負け犬と逆さ猫

 5月1日。


 俺は久しぶりに、都内に立つ細い雑居ビルを訪れていた。無人の受付で呼び鈴を鳴らすと、事務員がやってきて挨拶される。


「お久しぶりです。先生はいつものレッスンルームでお待ちですよ」

「ありがとうございます。ああ、これは皆さんでどうぞ」


 手土産を渡して奥へ向かい、部屋の扉を開ける。


「失礼します」

「あら! 来たわね。久しぶりじゃない、寂しかったわヨ?」

「なかなか報告に来れずに申し訳ない」


 ピンクの髪をした長身の男性――ワッキャ先生が身をくねらせて言う。俺は頭を下げて謝った。

 するとその脇から、ムスッとした顔が現れる。


「来たな、負け犬」

「もう、モモちゃんそんな風に言わないの。惜しかったじゃない?」

「いや、負けたことは事実なので」

「フン」


 じぃっと眼鏡の奥から小さな目で見てくるクモイを見返すと、ぷいっと顔を逸らされた。


「それに決選投票は大差だったから、文句のつけようもない」


 先月の4月15日。山形で行われる桜祭りに便乗する形で、ご当地ソシャゲ『最上川これくしょん』のイベントが開催された。ファンとの交流といくつかの施策の発表、そしてゲスカワくんを含める4体のキャラクターの声優を決める投票を目玉にしたそのイベントのチケットは、地方開催にもかかわらず何十倍という当選確率だったという。

 最も盛り上がったのは声優決定投票で、ネットでもその模様が配信されていた。俺もNoimoGamesのモロオカからの依頼でゲスカワくんの声優候補として参加したのでリアルタイムで見守っていたのだが、参加者の誰もが真剣な表情で票を入れているのが印象的だった。

 1体のキャラクターに対し、4人の声優。手にした投票権代わりのボールをステージまで歩いて箱に入れる――という形式で、時間がかかるため一票の差であっても得票数一位が声優に決定する、というルールだったのだが……ゲスカワくんのみ、まったく同数で俺ともう一人の声優が選ばれ、決選投票となった。


 結果は大差でもう一人の声優が選ばれる。俺の票数は一回目とほとんど変わらなかった。つまり残り二人に入れていた人が全てもうひとりを選んだわけで――クモイに負け犬と呼ばれるのも当然だ。


「演技力の差が大きかったのだと思う」

「そうねぇ。声質は似たような感じだったし、そこよネ」


 最初に聞いたときは『俺こんなに上手く録れてたのかな?』と勘違いしたほどだ。ちなみに現地に行ったニャニアンは最後まで勝ったほうが俺だと勘違いしていて、声優の名前が発表されてから数日死んでいた。


「せっかくワッキャ先生に指導してもらったのに、こういう結果になってしまって申し訳ない」

「残念だけど仕方ないわヨ。言ったでしょう、役が決まるのは才能とめぐり合わせだって」

「つまり、オオトリの才能不足」

「モモちゃん辛らつねえ」

「私はオオトリに充分なレッスンをした」


 クモイの言うとおりだろう。もがこれのディレクターとメインプランナーが俺を推すという状況だったわけだから、めぐり合わせは充分すぎるほどだ。

 改めて才能がないということを思い知らされた。もしKeMPBがピンチになっても声優業で支えられるんじゃないかと思ったのだが……世の中、甘くない。


「努力不足、とは言わないあたり、ユウちゃんの努力は認めてるわけネ?」

「ッ……まあ、そうです」

「クモイさんにもたくさん時間を割いてもらって感謝している」


 往来で『WAPPA高田コマーシャル』をやらされたことはちょっと根に持っているが、あれぐらいの荒療治がコミュ障の俺には必要だったろうし、その後も理にかなったレッスンをしてもらったからな。


「……ワッキャ先生に頼まれたからだし。……あ、先生。約束の件は?」

「ん? あ、あ~……なんだったかしら?」

「今思い出しましたよね? 極意ですよ、極意。声優の極意を教えてくれるって」

「そんなことも言ったわネ。でもホラ、ユウちゃんは役が取れなかったわけだし?」

「そんな条件聞いてません」

「えぇ~、でも生徒が役のひとつも取れないんじゃ、仕事の評価としては……ねえ?」


 クモイは――ギリギリと歯軋りしながらこちらを見た。


「クソが」


 俺か。俺が悪いのか。


「……すまない」

「まあまあ、二人ともそんな顔しないで、明るくいきましょ? ユウちゃんは本業の方が順調なんでしょ?」

「ありがたいことに」

「本業って……会社?」

「KeMPBという。インターネットで見れる、ケモノプロ野球リーグというものを運営している会社なんだが……」

「……あぁ、Twitterで見たことある」


 クモイは顎を沈めて頷いた。


「八百長野球って書いてあった」

「そういうことはしていない」


 そういうことを書くまとめサイトが拡散されているのは知っているが、こちらで選手や試合を制御していることは何ひとつない。


 ケモノプロ野球、全130試合のうち125試合が終わって、残るは明日からの5連戦。全チームとの1回ずつの総当り。ゴールデンファイナルと名づけたその期間を前にして、優勝チームは――未だに決まっていなかった。

 それどころか直前の4連戦で東京セクシーパラディオンが連敗、伊豆ホットフットイージスが連勝したため、ついに不動の一位だった東京が二位になるという事態まで起きている。

 首位は伊豆。ゲーム差1で東京、3で島根、6で電脳、8で鳥取、16で青森と続く。残り5戦。伊豆、東京、島根に優勝の可能性がある状態だった。都合がよすぎるんじゃないか――そういう意味で一部からは八百長を疑われているが、大多数には純粋に勝負を楽しんでもらっている。


「そういうことで、この連休は視聴者数の増加を見込んでいる」


 優勝の可能性のないチームは応援が減るだろうが、それ以上の効果はあるはずだ。最終順位もドラフトと賞金に関わってくるので、最下位に甘んじるわけにはいかな……いや最下位はもう青森で決まっているが。ともかく、順位が確定するまでは気が抜けないはずだから、それほど観客が減少するとは思えない。


「アタシも最近見始めたけど、イイわね、なんか親切で。途中からでも入りやすいまとめの記事とか、ダイジェストとか、漫画とかがあって」

「力を入れているところだ。担当者に伝えておく」

「よろしく言っておいて。あと、セクパラのキャッチャーのボンドちゃんのグッズが欲しいワ」

「検討する」


 最近、セクはらは交渉役にタカサカではなくその部下のウガタが出てくることが多くなり、なかなか手ごわくなったのだが……きちんと話を吟味してくれているだけで、話が通じないわけではない。いちファンからの要望を伝えるぐらい問題ないだろう。


「先生、見てるんですか」

「そりゃ教え子がやってることですもの。一度はチェックしてみるわヨ? モモちゃんは?」

「私は興味ないから見なかった」

「あらそう」

「野球の何が楽しいのかさっぱりわからない」


 クモイは肩をすくめる。ふむ。見ていないのか。


「それはルールがわからないからか?」

「ルールもわからないけど、存在自体がわからない」

「存在」


 野球のアイデンティティがピンチを迎えていた。


「まあ、オオトリが何の仕事をしていようと、私には関係ないけど」

「仕事といえば……クモイさんはあれから、何かオーディションに受かったのか?」

「クソが」


 なんでだ。


「どうせ私にも才能はない。努力も足りない。でもオオトリよりはずっと真剣にやってる」

「まあまあモモちゃん。ゴメンなさいネ、最近結構応募してるんだけど落とされてるみたいで」

「いや、いま仕事がないかどうか確認したかっただけなんだ。受かってないなら、都合がいい」

「ハ? なにそれ?」


 ギロリと睨んでくる。……煽っているわけじゃないぞ。


「KeMPBで企画している動画コンテンツがある。それに参加してくれないかと思ってな」


 クモイは――小さな目を丸くした。そして警戒するように身構える。


「……情けならいらない」

「そういうわけじゃない。クモイさんには、今回の企画のメインキャラクターをやってほしいんだ」


 そもそもクモイの声は独特すぎて、モブにしたところで目立ちすぎる――とは、ワッキャ先生の言葉だが、俺もそれに賛成だ。クモイの声のインパクトは、前面に押し出さなければ。


「キャラクターデザインの担当者にクモイさんの声を聞かせる機会があってな」


 WAPPAに通うことになってすぐのことだ。ずーみーが声優の訓練の様子を知りたいと言うので、手本として録音していたクモイの『WAPPA高田コマーシャル』を聞かせたことがある。その時はそれだけで終わったのだが、動画コンテンツ――プロジェクトYYS、野球を学ぶ系の動画のキャラクターデザインをするにあたって、ずーみーはクモイの声を思い出したのだという。


「それで出来上がったキャラがこれだ」


 スマホに画像を表示する。


「アラ? それ、逆さじゃない?」

「いや、この向きでいいんだ。――仮称、逆さ猫という」


 虚空に吊り下げられた、ぶさいくな白黒の猫。生意気な表情で語り、煽り、ぷらぷらと揺れて投げつけられるボールを避ける。真顔、驚き顔、不満顔。毛を膨らませたところ、ずぶぬれで細くなったところ。どれもインパクト抜群で、一度見たら忘れない。


「このキャラに、クモイさんの声を吹き込んでほしい」


 デモでコマーシャルの音声に合わせて口パクさせてみたが、ピッタリだった。


「野球解説の動画なんだが、野球を知らない生徒役なので自然に演じられると思う。ペアになる野球キチのキャラクターと掛け合い漫才のような感じになるんだが、どうだろう」

「……なんで、私? ……コネ採用? 先生に何か言われた?」

「クモイさんの状況は聞いているが、それだけだ。何か頼まれたということはない。クモイさんと会うことがなければ出てこないアイディアだったし、そういう意味ではコネと言えるかも……いや」


 もっと単純に言えば。


「才能と巡り合わせだ」


 いろいろなタイミングと状況に、ピタリとはまるのがクモイだったということだ。


「アニメの声優を目指している、とは聞いた。テレビアニメではないが半分アニメのようなものだと思う……どうだろうか?」

「……デビューが、ブス猫」

「モンスターA、よりはいい役だと思うんだが」

「……先生の意見は?」

「あら、アタシに聞くの? そぉねぇ……」


 ワッキャ先生は顎に手を当てて、悩ましげな表情で言った。


「モモちゃんがやらないなら、アタシがやろうかしら?」

「それは……気持ちはありがたいが、困る」


 大ベテランの声優なら、そのネームバリューだけで視聴者は増えそうだが、それでも。


「逆さ猫はクモイさんをイメージしてデザインしたキャラクターだから、クモイさん以外の声がやっても俺たちにはもう違和感しかないと思う。クモイさんが断るなら……デザインごとボツにするつもりだ」

「ですって」


 ワッキャ先生は肩をすくめた。


「自分をイメージしたキャラクターとか……声優冥利につきるわね。たまにそれっぽい役を振られることはあるけど、ここまでハッキリ言ってくれることはないわ。それを――断るの?」


 突然声を低くするワッキャ先生に――クモイはびくりと身をすくめた。


「ユウちゃんが本気なのは分かったはずヨ。アナタが受けないならボツにするって言うぐらいだもの。うらやましいわ。アタシのデビューなんて役名さえなかった。それが自分をイメージしたメインキャラクター。これを受けないなら、モモちゃん、アナタ――それこそ、真剣じゃないワ」

「そ、それは……」

「チャンスって、こうして舞い込んでくるものヨ」


 にこりと。それまでの厳しい雰囲気をひるがえして微笑んだワッキャ先生は、固まっているクモイをゆっくりと抱きしめた。


「ゴメンなさいネ」

「えっ?」

「急な話で不安になっちゃったんでしょう? わかるワ。今までずっとデビューするのに苦労してきたんだもの……正直、アタシもモモちゃんに仕事を用意しようと思ったことはあるのヨ。一人ねじ込むぐらいのコネはあるから。でも、それってモモちゃんが実力で勝ち取ったものでもなければ、モモちゃんじゃなきゃいけない役ってわけでもない。情けをかけたと思われるだろうし、実際そう。アタシに言われればやってくれるでしょうけど、一生気まずい思いをすることになる……」


 ワッキャ先生はクモイの頭をなでながら続ける。


「モモちゃんに必要なのは自信。だからそれを失うようなデビューはさせられない。そう思って、アナタが自分で可能性を切り開くまで待つことにしたの。無責任かもしれないけど、それ以外にどうしたらいいかわからなくて。でも、今日がその日よ、モモちゃん」

「今日が……?」

「ユウちゃんたちがモモちゃんの才能を知って用意した仕事よ? 力のない人に仕事を頼むような甘い人間じゃないでしょう、ねえユウちゃん?」

「もちろんだ」


 関わっているのが俺だけなら、そういうことをしてもいいかもしれない。

 けれどこれはKeMPBの仕事で、会社の仲間全員に関わることだ。成功する見込みのない話なんてできない。


「ね。ご指名よ、モモちゃん。アナタの魅力を、もっとたくさんの人に知ってもらいましょう。どんな形であれデビューはデビュー。そのきっかけさえつかめない子たちに恨まれちゃうわヨ?」

「………」

「なあに? 聞こえなかったワ」

「オオトリのクソ野郎」


 なんでだ。


 クモイはゆっくりとワッキャ先生から離れた。……二人の間に鼻水の橋がかかっているのを、ワッキャ先生がげんなりとしながらハンカチで回収する。

 クモイは顔こそ赤いものの、しっかりとこちらを向いて言った。


「……引き受ける」

「助かる」

「いちおう、責任者に挨拶したい……お礼を言わないと」

「責任者……というのは明確には決めていなかったが、強いて言うなら俺になるだろうな」

「は?」

「どんな仕事でも、最終的に責任を取るのは会社の代表だろう?」

「モモちゃん。ユウちゃんはKeMPBの代表……一般的に言うと社長さんヨ」


 ワッキャ先生にフォローされて、赤い目を見開いたクモイは――


「……クソ野郎」


 より顔を赤くしてギリギリと歯軋りして、睨みつけてくるのだった。

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