弟子と不安
俺は顎の下にもさもさの髪の毛を感じながら、原稿をチェックする。
「どッスか、先輩」
膝の間にすっぽり収まる後輩――ずーみーが見上げてくる。もさもさ。
「いいと思う」
俺は最後のページを確認して頷いた。
「やっぱり最後に伊豆対東京の最終戦を持ってきたのは良かったな。盛り上がる試合だし。試合後の選手控え室で、ダイトラとラビ太、ウルモト、ノリで観戦しているという図がいい」
「そッスね。島根対鳥取は盛り上がらなかったんで……こういう感じかなと! ダイトラ組でかつてのチームメイトを見守る、って! いやー、ちょっと締め切りオーバーしたけど、その分いいものが描けたッス」
ずーみーはニッと笑う。
「これで獣野球伝も、一区切りッスね!」
◇ ◇ ◇
5月16日。私立棚田高等学校の漫画部の部室で、俺はいつものようにずーみーを膝の間に抱えながら今後の相談をしていた。
来週月曜、5月21日に掲載される分を持って、ケモプロの2018年シーズンは獣野球伝の中でも終了する。ページ数を増やしたせいか気合の入れすぎか、締め切りをオーバーしての完成だった。これから写植をするライムが大変だが……まあスケジュールは調整していたようだし大丈夫だろう。
「ひとまずお疲れ様、と言っておこう」
「あざッス! いやー約八ヶ月間の週刊連載ッスか……気がつけば先輩は卒業してるし自分は三年だし、年月の流れを感じるッス」
「年月が経ったわりには、大きさは変わっていないな」
「先輩も背が伸びたからじゃないッスか? 自分も成長してるんスよ?」
確かに健康診断の結果を見ると少し伸びていたな。その分、ずーみーの頭に顎を乗せるのが楽になったものだ。……うん? そうするとずーみーの成長とは一体……?
「あ……あの」
ずーみーが脱力して寄りかかってきたので支えていると、先ほどからこちらをチラチラ見ていた細長い後輩――まさちーが声を上げた。ちなみに断然、まさちーの方がずーみーより背が高い。
「その、前々から気になっていることがあるのでございますが」
口調が変だぞ、武士。
「なんだろうか?」
「師匠と大先輩はその……いッ、いつから付き合っておられるので!?」
「ずーみーが入学してからの付き合いだな。編集としては去年からか」
「あッ、いえその、そうではなくッ」
まさちーは興奮した様子で質問を続ける。
「そのッ……部室で抱っこするような仲だからッ……!」
「仲のいい先輩後輩だろう?」
「いや尋常でない仲の良さですよ!?」
「普通じゃないか? それに断ったらそれこそ仲が悪いだろう」
サイズ的に邪魔でもないし、重くもないし。ずーみーがここに座りたいならそれで構わない。
「いやでもッ……た、例えばライパチ先生だったらどうです!? 抱っこできますか!?」
「別に構わないが……」
サイズ的に逆にした方が収まりがいいと思うが、そうしたいならすればいい。
「え!? そそそそれって」
「……あー、まさちー、ストップ」
ぴたりと動きを止めていたずーみーが、長く息を吐き出しながらまさちーを止める。
「これが自分と先輩の関係なんで。誰にも心配されるようなことはないし、自分は納得してるんで」
「ああ、何か心配させていたなら――」
「や、先輩は悪いこと何もないんで。ないッスよね?」
「は、ハハッ! ございませぬッ!」
武士は大仰に頭を下げる。土下座でないだけマシか。
「いやしかし、まさちーは部室に入ったときからあまり元気そうじゃなかったぞ。今の話題はともかく、何か心配事でもあるんじゃないか?」
「えっ。そうなんスか?」
「はあ、まあ……いくつか……」
「ならそっちの話をするッスよ。自分たちのことなんかより」
「ええと」
ずーみーに促されて、まさちーはおずおずと口を開く。
「……別のゲームができてケモプロの人気が落ちてるって話を聞いて」
「どこのどいつッスかそんなこと言ったの」
「ひぃ! い、いえ! ネット上のうわさで……まとめサイトとかでございます!」
「ああ……視聴者数が減ったとかの記事があるらしいな」
その手の話はライムがまとめて教えてくれる。
「視聴者数の低下、それ自体は別のゲーム――『育成野球ダイリーグ』が発表される前から予想していたことだ。メインのプロ野球が終わって獣子園の地方予選になるんだからな」
「予選だと、視聴者数が減るのでございますか?」
「減らなければ嬉しいが、減らない理由がないだろう。メインだったプロ野球のシーズンが終了して、始まったのはプロではない、まったく知らない選手たちの、地方予選だからな。最初はコアなケモプロファン、かつその地方の人間しか興味がないだろうと考えていた」
そもそも草野球時代より練習時間の少ないAIの集まりだしな。いちおう学年によって……年齢によって身体能力は違うのだが、経験は全員同じだ。デモの試合を見たがなかなか……へたくそだった。興行のレベルが一気に下がるわけで、それは見る人も減るだろう。
「だが獣子園はリーグ戦ではなくトーナメントだ。決勝戦ともなれば多少は集客できるだろうし、その頃にはコアなファンから注目選手の話なんかも出てくるだろう。その決勝が48回もあるんだ。徐々に回復傾向になって、本選には視聴者が戻ってくる……と期待している。もちろんファンの力だけに頼らず、施策は打っていくが」
「つまり織り込み済みってわけッスよ」
「はぁ……なるほど」
ただその予期していた『理由』が、噂によって別のものに見られている感じはあるな。いや、それとも本当にダイリーグに期待をしている人が多いのか……。
「じゃ、じゃあダイリーグなんかには負けないですよね!?」
「そのつもりだ」
でもサービスインは楽しみだ。
「それで、いくつか、と言っていたが、他にも何かあるのか?」
「えっと……砂キチお姉さんが、ダイリーグのサポーターになるとか……」
「ああ。あれは本人からメールを貰った」
バーチャル砂キチお姉さん。ケモプロの応援を熱心にしてくれているバーチャルYouTuberだ。企業的背景のない、個人でやっているVtuberとしては人気の高い部類になる。それだけに、様々な事柄に付随する事務仕事が大変らしい。
そこへ登場したのが、Vtuber専門のタレント事務所、『カミガカリ』だ。個人のVtuberのそうした事務仕事などを手伝って活動をサポートする、という題目を掲げて、所属メンバーをスカウトしていた。そして砂キチお姉さんもスカウトされ、所属することになったわけだ。
「所属する段階では、カミガカリがダイリーグのオーナーになることは知らなかったというか、知らされていなかったらしいぞ」
「え。じゃあ、ケモプロを裏切ってダイリーグに行ったわけではない?」
「そういうことだな」
イベントへの出演依頼などはしていたが、別にケモプロ側の公認タレントになってもらったわけでもないし、ダイリーグを応援するならすればいいと思うのだが、世間の反応はまさちーのようなものだった。各所から不義理だなんだとの意見が殺到して、砂キチお姉さんは活動停止に追い込まれている。
「じゃ、じゃあカミガカリが悪いんだって公表したら、騒ぎは収まりまするかッ!?」
「カミガカリ側も別に狙ったわけじゃないだろう。不幸なすれ違いだと思うぞ。それに公表することは本人が望んでいない」
砂キチお姉さんも、まずはカミガカリと話し合って今後のことを決めるのだそうだ。その前にこちらに事情の説明をしてくれたのは、ケモプロに対する義理とのこと。人情に厚いお姉さんだな。
「今後のことは、砂キチお姉さんが決めるしかない。……それで、これで全部か?」
「じゃあその……あとひとつ」
まさちーは目をうろうろさせると、ぽつりと言った。
「……獣野球伝、シーズン終わったらどうなってしまうので?」
◇ ◇ ◇
「それはこれから決めるつもりだった」
『獣野球伝 ダイトラ』は、ダイトラを中心にケモプロを描く漫画だ。しかし、プロリーグはシーズンを終了し、ケモプロのリソースのほとんどは獣子園に使われている。
もちろんその『オフ』の間もダイトラは活動している。町を探せばどこかしらにはいて、何かしているだろう。だが、試合はしていない。今までどおり試合の様子を追っていくのは無理だろう。
「ま、まだ決まっておらぬのですか」
……そういえば獣野球伝のアシスタントで、まさちーは給料を得ているのだった。その先が決まっていなければ不安になるのも当然か。
「いずれにしろ展開が新しくなるから、準備期間として休みを設けるつもりだったんだ。伝えていなくてすまない。先のことだが……どうする、ずーみーよ。一応以前に出たアイディアとしては、予選出場の一校にフォーカスして獣子園を描いていくというものがあるが」
「予選最終組の東京の高校を舞台にするってやつッスね。予選開始までは練習風景とかでキャラの掘り下げをやって」
「おお、王道の甲子園漫画っぽいですね!」
「でも、やっぱりそれはなしッスね」
ずりずり、と下にずり落ちながらずーみーは言う。
「選んだ高校が予選一試合目で負けたら、次から観戦するだけの漫画になるわけで」
「ある意味リアルだよな」
漫画としては盛り上がらないが。
「それに予選は何地区か並行してやるけど、結局最大11日で1地区の結果が出るじゃないッスか? 本選は約1ヶ月あるとはいえ、最終週に準々、準決、決勝と3戦あるわけで……その結果を元に漫画を描こうとすると、配分が難しいッスよ」
「……以前検討した通り、やはり獣子園をやるのは難しいか」
時間を置けば解決するアイディアが出るかと思ったんだが、そう都合よくはいかなかった。
「そッスね……スケジュールを逆手にとって、最初に出場決定したチームを描いていくなら不可能じゃないんスけど……やっぱり獣子園を描くのは違うと思うんスよ」
「というと?」
「『獣野球伝 ダイトラ』じゃないじゃないッスか。ダイトラが出てこないのはちょっと」
なるほど。確かに主人公がダイトラじゃないのに、ダイトラを冠したタイトルで獣子園をやるのは違うな。やるならせめて、別タイトルにするべきだ。
「あと、この間の報告会で思うところがあって」
完全にずり落ちて床に頭をつけたずーみーは、こちらをじっと見上げてくる。
「12球団にするなら、インパクトのある形にってやつ。自分、それの仕込みをしていきたいんスよ。これで力になれるか分からないッスけど――」
続いて語られる構想を一通り聞いて、俺は頷いた。
「――いいと思う。その作業を進めてほしい。……となると、やはり漫画の連載は難しいか。どうする? 次のシーズン開始まで休載、ということにするか?」
「や、休載はよくないと思うッス」
ちらり、とずーみーはまさちーがいる方向に視線を向ける。……たぶん見えているのは俺の太ももだと思うが。
なるほど。まさちーの生活費の一部は、ずーみーのアシスタント業によるアルバイト代から出ている。その仕事を無くしてしまうわけにはいかないな。
「では……間隔を空けるか? 月刊にするとか。そうすれば作業時間も確保できるだろう」
「それもダメッス。期間が開けば読者が離れると思うんで……週刊でいきます」
「……何かアイディアがあるみたいだな?」
「ウッス」
ずーみーはニヤリと笑う。
「枚数より更新間隔。シーズンオフのダイトラの日常を毎週、1ページマンガで。もちろんネタがあれば枚数増やしてもいいッスけどね。でも増やすならむしろ更新間隔を縮めたいッスね」
「なるほど。他のケモノ選手と行動することもあるだろうし、いいかもしれないな」
「でしょう? んでもって」
丸メガネの奥がキラリと光った。
「それを、まさちーにやってもらうッス」
「え? は、はいッ!? そ、それがしがッ!?」
「自分はさっき言った作業もあるし、単行本作業もしないといけないんで」
獣野球伝をワルナス文庫から出版する。そのスケジュールは刻々と迫っていた。新しい電子書籍ストアのオープンと合わせての刊行になる。ずーみーは表紙や手直しのほか、各書店用のオマケの執筆もしなければならない。
「えッ、えッ、で、ですが……」
「いや正直、自分、シーズンオフ中に現行分の単行本作業全部やらないといけないんで。夏休みとか言ってられない忙しさなんスよね」
1シーズンで3巻。ススムラからはできれば間隔を空けずに連続刊行したいと言われている。
「し、しかし師匠! それがし、まだ未熟でありましてッ! ど、同人誌もヘタクソとダメ出しをいただいておりますし……」
「絵は確かにヘタクソだったし、話も無理矢理感が強かったッスね。でも、コピ本の方は面白かったッスよ」
「コピ……ルサ×トラ本がですか? いや、あれはほんと、コマも割ってないし書き散らかしただけで……」
「1ページ大きく使ってたやつ、あれが面白かったッス。余白に詰まってる妄想文章も含めて。――言ったッスよね、技術が追いついてないだけって」
もそもそ、とずーみーは起き上がり、座りなおす。そしてまさちーと顔を合わせて真剣な様子で言った。
「面白い1枚、を作ることはできてると思うんスよ。だから任せたいんス。なァに、マンガの単行本のオマケにアシスタントさんのページがでてくるなんて良くあることッスよね?」
「し、しかし急に絵のクォリティが下がったら……」
「最初から上手い人なんていないッスよ。未熟って言ったけど、ツールにもすぐ慣れてくれたし。そしたら後は、上手くなるために人の目にさらされる回数を増やすことッス。――いいッスか、まさちー、これは仕事なんスよ?」
じっと、ずーみーはまさちーから目を逸らさない。
「ダメなものをユーザーに提供できるわけないじゃないスか。チェックもするし、ダメ出しはビシビシします。そして納得したものを載せてもらうッス。……載せられる、と思ってるから言ってるんスよ?」
「し、師匠……」
「それに何より……まさちーがやってくれないと、自分が他の作業に回れない。だから、力を貸してほしいんス。ケモプロのために。KeMPBのために。……自分のために」
まさちーは、ごくりと喉を鳴らして――頷いた。
「や、やらせていただきますッ!」
「うッス。助かるッスよ。1ページとはいえ週刊は辛いかもだけど――」
「いえッ! ま、任せていただけるからには、日刊を目指す所存ッ!」
「おッ、頼もしいッスね。それなら、夏休みぐらいには自分は作業に没頭できそうかな?」
少女二人は意気込みを見せる。
……とても頼もしいが、夏休みには宿題があるからな? 一応進学校だから、多いんだぞ? 大丈夫か?
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