蜃気楼

 仮設の椅子に座って空を見上げる。


 星の数がすごい。天の川なんて実物を見るのは初めてだ。星空なんて見ても特に面白いものでもないと思っていたが、この量なら見所はたっぷりある。天文に詳しい人なら飽きることはないだろう。

 そうして星を眺めていると、フッと周囲の明かりが一段落ち、ざわめきが静かになった。その代わり、巨大なスピーカーからサラサラと砂の落ちる音がし始める。ぼんやりと目の前に姿を現す、砂に埋もれつつある朽ちた神殿。その全景が映し出されると、今度は内部の様子に切り替わる。神殿の中に広がるのは、巨大な野球のフィールド。


 『鳥取砂丘神殿跡スタジアム』と妙に神々しいフォントで球場名が表示されると、何故か観客から笑いが漏れた。……まあ、フォントが悪いな、面白いものな、うん。


『皆さん、大変お待たせしました』


 安心感のあるおばさん声。ナゲノが場内アナウンスを開始する。


『これより、ケモノプロ野球ゴールデンファイナル最終戦。島根出雲ツナイデルス対鳥取サンドスターズの応援実況を開催します。題して、サンドスターズ一夜の夢、光の野球ショー!』


 ◇ ◇ ◇


 5月6日、日曜日。連休最終日。


 俺はエイプリルフールで明かされた企画──この応援上映会に参加していた。


 場所は鳥取砂丘の名所、馬の背と呼ばれる砂丘……砂漠の中の丘だ。その高さは急斜面の終点と比較して約30メートル。幅の大きさで騙されるが、そこらのビルよりも高い。

 そんな馬の背の丘とその急斜面の下に広がる平地を舞台にして、映像の投影――プロジェクションマッピングにより、ケモプロ内の映像をリアルタイムで映し出していた。それを見る仮設の観客席は、投影されている映像を挟んで馬の背の反対側にあり、俺はそこで抽選に当たった参加者と共に観戦している。


 しかしデモを見せてもらってはいたが、実際に夜の砂丘で投影されると臨場感がすごいな。今回用意した仮設の席は一塁側の観客席という設定で、そこからの視点を映しているのだが、球場の様子がしっかりと分かる。周囲に明かりがないという要因も大きいのだろう。

 ちなみに企画段階では馬の背自体を観客席にして、そこに座ることも検討されていたらしいが……昼に背の頂上から様子を見てみたが、高すぎだし急すぎるし後ろから砂が落ちてくるしで、ボツになった理由がよく分かった。こちら側からで正解だろう。馬の背を利用してバックスクリーンや向こう側の観客席も映せているし。


『本日実況を担当させていただきますのは、島根出雲ツナイデルス公式実況者、私、ふれいむ☆です。よろしくお願いいたします』


 現地で実況を行うナゲノは、観客席から見える位置に席が用意されている。……そのため、砂丘に投影された映像をまっすぐに見れないから、ケモプロの映像は手元のモニタで見ていた。イベントの様子はあとで録画で見るからいい、とは言っていたが……別に方向をそろえてもよかったんじゃないか?


『本日は複数のゲストをお呼びしております。まずは球場内レポーター、バーチャル砂キチお姉さん!』

『みんなー! おっまたせぇ~! みんなのバーチャル砂キチお姉さんで~す! 会場盛り上がってる~?』


 砂丘にネコ系ケモノの女子の姿が投影されると、拍手と歓声と一部熱烈なファンからのラブコールが飛ぶ。


『お姉さんもそっちに行きたかったんだけど、お仕事の都合がね……。でもここからみんなと一緒に応援するからね! 最終戦、勝つぞ! オー!』

「オー!」

『ここまでの山陰ダービーは、25戦9勝で鳥取が負け越してるけど、今日は違うんだぞ!』

「オオー!」

『デーゲームで電脳が負けたから、これに勝てば四位タイになれる! 勝つぞ勝つぞ勝つぞー!』

「ウオオオオオ~!」


 デーゲームの電脳対青森は青森が粘り勝ちしたからなあ。おかげで鳥取はこの試合に順位が関わることになってしまった。五位になるか、電脳と四位タイになるか。


『はい、砂キチお姉さんありがとう。この後も何度か球場レポートをお願いするわね』

『は~い。みんな、また会おうね~!』


 手を振る砂キチお姉さんが砂丘から消えていく。


『ではこちらの会場のゲストも紹介しましょう。まずは島根出雲野球振興会代表補佐、33時間4分の男、イルマさん!』

『ははは。どうも』


 33時間4分――とはエイプリルフールの企画で、ケモプロクイズアプリの最難関、検定編の満点クリアにまでかかった時間だ。一睡もせず有給を1日だけ消費して達成し、そのまま寝ずに仕事に出て行った。見た目以上に体力があるらしい。


『ルールの解説はお任せしてもいいかしら?』

『もちろん。一夜漬けで忘れるような頭はしていませんからね』

「さすイル」「イルニキ~!」


 七三メガネのイケメンは企画を通じて新たなファンまで獲得したようだ。


『そして最後に、鳥取野球応援会代表、スナグチさん! 今日はよろしくお願いします!』

『ども。よろしくお願いします!』


 ガタイのいい浅黒い男――スナグチが頭を下げる。鳥取市の職員で、鳥取サンドスターズのオーナー、鳥取野球応援会の代表だ。この企画の担当者でもある。


『どうですか、スナグチさん。今日のイベントは』

『いやー気分がいいすね。島根さんにはぜひ今日は勝ちを譲ってもらいたいす』

『おやおや。忖度しろと?』

『だって島根さんは三位確定じゃないすか~』

『くぅ』


 ナゲノが呻く。


『裏の伊豆対東京の首位決定戦の方が盛り上がってるわけで、それなら主催を勝たせてくれても?』


 伊豆ホットフットイージスと東京セクシーパラディオン。最終日にして、一位タイで並んでいた。今日の直接対決で決着がつくことになり、ケモプロファンは大盛り上がりだ。

 ……なお島根は両者にゲーム差2をつけられている。ゴールデンファイナル第三戦で伊豆に負け、第四戦で東京に負けと、順当に首位争いから脱落した形だ。


『ははは。まあそれはそれ、これはこれですよ。鳥取さんも四位タイなんて順位より、きっぱり五位になってわかりやすさを提供してみては?』

『いやいやなんの。ここは山陰ダービーの勝ち星を仲良く二桁ずつにしましょうよ』

『えぇ……なにこれ。この二人急に仲悪くなってない……?』


 間に挟まれたナゲノは顔を引きつらせている。


『そッ、そうだ。スナグチさんは元甲子園球児なんですよね?』

『ベンチで一回戦負けすけどね』

『ま、まあそれはそれとして、やはり元野球少年として見るケモプロはどうなのか、というところに興味があります!』

『あー……エラーの感じが自然でいいすね』

『エラーが』

『他の野球ゲームではやらないような判断ミスとか、野手同士の接触とか。野球あるあるって部分が懐かしいす』

『えっと、プレーの内容はどうでしょう。野球の技術的な面で、実際に野球をやっていたスナグチさんとしては』

『プロのモーション使ってるんじゃないすか? 普通にうまいすよね』


 タイガのモーションキャプチャーをしたことは今でも秘密だ。そういえばカナとニシンはどうなんだろう? 今度エーコに聞いておくか。


 ちなみに今回のイベントに、KeMPBからの同行者はいない。シオミは各種調整に忙しく、企画立案に関わったライムは……『セクはらの優勝セールに行きたいから』という理由で、来なかった。


 セクシーはらやま。全国展開する衣料品チェーン店は、初の優勝記念セールに向けて大忙しにしている。優勝が確定した翌日からセールをする、ということで前々から準備はしていたものの最終日までもつれこみ、しかも結果によっては『準優勝セール』にしなければいけない。店頭に用意するPOPは二種類用意せねばならず、試合終了後から夜を徹して全国の店員が対応をするとか。

 セクはらの野球部長タカサカは、優勝セールの大変さがよく分かったと笑いながら言っていた。その部下のウガタは統率を任されて死にそうな顔をしていたが。……明日が月曜なのが逆に救いか?


 ちなみにもう一方の優勝がかかっている伊豆ホットフットイージスのオーナー、全国ホテルチェーンのホットフットイングループは、宿泊料の値引き設定ぐらいでそれほど忙しくないらしい。あとは朝食のバイキングに特別メニューを出すんだったか……しかし食品なので勝っても負けても出さなきゃいけないわけで、やはり勝敗でどうこうする要素は少ない。逆に寂しい、とヒナタは言っていたな。


 ちなみにいの一番に最下位という順位を確定させた青森ダークナイトメアは、いちはやく『来年がんばるぞセール』をしていた。売上もなかなかだ。サト……ダークナイトメア仮面の経営手腕は見習うべきものがたくさんあるな。


『さ、さあ間もなく試合開始です!』


 ちくちくとした煽りあいに挟まれていたナゲノが、声を大きくして流れを断ち切る。


『ケモノプロ野球、ゴールデンファイナル最終戦。島根出雲ツナイデルス対鳥取サンドスターズ。先攻はツナイデルスから! さあサンドスターズが守備につきます! 光の野球ショー、開演です!』

 


 ◇ ◇ ◇



『――……試合終了! シーズンを締めたのはやっぱりこの男、ダイトラ! フェンス際までもって行きましたがスタンドインならず! ライトフライで終わりました。0-4で試合終了です! 鳥取サンドスターズ、シーズン最終戦を勝利で飾りました!』

『いやー、あっさりでしたね島根さん』

『ははは。まあこんな日もありますよ、ええ』


 スピーディーな試合展開と言えば聞こえがいいだろうか。さくっと点を取られて、特に逆転のチャンスも生み出せず、ツナイデルスはあっさりと負けていった。会場のサンドスターズファンは勝利に盛り上がっているが、どこか不完全燃焼のような部分もある。

 プロジェクションマッピングの都合上、日没からの試合開始だったのだがまるで時間が経った気がしない。


『えっと……あ、はい。わかりました』


 スタッフから何かメモを渡されたナゲノが頷く。


『さて! 今シーズンの山陰ダービーはこれですべて終了したわけですが、ケモプロのシーズンはまだ終わっていません! この裏で行われている伊豆対東京の最終戦が、なんと延長に突入してまだ決着がついていないとのこと。そこで当会場でも、その試合を中継することといたします!』

「おお!」「やった、豪華じゃね!?」「スマホで見てたけど回線細いんだよな」


 観客席から歓迎の拍手が沸く。砂丘に投影される映像が、じわりと溶けるように消えて切り替わった。砂に埋もれる神殿から、ちょっと昭和な感じのする東京セクシードームに。

 そこに映し出された映像に、観客は戸惑いの声を漏らした。


『えぇと……延長十二回裏。11-7で伊豆ホットフットイージスが4点のリードを得ている状況です、が……』

『これは……伊豆の選手たちはだいぶ疲れていますね?』


 守備につくケモノ選手たちは、全員肩で息をしていた。ふらふらと足元もおぼつかない。


『このゴールデンファイナル、伊豆は全試合延長戦でした。11回、12回、12回、11回と。おそらくその疲労が溜まっているのでしょう。この回の表、連打で4点を得たイージスですが……十二回裏、1アウト二、三塁。バッターは四番、ファースト、雨森あめもりゴリラ。これは……ピンチです!』

『ピッチャーは守護神の灘島なだしまだけど……疲れてるすね』

『今日は十一回からの登板ですが、この5連戦すべてで登板していますので……さすがにマヤちゃんも疲れているようです。連打を浴びてピンチを迎えています。ちなみに捕手は控えの空崖そらがけムロウ。打者としてはココロ様に劣りますが、リードには一定の評価があります』

『どうですかね、スナグチさん。この局面は』

『いやーゴリラのスイングすごいすからね。打つんじゃないすか? 伊豆さんとしては逃げ切りたいすよねえ、この状況でプレーオフに持ち込んでも無理でしょうし……だからクローザーを回跨ぎさせてるんでしょうけど――』


 ガキッ!


『ゴリラ打ったァ! 放物線を描く! これは……しかし飛距離が足りない! 右中間! カリン、ブチマル追いかけて……両者止まらない!? ――衝突! 倒れた二人は動かないッ! ボールは転がっている! 二塁、三塁ランナーは還った! ボールは……バラスケが取った! 中継、いやそのままバックホーム! ゴリラ、三塁蹴らない! 三塁でストップ! スリーベース! スコアは11-9に! パラディオン、2点差まで追いついて1アウトランナー三塁、次のバッターは五番、指名打者の赤豪原せきごうはらガル。ピンチが続く……しかし、何より心配なのはカリン、ブチ丸の二人です!』

『いやー疲れてるとよくあるんすよねああいうの』

『審判がタイムをかけて……ああ、今二人とも起きましたね。守備に戻っていきますが……あッ。交代、交代です。ツツネ兼任監督から指示が出ました。センターが木陰こかげオオヒコ、ライトが角砂かどすなアンリに代わります』

『あまり聞かない選手ですね』

『伊豆は島根と違って選手層が薄いわけじゃないんですけど、仲がよすぎるのかスタメンがほぼ固定されてるので、あまり控えの出番がないんですよね』

『なんかもめてるすよ?』

『交代を言い渡されたカリンとブチ丸が、ツツネさんのところに行って抗議しているわね……。まだやれる、最後までフィールドにいたい? はぁ~……』

『ああ~、わかる。地区優勝したとき、なんで自分はフィールドにいないんだろうって悔しかったすからね』

『AIがそういうこと考えるってことに、私は驚いたけど……ツツネさん、二人の体力不足を指摘して……頭を下げたわね。必ず優勝するから、と……。二人とも、しぶしぶベンチに帰って……って倒れこんじゃったわよ』


 ベンチで倒れこんだ二人は、スタッフに抱えられて退場させられていく。


『あ、ゴリラは今のスリーベースでサイクルヒット達成ですね。一年目から大記録が出ました』

『やっぱり強いすねえゴリラ』

『今シーズンはゴリラの年なのか。さあ次のバッターが来ました。赤豪原ガル。パラディオンの強力打線を支える指名打者。イージスの守護神、灘島マヤ、抑えられるか!?』


 バキッ!


『――甘く入ったスライダーを捉えた! ライト線――抜けた! ゴリラ、ホームイン! ガルは二塁……二塁を蹴る!? 中継のバラ助三塁送球! ……ガル、引き返しました。タイムリーツーベース。11-10! 1点差まで追いつきました、パラディオン!』

『今の走塁は危なかったんじゃないですか、スナグチさん』

『あそこは走らなくていいすね。守備がボロボロだからいけると思ったとか?』

『次のバッターは六番、ショート、大台川原おおだいがわらソウジ。すでに打順は下位ですがパラディオンは九番まで気が抜けません。ソウジも一発があります。逆転サヨナラもありえる場面……と、イージスがタイムをかけましたね。内野陣がマウンドに集まります』


 全員疲労困憊なのに、マヤに向かって自分のところに打たせろと言う。ツツネが全員に交代の必要はあるか確認して、誰もが断る。そうして短いタイムは終わって、イージスは守備に戻っていった。


『さあプレイ再開です。1アウトランナー二塁で1点差。マヤ、危険なバッターをうまく処理できるか? 初球……ストライク! いい球がいっています! ソウジ、歯を剥き出しにしてうなる――と?』


 ずらずらと長い思考表示がされる。

 バッターでもピッチャーでもキャッチャーでもなく。フィールドに立つ選手兼任監督、瓦ノ下かわらのしたツツネに。

 膝に手をつき、うなだれ、肩を落とすキツネ系女子は。


『もう限界? 自分が一番体力がない? 交代するべきだったけど、したくない……カリンとブチ丸は代えたのに、自分を代えられなかった? 最後までプレーしたい。こっちに打球が飛んでこないように……?』


 祈っていた。

 後悔しながら、許しを請いながら。

 それを聞いて観客が静まり返り――その静寂を、打撃音が切り裂く。


『打ッた!』


 バンッ!


『――捕った! ショート真正面!』


 ハッとツツネは顔を上げる。


『ランナー飛び出している! 二塁送球――バラ助飛び込んだ! これは……――』


 ツツネに声をかけてボールを要求し、二塁に倒れこむように飛び込んだバラ助の――


『ガルの手はバラ助のミットの上! ボールは入っている! ……アウト! ダブルプレー! 試合終了!』


 うおお、と球場がこちらでもあちらでも歓声を上げる。ガルがメットを地面に叩きつけて悔しがる。対するイージスの面々は、へなへなと地面に倒れこんだ。


『十二回裏、11-10! 最後はショートライナーからダブルプレーで決着しました。そしてこの瞬間、初代ケモノプロ野球リーグの王者は、伊豆ホットフットイージスに決まりました! おめでとう!』


 砂丘の、満天の星空の下に拍手が鳴り響く。


「いやー危なかったなイージス」「ツツネさんかわいい」「でも判断ミスじゃね?」「結果的には勝ったし……」


 先ほどの展開に、観客たちはああでもないこうでもないと熱をもって語り合う。

 ケモプロに夢中になって。


 ……今日のことは忘れられないだろう。

 いや、忘れることはできない。


 なにせ、これから何十年と、これを続けていくのだから。

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