吊るされた女

「こッ……殺す! クソオオトリ!」

「安全は確保されているという話だし」


 俺は上空を見上げて言う。


「クモイさんも、なんだってやると言っていたはずだが」

「そういうことじゃない、クソ野郎!」

「やるからにはやると、頼もしいことも」

「いつの話だクソがッ!」


 クモイは普段よりも大きな声で――全身固定器具でがんじがらめにされて天井から逆さ吊りで揺れながら言った。


「オオトリのクソ野郎!」


 ◇ ◇ ◇


 5月の月末。


 俺はクモイを連れて都内にある貸しスタジオにやってきていた。

 メンバーはその他に、NoimoGamesのプランナー、マウラ。


「いやあ、いいですね! キャラとぴったりな声じゃないですか? めっちゃアイディア沸いてきますよ」

「なんで撮るの!?」

「資料です、資料!」


 ぶらぶら揺れるクモイを、スマホで撮影している。


「チエちゃん、撮るのはいいけど流出に気をつけてね。顔出しNGの声優さんなんだから」


 その脇には平たい帽子……ハなんとか帽をかぶる少し太めの男が一人。


 クモイを吊るそうと言った張本人。株式会社マルイミカンのハギナカ監督だ。ミカンという名前だが果物屋ではなく映像制作会社で、『最上川これくしょん』のPVやらを手がけているとのこと。


「んでどう? 画出てる?」

「うまくいってます」

「ほー、動いてるじゃん。へー」


 ハギナカ監督は機材を操作するスタッフのもとに行き、ディスプレイを覗き込む。大きな背中を迂回して見てみると、ディスプレイの中で3Dのアライグマが、逆さになって顔をゆがめていた。


「なるほどね。これで安価なら流行るの分かるなー」

「でしょう? こういう時代なんですよ監督。時代はバーチャルですよ」

「まー今回は使わないけど、ウン」


 頷いてハギナカ監督はスタッフから離れる。


「使わないんですか」

「ウン。手軽に3Dアニメーションができるのはいいけど、今回はさ、テンポ重視だから。ウン。静止画にした時の見栄えを考えると、むしろヌルヌル動くのは邪魔だしね。フラッシュアニメみたいな感じでやるよ」

「な、ならなぜ吊るしたッ!?」


 俺とハギナカ監督が話し合っていると、上空からクモイが叫んだ。ハギナカはズボンを吊るしているサスペンダーをパチンとやりながら答える。


「逆さ吊りの猫がどんなのか感じが掴みたくって。あとスタッフが技術検証したいって言うからさ」

「映像を逆さにすればいいし私でやる必要なくない!?」


 ハギナカ監督は首をかしげて――ポンと手を打った。


「モモちゃん安心してよ。ギシギシ言ってるけど耐荷重にはまだ余裕があるから」

「こッ……クソがッ……! クソ監督!」

「ウン、いいね。キャラのイメージつかめてきたんじゃない? どう、チエちゃん」

「ですね。すでにウチの中で生きてきましたよ!」

「コンビ漫才みたいな企画だったよね。ウン、ちょっとデモ撮りたいな。誰か相方やってくれない?」

「なら監督、ゲスっちを推薦するですよ!」

「俺か?」

「まあまあ軽くでいいですから! はい、仮の台本!」


 特に断る理由もないか。マウラからA4用紙の束を受け取って、クモイの下に立つ。


「あ、位置的にもうちょい横で、そうです!」

「……ところでクモイさんは台本を持ってないわけだが、どうするんだ?」

「そういえばそうでしたね。まあ、台本は話のネタ程度で、あとはアドリブで!」

「ウン、掛け合いしてるとこが見たいだけだから、気負わずね」


 うーむ、いつものように話をすればいいのか? それこそコミュ障には難しいことだが。


「ということだが……クモイさん、顔が赤いが大丈夫か?」

「原因は明らかでしょ!?」

「いつもより語気が荒いが」

「吊るされて普段どおりにできる!?」


 あんまり長引かせるのも良くなさそうだな。


「ネコくん、野球に興味はある?」

「突然なんなの!?」

「そんなことない、野球は面白いスポーツなんだよ」

「ちょ、無視するな! せめて掛け合え!」

「職務放棄はどうかと思うぞ、クモイさん」

「吊るされるのは声優の仕事じゃないけど!?」

「多くの道具を使うスポーツというのがひとつの特徴だね。その分様々な技術が要求されるんだ」

「ホン読みをしたいって言ったわけじゃない! この……クソオオトリ」


 ◇ ◇ ◇


「こんな感じでよかったんだろうか?」


 息切れしたクモイを、スタッフたちが天井から下ろしていく。その作業を見ながら、俺はマウラに確認した。


「ですね。大収穫です。意外といじられ役もいけることが分かったんで、掛け合いのバリエーションが増やせそうですよ。最初の想定では逆さ猫の方が上位に立つ感じだったんですけどね、これを逆転させて、でも態度はデカくして。うんうん、イケそうですよ!」

「それならよかった」


 クモイも吊られた甲斐があったというものだろう。


 二人のキャラクターの掛け合いで進む、野球のルール解説動画。その制作はマルイミカンが請け負ってくれることになった。スタッフはまだ本決まりではないそうだが、マウラの感じたところでは今日に引き続きハギナカがやってくれるだろうとのこと。熱意のある人のようだし、いいものができそうだ。


「ああ、そうだ。ひとつ内容に追加してほしいことがあるんだが」

「お。ここでねじ込んでくる。さすがゲスっちですね。なんです?」

「クモイさんなんだが、野球に興味がないそうだ。野球がどうして楽しいのか、その存在自体が理解できないと」

「なんで抜擢したんです、そんな子」


 それを聞く前に選んだから、かな。


「だがクモイさんがこの仕事を通して野球に興味を持てれば、その動画を見る人たちもより興味を持てるんじゃないかと思うんだが」

「むッ……まあ、そうですね。ルール解説動画ではありますが、大本の目的はケモプロユーザーを増やすことですし」

「そういうわけで、ルール解説はもちろん必要なんだが、それ以前の段階。野球とはなにか。何が面白いのか……というところを盛り込んで欲しい」

「ふーむ。そうなると成り立ちとか、面白エピソードの紹介とか……ふむ、ふむ」


 マウラは――ニッと笑って頷いた。


「いいですね。いや、ちょっとルール解説だけじゃお堅いなって思ってたところなんですよ。かなーりボリューム増って感じですが、御代は頂戴できるんですよね?」

「もちろんだ」

「……本当に?」


 だがその笑顔を引っ込めて、マウラは真剣な顔をする。


「いや、ゲスっちのことを信じてないわけじゃないですけどね。でもほら、最近大変なんじゃないですか? ……『ダイリーグ』の影響で」

「そうだな」

「いやいやいや、そうだな、じゃないですよ。そこは嘘でも問題ないってドンと構えないと。ピンチの時にピンチだって言っちゃ、状況が悪くなるばかりですよ?」

「マウラさんは悪くするつもりはないと思ったんだが」

「……はいゲスー。ゲスっち、そういうとこですよ?」


 どういうところだ。


「まったく、ウチだからいいですけどね、モロさんとかにはやめてくださいよ、あれで乙女なんですからね」


 マウラは横を向いてため息を吐く。


「しかし、本当に大変なんですか。もう?」

「広告の売り上げが厳しくなりそうなんだ」


 ケモプロの球場には現実の球場と同じく看板やフェンスに広告スペースがあり、企業から料金を取って掲載している。


「初年度のシーズンは実績もないし、売上よりスペースを埋めて見栄えをよくする必要があった。だからキャンペーン価格ということで安くして、次のシーズンから値上げする予定だったんだが……」

「競合が出てきたから、強気に値上げできないんですね?」

「広告主に渋られている。それが少数なら掲載取りやめ、でいいんだが、無視できる数でもなくてな……個別に割引するという手もあるが、足並みがそろわなければ不公平感があるだろう。値上げ率は一律に、計画より低く設定するしかない」


 獣子園の地方予選会場の広告もかなりもめた。48会場もあるため代理店を使って募集したのだが、契約完了後──『ダイリーグ』発表後に取り下げだの値引き交渉だのが押し寄せてきて。さすがに契約後のことだしすべて断ったが、代理店からの印象は悪くなったようだった。


 正直なところ、広告費で劇的な売上を上げられるような状況ではない。


「ケモプロは良心価格だと思うんですけどね。むしろ安すぎて低く見られているとかじゃないですか?」


 そういうものなんだろうか。確かに現実の球場よりは安いが。


「踏ん張ってくださいよ~? ケモプロが続いてくれないと楽しみが減っちゃうんですから」

「もちろんだ」


 何十年と続けていく。それが二年目でつまづくわけにはいかない。


「クソオオトリ」

「ああ、クモイさん」


 やっと吊るすための器具をすべて外して、クモイがこちらにやってきた。すごい目つきでにらみつけてきて──足が止まる。その視線の先は、俺の後ろから現れたハギナカ監督だ。


「ウン、モモちゃんお疲れ様。助かったよ」

「……いえ」


 吊るされたときはクソ監督と言っていたが、さすがに頭に血が上っていない状況では言わないようだ。


「ウン。モモちゃんも社長さんもお疲れ様。おかげでスタッフにイメージの共有ができたよ、ウン。今日のイメージで相方の声優を募集しようか」

「お、監督、それならゲスっちがやるってのはどうです?」

「ゲス……社長さんが?」

「クモっちと知らない仲でもないみたいですし、基礎はできてたですよね?」

「……基礎だけ」


 マウラが俺を推薦するその背中で、クモイがボソッとつぶやいた。そうだな、基礎だけだ。


「プロにはかなわない。俺は辞退するよ」

「ええー、でもゲスっちの感じよかったですよ? ウチ、ああいう感じで書きたいですけど」

「プロなら同じ感じに演技できるだろう。俺よりもうまく」


 演技の参考にしてもらうのは構わないが、クモイと実力が釣り合わなければ意味がないだろうし。


「そりゃそうですけどね……。ま、ゲスっちはゲスっちの方が似合ってますし、諦めます」


 マウラは肩をすくめると、ススッとクモイの後ろに移動した。


「じゃ、モモっち! つれないゲスっちは置いておいて、打ち合わせしましょう!」

「は? な、なに、いきなり」

「モモっちが野球の面白さを分かってくれないと企画倒れですからね。とことん付き合ってもらいますよ!」

「え、ど、どういうこと?」

「それじゃゲスっち、借りてきますんで~!」

「よろしく頼む」


 クモイはこの後の予定はないと言っていたし、問題ないだろう。


「モモっち、今夜は寝かせないですよ。よーっし、盛り上がってきたァ!」

「は? なにが!?」

「じゃあ、俺は次の予定があるから、がんばってくれ」


 マウラに肩を組まれて固まるクモイにそう告げる。

 するとクモイはいつものように──


「……クソオオトリ」


 と言って歯ぎしりするのだった。

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