出立前のすれ違い

 アメリカへ行ってケモプロのシステムを応用した投球シミュレーターを、メジャーリーグの1チームに売り込む。

 その準備は着々と――ライムがしていた。

 向こうでのことは全部任せておけというので、パスポートの準備と手荷物をまとめることぐらいしかすることはない。……従姉をパスポート受け取りに連れ出すのには苦戦したな。アメリカに行くとは言っても、引きこもり気質は変わらないらしい。移動日はどうなることやら。


 準備を任せた代わりということでもないが、長期間日本を留守にするので俺は仕事をたくさん詰め込まれている。月末の出発まで、普段より忙しいスケジュールを過ごしていた。


 そんなわけで今日は短時間のインタビューを受けに、ゲーム系メディアのオフィスにやってきていた。テーマは『ケモプロ発想の源』。要するにどうして作るに至ったのかを話してほしいということだった。新機能の紹介でもないし、普段はあまりこういったテーマは受けないのだが、時間の都合がいいからと詰め込まれた。


「今日はよろしくお願いします!」

「よろしく」


 通されたのは小さな会議室で、同席したのは若い女性記者が一人だった。専属のカメラマンもなく、記者がスマホで撮影する。最初の頃はいつもこんな感じだったな、と懐かしくなった。


「すいません、自分あまりケモプロ詳しくなくて。普段はスマホアプリ担当なもので……」

「ああ、ケモプロもスマホ版がありますよ」

「え、そうなんですか? 動画サイトで見るだけだと思ってました」

「試合の観戦は動画なんだが、チャットはできるようになっている。最近は応援アイテムの使用もできるようになって……――」


 話がいきなり横道に逸れてスマホ版の機能紹介になっていった……と気づいたのは予定時間の終了間際のことだった。コミュ障だからついつい話しやすい話題に逃げてしまう。


「すまない。テーマとは違う話をしてしまったが……大丈夫だろうか?」

「いえいえ! すごく勉強になりました! それにPC版とか動画版があるからか、スマホ版専門の紹介ってあまり聞いたことないですし。これで記事を書くことにします!」


 なんか申し訳ないな。誌面の都合もあるだろうに。……いちおう昼食の時間を削れば時間は捻出できるか。


「いや、時間ならもう少しあるから――」

「……あッ! あぁ~……それなら、すいません、少し待っていただいてもいいですか? 一応、せんぱ……上の方に問題ないか確認してきますので!」

「わかった。その間にトイレを借りてもいいだろうか」

「あ、ここを出て突き当たりの左です。終わったら戻ってきていただいて……あぁーと……」


 女性記者は部屋から出て行こうとして、何か間の抜けた声を出して振り返った。


「あの、そう、変なことを聞くんですが――もがこれのキャラに似てるって言われません? 声とか……あとかお」

「ゲスカワくんか?」

「そう、そうです!」


 ご当地ソシャゲの『もがこれ』。オーディションで選ばれたゲスカワくんの声は、俺とそっくりだとニャニアンも太鼓判を押している。血涙を流しながら。


「私、もがこれも担当してて! あのぉ、それでですね。失礼なお願いなんですが……ちょっとだけ、セリフ言ってもらってもいいですか?」

「構わないが」

「じゃッ、じゃあ……これで!」


 ボイスは実装されたんだから本物を聞けばいいと思うが、断る理由もないし。えーと。


「おつかれ、かせかんさん。ああ、僕がねぎらったんだから、まだ働けるよね。マッサージでも頼もうかな……ほら、ギブアンドテイクでしょ?」

「アァァッぐ」


 記者は口元を抑えて後ろを向く。何か小刻みに震えていた。


「どうし」

「らいじょうぶ! 大丈夫でう! と、トイレ、ごゆっくり!」


 すごい勢いで廊下を走っていった。……トイレとは反対方向だから、我慢してたわけじゃあないよな、うん。


 ◇ ◇ ◇


「クソッ! なんでうまくいかないんだッ!」


 気まずい。


 トイレの入り口まで近づいたところで、中から怒鳴り声が聞こえてきた。どうやら個室の中にいる男が騒いでいるらしい。


「俺だろ? 俺が実質トップだろ? アイツはタダの高校生のガキだぞ? うまく操縦してやるはずが……」


 ……したいのが小の方で助かったな。さすがにこの雰囲気で隣の個室には入りづらいぞ。


「クソ。俺の苦労も知らないで……いろいろ手を回してるのは誰だと思ってる? いや、まぁ、ガキには言えないが……」


 騒いでるし、気づかれないよな。うん。済ませてしまおう。……よし、いけた。手を洗うのは諦めるとして――


「クソ、今日の仕込みだってしたのに。あの無能記者が連れてこないから! せっかく――」


 ジャー


「………」


 ……自動で水が流れるんだよなあ。うん。トイレには静かに水が流れる機能も必要だと思う。


 ともあれ、個室の中の男は静かになった。鉢合わせすると気まずいので、ちょっと派手に水音を立てて手を洗って外に出る。個室の扉が開く音はしなかった。


 さて会議室に戻ろうと歩いていくと、並んでいる扉のひとつから笑い声が漏れてきた。ずいぶん楽しげだ。思わず立ち止まって扉を見る。だがそれもやがて聞こえなくなったので、歩き始めようとして――


「お前よー、もっと早く切り上げろって言ったじゃん?」

「す、すませ――あッ、ゲス……オオトリ代表!」


 廊下の向こうから女性記者と、その上役らしい男性記者がやってきた。男性の方が前に立って名刺を差し出してくる。


「どうも、オオトリ代表。ウチのが勉強させてもらったようで、ありがとうございます!」

「いや、テーマに沿った話ができなくて申し訳ない」


 名刺を交換する。


「ところでオオトリ代表、まだお時間あったりしません? ちょっと紹介したい人がいるんですが」

「大丈夫だ」

「それならよかった! ちょうどこの中なんですよ、失礼します」


 そう言って男性記者は扉を開ける。すると中で座っている複数の男女の視線がこちらを向いた。


「どーも、みなさんお待たせしました! ちょっと紹介したい人がいるんですが、いいですか?」

「構わないですよ」


 笑顔で答えたのは一番端に座っている、黒髪の男子高校生。


「ならよかった。じゃあオオトリ代表、中へどうぞ」

「失礼します」


 男性記者の脇を通って部屋の中に入る。


「タカナシ社長。こちらがKeMPBの代表のオオトリさんです。オオトリ代表、あちらがカリストの社長のタカナシシュウトさん」


 タカナシの隣に並んで座っていた三名の男女が、何かぎょっとした顔つきでこちらを見てくる。それとは対照的に、タカナシは音を立てて立ち上がると、早歩きでこちらへやって来て手を差し出す。


「タカナシシュウトです。はじめまして!」

「オオトリユウだ」


 握手を交わす。じっと覗いてくる黒い目に吸い込まれそうな印象を受けるな。


「タカナシさんは――」

「シュウトでいいですよ。同じ苗字が会社に二人もいると区別がつかないので、皆にもシュウトって呼んでもらってます」

「なら、俺もユウでいい」

「あれ、タカナシ社長。同じ苗字といえば、プロデューサーの姿が見えませんが?」

「叔父ならトイレです。お構いなく」


 横から記者が話しかけてきても、その目と手はこちらから離れない。何か言うことが足りなかったか……ああ、そうか。


「シュウトとは、会ったことがあると思うんだが」

「覚えていてくれたんですね!」


 にこり、と笑ってシュウトは手を離す。


「島根のイベントの時だな。せっかくいろいろ話してくれたのに、最後まで答えられなくて申し訳なかった」

「いえいえ、あの時は時間も押してたみたいですからね。僕も喋りすぎですいませんでした」

「オオトリ代表、少し話していきませんか?」


 男性記者が割って入る。


「今ちょうどカリストさんの『ダイリーグ』を取材しているところなんですよ。同じ野球ゲームの制作会社として、ぜひオオトリさんのコメントもいただければ!」

「コメント?」

「ダイリーグを意識されることもあるんじゃないですか?」

「それは、もちろんあるが」

「ならこの際にいろいろ聞いてみましょうよ!」

「いいのか? 公開前のこともあったりするんじゃ……」

「この場に留めていただければ問題ないですって。ねえ、タカナシ社長」

「もちろん、僕は問題ありません。むしろ、ぜひ!」


 シュウトは力強く頷く。


「それなら少し聞かせてもらおうかな」

「どうぞどうぞ! えーとそうですね、タカナシ社長の隣へ!」


 ということで、シュウトと並んで座ることになった。反対側には三人の男女が座っている。


「そっちの人たちは?」

「ダイリーグに参加してもらっているスタッフです。タイトなスケジュールの中、すごくいい作品に仕上げてもらってます。グラフィックの改善を主にやってもらっているんですよ。おかげでとてもよくなったと思いませんか?」

「いや、僕たちなんか、むしろいい環境で仕事させてもらって、なあ?」

「そうそう。シュウトくんのおかげですごくはかどるっていうか。楽しい職場です」


 大学生ぐらいだろうか? シュウトは年上のスタッフたちともうまくやっているようだ。


「それじゃあさっそく、オオトリ代表からダイリーグに対して何かあれば!」

「わかった」

「どうぞ、なんでも」


 体をこちらに向けるシュウトに、俺は早速質問をぶつけた。


「いくつか公開されている開発版のプレイ動画を見させてもらっているんだが、試合で打席が終わった時に失敗の理由をキャラが言う要素。あれはおそらく足りていない能力値とかで、プレイヤーに対する育成方針のヒントだけなんだろうか?」

「……えっと……というと?」

「例えばサッカーのゲームで『カルチョビット』というタイトルがあって、あれは試合で課題を発見してトレーニングをするという形だ――とミタ……うちの社員から聞いた。あれみたいに失敗の理由に応じて練習メニューが増えるとか、あるいは出現した理由に対しては育成にボーナスがかかるとかあるんだろうか?」


 狙いより飛距離が足りないと『パワー不足だった』とか、ありふれたことを言うんだよな。初心者には指針になっていいと思うんだが、ゲームに慣れてくるとうざったそうだ。それでもあえて出す、ということは効果があるんじゃないかと睨んでいる。


「あとは指針を途中で切り替えられないだろうか? 野球マンガではこう、打席に立って一球見送ってから『予想より球が速いからバットを短く持とう』なんてシーンがあるんだが。いやしかし、あまり頻繁に切り替えられるようになると、それはそれでテンポが悪いか……せっかく精神系のステータスがあるし、ダメそうなときはオートで切り替えとか……」


 その場合はオプションでオート切り替えを許すかどうか、というのは設定できたほうがいいな。


「どうだろう? ……ああいや、もちろん、社外秘なら答えなくてもいいが」


 なんか黙っちゃったし、聞いちゃまずい部分だったかな。


「……いえ、ずいぶん熱心に動画を見てもらったようで、少し驚いただけですよ」


 動き出したシュウトはにこりと笑う。


「そうですね。ダイリーグは複雑なステータスのゲームでしょう? 失敗には複数の要素が絡み合います。だからどう育成したらいいかわかりづらいところがある。なので育成ガイド的な役割として入れたところが大きいですが、それ以外の役割ももちろんあります。……関係性の構築にも役立つと思いませんか?」

「なるほど。確かに力負けしていたピッチャーに勝てるようになったら、成長を実感するな……」


 アクション要素がないから、理由は選手だけに絞られるしな。プレイヤーが下手なのかどうか悩まなくて済む。


「その能力値なんだが、やはり『心』部分から上げていったほうがいいだろうか? メンタル猛者を目指して失敗を恐れないようにしたほうが……それとも体力をつけて練習回数を増やしたほうが……」

「すいません、オオトリ代表。攻略情報はちょっと置いておいてですね」


 俺が次の質問を始めると、男性記者が割って入ってきた。


「他にないですかね。こう……そう! ダイリーグ、オマエどうなんだよ!? みたいな!」


 うーん。攻略情報はゲームメディアの飯の種ということか。確かに俺が聞き出したらまずいかな……。

 しかし、どうなんだよと言われても。あ、いや、ひとつあるな。


「それならひとつ気になっていることがあるんだが……」

「なんでしょうか?」

「仮想通貨関連の話なんだが。初報では、ゲームを起動中にマイニングをすると言っていただろう?」


 ゲーム中で使用する仮想通貨Dailiumを発掘するのだと言っていた。


「けれど昨日だったか、AppleがiPhoneアプリでのマイニングを禁止したとの報道があった。Androidの方はまだ禁止されていないが、いずれそうなるだろうという噂も聞いている」

「……ええ。そうですね」

「それからブラウザ経由で利用者の承諾なしにマイニングをさせていたとして、個人のブロガーが警察に捕まったという話題もあった。おそらくダイリーグでは、事前に承諾を得るようにしてあるとは思うが……そういう情勢の中、どうなるんだろうかと心配している」


 三人のスタッフたちが、緊張した顔でシュウトを見る。シュウトは――首の後ろをかいて苦笑した。


「参ったな。話す気はなかったんですけど」

「いや、無理には……」

「いえいえ、みんなも気になるだろうし。ただ……記者さん、オフレコでお願いできます?」

「もちろんですよ」


 男性記者が頷くと、シュウトはにこりと笑って話を続けた。


「実は、マイニングを実装するのは難しい、と思ってました」

「というと?」

「技術的には不可能ではないですが、スマホは通信環境を含めてマイニングマシンとは比較にならないスペックですからね……マイニング競争にはとても不利なわけです。うまいこと実現すれば、現在のスマホゲームの課金事情を一変できるとは思いますが……難しいだろうと」


 そういえば計算競争だったか。スマホの計算能力と、無線接続という点では確かに不利だろうな。


「なので、マイニング機能は実装できない場合も想定はしていたんです。そして残念なことに、プラットフォーム的にも世間的にも難しい状況になってしまった。近日中に正式に、マイニング機能の削除を発表するしかないですね」

「それで問題ないだろうか?」

「ええ。そもそもマイニングが発熱問題なんかで足をひっぱるんじゃないか、と外から指摘を受けていましたからね。削除したほうがプラスに受け取られますよ。仮想通貨による決済機能までなくなるわけじゃありませんしね」


 確かにマイニングは無理があるとミタカとニャニアンも言っていたっけ。プラットフォーム側の事情で、という理由なら納得する人も多いか。


「仮想通貨は値動きが激しいと聞く。ゲーム内通貨に使うということだが、もし高騰してしまったらゲーム内アイテムが買えなくなってしまうんじゃないかと心配しているんだが……」


 果たして俺の財布でなんとかなるんだろうか。


「それは仕方がないと思いますね。とはいえ、ゲーム内アイテムの価格からある程度の指標が見えて、相場が決まってくるとは思いますよ。もちろんDailiumの価値が予想以上に高まれば、価格を仕切りなおしすることは考えています。それに、仮想通貨を導入するのはギャンブルのためだけじゃないですからね」

「というと?」

「そこは続報をお待ちください」

「わかった」


 いたずらめいた笑いを浮かべるシュウトに、俺は頷いた。と――


「失礼」


 スマホで時間を確認する。いかん、移動時間を考えるとギリギリだ。


「この後用事が? 引き止めてしまったようですいません!」

「いや、一度話したいと思っていたんだ。いい機会だった」


 島根のイベントで。シュウトはケモプロに対する独自の修正案を持ってきた。ケモプロを楽しみ、その上でシュウトがよりよいと思うものを。

 ただ、それを受け入れることはできなかった。シュウトの提案にはケモプロのコンセプトと一致しない部分がある。だから、駄目だと言った。ケモプロを方針転換することはできないから――


「あの時、別のゲームを作ってみたらと言おうとしたんだ」


 言おうとして止められた。


 よくよく考えれば、ゲームを作るのは大変なことだ。俺には従姉たちがいたから実現できたわけで、一人でできるとはとても思えない。従姉と会う前の俺に、理想のゲームが欲しければ自分で作ってみろ、なんて言ったら……怒るか失望するか、とにかくいい気分にはならないだろうし、諦めたと思う。

 なので、俺が止められたのは当然だし、シュウトには悪いことをしたなと思っていたのだ。


 しかし、シュウトは作り始めた。


「なので……だから、その」


 なんと言ったらいいか。


 俺と同じようなことに挑戦している人間が、ここにもいる。


「……応援している」

「ありがとうございます」


 シュウトは、目を細めて笑う。


「ダイリーグが人気になるところを見せてあげますよ」

「楽しみだ」


 クラウドファンディング、Tシャツが貰えるプランまで課金しようかな。


「では、すまないが次の予定があるので失礼する」

「はい、ありがとうございました!」

「あ、ああ……はい、いや、お疲れさまでした」


 シュウトと記者に見送られて会議室を出て、エレベーターに乗る。俺はすぐに頭を切り替えて、次の打ち合わせ先に連絡をするのだった。



 ◇ ◇ ◇ 



「――ということがあって、少し遅れた。申し訳ない」

「……オオトリさん、それはその、記者に仕組まれたのでは?」

「仕組まれた?」


 郊外を中心に全国展開する衣料品チェーン、セクシーはらやま。その東京本社の会議室にやってきて後れた理由を説明すると、細身のメガネの男――ウガタは眉をひそめて言った。


「『ビジネスの発想の源』なんて、話したがりが食いつきそうな……うちの社長だったら半日は喋り続けそうなテーマで釣っておいて、今話題になっている対抗相手のダイリーグと顔合わせさせようという」

「会って話したいと思っていたからちょうどよかったんだが」

「まあ……相手の思惑としては、喧嘩してほしかったんだと思いますよ」


 そうなのか。

 確かに、ダイリーグが出てきたことでKeMPBは予定とは違う状況に陥っている。けれどビジネスというのは予定通りいかないものだというし、ダイリーグがすべての原因というわけでもない。競争こそすれ、喧嘩する意味なんてないと思うのだが。


「あちらもケモプロと同じ動画配信サービスをするんでしょう? 競合としてもう少し……意識されたほうがいいのでは? うっかり失言などすると大変ですよ。正直その一件、僕には記者とダイリーグがグルだとしか思えません」

「それはないと思うが……」


 シュウトは俺が来るのを知らなかったようだし、楽しそうに話をしてくれた。とても失言を引き出そうなんて待ち構えていたようには見えない。……いや、コミュ障な自分のただの願望か?


「いや、そうだな。すまない。気をつけよう」


 ウガタはKeMPBの社員ではない。取引先の社員だ。それでも指摘してくれるということは相当なんだろう。競争相手として、絡め手を使われているかもしれないと警戒すべきだな。


「わっはっは。まーまー、さすがケモプロの社長さん、器が違うっちゅーこったろ」


 腹回りの……少しスッキリしたか? それでも太目の男、営業部長のタカサカが笑う。


「いや、それにしても久しぶりですなあ。しばらく顔を見せなくて申し訳ない!」

「見せなくてよかったでしょう」


 ウガタが疲れた顔をする。


「優勝を逃して灰のようになって、それからしばらくは怒鳴り散らして、周りの人間はたまったもんじゃなかったですからね」

「しょうがないやろ……プレー違ってれば、優勝は我らがセクシーパラディオンのはずだったんや! それが、くぅ、返す返すも惜しまれる九回裏……ダメ押しの一点さえ取れていれば……! そもそも振り返れば――」

「……しまった」


 ウガタが呟くが遅かった。それからしばらくタカサカの優勝決定戦談義に付き合うことになる。


「――……と、いうわけやな。いやもう、準優勝セールの指揮とか、やる気出ませんでしたわ」

「おかげで僕が各所に指示を出すハメになりましたよね」

「わはは、すまんかったなオガタ! まあ、それで思ったよ、なあ社長さん」


 タカサカは椅子に深く座って、顎を引いてこちらを見てくる。


「なんやライバルっぽいゲームが出てきたっちゅー話だけど、ゲームはよくわからんし、うちはケモプロさんとこの球団のオーナーや。ケモプロを応援しとる。会社の皆でしがらみなく応援できて、本当に感謝しているんだよ。誰がなんと言おうと、ケモプロは野球、セクシーパラディオンは立派な野球チームや! 来年……いや、その先でも、いつかリーグ優勝、いやさ日本一になるのをこの目にするまで、諦めんよ!」

「そう言ってもらえると心強い」


 タカサカから差し出された手と、握手を交わす。


「それで今後のスケジュールなんだが……」


 アメリカ行きの件も伝えて、しばらく顔を出せないことを断っておく。


「アメリカにナックルをねえ! 景気のいい話じゃないか!」

「ナックルってそんなにすごいんですか?」

「オガタお前な、魔球やぞ魔球。もし安定して投げられる選手がいたら絶対獲らなアカンぞ! なんやお前、野球のこと勉強したんじゃなかったんか?」

「ルールは分かりましたよ。何がすごい、とかそういうのはイマイチ」

「かーっ! 野球部員として情けないッ! お前な、ちゃんと甲子園チェックしとるんか、甲子園!」

「部長、獣子園ですよ。それにまだ地方予選じゃないですか」

「ああ、わかっとらんなあ! 全試合トーナメントなんだから強い選手が第一試合でコケることだってある。だからこそしっかり全部チェックしておかないといかんのよ!」


 タカサカはゲンナリした顔のウガタにまくしたてる。


「いいか! クマニキは獲らないといかんぞ!」

「……ああ、プニキとか言って話題になった? 彼、二年ですよね? 今年のドラフトじゃないですよ。それにゴリラがいるのにパワーヒッターを獲ってどうするんですか」

「なんや見とるやないか! いいか、ゴリラだって怪我はする、実際それで後半失速したからな。有能な選手は何人いたって構わん! あとはジャガー兄弟もやけど、群馬のタヌキと、兵庫のシマウマやな!」

「まぁ……言われた選手に関してはチェックしておきますよ」

「そうしとけ。予選から全部放送して録画まであるんやから、スカウトには楽な環境だぞ!」

「僕の仕事はスカウトじゃあ……」


 タカサカに肩をばしばし叩かれて、ウガタはため息を吐く。


「来年も要チェックだぞ! ナックルが出るとしたらデータが入る来年からなんだろうからな! 社長さん、必ずナックルをケモプロに持ち帰ってくださいよ! アメリカ土産として期待しておりますからな!」

「わかった。……ああ、そうだ、土産といえば」


 鞄を手にして、その中にしまっていたものを思い出した。取り出して、タカサカに向かって差し出す。


「ん? これは? ……チケット?」

「ホットフットインの伊豆本館あしのゆのペア宿泊券なんだが、よかったら受け取ってくれないか」

「ほう、優勝した伊豆さんはずいぶん気前がいいですな?」

「いや、貰い物じゃないんだ。自分で買ったものなんだが……渡した相手にいらないと言われてな」


 タカサカとウガタは顔を見合わせる。何か視線と身振りだけでやりとりがあって、折れたらしいタカサカが口を開いた。


「それはその……残念でしたなあ。まあ、若いんだしチャンスはいくらでもあると」

「二度とこういうマネはするなと言われた」

「……あぁ~! えっと! ありがたくいただきますわ! いや、一度はね、行ってみたいと思ってたんですわ! 伊豆さんの温泉! これ、有効期限はいつまでです?」

「一年だそうだ」

「なるほど、それなら……そうですな」


 タカサカは、フッと表情を柔らかくして笑う。


「……ま、来年優勝したら家内と一緒に行きますわ。あまりこういうところに連れて行ってやれてないんで」

「優勝の願掛けですか? ほぼ一年後とか、奥さんがかわいそうだと思いますけど」

「内緒にしてればバレんやろ」

「僕、そういうので何回か文句言われてるんですけど聞きます?」

「あーあー! 聞こえん! あー! モクがたらんくなったわー!」

「あ、ちょっと!」


 タカサカは耳をふさいで会議室から出て行く。ウガタは呼び止めようとして、諦め、ため息を吐いて腰を下ろした。


「……まあ、負けても告げ口して連れて行かせるんで、無駄にはしませんよ」

「その時はよろしく頼む」


 打ち合わせを終えて会議室から出たとき、鞄はなんだか少し軽い気がした。

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