あしのゆ会談

「ばっ……バラスケ! あなた、伊豆シャボテン動物公園に……!?」


 わざとらしい驚きの声に、参加者一同がドッと笑う。ポーズをとって言った本人も、少し顔を赤くしながら苦笑していた。


「はい、こちらがカピバラ虹の広場です。すいません、温泉に入る様子が見れるのは4月初旬までなんです。ですがここではカピバラとの触れ合いができますので、楽しんでいってくださいね」


 参加者たちは素直に返事をして、手にしたエサを構えて広場に散っているカピバラに向かっていく。……意外と、デカいんだな……カピバラ。


 5月8日。

俺は連休明けでやや人の少ない伊豆シャボテン動物公園にやってきていた。全国ホテルチェーンのホットフットグループ、その伊豆本館「あしのゆ」女将のトリサワヒナタが、ライムと一緒に計画したエイプリルフール企画のためだ。


 ただヒナタが動物公園を案内するだけのイベントかと思っていたのだが、二人の本気度は違ったらしい。ケモプロに登場するケモノ選手たちのモチーフとなった動物がいる場所に、選手のイラストパネルを設置したり、動物と絡めた選手紹介がされたりと、だいぶ本格的なコラボレーションになっていた。先日のリーグ優勝のため、園の入り口には『優勝おめでとう』の横断幕まであったし。


 そういうわけで飽きることなく園内を回れている。……青森の破壊神ロロちゃんこと、黒枝くろえだロロのモデル、スローロリスなんて初めて見たが……あれはちょっと怖かったな。うん。


 なお雑用係としての仕事は、最初の挨拶ぐらいだった。あとはヒナタに任せて、たまに取材に来ている記者の相手をする程度。もっぱらのんびり参加者たちの後ろをついて回っている。……とはいえ、あまり周囲のように楽しめてはいなかった。


 『育成野球ダイリーグ』。移動中見るべきものがなくなると、ついそちらのほうに意識が行ってしまうのだった。



 ◇ ◇ ◇



 その夜。旅館――あしのゆの一室、窓の近くのところ……広縁というらしいスペースでノートパソコンと向かい合っていると、ふすまの外から気配がした。


「失礼します。ユウさん、お邪魔してもよろしいでしょうか?」


 旅館の女将――ヒナタの声だ。そういえば後で部屋に来ると言っていたな。


「どうぞ」

「お邪魔します。あら、お仕事中でしたか?」

「休憩中だった」

「それならよかった。失礼します。お茶を入れますね」


 部屋に備え付けのセットを使って、手馴れた様子でお茶を入れてくれる。それから向かいに座って話を始めた。


「改めて、今日はお疲れ様でした。同行してもらってとても助かりました」

「いや、挨拶をした程度だしな」

「それでも、おかげで緊張がはんぶんこでしたから」


 ヒナタはにこりと笑う。長くて真っ直ぐな黒髪が、はらりと揺れた。


 そうは言うが本当に大したことはしてない。駅での集合は旅館のスタッフが仕切ってくれたし、せいぜい動物公園での最初の挨拶と、旅館での宴会で挨拶でしか人前に立ってない。参加者との話はほとんどヒナタがしていたし、俺は顔なじみになってきた記者の相手をしていたぐらいだ。

 ……まあこれはケモプロ関連のイベントで、俺はKeMPBの代表つまり責任者なのだから、何かあれば俺が責任を取るわけだし、そういう意味では安心するかもしれないな。


「それで、何か相談事だろうか?」

「あら、用がなければお話に来てはいけなかったですか? ……って、前もやりましたね、このやり取り。フフフ。いえ、今日はお互いホストとして働いていて、お話をするのもゲストのためだったでしょう? だから私とユウさんのためのおしゃべりをしたかったんです。ご迷惑でしたか?」

「さっきも言ったとおり、休憩中だったから大丈夫だ」


 そういえば確かに、忙しくてきちんと顔を見て挨拶できていなかったな。


「……直接会うのは久しぶりだな。元気そうで何よりだ。それと、優勝おめでとう」

「フフ、ありがとうございます。まさか初年度から優勝できるなんて思ってもいませんでした。旅館の皆で最後まで盛り上がって、とても楽しかったです。……私が仕事で見れないのに、みんなが隙を見ては試合の様子を伝えてくるのは、ありがたいやら歯がゆいやらでしたけど」


 連休中は満室で大変だったらしい。


「なんとか最終戦だけは全部見ましたけど、すごかったです。ドキドキして、ハラハラして。勝敗は知っているのにですよ? 自分のチームだから、っていうのもあるかもしれないですけど……やっぱり、ケモプロは『本物』の野球だと思います」

「そう感じてもらえるなら嬉しいな」

「ええ、もちろんです。イージスのみんな、全力を出してがんばっていて。まず先発のアカ君が……――」


 ヒナタは最終戦を振り返りながら、チームメンバーの自慢をする。以前からの野球ファンを名乗るだけあって、聞いていて参考になることも多かった。


「……そして最後にツツネさんですね」

「最後に試合を決めたな。あのシーンはかなり話題になっているぞ」

「ええ。劇的でしたからね。でも……」


 ヒナタは言いよどむ。


「……あまり、褒められたことではないと思います。ライナーをキャッチできたのはマグレでしょう。真正面でなければ抜かれていたかも。あそこは、交代するべきだったと思います。試合結果は最高でしたが、今後のことを考えると……」

「何か心配事が?」

「ケモプロのAIは成功体験に強く影響を受けるのでしたよね? ツツネさんがあの場の判断を正解だと思っていたら……それを似たような場面で繰り返すようなら、むしろ優勝しない方が今後のためだったと思います」


 なるほど。自分が倒れるまで絶対に交代しないような判断をするかもしれないな。


「ツツネさんはあの時の判断を今どう思っているのか……もどかしいですね。現実なら面談をして訊けばいいのですけど」


 ケモノ選手たちとの対話はできない。人と話せるようには作ってないとかなんとかミタカは言っていたが。とはいえ確かに気になるところだ。……何とかならないかな?


「でも、本当に……優勝できて嬉しいです」


 ヒナタはしみじみと言い、こちらに頭を下げてきた。


「ユウさんには一度しっかりお礼を言いたくて。遅くなりましたが……ありがとうございます」

「心当たりがないんだが」

「ケモプロを作ってくれたことです。そしてオーナーにしてもらったこと」

「どちらも特にヒナタのためというわけではないぞ」

「ええ、ユウさんと私のビジネスです。でも、そのおかげで旅館のみんなに共通の話題ができたし……なにより、おばあちゃん」


 トリサワミドリ。グループを一代で作り上げた女傑で、ヒナタの祖母。そういえば正確にはミドリがオーナーで、ヒナタは球団代表だったか。あまり話をすることがないから忘れていた。


「KeMPBとの協業にはほとんど口出ししてこないけど、きっとシーズン開始から全部見てますよ。優勝が見えてきてからは毎日電話してきて、文句を言ってきて。次はもっといい先発を獲りなさい、とか、誰と誰をトレードしなさい、とか」


 ヒナタはぽやっと笑う。


「話題がね、できたのがうれしいんです。何のしがらみもない話題を、おばあちゃんと話せるのが。宿のことになると、喧嘩になっちゃいますから」

「役に立っているようなら何よりだ」


 ケモプロがコミュニケーションツールになっている。それがヒナタだけの例に留まらないと信じたい。


「フフ。ようやくお礼が言えました。割引券をお渡ししたのに、ぜんぜん来てくれないから」

「……出張先での宿には、ホットフットインをよく使わせてもらっている」

「知ってます」


 知ってるのを知ってる。毎度ヒナタからのメッセージカードが部屋に置かれているのだ。マメな営業努力だと思う。


「……今日は来たぞ」

「……ウフッ。そんな深刻な顔をしなくても。怒ってなんかないですよ」


 ヒナタは軽く噴き出して、話題を変える。


「それにしても優勝するなら、イベントのスケジュールをもっと考えておけばよかったです。連休明けの平日なら手が空くかな、って軽い気持ちで決めた日程だったんですけど」

「有給をとるのが大変だったという話が、ポツポツ聞こえたな」

「連休明けですものね。参加者の方々には申し訳ないことをしました。……でも、ケモプロがゴールデンウィークに合わせるのがそもそも悪いと思いますよ? セクはらさんも準優勝セール大変みたいですし」

「最後の5戦まで決まらないとは思ってなかった」


 むしろゴールデンウィーク中に優勝セールできるものと思っていたんだが。


「視聴者数のためのスケジュールだとは思いますが、できれば来シーズンは考慮してくれると嬉しいです」

「検討しよう」

「うーん、なんだかケモプロの話をするとビジネスの話になっちゃいますね。何か他の話題、ありませんか?」


 ヒナタは苦笑する。うーむ、コミュ障には難しいオーダーだな。


「……動物公園では、珍しく私服……いや、洋服だったな」

「えッ。あッ、そ、そうですね!?」

「初めて会った時もそうだし、それ以降もいつも着物だから新鮮だった」

「あの時はとッ、とても助かりました」


 ヒナタは頭を下げる。


「いや、大して役に立てなかったしな」

「そんなことはないです。むしろご迷惑をかけてしまって……あの後すごく反省して」

「ではその経験を生かして洋服だったということか」

「そ、そうですね。動物のお相手を着物でするのはちょっと。徒歩の移動距離もけっこうありますし!」


 確かに、着物は動きづらそうだものな。


「動物公園はよく行くのか?」

「いえ、下見に一度行ったぐらいです。……ああいう行楽自体、久しぶりでしたね。本当に物心ついたときから旅館のことばかりだったので……だから今日は楽しかったです。いつもと違う客層でしたから、それも新鮮で」

「客層が?」

「こんな老舗の旅館に来る若い人なんて、ほとんどいませんから。……ケモプロとのコラボのおかげで少し増えましたけどね。でも、大宴会場を借りるほどでもなくて。フフ、カラオケでアニソンをリクエストされるなんて初めてでしたよ。練習しておこうかな?」

「やはり旅館を利用する人は、年配の方が多いか」

「そうですね。女子会での利用なんかもありますけど……あとは会社の社員旅行なんかですね、団体さんで多いのは」


 ヒナタはにこりと笑う。


「なのでぜひ、KeMPBさんも社員旅行には当旅館のご利用を」

「そのつもりだ」

「ありがとうございます。ところで、初めていらしていただきましたけど、いかがでしょうか? 何か不自由はしていませんか?」

「いや、快適に過ごさせてもらっている」


 そもそも出張先の宿にホットフットインを使っているのも、付き合いとか値段とかではなく、純粋に使い勝手がいいからだ。無料開放されているWi-Fiの電波が弱いなんてこともないし、ビジネスマンに人気があるのも分かる。それになにより。


「全室、足湯つきというのがいい。……正直、人と一緒に風呂に入るというのは苦手だし、風呂自体もあまり好きじゃない。足湯もまったく気にしていなかった。だが、人の目を気にせず試せるなら一度使ってみようかという気になるし、そうして体験すれば思ったよりもいいものだった」


 今日みたいに歩き疲れて、ふくらはぎがパンパンになっているときなんか特にありがたみを感じる。


「足湯で暖まって、部屋のシャワーで汗を流して……と手軽に済ませられるのがいい」

「あら。温泉は入っていないんですか? いちおう本館の目玉なんですけど」

「やはり知らない人と入るのは抵抗があるな……」


 入れないことはないが、自ら進んでという気にはならない。


「そういう意見もわかります。各家庭にお風呂がなくて銭湯が身近だった時代ならともかく、今やお風呂はプライベートな空間ですからね。なのでとりいそぎ、シャワーだけでもと全室改装したんですよ。温泉に行く前に洗っておいてくださいね、という意味合いもありますけど」

「なるほど。浴場の洗い場を省略することもできるな」

「ええ、そうすれば浴槽も広く取ることができます。理想を言えば全室にお風呂をつけたいんですが、敷地の都合もありますし……旅館という様式自体を体験していただくのも売りですから、あまりそれと乖離するのも難しいです」

「確かに、これが日本の老舗旅館か、という観光感? はあるな」

「光栄です。って、いけない、またビジネスの話になっちゃった」


 どうも駄目ですね、とヒナタは苦笑する。


「自慢の実家ですから、どうしても」

「いい宿だと思う。さっきも言ったが、快適だ」

「ではぜひ近いうちにまたいらしてくださいね。ユウさんが忙しくて来れないなら、他の方に紹介していただいてもいいですよ。贈り物にあしのゆ宿泊券、いかがですか? 例えばご両親に贈ってみるとか」

「……考えておこう」

「その時はご挨拶させていただきますね」


 手を合わせて喜ぶヒナタから、少し目を離す。


「……やっぱり、気になりますか?」


 ――うん?


「この一日、物思いに沈んでいらしたので……ライムちゃんが来なかったのも、その関係なんですよね? あの……育成野球ダイリーグ、とかいう」

「ああ……そうだな」


 ライムが企画したのだ、もちろん参加する予定ではあった。


「情報収集をするということで、来れなくなった。部屋を空けてしまってすまない」

「いえいえ、お気になさらず。それに私も気になりますから……ダイリーグ」

「そうだな……」


 ケモプロのシーズン終了を見計らって記事を出してきた。どう考えても狙っているとしか思えない。新しい野球ゲームか……。


「とりあえず気になっているのは」


 俺はヒナタに尋ねる。


「『ダイリーグ』のダイ、ってどんな意味なんだろうな?」

「む、そうですね」


 ヒナタは顎に手をやって首を捻った。


「ダイリーグ……ダイリーグ……ダイ」


 そして真剣な表情で、こちらを見つめる。


「やっぱり……英語で、Die。『死ね』という意味じゃないですか? つまりケモプロに対する宣戦布告」

「ヒナタもそう思うか。となれば、負けてはいられないな」

「がんばりましょう。私もこれまで以上に協力しますから」

「よろしく頼む」


 硬く握手を交わして、俺とヒナタは決意を新たにするのだった。



 ◇ ◇ ◇



「いや『死ね』って意味なわけねェだろが」


 その夜、VR空間に集まったケモノ女子たちの中で、目つきの悪いキツネは呆れたように言うのだった。

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