いくらでもいる子供たち
報告会から一夜明けて。
「おはよう、お兄さん。お邪魔するね。ツグお姉さんもひさしぶり」
「う、うん……ひ、ひさしぶり」
アパートで待っていると、告げられた時間通りにライムはやってきた。
「やー、雨に降られちゃった。今日から梅雨入りなんじゃないかって。知ってた?」
「そうらしいな」
ライムがちゃぶ台を前に座り、俺はそれに麦茶を出してやってから向かって座る。
「それで」
俺が問いかけると、ライムはぴくりと肩を動かす。
「昨日の、というか正確には今日だが……報告会の続きでいいのか?」
「……うん」
「喧嘩別れしたのは初めてだったな」
アメリカでナックルのデータを取る。ついては7月からスケジュールを空けてほしい。
そうライムが話を持ち出した時点から、雲行きが怪しくなった。ミタカとライムでお互いにスケジュールを譲らない。ミタカはエーコとの約束や今後の開発スケジュールを持ち出して説明するのだが、どういうわけか今回に限って、ライムは自分の理由を話すのではなく、Bassのスケジュール調整で押し切ろうとする。
議論は進まず、お互いに感情的になってまともな話し合いができなくなり――最後は、ニャニアンが強制的にバーチャル空間をシャットダウンし、俺が仕切りなおしを提言して終わったのだった。
……直後にライムから俺宛にメッセージがあり、こうして会うことになったのだが。
「すごく怒ってたね。……らいむ、実は嫌われてた?」
「ミタカは嫌いなら嫌いとハッキリ言うだろう。怒ったのは、ライムの報告不足と説明不足もあると思うが、それより――今回、『たまには驚かせ返してやろう』とライムに報告を回さなかったことを悔いてるんじゃないかな」
タイガが一緒にいてテンション上がった状態でノリノリに決めていたからな。
「ライムに初報を入れていれば、調整の機会はあった。それをせずにこじれたことで、自分を許せないんじゃないか?」
「そう……なのかな?」
「推測だけどな。……考えてみれば、ライムのサプライズで問題が起きなかったのも、ライムが他の全てを把握して仕掛けていたからだろう? その前提が今回は崩れてしまった」
「ん……」
ライムはコップを両手でぎゅっと握る。
「つまり、らいむの甘えだよね。お荷物だったってこと」
「ライムがそういうスタイルだというのは、前々から分かっていたことだ。それを承知で皆やっているし、ライムがいなければここまで来れなかったはずだ。もし責任云々を考えているなら、それは俺の仕事だぞ」
ライムに隠し事がないか聞くことだってできたし、ミタカがサプライズを企むのを止めることだってできたはずだ。だがしなかったのだから、俺の責任だろう。
「……お兄さんは、代表が板についてきたね」
「そうか? いまだに何をしたらいいのか分からないところがあるんだが……」
「まあ、今回はらいむが悪いってことにしようよ。せっかく話しにきたんだしさ」
ライムはそう言いながらも、視線を上にしない。じっとコップの水面を見つめている。
「昨日はライム側のスケジュールをずらせない理由を話さなかったな。その話だろうか?」
「……うん、まあね。理由は、くだらないことかもしれないけど」
ライムはバッグをあさると、何かの冊子を二冊、机の上に差し出した。菊の紋の絵のと、ワシの絵のと。
「PASS……パスポートか」
「うん」
「初めて見た。パスポートって二冊組みなんだな」
「いやいやお兄さん、違うから。二冊組みじゃないから。パスポートは一冊だからね?」
「そうなのか。入国とか出国とかあるから、それぞれに使うのかと」
「あはは、なるほどねー。もー、調子狂うなあ」
ライムは苦笑して話を続ける。
「こっちが日本のパスポート。こっちがアメリカのパスポートね」
「行く国ごとに発行しないといけないのか」
「違う違う。パスポートって国籍をその国が証明するものだよ。だから、普通は一人一冊」
「なるほど。……じゃあなんで二冊あるんだ?」
「らいむは日本人かつアメリカ人だからね!」
そういえばそうだった。両親は日本人でも、アメリカで生まれると二つの国籍を持つことになる……とかいう話だったな。
「わりと便利なんだよ。出入国するときにその国のほうのパスポート使えば、ビザは不要だし」
「ビザ?」
「えーと……入国許可証、って感じかな。短期だったらなしで入れる国もあるけど、通過だけでもビザが必要な国もあったりね。日米間も90日以上の滞在ならビザがいるし」
国を移動するのって意外と大変なんだな。
「それで、このパスポートがどうかしたのか?」
「有効期限がね」
ライムはパスポートのページを開く。今よりはるかに小さいライムの写真が貼ってあった。
「ここに書いてあるんだけど、ちょうど今年の8月末までなんだよね。だから、このタイミングで行くしかなくて。あっちでの商談は、らいむがいないと進まないしさ……」
「ん? パスポートって更新できないのか?」
「ほら、らいむは15歳だから?」
「……更新に年齢制限が? 子供用だからダメだとか?」
「じゃなくてさ」
ライムはちびりと麦茶を口に含み、ゆっくりと嚥下し、小さくため息を吐いた。
「未成年がパスポートを取得、更新するときは、法定代理人のサインがいるんだよ」
「法定代理人、というと」
「ま、親だよね」
ライムが見せた表情は、これまでのどんな時より力なく見えた。
「らいむさ、親と仲悪いんだ。実は日本にも家出して来てたり。だからサインなんて絶対もらえない……このパスポートの期限が切れたら、向こうに商談に行けないんだよ」
「なるほど」
だから6月中に出発しよう、と主張していたわけだな。
「しかしミタカがBassで手が離せないのも確かだ。ライムの提案したとおり、俺、ミタカ、シオミ、ライムの四人でアメリカに行く、というのは難しい。かといってミタカを連れて行かないのも……商談だけならできるが、モーションキャプチャーをしてナックルをゲーム内で投げさせるとなると、その場でいろいろできるミタカがいないとダメだ」
作業だけでなく技術の説明も必要だから、俺がセッティングを覚えるだけでもダメだしな。
かといって、では日本でBassを他のメンバーに……というのも難しい。技術を駆使してプレゼンテーションもできるミタカの能力が、こんなに貴重だったとは……と改めて認識させられた。
「それならアメリカにライム抜きで行く、というのはもっとダメなんだろう? 向こうはライムを窓口にしているわけで、本人不在なんて受け入れられない。それにミタカの代わりに日本でBassの対応をしてもらうのも……俺でさえたまに若造とか言われるしな……NPBの担当者がどうかは分からないが……」
ライムと連れ立って営業に行ったことも何度かある。そうするとたまに、ライムの年齢なんかを持ち出して苦情を言ってくる相手もいるのだ。
「しかしエーコと決めたスケジュールも約束したものだし……」
「ちょ、ちょっとお兄さん」
「ん?」
「なるほど、って、それだけ?」
「何の話だ?」
「え、その、仲が悪いっていう……」
「ああ」
親の話か。
「そういうこともあるだろう」
「……パスポートにサインしてもらえないぐらい仲が悪いとか、あれだよ? 一時のことじゃなくてさ。きっとお兄さんの想像以上に仲が悪いっていうか……」
「そうは言っても、他人事じゃないしな」
未成年がパスポートを
「……俺もサインをもらえるかどうか、自信がないな。……サインって一人分でいいのか?」
「そうだけど……」
ならなんとかなる、か。必要な書類手続に関してはしてもらえる約束をとりつけている。
「……お兄さんも、親と仲が悪いの?」
「そう、だな」
「そうなんだ……高校生で起業するから、バックアップとかしてもらってるんだと思ってたよ」
「そういうのはないな。何かそういう話をしたっけ?」
「ううん。普通は、そうなんだろうってだけ」
「そう珍しくもないだろう」
俺はちらりと、横で黙っている従姉を見る。じっと、口を結んでライムを見ていた。
「親と仲が悪いのなんて、いくらでもいると思うぞ。二度と関わりたくないとか、そういう感じの」
「そっか……そうかもね」
ライムはホッ、と息を吐いて、ぎゅっと握っていたコップから少しずつ指をほどいた。
「あー、緊張して損した!」
「そんなにか」
「こーいうこと言うと、フツーの人は仲直りしろとか、話せば分かるはずだ、とか言い出すからね。お兄さんがフツーじゃなくてよかったよ」
異常者と言われているんだろうか。
「ところでそういうことだと、賃貸の契約も難しくなかったか? オートロックのマンションだとか言っていたが……」
「ムフ。実は親戚のおじさんとは仲がいいんだ! だからおじさんの名義で借りてもらってるの。らいむはおじさんの別荘に勝手に上がりこむ姪っ子ってことだね!」
ライムはいつものように――雲のように笑う。
「パスポートもさ、おじさんにサインしてもらうこと考えたんだけど……さすがにそのレベルの偽造は捕まっちゃうからね! ホテルの宿泊同意書ぐらいならバレてもどってことないけど」
「そういうものなのか」
それがあるから、融通を利かせてくれるホットフットインと契約するまでは、宿泊が必要な出張は必ずシオミと同行していたんだが……。
「ま、その辺の話はもういいよ。事情が分かってもらえたなら、次は当面の問題をなんとかしなきゃ」
「ナックルだな。……正確には、メジャーリーグのチームに対する、ケモプロの技術を応用した、投球シミュレーターの提供、か」
アメリカでナックルのデータを取る。のは、主目的ではない。
ライムが取ってきた本来の仕事は、投球シミュレーターの開発・提供なのだ。
ケモプロの選手たちの投球モーションは、プロ野球選手、タイガのものをキャプチャーして作成されている。特殊なボールを使って取得したモーションは、ケモプロ内の物理シミュレーションで変化球を再現することに成功した。
タイガのモーションが使えるなら、他の人間のモーションが使えない道理がない。シミュレーター上でパラメータを変化させて結果を見ることで、フォームをどう修正したら、筋肉をどう鍛えたらよりよい投球ができるか検証することができる。
そういう売り込みでライムは営業して、メジャーリーグの中の1チームを捉まえた。そして契約にいたる条件として提示されたのが、ナックルの再現。
「せっかくライムが取ってきた仕事だ。ぜひやりたいが……ツグ姉、ナックルの再現はできるんだろうか?」
「う、うん。まだ、投げてる子はいないんだけど……ボールを理想の回転状態で飛ばすとナックルみたいになるのは、確認してる、よ」
シミュレーター上では問題ないらしい。
「ということは投げ方の問題なんだな」
ケモプロ内でナックルは投げられる。しかし投げられるケモノ選手はいない。
「手本を手に入れれば、投げられるだろうか」
「うん……多分」
ナックル投手の資料は少なく、動画の画像解析からは詳細なモーションデータが取れない。だが、タイガのモーションを取った時のようにきちんと取得すれば、不可能ではない、と従姉は言っている。
三刀流、あらゆる変化球を投げると言われるタイガ。そのタイガが唯一修得できていない球種。世界でも数えるほどしかプロの使い手がいない魔球、ナックル。それをケモプロに。
「……俺は、ケモプロでナックルを投げているところが見てみたい。きっと大きなウリになるはずだ」
「うん、わ、わたしも」
「だがエーコとの約束……NPBとの仕事も、放り出すわけにはいかない」
俺はライムと顔を合わせる。
「どちらもこなせる、そんな方法がないか考えるしかないな。問題を整理しよう。Bassについてはプレゼンする人間が必要、という部分だろうか」
「そうだね! 開発はやろうと思えばどこからでもできるし。回線遅いと辛いけど」
「プレゼンができるのは、これまでも担当してきた俺、ミタカ、それからシオミ」
「メジャーの案件では、代表としてお兄さん、契約にシオミお姉さんとらいむが絶対必要。で、現地でモーションを取り込んでシミュレーターに反映できる人が必要だよ。あっちの技術者と直接やりとりもするから、英語もできないとね」
「最適なのはミタカだが……俺とシオミもアメリカに行くなら、Bassはミタカに任せるしかないだろう」
そうなると残りのメンバーは……。
「ニャニアンにアメリカに同行してもらうか? 三ヶ国語できるって言っていたぞ」
「サーバー担当が長期出張って怖くない?」
「……怖いな」
故障したハードディスクの交換ぐらいなら以前説明も受けているし、電話越しに指示を受ければなんとかなるが、そこまでだ。ニャニアンにしかできないこともまた多い。
「この間の山形旅行は何事もなくてよかったが……」
「やっぱり、人を増やさないとダメだと思うな。今のままじゃ戦えない場面も出てくるし。今回みたいに」
「そうだな」
ずーみーは、アシスタントのまさちーが入ることでできることが増えた。それと同じように、それぞれ手伝える人間なり、交代できる人間なりを用意していくべきだろう。
「とはいえ、急に増やすのは難しい。今回は乗り切るしかない」
「ん~、フリーランスの営業を雇って、Bassのプレゼンやってもらうとか? 日本にいる間に教え込めばなんとかなるんじゃないかな?」
「やはりBass側をなんとかする方が現実的か」
「ケモプロの技術を分かって英語できる人、なんて促成栽培できないよ。Bassなら技術内容も限定的だし――」
「あッ……あの」
従姉が小さく手を上げる。
「どうした、ツグ姉」
「えっと、ね」
その手を、ぎゅっと握り締めて――
「わっ……わたし、英語、できるよ」
従姉はそう告げるのだった。
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