十分の一のナックル
朝食を終え、全員と合流し、二台の車に別れて移動すること約一時間。俺はとある野球場の、屋内ブルペンにやってきていた。まだ投げる者――野球選手はいない。端の方で机の上に機材を置いて、赤毛の女――グレンダが二人の男性に指示を出していた。
「お疲れ、お兄さん。交流は深まった?」
「いや、英語がサッパリ通じなくて」
俺が彼女らとあと一人の男性、計四人と同乗し、残り――従姉、シオミ、ライム、ミシェルはシャーマンの車に乗っての移動だった。
「というより、話しかけても無視されたんだが……」
車内の沈黙は辛かった。コミュ力不足を痛感したな。
「グレンダは何を怒っているんだ? そもそも、何で同行している?」
「ムフ。それも答えてくれないほど? お兄さん、よっぽど
どう見えるっていうんだ。
「あの人はグレンダ・ベル。投球シミュレーションシステムの現地技術担当者だよ。男の人たちはその部下ね」
「技術担当は、ツグ姉とミシェルのはずじゃないか?」
そのために従姉は引きこもりを押してここまできたのだが。
ちなみにその従姉は俺の背中に隠れ……られていないがいて、ミシェルはシャーマン、グレンダの部下の一人と一緒に、今日モーションを取り込む選手の準備を手伝っている。シオミは契約担当者と話し合い中だ。
「現地のスタッフ、だよ。必要でしょ?」
ライムは呆れたような表情でこちらを見上げた。
「まさか、システムを売り込みに行く球団、全部に自分たちで営業に行くとでも思った?」
「そのための1ヶ月なんじゃないか?」
「わかってないなあ」
ちちちっ、とライムは舌打ちしながら指を振る。
「メジャーリーグの球団は全部で30球団。マイナーリーグも含めると240球団だよ? たった1ヶ月で全部を回れるとでも思う?」
「30球団に限れば一日一球団で――」
「アメリカは広いんだよ? 移動は基本飛行機になるし、一日一球団なんて無理無理。第一さ、シーズン中だよ? メジャーのチームがそんなに暇なわけないじゃん? ちなみに今日システムを見てもらうチームだって、アドバンスドAなんだからね」
「アドバンスドA……変わったチーム名だな」
「違う違う、クラスの名前だよ。マイナーリーグは7つのクラスに分かれてるの。上から、
「なるほど」
「だからダブルAぐらいからバス移動が中心かな? 予算と距離の都合だね」
「マイナーリーグって予算がないのか?」
「ないねー。メジャーとは段違いでないよ。んっと、イメージとしては日本のプロ野球でいうところの二軍三軍なんだ。メジャーのチームが獲得した選手を、提携してるマイナーのチームに預けてるの」
「それならメジャーから予算が出るんじゃないか?」
「選手のお給料についてはね。そのほかの部分は別、その球団のお財布からなんだよ。ここが二軍三軍とは違うところでさ。『提携』はしてるけど『配下』じゃなくて、別企業、って感じ? 独立採算なんだよ。だから交通費はマイナーの財布もちってことで、バスになるってわけ」
なるほど。チームが多いとそういう方式になっていくのかもしれないな。
「Ha! (俺が何か……野球の説明が何?)?」
そうやってライムと話し込んでいると、いつの間にかグレンダが近づいてきて鼻で笑ってきた。
「なんだって?」
「ずいぶん初歩的な説明受けてるみたいだけどぉ? って。お兄さんが野球素人なんじゃないかってさ」
「それは事実だな」
いまだに野球、ケモプロぐらいしか分からないし。メジャーリーグなんて名前しか知らなかったし。
「(何か……心配している風な? ビジネスができるか?)?」
「(何か大丈夫なのか確認? 準備ができているか?)?」
「(メール、の……ビューを読んだ?)」
グレンダは肩をすくめる。そして従姉を指差して言葉を続けた。
「(日本の技術者が……なんだって? トール? リードエンジニアなのが信じられない?)!」
「(そう考えるなら、話をする?)。さ、ツグお姉さん! 出番だよ!」
「え、えぇ……?」
「技術的な話がしたい、ってことだから大丈夫だって。それに準備に不備があるといけないでしょ? ほらほら」
手を引かれてひっぱりだされた従姉は、そのままライムにケツを押されて送り出された。
そんな従姉を、グレンダは首を折れそうなほど曲げて近距離から見上げ、噛み付くように何か問いかける。従姉はそれに答えて――はじめはしどろもどろだったものの、話が進むにつれ普通に対応するようになった。だんだんと、グレンダの顔も真剣になっていく。
そして二人は話し込みながら機材のところに歩いていき、作業を進め始めた。
「うんうん。これなら問題なさそうだね!」
「そうだな」
英語が喋れる、という従姉を信じてここまでつれてきたが、あんなに流暢に話しているところは初めて見た。共通の話題で盛り上がっているのだろう。
「……それで、俺はなんでグレンダに怒られてるんだ?」
「んー。ほら、ツグお姉さんって引きこもりじゃん?」
プロの引きこもりだな。いわゆる病的な方ではなく。
「初対面の男の人と、がっつり話できそうにないじゃん? しかも英語だし」
「スムーズにはいかない気はするな」
「だからシャーマンさんに、できれば女性の技術者をチームに入れてね、ってお願いしたんだ。ツグお姉さんのためにね?」
「見事にオーダーに答えてくれたわけか。助かるな」
「うん。でもなんか、グレンダお姉さんにはお兄さんの希望だと思われたみたいでさ~」
「……? いや、俺だって手配する側だったら、同じような希望はしたと思うぞ?」
従姉が動いてくれなければ、この仕事は成功しないだろう。
「それはそうだろうけど……うーん、ま、いいか。気にしたら負けだよ!」
いいのか。……まあ、こうやって仕事をしてくれているんだし、問題ないといえばないか。
「無事にナックルのデータが取れるといいな」
「それができなきゃ、この先の営業も続かないからね~」
「……そうなのか」
「うん。だからアドバンスドAのチームに協力してもらってるんだよ。ここで上手くいけば、ちゃんとメジャーのチームに見てもらえる。ダメだったらおじゃんだね」
「今日が勝負ということか」
「そゆこと。おっ、その勝負を決める運命のピッチャーの準備ができたみたいだよ!」
ブルペンに、ミシェルと一緒にモーションキャプチャー用のスーツを着た大男が入ってくる。以前カナやニシン、タイガが着たぴっちりスーツとはまた少しデザインの違うものだ。ミシェルが改良すると言っていたが……いや、それよりも、あの投手って。
「……シャーマン?」
「ムフ」
ライムは雲のように笑う。
「改めて紹介するね。シャーマン・メイスさん。エージェント業をやっている、元マイナーリーガーのナックル使いだよ!」
◇ ◇ ◇
「おや、ユウは何を驚いた顔をしてるんだい?」
シャーマンが遅れてやってきた球団関係者と話をし、アップを始めたところでその場から離れてこちらにやってきたミシェルが首をかしげる。
「お兄さんには、シャーマンさんが投げることは秘密にしてたからね!」
「ハハハ、なるほどね。まあ、今となっちゃエージェントとしての方が有名で、野球選手だったことを知ってる人はほとんどいないだろう。ぼくもいろいろ職場を紹介してもらっていてね。今回の話も彼がいなければ難しかったろうね」
「うんうん。ミシェルお兄さんから紹介してもらえてよかったよ! 凄腕だよね!」
なるほど、そういう繋がりだったのか。
「どういう選手だったんだ?」
「ぼくからはあらましぐらいしか話せないが」
ミシェルは肩をすくめて言葉を続ける。
「このチームは彼の古巣でね。大学を出てアドバンスドAでデビュー。ナックルボーラーとして活躍したよ。一回だけトリプルAでも投げたことがある――その試合では、ナックルは投げられなかったが」
「何で投げなかったんだ?」
「さてね。確かなことは、その後降格した先でも、ナックルが投げられない状態が続いたってことさ。そうしてほどなく引退して、今に至る……という感じかな。いや、確率が悪いだけでね、投げて
ナックルは変化しなければただのスローボールらしいからな。確かに確率が悪ければダメだろう。
と、それはもう過ぎたことだ。それより重要なのは――
「……今日はどうなんだ?」
「今日に備えて、トレーニングしてきたそうだよ」
ミシェルはニヤりと笑う。
「練習では、ちゃんと変化したと言っていたね」
「そうか。なら大丈夫だな」
「おっと、そこで安心できるのか。どういう根拠だい?」
「シャーマンはライムやミシェルが凄腕だと認めるエージェントなんだろう?」
人材や仕事の仲介をするのが主な仕事だとか言っていた。
「なら仕事ができない人間を手配するわけがない。ナックルのデータを取る……投球シミュレーションを売り込む、その仕事をするのに、一番適した人材がシャーマンだったということなんだろう」
「……部下冥利に尽きる、という感じかな? それはそれで信頼が重くないかい、ライム?」
「やりがいがあるよね! 思考停止してるわけじゃないし、代表っぽくていいんじゃない?」
ライムが雲のように笑い、マウンドを指す。
「始まるみたいだよ!」
◇ ◇ ◇
多数の関係者に見守られる中、シャーマンはゆったりしたフォームでボールを投げる。普通の野球ボールだ。キャッチャーのいないボックスの上をバウンドし、後ろにかけられたネットを揺らす。
そしてジャージを着たおじさんたち――ライムの説明によるとこのチームのコーチ陣が、設置されたパソコンのモニタを覗き込んだ。グレンダが何か説明し、コーチ陣は頷く。
最初は普通のボールでのキャプチャーの結果を見てもらう。従姉いわく、体の動きだけなら普通のボールで十分だそうだ。ただし、精度――ボールにかかる力の詳細を得るためには、ミシェルの作った特製のボールが必要になる。
「Sherman!」
ミシェルが呼びかけて、シャーマンにボールを投げて渡す。メジャーリーグの仕様にあわせた透明のボール。これとリストバンドのカメラから握りやかかる力を計測するのだとか。
実際のところ、投球のデータ化は高性能弾道測定器、とやらを応用してすでにメジャーでもNPBでも進められている。球速、回転数、リリースポイント、それらのデータは既に取得できるのだ。けれどそれは『投げられた結果』であって『どうやって投げたのか』にはデータが足りない。その不足を補うのが、ミシェルの技術であり、核が特製のボール。そして正しさを証明するのが従姉のシステムだった。
グレンダが時折従姉に確認を取りながらコーチ陣に説明し、シャーマンに合図を出す。シャーマンは青い顎をグラブでこすると、ボールを投じた。重さの足りないボールは、ベースまで届かない。けれど取得したデータは、システムに反映されているはずだ。
果たして数秒後、コーチ陣からどよめきの声が漏れた。シャーマンが呼ばれ、モニタを確認すると満足げに笑って何か言うと、その場にいた者たちはニヤニヤと笑ったり、シャーマンをはやし立てたりした。
「ナックルが上手くいったのか?」
「ん? ああ、違う違う。シャーマンさん、最初はスクリューを投げたんだって。ちゃんと反映されてるだろ、ってさ」
なるほど。いきなりナックルを投げても、キャプチャーしたデータじゃなくこちらの用意したデータと思われるかもしれないしな。
「次からがナックルだよ」
特製ボールを拾い、シャーマンはマウンドに立つ。ひとつ大きな息を吐いて、投げた。ボールはマウンドとベースの間を転々とする。
「Next」
グレンダと仕事をしていた男性スタッフの一人がボールを回収し、シャーマンに渡す。そしてまたもう一球。
「...Next」
ボールを回収し、投げる。それが5回ほど続くと、グレンダが機嫌悪そうにミシェルに食って掛かっていた。それをなんとかなだめたミシェルは、逃げるようにこちらにやってくる。
「やれやれまいったな。アスカがもう一人いるみたいだ」
「何かあったのか?」
「ボールが一個だけなんておかしいだろ、って言われたよ。そうは言われても特注でねえ……他の機器をアップデートしたら予算が足りなくて、工場が動かせなくてさ……」
「確かに、いちいちボール拾うのも大変なんだよな」
タイガの時は俺とカナとニシンとの三交代で拾ったっけ。ベースまで届かないからとそこに立って待機していると気が散る、という理由もあり、一回ごとに走って拾っては渡して走って視界を空けないといけないのがつらかった。
それから、シャーマンは10球ほどを投げた。
そして11球目を――ボールをグラブに戻して、モニタへと向かった。チェックが始まる。取り込んだモーションデータを、シミュレーションに反映する。
しばらくの沈黙、そして――
「Amazing!」
誰かが叫び、歓声をあげる。ぱちぱち、と拍手が鳴った。うーむ、アメリカだ。リアクションが大きくてわかりやすい。
「最後の一球、間違いなくナックルだって!」
「一安心だ」
ナックルのように変化するボールはシミュレーター上で見ていたが、それはあくまで『虚空から理想の状態で出現したボール』によるものだった。人体のモーションにより投げ出されたボールで、本当にナックル――現代の魔球が再現できるとは。
「これで契約が進む……んだよな? 何か、まだいろいろ話しているが」
「ま、ここからが本番だよね」
シャーマンとコーチ陣がモニタを覗き込み、あれこれとグレンダと従姉に問いかける。二人はそれに答えたり、機材を操作したりした。
「何をしているんだ?」
「あれはね。ナックルになったときと、ナックルになっていないときの、モーションの差分を確認してるんだよ」
「差分?」
「シャーマンさんが、ナックルが上手く投げられなくなって引退した、って話は聞いたでしょ? 現役時代ね、シャーマンさん自身も、何が原因で投げられないのか分からなかったんだって。イップスだ、とかチームの主治医には言われたらしいけど」
イップス。精神的な原因で思い通りの動きができなくなってしまうというやつか。
「それじゃどうしたら投げれるようになるかわからなくない?」
「気の持ちようと言われても困るな。じゃあどうしたらいいんだ、としか」
「結局さ、根っこはともかく、ナックルにならない原因は物理学だよ。ナックルになるときと、ならないとき――物理的な違いが必ずある」
魔法じゃあるまいし、確かに原因は精神じゃなくて物理だろう。
「それをあぶりだすんだよ」
ライムは雲のように笑う。
「投球シミュレーターは、いろいろ使い道があるよ。フォームのどこを変えたらよりよい結果が出るか? とか、今より筋肉量を増したらどういう結果になるか確かめる、とか。でもね、それより切実に必要とされるのはきっと――今やってるようなことだよ」
話し合いに結論が出たのか、シャーマンが投球に戻る。投球し、コーチがモニタを確認し、何か指示を飛ばす。それを受けて、シャーマンがまた投げる。指示が出る。投げる。
「全員が全員、それで結果が出るとは言えないけど、わからなかった原因がわかれば、今よりもずっと……目標を持って、ゴールを見て努力できるでしょ?」
確かに、精神的な問題だと言われるより、『ここの指の動きがこう違う』と言われたほうがいいだろうな。
「Yuu! (バットを持って……箱?)?」
数十球は投げただろうか。突然、シャーマンが呼びかけてきた。
「なんだって?」
「バットを持ってバッターボックスに立ってくれないか、だって」
「――わかった」
スタッフからバットとヘルメットを受け取る。デカいなヘルメット。まあ大丈夫だろう。かぶって、バッターボックスへ。野球暦3ヶ月でも立つぐらいなら問題ない。
シャーマンは透明ボールから普通のボールに持ち替えて、感触を確かめるようにぐるぐると回した。そして構える。俺も――打つわけじゃないが、それっぽく構えて待った。
シャーマンが振りかぶる。約18メートル。それだけ離れていても大きく感じる。
投じられたボールは――
「ぉおッ!?」
素人目にみてもはっきりと、ぐにゃりと不規則に曲がった。
だから俺がしりもちをついても何もおかしくないし、笑いが起きたからってどうということはない。
シャーマンが爆笑してるのも、何も気にしてない。
――泣くほど笑うことはないと、思うんだが。
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