最多得票対象外

「こちらです」


 黒いベストを着た男の案内にしたがって、淡い光が照らす廊下を歩く。ふかふかの絨毯を進んだその先は、落ち着いた調度品に囲まれた個室だった。先客が三人、机を囲んで座っている。そのうちの一人が――


「やっほー! ユウ! ひっさしぶり!」


 無遠慮に立ち上がって手を振った。


「顔を合わせるのはな。元気そうで何よりだ」

「それがとりえだからね? ほら後ろ詰まってるし、さっさと入って座りなよ!」


 ポンポンと小さな幼馴染――ニシンはその右隣の椅子を叩く。


「おっ、それとも椅子引いてあげる?」

「そういうのは店の人の仕事なんじゃないか?」


 と思ったんだが、案内してくれたウェイターはすでに引っ込んでしまっていた。


「期待していたならごめんなさいね。タイガがそういうのダメだから、なるべく放っておいてもらうようにしているのよ」


 ニシンの前に座る、角ばったメガネをかけた女――エーコが言うと、その隣に座る背が高く髪を何段かに結んだ女――タイガが、コクコクと頷いた。


「ぶれッ……こ……って……とで……」

「そうか。その方が気楽でいいな。じゃあ座ろうか」


 ニシンの右隣、タイガの目の前に座る。タイガは口をvの字にして姿勢を正した。


「ひさッ……ぃ……ユゥ」

「しばらくぶりだ。……どうした、ミタカ。座らないと始まらないぞ」

「す、すす、座れったってよ」


 入り口で固まっているミタカは上ずった声を出し、視線をきょろきょろさせる。いつも通りのジーンズ姿だが、上着は男物ではなくなんかこう……ヒラヒラしている。いつものザックだけでなく、高そうなバッグを持っているところも初めて見たかもしれない。


「ど、どこにだよ」


 全八席で空いているのは四箇所。向かい側、エーコの左とタイガの右が二つ。こちら側、ニシンの左と俺の右。


「では私はユウ様の隣で」

「あっ」


 ミタカの後ろをすり抜けて、シオミが俺の隣に座る。残る席は三つ。


「じゃ、じゃあ……」

「あ、ミタカさん。お久しぶりです」

「おッ、おかえりー、カナ! よいしょっと、はい交代!」


 個室の入り口に立ち尽くすミタカの後ろから、背の高い方の幼馴染――カナが現れる。するとニシンはポンッと跳ねるように左へ席をひとつ移動して俺の左隣を空けた。


「いいの?」

「今日の主役はカナだしさ」

「でもさっきの席決めで……」

「……そういうことでしたら私が奥の席に行きましょう」

「あっ、いーですか? じゃあ遠慮なく! ほら、カナ、挟み撃ちだ!」


 こちら側の席は奥からシオミ、ニシン、俺、カナとなった。

 そういうわけで残ったのは、向かい側の二席。エーコの隣か、タイガの隣か。ミタカは激しく目を動かして見比べて――


「こ、ここなッ!」


 奥――ギクシャクと移動して、エーコの隣の席にすばやく座った。


「いいのか? サインをもらうんじゃ――」

「うるせェ! いいんだよ、ここで! モニタちけェし!」

「そうか」


 などとやっていると、ウェイターがやってきて飲み物の配膳を始める。


「私は車を運転するから飲まないけど、お二人は気にせずどうぞ」

「いえ、私も今日は遠慮いたします」

「けッ、なんだよ秘書さん。イケるクチなんだろ? たッ、タイガ選手だっているんだし、負けてらんねェぞ?」


 チラチラとミタカがタイガを見ると、タイガは首をかしげた。


「……っしは……飲まなッ……けど?」

「はッ? ……飲み屋に行くと浴びるように飲んで、店主が泣いて謝るまでやめないって話は……?」

「あぁ……あったわねそういうの。転んだ店員に頭からピッチャーでぶちまけられて、その謝罪をしているところを記事にされて」


 物理的に浴びてるのか。


「飲めないわけじゃないし、禁止もしてないけど……飲まないのよね?」

「ん……。シーズンちゅッ……だし、あ……まり、っきじゃ……いし。れにッ……」


 タイガはこちらを見てくる。なるほど。未成年も多い席だし、示しをつけるということか。


「ならオレも飲まねェ」


 一方、ミタカはドカりと座りなおして腕を組んで言った。


「いいのか?」

「うっせェ、そういう気分なんだよ! だいたい一人で飲んでなんていられっかよ」


 別に好きなものを飲めばいいと思うけどな。


「はいはい、じゃあ全員ソフトドリンクで! じゃあ乾杯しよっか!」


 ニシンがグラスを掲げて、それに皆が続く。


「カナのオールスター最多得票・投票に! 来年こそがんばろう! 乾杯!」


 ◇ ◇ ◇


 6月2日。

 俺はカナとタイガのマネージャー、エーコの呼びかけに応じて都心のレストランにやってきていた。


「久しぶり、ユウくん。えへへ、すごいお店だよね?」

「この店はカナが?」

「ううん、エーコさんの紹介で……支払いはタイガさんなの。あはは……」

「気にすることはないわよ」


 エーコはメガネの奥で目を閉じて肩をすくめる。


「あなたたちは記者の注目の的だからね。君と一緒に食事した、なんて格好のネタになるだろうし……そうなると口の堅い店に行くしかないじゃない? おのずと店の格が上がってくるわけ。値段は気にしないで。そもそものきっかけは、タイガがぐずりだしたことだし……こういう機会でもないと、この子が貯めたお金を使うこともないから」

「ん……」

「いぇーい、ゴチになりまーす!」

「ありがとうございます」


 ニシンが歓声をあげ、カナが頭を下げる。


「ほらほら、カナちゃん顔あげて! 今日はカナちゃんの残念会なんだしさ!」

「オールスター最多得票、投票対象外だったか。どういうことだ?」

「オールスターのファン投票は、5月22日から始まるんだけど」


 カナはメガネを光らせて説明する。


「投票の対象となるのは、5月31日までに支配下登録をされた選手なの。私は登録されなかったから、対象外なんだけど……それが確定するまでの間に10日あるでしょ?」

「なるほど。その10日間ならカナに投票しても、ムダになるかどうか分からないわけか」

「それでもって、ファン投票の中間発表は29日から毎日更新! するとぉー? なんとカナがDH部門の一位にいるのでしたッ! それも得票数では全部門またいで一位で!」

「それはすごい」

「ま、昨日からは『対象外の選手への投票は公開しません』って書かれて消えちゃったけどさ」

「そんな但し書きがつくこと自体、異例なことよ」

「投票してくれた人たちに申し訳なくて……」


 後で調べたところ、圧倒的な得票数を得ているにも関わらず支配下登録しなかった監督に批判がいっているらしい。チームのことだから監督一人の責任ではないと思うのだが……大変だな。


「活躍しているのに、残念だったな」


 二軍の指名打者として、カナは好成績をキープしている。さすがに十割とはいかないが、ホームランも何本か打っていた。


「ありがとう。でも、二軍だからね……」

「カナのおかげで例年以上の観客数と聞いているぞ。それに、タツイワ選手との試合にも勝ったじゃないか」


 怪物タツイワ。去年のドラフト6球団競合一位。開幕から一軍に参加していたが、調子を崩して二軍にいた時期があった。その時、カナとの対決があったわけだ。二軍の試合としては大きく注目される一戦となった。


「観客数はだんだん落ち着いてきてるよ。それに確かにあの試合には勝ったけど、それはチームの勝利だし、ヒットの数が多くてもたったの一試合のことでしょう? その後タツイワくんは一軍に戻っていったから……そういうことだよ」

「俺はカナを評価している。投票してくれた人たちと同じく」

「うん。知ってる。……ありがとう」


 カナは力を抜いて笑う。


「お、タツイワ選手と言えばさ! ユウ知ってる? カナちゃんにこっそりサインもらってたんだよ!」

「そうなのか」

「へェ。意外だな。アイツ、めっちゃいかつい顔してんのによ」

「あはは……でも、交渉の仕方はイメージ通りかもしれませんよ。関係者用の通路で突然立ちふさがって、無言でバットケースからサイン入りのバットを出して渡してきて。こっちは何も準備してないんですけど、ボールとサインペン渡してくれて、交換しろ、って」

「いッ……な。わた……、しぃ」

「カナ、サインできるのか?」

「エーコさんにキャンプインまでに練習させられたよ」

「ファンの前通ると『サインくださーい』で大変だもんね! あたしが終了ーッ! ってやらないと解散してくれないしさー」

「ニシンちゃんもこの間サインお願いされてたよね?」

「うッ、いや、その、まあね! あたしぐらいになればねッ! サインなんて簡単簡単!」


 これは絶対普通の文字で名前を書いたな。間違いない。


「タツイワ選手は、オールスターは出れそうなのか?」

「んー……どうだろ? いちおう全選手に投票することはできるんだけどさ、ファン投票用紙ってのがあって、マークシートなんだけど、それで選べる選手ってすでに決まってるんだよね。タツイワ選手は載ってなかったから、マークシートじゃなくて名前も背番号も全部書かないと投票できない、って手間があって、それで票数は少ないみたいで、中間発表に出てないんだよね」

「同じくマークシートにノミネートされていないカナさんが最多得票をしたのは、本当にすごいことよ」


 これも後で調べたことだが、ネット経由なら一日一回投票ができるらしく、一部の熱狂的なファンの工作ではないかと噂されていたらしい。主催側で不自然な投票は無効にしている、と但し書きがついているので、それを信じれば不正はないはずだ。


「こんな席であれだけど、それよりタイガさんだよ! 先発で一位いけそうだし!」

「たッ……しみ」

「カナさんと戦わせよう、って所で票が入ったんじゃないかしらね。最近成績がいいから、それで選ばれたんだと思いたいけど」

「投手でッ……ば、あの……ンマ選手も」

「テンマ選手もか」

「あー、テンマ選手も上位に入ってるね!」


 カナと同じ球団で活躍する、ニューヒーローことテンマ選手。順調に一軍で活躍していると聞く。


「やはり人気なのか」

「そりゃあ顔面を除いても、東北の公立校で甲子園初出場優勝、しかも全試合完投だもの。プロ入りしても調子を落とすどころか上げてきてるし。タツイワ選手よりよっぽど怪物だよ。なんで一、二年の時に表に出てこなかったのか不思議なぐらい」

「チームでッ……よく、話題……ってる」

「テレビのスポーツコーナーとか、ネットのニュース記事なんかで見ない日はないと思うわよ?」


 テレビないし、カナの記事ぐらいしか追いかけてないからな。まあそれでもたまに出てくるんだが。


「ま、ファン投票だけじゃなくて選手間投票や監督選抜もあるしさ。テンマ対タツイワ、がオールスターで実現する可能性はあるよ!」

「そこにカナがいないのが残念だ」

「対象外だからしょうがないよ」


 カナは苦笑して、でも、と言葉を続ける。


「フレッシュ・オールスターには出たい、かな」

「フレッシュ?」

「大まかには入団から5年以内の新人選手が対象の、二軍のオールスターゲームだよ。ファン投票はなくて、メンバーは監督が選ぶの。毎年、オールスターの前日にやってるよ」

「監督が選ぶなら、実力順ということだろう。条件も合うなら、カナも出られるな」

「そうなるようにがんばるね」


 カナが頷く。ちょうどタイミングよく料理も運ばれてきた。それを見て、ふと時刻に思い当たる。


「ミタカ、そろそろじゃないか?」

「っと。んだな。準備するわ」


 店側に用意してもらっていたモニタに、ミタカが機材を接続し始める。


「いやー、年末の楽しみがもう見れるなんてね!」


 ニシンが早くもナイフとフォークを構えながら、足を揺らす。


「楽しみだなあ! 『ケモノプロ野球珍プレー・好プレー大賞』!」

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