毒草の覚悟

「その前にひとついいか?」


 ミタカが手を上げて問いかける。


「なんでプロジェクト名がクサなんだよ?」

「……クサ?」

「ハッパなんだろ?」


 ススムラはしばらく宙を見上げて――顔を赤くして手を振りまわした。


「ちがッ! 違います! ハーブ、薬草! いかがわしい草なんかじゃなくて!」

「ハハハ。いやあ、間違いとも言えなくないかもね? こんなとんでもない計画、ハッパでもキメてないとなかなか出てこない」

「ちょっと、ミシェルさん!?」

「やあ失礼。ちょっと調べ物をしててね。ここからは説明に参加させてもらおう」


 ミシェルはタブレットを机に置いて両手を組む。


「HERBはゴロ合わせみたいなものさ。サダコが最初に持ってきた企画にちょと縁があってね……プロジェクトに何かしら名前が必要だろうってことでひねり出しただけで、そこまで深い意味はないよ。じゃ、まずはその企画からいこうか……動画を流すよ」


 タブレットで動画が流れ始める。

 青空と砂漠。石で組まれたエジプト風の巨大な建物。カメラはその中へ入っていく。それに合わせて、ススムラが説明を始めた。


「コホン。もしすべての書籍が電子書籍に移行したら、今のままでは本に触れる機会が減ってしまうでしょう。たくさんの本に触れるためには、無料で読める場所というのは必要です。広告付きの細切れなんかではなく、思う存分に没頭できる空間が」


 動画は場面を切り替えていく。建物の中に並ぶのは、巨大な書棚。その前に一人の学生風の女性が立っている。彼女は無数の本棚のうちのひとつに手を伸ばし――


 その本の背から空間にパネルが表示される。タイトル、著者名、出版社、出版年などの本の情報。「Pick」と書かれたボタンに指先を合わせる。とたんに本は棚から消え、女学生の手の中に現れる。本を開くと、もちろん本の内容が書かれていて……。


「プロジェクトHERBは――電子書籍による電子図書館を、オンライン上のVR空間に設立します」


 ◇ ◇ ◇


 女学生の視点で本を数ページめくり、動画が終わる。

 ミタカはしばらく考え込んだ後にぽつりと呟いた。


「……これ、アレクサンドリア図書館のイメージか?」

「そうだよ。古代エジプトで、世界中の書物を収めることを目的として建てられ、そして焼失してしまった伝説の図書館。VR空間上に図書館を作るなら、あやかっておこうと思ってね」


 ミシェルは「いいだろ?」とウインクする。


「ちなみに図書館には薬草園も併設されていたという記述があってね。そこにあやかってHERBさ。や、ワルナス文庫の『ワルナス』は薬草というか雑草というか毒草って感じだけどね。ま、毒もハーブといえばハーブだろ」


 そもそも植物の名前だったのか……ナスの仲間かな? 毒ナス?


「ん~、図書館を作るの? それとも、図書館って名前のサービス?」

「図書館を作ります」


 ライムが尋ねると、ススムラはしっかりと頷いて答える。


「図書館法に乗っ取った『私立図書館』として」

「どこかの市と連携するの?」

「あ、いえ、わたくしりつの方です。図書館というのは行政が運営しているイメージが強いですが、それはいわゆる公立図書館というもので。それとは別に、一般社団法人や一般財団法人などが作る図書館を私立図書館といいます。どちらも公共図書館なのですが、私立は行政からの補助金などは得られないかわり、利用料金を取ってもいいんです」

「図書館に利用料金だ? 初めて聞いたな。払ったことねェぞ?」

「専門図書を扱うところが大多数ですからね……あまり利用する機会はないかと」

「フン。まァいい。それで、VRで図書館? ガワの方は問題ないだろーが……いけんのかよ、法的に?」


 ミタカはトントンと指で机を叩く。


「電子書籍を読み放題にしたら、それこそ海賊版サイトと同じだって言われかねねェぞ?」

「そもそも、図書館はなぜ出版の邪魔だと否定されないのでしょう?」

「……あん?」

「入場無料で読み放題。ある程度の冊数は借りて持ち帰ることもできます。それがどうして問題視されないのでしょうか?」

「そりゃァ……公共サービスだからと言いたいところだが、そりゃお題目だかんな。実際のところ、入ってる蔵書が古いとか品揃えが悪いとかて、商売の邪魔をしてねェからじゃねェか?」

「国会図書館はどうでしょう? 国立国会図書館法が規定するところの納本制度で、ありとあらゆる最新の本が入っていますよ」

「……確か、納本すると国会図書館が金を払うんだろ?」

「定価の5割ですね。それを悪用した事件もありましたが……それなら定価で買ってネット上に公開しても否定はされないでしょうか?」

「はいはい! らいむ、答えてもいい?」


 ミタカが考え込んで口を閉じると。隣から勢いよくライムが手を上げて、雲のように笑う。


「図書館が否定されない理由。それはね……不便だからだよ!」

「はァ?」

「現地に行って、本を探して……借りるなら身元も明かさないといけないし、誰かが借りてたら読めないし……ね、不便でしょ? だから公共サービスとして無料で読まれることが社会に許容されてる。海賊版サイトはどこからでもアクセスできて、検索は楽々、何人でも同時に読める――正当な販売機会が失われる。そりゃ違法だよね、って感じ?」

「フン……まァ一理あるな。オレもいくら無料で読めるからって、わざわざ国会図書館まで行って読もうとは思わねェ。それぐらいなら買うわ。入手困難な専門書ならともかく、コミックス程度ならな」


 そもそも移動にも金がかかるからな。一冊の漫画本のために国会図書館に行くようなら、それは本好きというよりお金が計算できないタイプのケチだ。


「はい。えっと、クジョウさん」

「らいむでいいよ!」

「わたしはライムさんの言う不便さこそが、図書館が海賊版と同列に語られない要因だと考えています。もちろん非営利であることや公共サービスであること。そして貴重な資料の保管をしていることなども理由の一つでしょう。けれど、もし図書館が利便性を突き詰め、本を無制限に複製して何人にも無期限で貸し出ししたとしたら、それは非難されるはずです」

「てェことはだ、つまり――」


 ミタカはピッと指を立てる。


「……そのVR図書館も、不便にするってワケだな?」

「条件をなるべく現実の図書館とそろえること。それで法的に問題なく開設できるよう、弁護士さんから議員さんに働きかけてもらっています。漫画喫茶というものもありますからね……最悪はそっちでなんとか」

「いずれにしろ、肝心なのは本のコピーは作らないってことさ」


 ミシェルが動画を、女学生が本を手に取るシーンで止めて説明する。


「誰かが本を手にしたら、それは書棚から消える。複数人が同時にひとつの本を読むことはない。……デジタルの世界からしたら逆行的な考えだけど、ま、これはこれで『らしい』んじゃないかい? 蔵書が汚れることもないし、紛失することもないっていうのは図書館側にとっても魅力だと思うね」

「ま、VRって時点で交通費と同じぐらいのハードルはある。利用者の負荷は同じぐらいだって理屈は分かった。だが、まだ納得したわけじゃねェ。――品揃えはどうなってる? 図書館っつーのは買った蔵書を公開してんだろ? どこのを使うんだ?」

「おお、それが聞いてくれよアスカ」


 ミシェルは楽しそうに笑う。


「サダコは最初に国会図書館に突撃していったんだ。蔵書をVR図書館で使わせてくれと。勇敢な女性だろう?」

「……無謀の間違いじゃねェの?」

「それは……その……ダメでしたけどいろいろアドバイスはもらえたし、紹介してくれた人材のおかげでプロジェクトは進んでいますから! だ、だって国会図書館は電子化も進めてるし……VR国会図書館ってなったら一番いいかなって……」

「ハハハ。まあ、結果的にはよかったね。国会図書館と組んで公立図書館になりでもしたら、サダコがやりたいことはできなくなってしまう」

「んで? 結局どこと組んだんだ?」

「いくつかの電子書籍ストアと」


 ミシェルがタブレットを操作して、資料を写す。見たことのるロゴの数々。


「わ~ぉ!」

「……正気かよ。いったいどうやった?」

「こことここは、ぼくのお得意さまでね。いくつかのデバイスの設計に関わったんだ。そのツテでね」


 こともなげにそう言うミシェルは、「さて」と話を進める。


「ここで不便さが生きてくるわけさ。VR図書館では、誰かが読んでいて読めない本、あるいはその作者の新刊や関連する本――それらを電子書籍として買うためのリンクを表示する」


 一枚絵のイメージが提示される。空っぽの書棚を選択して続刊を買うシーン。


「公立図書館は法律で対価を徴収しちゃいけないことになってる。つまりこういう本の購入への誘導も不可だ。けど私立なら問題ない。広告だって入れられる。こんな感じに」


 女学生が本に挟んだしおりに、別の本の広告が表示されているシーン。


「ストアにあるものをすべてVR図書館の蔵書とする。どうだい、これでラインナップに文句はないだろう?」

「出版業界が黙ってねェだろ、これ。ストアにとっちゃ仲介媒体みたいなもんだが……」

「それだけの覚悟でやっています。出版業界は20年以上前からずっと縮小傾向……いくつもの雑誌が部数を落とし、廃刊になっていく。海賊版サイトを潰したところでいたちごっこです。出版は変わっていかなきゃいけないんです。……これまでどおり、いつもどおり、そんなことじゃ……」


 ススムラがこちらを見てくる。初めて見る表情だった。教育実習に来たとき、コミケで再会した時……そのどれとも違う顔。


「教え子に合わせる顔がないですから」


 俺はそれに、小さく頷いて応えた。


「フン。まァいいさ。そこらへんが上手くいきゃスタートはできそうだ。ただ、長続きはしねェだろうがな」

「やや? それはなぜかな?」

「……ムカつくなそれ。あー、つまりだな……不便すぎんだよ。VRヘッドセット被って図書館に入る。蔵書を検索するなり棚のとこまで歩いていって選択する、そこまではいい。だが最大に不便なのは――本を読むUIだ。さっきの動画出せ」

「ふむ。ここだね?」


 ミシェルがタブレットを操作する。女学生の視点で本をぺらぺらとめくるシーン。


「手に持った本はVRコントローラーで位置調整、ボタンでページめくりってとこだろ? さっきも言ったが現実と比べてコストがたけぇんだよ。リアルっぽい本だからなおさら、現実の本との齟齬がストレスを生むぜ。ボタンを長押ししてページ送りしなくても、リアルだったらそれっぽいページを開けば一発なのに……とかな」

「さすがアスカだ」


 ミシェルがパチパチと手を叩き、ミタカは顔をしかめる。


「ハード屋のオマエがいるんだから想像はつくってェの。それで? どんなVRコントローラーを作ったんだ?」

「それじゃ、まず第一の矢を打ち込ませてもらおうか」


 アタッシュケースが重たい音を立てて机の上に置かれる。鍵を開けて、ミシェルが中から取り出したのは――


「これがVR図書館で使うコントローラーさ」


 ――本の形をしていた。

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