといけない。そして投球だけでなく、打撃についても精密なデータが欲しいとリクエストを受けていた。外からカメラで見て分かる以上のこと、バットの握りだの握力の使い方だのが計測したいらしい。


 それらのことがあって――というわけではなく、ミシェルは早々にアメリカを離れる予定になっている。HERBの件で日本に帰らないといけないし、工場のある国にも飛ばないといけないらしい。持ち帰る宿題も多く、この小さな打ち上げにも参加せず部屋にこもって仕事をしていた。


 ちなみに、従姉もひきこもっている。だいぶ疲れたらしい。元気にスタッフを引き連れてホテルから出て行ったグレンダとは対照的だな。


「ま、アメリカは広いし、スケジュールの都合もあるしさ。ね、シャーマンさん。(ハリーがなんだって?)」

「Ya. (仕事がオフで……なんだ?)」

「行ったりきたり大変だけど、息抜きもはさみながらやっていこうね!」

「息抜き、というと……初日の観光のような?」

「そうそう」


 ライムは雲のように笑い――サッと何かを取り出した。……チケット?


「とりあえず、明日はノースカロライナ州に移動ね!」

「ああ、航空券か……ノースカロライナってどこだ?」


 ノースというからには北だろうけど。


「んっと、ここね。ロスがここで、ノースカロライナの……シャーロットがここ」


 思ったより北じゃなかった。


「ほとんどアメリカ横断みたいな感じなんだが」

「直線で3400キロぐらいかな!」

「日本が南と北で3000キロぐらいだったっけか? それ以上か。広いな……何時間飛行機に乗るんだ?」

「5時間ぐらいだね」


 獣子園の動画でも見るかな。


「なかなかの長旅だが……ノースカロライナではどういう予定になってる?」

「もちろん、システムの売り込みもするよ? 何球団かね。メジャーチームはまだだけど、トリプルAのチームとも約束してるし! でも一番の目的は、野球観戦かな?」

「野球観戦?」


 わざわざ野球を見にアメリカ横断を? と俺が首を捻ると、シャーマンがグラスを置いてゆっくりと口を開いた。


「Yuu. Do you know USA vs. Japan Collegiate All-Star Series?」

「オールスター……?」

「日米大学野球選手権大会のことだよ、お兄さん」

「そういう催しがある、ということぐらいなら」


 言われてみればあるよなあ、というぐらいだ。日本の大学生とアメリカの大学生の選抜チーム同士による試合だったか。


「それが、ノースカロライナで?」

「うん。一戦目があるんだよ」


 何戦かあるらしい。だからシリーズなのか。


「シャーマンさんが、ぜひ見てほしいんだって」

「後輩でも出るのか?」

「えーっと……(ポイント……見所はどこか?)」


 シャーマンは少し宙に視線をやる。


「...Rosemarie」

「ああ、そうだね! お兄さん、ローズマリーちゃんって知ってる?」

「……ハーブじゃなくて?」

「人の名前だよ。ローズマリー・アンブローズっていうんだけど、女子で大学野球をやってるすごい子なんだよ! なんたって86マイル、140キロを投げるんだからね! 女子世界最速だよ!」


 140。海外。……なんか聞いたことがあるような。


「それは、すごいな。タイガでも136か7で、女子日本最速だったはずだが。その選手が出るなら、確かに見ものかもしれない。今年のドラフトの注目選手といったところか」

「今年のドラフトはもう終わったよ?」

「え」

「メジャーリーグのドラフトって6月にやるし」

「それは、在学中に大変だな」

「アメリカは6月で学校終わりだよ。始まりが9月ね」

「そうなのか。スケジュール自体がだいぶ違うんだな。となると、アメリカ側は……四年生は卒業しているから、三年生主体のチームというわけか」

「ううん。二年生主体のチームだよ。日本は、四年生も入ってるけど」

「……年齢制限とかか?」

「お兄さんが言ったとおり、スケジュールの違いだよ」


 ライムはグラスを傾けて肩をすくめる。


「メジャーのドラフトは大学生の場合、三年生から対象なんだよ。そしてドラフトで選ばれた選手は、選抜チームに入れない決まりなんだ」

「なら選ばれなかった三年生がチームの主体になるんじゃないか?」

「メジャーリーグってチームが30あって、ドラフトでは基本40位まで全チームが選択するんだよ。つまり毎年1200人の選手が契約するわけだけど……1200人から漏れた三年生と、来年ドラフト候補の二年生、どっちをチームに入れたい?」


 それは……後者かな? しかし1200人とか、さすがアメリカは規模が違うな。日本の約10倍か。


「ところで三年生で球団と契約したら、大学の四年目はどうなるんだ?」

「真面目にしてればちょこっと単位取れば終わりだし、野球選手と二足のわらじだよ。シャーマンさんも三年生で指名されたけど、大学は卒業したしね」


 大学に行ってないし行く予定もなかったからシステムがよくわからないんだが、そういうものか。


「日米の野球事情の違いも、なかなか面白くない?」

「そうだな、勉強になる」

「うんうん。知らなきゃ分からないことだらけでしょ。だからさ」


 ライムは雲のように笑って、グラスを掲げた。


「ローズマリーちゃんがどれぐらいすごいのか、日米大学野球がどんなものなのか、現地で見ていこうよ」

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