高価な下敷き

「な……なんか、変だと思ってたんです……」


 白く燃え尽きていた一年生は、なんとか色を取り戻して口を開く。


「誰も漫画の話なんてしてないし……なんか野球の話ばっかりで……」

「ライパチ先生が顧問をやっているのは、野球部だからな」

「知らなかった……」


 知らないままでいたのもなかなかすごいな。


「これで……もう、走りこみも筋トレもしなくていい……?」

「うちじゃあそんなことはしないッスね」


 ずーみーの言葉に、一年生はホッと息を吐くと――がばり、と床に身を投げた。


 土下座だ。


「わッ、私は、ミギシマサチと申します! ぜひ、漫画部の一員に入れていただきたく!」

「お、おぉ……えーと、くるしゅうない、おもてをあげい!」

「ははァッ!」


 俺も正座とかした方がいいかな。


「とりあえず普通に座ってくれるッスか……先輩も、正座はいいんで」

「そうか」

「はッ、失礼いたしますッ!」


 コタツでずーみーとミギシマサチが向き合い、俺が側面に座る。


「えっと、ミギシマちゃん? すごい熱意だったッスね。そんなにレジェンドのことが好きなんスか?」

「レジェンド……そう呼ばれているんですか」

「まー、在学中にデビュー決めた伝説の人ッスからねぇ」

「確かに! すごいですよね!」


 ちなみにレジェンドという呼び方は棚田高校漫画部でしかしていない。一般的には普通にペンネームで呼ばれているそうだが……実は俺はよく知らないのだな。少女漫画だし、部室にあるものをちらっと見た程度だ。


「自分もレジェンドの漫画好きッスよ」

「ですよね! なんかこう……自分の知らない性癖が目覚めたというか!」

「エッ」


 ――レジェンドの代表作は学園の百合モノだとは聞いているが。


「目覚めたんスか? え、ちなみにどの程度?」

「人生を変えるぐらいには!」


 ミギシマは拳を握って、高らかに宣言した。



「イイモノですよね! ――ケモノは!」



 ◇ ◇ ◇



「……ケモノ?」

「はい!」


 首をかしげるずーみーに、ミギシマは強く頷く。


「……レジェンドの漫画に、ケモノってあったッスかね?」

「あったもなにも、ケモノしかないじゃないですか?」

「えぇ……? タイトルは?」

「『獣野球伝 ダイトラ』ですけど」


 『獣野球伝 ダイトラ』。KeMPB公式サイトでずーみーが連載する、ケモプロを舞台にした野球漫画。


「エッ……レジェンドじゃなくて?」

「レジェンドじゃないんですか?」


 今度はミギシマが首をかしげる。


「ランキングサイトのトップランカーで、ケモプロのメインデザイナーで……在学中に獣野球伝で漫画家デビューして。だからレジェンドってあだ名なのかなって」

「や、でも、出版はまだしてないし、漫画家とは言えないんじゃ……」

「本にはなってないですけど、企業サイトで連載持ってたらプロじゃないですか?」


 言われてみればそうだな。今時Webマンガでデビューとか普通だし。自分のところだから俺もずーみーも意識してなかったが、KeMPBは企業だ。


「私、すごい尊敬してるんです。ケモノのすばらしさを教えてもらったっていうか! だから、私にとってはレジェンドです!」


 生ける伝説と化していたか、ずーみーよ。


「ケモプロは衝撃でした……あんなに魅力的なケモノキャラクターはみたことないです。それがさらに漫画に! もうすごいすごくて。それで作者について調べてたら、ネットで棚田高校にいるって特定されてるのを見つけて!」

「特定されていたのか」

「まー、別に隠してはなかったッスけどね……先輩とかモロにインタビューで載ってましたし」


 高校生社長、という名目でインタビューを受けるからには、高校名を伏せるわけにはいかなかった。別に伏せるつもりもなかったが。

 しかし、ずーみーが後輩だということはメディアに言ったことがないはずなんだが……。


「棚田高校の文化祭で、ケモプロの原画展示があったって書き込みがですね!」

「あぁ~……やったッスね。去年。レジェンドの展示の脇のほうで、在校生の部、ってことでちょこっとだけ」


 なるほど。それを見つけた人がいたわけか。


「だからぜひ一緒の高校に入りたいって……でもここって偏差値高いじゃないですか。しかも今年はどういうわけか倍率がすごいらしくて。地元からも遠いし。でもどうしても……受かったら一人暮らししてでも通うって約束して……」

「一人暮らしなんスか?」

「はい。正直すごく大変ですけど、でも夢だったから!」

「そっかぁ……いや、照れるッスね」

「……?」


 ずーみーはポリポリと頬をかくと、「そういえば名乗っていなかった」と切り出した。


「自分はホヅミミミコ。ペンネームはずーみーッス。よろしく、ミギシマちゃん」


 ◇ ◇ ◇


 ずーみーの名乗りを聞いて、ミギシマは――


 再び土下座をしていた。


「え、えぇ……? ちょ、ちょっと、ミギシマちゃん?」

「本人とは知らず、大変な失礼を……ッ! 改めて名乗らせていただきたくッ!」

「お、おう」

「それがしは姓はミギシマ、名はサチ、ペンネームはまさちーと申すもの!」


 どこの武士だ。いや、これだと三国志か?


「ずーみー先輩を心の師と仰ぎ、本校までやってまいりました! どうか漫画部への入部を許可いただきたくッ!」

「いや……断る理由もないんで、それは構わないッスよ。むしろミギシマちゃんが入ってくれるとありがたいんで」

「ははァッ! それから、私のことは気軽にまさちーと呼んでいただければッ!」

「いいんスか? じゃあまさちーも、自分のことはずーみーって呼び捨てでいいッスよ」

「そんなおそれ多い! 呼び方を選ばせてもらえるなら……師匠と呼ばせていただきたくッ!」

「え、えぇ……弟子を取るような腕前じゃないんスけど……」

「弟子でなくていいので! 心の師なので!」

「やぁ、まあ……呼ぶだけなら」

「師匠! ありがとうございます!」

「あっはっは……ん……?」


 困った笑いをしていたずーみーは、ふとそれをやめて宙を見つめる。


「……まさちー?」

「はい、師匠!」

「って、もしかして冬コミでケモプロ本出してたッスか?」

「えッ……な、なぜそれを!?」

「ケモプロ本?」

「先輩が買ってきてくれた戦利品の中に、二冊あったじゃないッスか。一冊はコピ本で」


 ……ああ、思い出した。ずーみーとニャニアンに頼まれて冬のコミケで同人誌を買いに行ったとき、ケモプロ本があるのを見かけて、急遽買ったんだった。

 ちなみに自分用とずーみー用に買ったつもりが、もう1セットはニャニアンに渡す袋に詰めてしまったので――


「俺は最後まで読んでいないんだが、どうだった?」

「あー……その……」


 ずーみーは――まさちーから目をそらした。


「うん……ケモプロを好きな人がいてくれて、うれしいなー、って思ったッス」

「師匠に喜んでいただけたなら本望です!」

「あー、ところで、出身はどこか聞いてもいッスか?」

「えッ」


 まさちーは何故か固まる。


「えぇと……と、都道府県まででよろしゅうございますか? さ、埼玉です」

「埼玉って未だに刀を差してたりするんスか?」

「へッ!?」

「いや、喋り方が気になって。時代がかかってるというか」


 武士だよな。


「えっ。都会のオタクは自分のことを拙者とか言うんじゃないんですか?」

「そうなのか、都会のオタク」

「目撃談は聞きますけど、実物は見たことないッスね」

「えッ、えッ……だ、ダメ……? 」

「いや、ダメなことはないだろう」


 別に自分のことをなんと呼ばなければならないなんて決まりはないし。


「むしろ個性があっていいんじゃないか?」

「あー……確かに、少なくとも自分は初めてのタイプッスね」

「初めて……! し、師匠の唯一の女ということに!?」

「言い方がアレッスけど、まあ」

「やった! ならこれからも覚えてもらえるように、いや、これからも精進してまいります!」

「ははは……なんか懐かしいッスねぇ」

「そうだな」


 どうやら俺とずーみー、二人で同じことを思い出していたらしい。


「? 師匠、懐かしい、とは?」

「いやぁ、自分も先輩の後輩になってからこういう喋りをやってるんで……」


 後輩といえば! と、はしゃいでいたな。初めて部活で先輩ができたとかなんとか。


「先輩の最初の反応が辛口だったから、余計ムキになったところはあるッスけどね」

「そうだったか?」

「そうでしたよぉ! 最近は……っていうか、KeMPBを始めてからはそうでもないですけど……」

「KeMPB?」


 まさちーが首をかしげて――ポンと手を叩く。


「ああ、二人でKeMPBで働いてるんですか? 師匠がメインデザイナーで、先輩がサブデザイナーって感じで?」

「俺は漫画部と言っても幽霊部員だったから、絵が描けたりはしないぞ」

「え、では何を?」


 そう言えば俺も名前を名乗っていなかった。


「KeMPBではざつ……代表社員をやっている。大鳥ユウだ。よろしく」


 ◇ ◇ ◇


 まさちーはみたび土下座した。


「神!」

「神はちょっと」


 ずーみーのことが笑えなくなってきたぞ。


「しかしおそれながら、ケモプロの生みの親であらせられればッ!」

「人の領域に下ろしてもらえるか?」

「それでは先輩……いや、大先輩と呼ばせていただきたく!」

「それでいいから、顔をあげてくれ」

「ははァッ!」


 顔を上げたまさちーは、キラキラした目で見つめてくる。


「まさか恩人である大先輩が、KeMPBの代表だったとは。よくよくご尊顔を拝見すれば、確かにインタビュー記事などで見かけたような……カメラマンの腕があまりよくないようで気づかず。不覚です!」


 まあメイクとかもされてるからな、撮影されるときは。


「代表といっても、雑用係みたいなものだぞ」

「まあまあ先輩。ここはひとつ、偉そうなこと言ってあげてくださいよ」


 偉いことなんて特にないんだが……ずーみーが煽るからまさちーが期待してるじゃないか。仕方ない、先輩らしいことのひとつぐらいは言っておくか。


「あー、あまり会う機会はないと思うが、困ったことがあればなんでも言ってくれ」

「先輩、今なんでもって?」


 ずーみーは俺に何をさせたいんだ。


「いや、大先輩の手をわずらわせるほどのことは!」

「本当に何も困ってないならいいが」

「……強いて言えば、バイト探しが大変で……」

「え、まさちー、バイトするんスか?」

「親からの仕送りはアパートの家賃分だけって約束で。や、食材は送ってくれるから、生きてくだけなら問題ないのですが……意外といろいろあって……」


 自分が家計の主になると、それ以外にも出費があることに気づくものだよな。


「バイトか」


 そう言われて思い出すのは、コンビニのオーナーの言葉だ。まさちーを紹介するのはどうだろう? 人間的には問題なさそうだ。武士だし、義理には厚いだろう。それにコンビニのことなら教えることができる。

 教える――いや、待てよ。


「まさちーは、漫画を描いているんだよな?」

「ははッ! 去年の秋ぐらいからの新参者ですがッ!」

「どうだろう、ずーみーよ。――まさちーをアシスタントとして雇うというのは?」

「アシ――」


 ずーみーの仕事は多い。ケモプロ内のモデルの作成、監修。獣野球伝の執筆。各企業から上がってくるデザインのチェック。

 その負担を減らすため、一番時間を食っている漫画の執筆にアシスタントをつけることを一度検討したことはある。作業工程のすべてをデジタルでやっているため、オンラインで仕事を発注することは可能だ――が、上手くいかなかった。

 ずーみー曰く、理由は技術的なところではなく感覚的なところだという。それを解消するための時間をかけるぐらいだったら自分で全部やったほうがいい。そうしてアシスタントを雇うことはやめたのだが。


「まさちーが漫画部に入るなら、先輩として指導しないといけないだろう」

「確かに……先輩はともかく、自分はそッスよねえ」

「教える代わりに手伝ってもらって、さらに金を支払うことができる。一石二鳥じゃないか? もちろん、二人が嫌なら無理にとは言わないが……どうだ、まさちー」

「やらせていただきたくッ! このまさちー、師匠の手足となって働く所存ッ! たとえお給料がでなくてもッ!」


 出すと言ってるだろう。


「うーん……まさちーは去年の秋から漫画を描いてるんスよね? それより前は?」

「はずかしながら、学校の課題で必要になった時ぐらいで……」

「お~……。てことは本格的に初めて半年? なら、あのへたくそさも納得ッスね」

「へ、へた……」

「おっと」


 ずーみーはぺろりと舌を出す。


「いやいや、ケモノ愛は感じましたよ。技術が追いついてないだけで。むしろ半年であれなら褒めるレベルッス。うん。ケモノ好きで将来性アリ。自分のセンスも理解してくれてる……むしろこっちがお願いしたい感じッスね。でも――いいんスか?」


 舌をひっこめて一転――ずーみーは鋭くまさちーを睨みつけた。


「お金がらみというか――KeMPBに関わるっていうなら、手加減はできないッスけど」

「……ッ」

「自分と先輩は、ケモプロをずっと続けていくんで……ハンパな仕事はしたくないんスよ。単なる部活だっていうなら、仲良くやってくッス。いや、別にイヤなのを隠して、ってわけじゃないッスよ? まさちーとは仲良くなれそうだと思ってますから。でも」


 ずーみーは、声を重くして言う。


「KeMPBに関わるなら、自分だけじゃなくてKeMPBの皆のことも考えた上での付き合いになるんで。ケモプロの為にならないと判断したら即辞めてもらうし、部活――は、まぁ、自分が出て行くでもいいッスけど、とにかく……仲良しでいられなくなるかもしれないッスよ。その覚悟はできるッスか?」


 まさちーは……ごくりと喉を鳴らしてから、頷いた。


「やります。こんなチャンス二度とない。せっかくここまで来たんだから、もっと先を目指したい、です!」

「うん、よし! 自分は厳しいッスよ! アシをやると決めたんなら、バンバン使っていくッスからね!」

「はい、師匠! ベタでもトーンでもホワイトでも消しゴミかけでもなんでも使ってください!」

「それじゃあ……仕事道具はこれだッ!」


 ずーみーは物置をゴソゴソとさぐると、タブレット端末を取り出した。去年故障してミタカとニャニアンに分解されたSurface。その後二人で嬉々として組み立てなおし、動くようになったもの。予備としてとっておいたのだが、ようやく使いどころが出てきたわけだ。


「今自分が使ってるのよりスペックは落ちるッスけど、以前はこれでやってたんで大丈夫。いちおう作業環境もいれてあるんで……――」

「あ、あの」


 精密機械を渡されて――まさちーはそれを胸に抱えて、垂れ目をさらに垂らして口を開いた。


「これで――漫画を?」

「そッスけど?」

「こんな小さなので……? これなら机に直接の方がいいのでは?」

「……うん?」


 ずーみーは首をかしげ――まさちーは途方に暮れた声を出す。



「……えっと、下敷きだけじゃなくて、ペンとかインクとかカッターとか……は、持参しないとですか?」



「……アナログ派かぁ」


 ずーみーは感心したような途方に暮れたような声を出すのだった。

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