入部希望者

「あ、いい匂いがする」


 小雨のような音を立ててキーボードを叩いていた従姉が、手を止めて席から離れ、こちらに近づいてくる。


「同志、これは何?」

「圧力鍋だ」


 重厚な銀色の鍋は、おもりを揺らしてシュウシュウと唸っている。


「それは知ってるよ」

「圧力鍋だ」


 シュウシュウシュウ。


「……高かった」

「……うん」


 高かった。ゲーム機本体ぐらいした。悩ましかったが……今月分からKeMPBの報酬は少し上がる。決断するしかなかった。……料理を作るためには仕方ない。これまでのように適当に作るわけにはいかない。


「作っているのは、イワシの水煮だ。ツグ姉には長生きしてもらわないといけないからな」


 先日受けた健康診断の結果は、従姉に食生活と運動を見直せと書いてあった。


 ……従姉の生活。


 俺より遅く寝て早く起きている。俺がいない間に昼寝をしているらしいが、不規則だし睡眠時間は足りなさそうだ。家からはよほどのことがない限り一歩も出ない。食事は三食用意しているが、一人のときは食べ忘れている場合がある。間食が多い。……あとはずっと開発をしている。


 記載された数字はただちに影響が出る値ではないらしいが、この調子で上向くことは絶対にないだろう。


 そういうわけでまずは食事を見直すべく情報を収集したところ、魚を食べろと出た。だがマグロの刺身とかは逆にダメらしい。ではどうするか? そもそも魚はさばける自信がない。……三枚ってどことどこが三枚になるんだ?


 ――ということで、圧力鍋を買った。


「内臓を取って、ぶつ切りにして煮るだけでできる。圧力をかければ骨まで食べられるらしいから、栄養的にもいいだろう。あと、そこの大鍋はスープだ。食物繊維をとるといいらしいから、いろいろ入れてみた」

「おぉ……すごいね。豪華だねぇ!」

「時間ができたからな」


 高校は卒業し、WAPPAでのボイストレーニングも終わり、コンビニバイトもない。アップデートのインタビューもひと段落した。そのため多少は時間に余裕ができたので、雑用係としてはこうして従姉の生活の改善にとりかかっているわけだ。

 これまでは大皿を一品作って、その隣に半額になった惣菜を……という感じだった。そういう時に買った、時間の経った揚げ物とかがよくなかったんだろう。これからは考えていかないとな。


「運動についてはもう少し考えさせてくれ」

「う、うん……」


 家の中でもできる運動……そして従姉が継続できるもの。なかなか難しいな。


「さて」


 俺は鍋の火を落とす。


「じゃあ、行ってくる。遅くならないうちに帰ってくるから」

「うん。……あれ、どこに行くの?」


 首をかしげる従姉に、俺は玄関の扉を閉めながら答えた。


「学校だ」



 ◇ ◇ ◇



 私立棚田高等学校の裏門は、まさしく裏門という名にふさわしい立地をしている。ここを使っても結局は他の出入り口と同じ道にしか出られないので、搬入用や教職員の車両が駐車場に出入りする以外、生徒の利用はほとんどなく、人通りはまったくない。


「死体を置いておくのにもうってつけの場所だな」

「……し……死んではおりませぬ……ぜぇ、ぜぇ……」


 その裏門付近で倒れているジャージを着た女子生徒は、俺の呟きを聞きつけてヨロヨロと顔を上げた。細っこい垂れ目の……どこかで見たことがあるような。


「あッ……あなたは……!」

「俺の名前を知っているのか」

「いや名前は存じませんが」


 そうか。俺も知らない。だが顔は思い出してきた。


「受験生だな。合格したようでなによりだ」

「は、ははァ! 先輩には、その折は大変お世話に……! かならず御礼を申し上げねばと……」


 どこの武士だ。


「礼を言われるようなことは特になかったと思うが」

「いやいやいや、先輩がいなければちゃんと入試が受けられたかどうか……ハッ!?」


 女子生徒は急に顔を後ろに向ける。道の向こうから、かすかに聞こえる規則的な笛の音。


「ひィィ……もうダメ……」

「どうかしたのか?」

「た……助けてッ、助けてくださいッ。どこかにかくまって……」

「わかった」


 よく分からないが、この場から離れることに異議はない。


「あッ、す、すいませ……足が……」

「おぶろうか」

「い、いやいや! 汗かいてるんで!」

「腕力には自信がないから、さすがに前に抱えるのは……」

「肩! 肩をおかしいただければッ!」


 肩を貸して校舎に向かう。


「と、とりあえず中に入れば逃げられ……」

「守衛室はどこだったかな」

「た、逮捕される!?」

「いや、俺が用事があるだけだ。ああ、ここか。すいません」


 小さな窓に備え付けられた呼び鈴を鳴らして守衛を呼ぶ――が、現れない。


「留守か。困ったな」

「あの、ここ外から見えるので、早く中に……」

「しかし、入館申請しないと不法侵入になってしまう」

「自分の通う学校に不法もなにもあるんですか!?」

「通ってないぞ」

「え? でも受験のとき……」


 その時は確かに生徒だったが。


「卒業したから、もう通っていない」


 ◇ ◇ ◇


「どうりで……どうりで上級生の教室を探してもいないと……」


 タイミングよく守衛が戻ってきて入館手続をし、腕章を貰って校舎の中に入ると、女子生徒はぐったりとしながら言った。


「探していたのか」

「ええ、まあ……毎日、休憩時間に……」

「それは手間をかけさせて悪かったな」

「い、いえ! 自分でやってたことですし、こうしてお会いできましたし!」


 ふむ。しかしそちらは目的を果たせてよかったとはいえ、申し訳なさは残るな。


「まだ息切れしているし、よければ部屋で休んでいくか? 何に追われているか知らないが、見つからないと思うぞ」

「エッ!? エエ、それはその……いや、その、私、汗かいてるしッ!」


 汗になんの関係があるんだ。


「ふ、二人きりはちょっとッ……!」

「ああ。安心してくれ、もう一人いるはずだ」

「あ……ハイ」


 女子生徒を連れて部活棟の方へ行き、そのうちの扉のひとつを開く。鍵はかかっていなかった。


「おー、先輩! おはざッス!」

「来たぞ」


 漫画本の詰まった棚に四方を囲まれ、その中心におかれた万年コタツで作業していた小さな後輩が手を上げる。


「いやぁ、学校で会うのは久しぶりッスね」

「これからは毎週来るぞ」


 ずーみー。KeMPBのデザイン担当。俺の一つ下の後輩で、棚田高校の三年生だ。……三年生だが、後ろにいる一年生より小さいな。


「いやあそれはそうなんスけど、週一は寂しいっていうか」


 ずーみーとは漫画『獣野球伝』のネームの打ち合わせをやっている。学生の間は俺が時間のあるときに部室を訪れてやっていたが、卒業したらどうするかが問題になった。

 一度ネット越しでやってみたが少し難しい。できれば直接やりたい。なるべくお互いの時間を尊重した場所で、気兼ねなく声が出せて、ネット環境が整っていて……――と考えた結果、俺が部室に来れば解決すると気づいた。

 そういうわけで、校長のミサキに頼んで入館許可証を貰っている。


「アパートより移動に便利だからな。邪魔でなければ、待ち時間に使わせてもらおうか」

「やりィ! ぜひぜひ! ……って、あれ? 後ろの子はなんスか?」

「ああ」


 キョロキョロと辺りを見回している一年生を紹介していなかったな。


「裏門で死んでいたので」

「し、死んでおりませんッ!」

「裏門に落ちてたので拾ってきた」

「物でもなく!?」

「そういえばなんで倒れてたんだ?」


 何かに追われているようだったし、そいつらがやったのか? この辺も物騒になったな。


「いやその……走り込みで」

「走りこみ……ああ、思い出した」


 この一年生、細い見た目に反して野球少女なのだった。偉大な先輩――カナに憧れてこの学校を受験したという。

 なるほど。そういえば学校をぐるりと回るコースは交通量も少ないので、運動部がランニングに使っていると聞いたことがある。それで裏門にいたわけか。


「で、でも、ぜんぜんついていけなくて……あっという間に置いていかれるし、周回遅れになるし……でもみんないい人たちで、通りかかるたびに応援してくれて、さぼるわけにも……」

「そんなにレベルが違ったか」

「はい……それはもう……」


 半年ほど地元でやっていたと言っていたが……ライパチ先生が張り切っているのか、それとも名実共に強豪になったのか? カナとニシンの後輩が頼もしいのはいいことだが、初心者も楽しめるようでないと部活動としてはどうかと……。



「都会の漫画部がこんなに体力勝負だったなんて……思ってなかったッ……!」



「ん?」

「え?」


 俺とずーみーは顔を合わせる。一年生はこぼれそうになる涙をジャージの袖でぬぐっていた。


「……漫画部?」

「はい……あの、ライパチ先生がクラスの担任で、顔を覚えてくれていて……それで入部させてもらって」


 ライパチ先生が「俺が出しておくから」と請け負った光景が目に浮かんだ。


「でも部員が多いから、ふるいにかけるって……先輩の名前目当てに軽い気持ちで入部するようなヤツはいらない、本気で全国を目指しているんだって……」

「全国?」

「まんが甲子園だと思います。男子が甲子園とか言ってたので」


 そんなのあるのか。と目でずーみーに聞いたところ、頷かれた。そうか……あるのか、まんが甲子園。


「それで何をするにも体力と根性が必要だっていうことで、一週間の走り込みと体力トレーニングを……それについてこれなければ部にはいらないって……実戦練習もそれからとかで……道具を持たせてもらえると思うなよ、って」


 ペンとかだと思ったんだろうな。実際は野球のグラブやバットの話だろうが。


「一週間か。今日で何日目だ?」

「入学式の日からやってるので……四日目です……」

「走りこみの途中で抜けてきたわけだが、部はあきらめるのか?」

「ッ」


 一年生は――ぐいっと袖で涙をぬぐうと、こちらに背を向けた。


「失礼しました。私、行ってまいります……謝って、もう一度走らせてもらいます……このご恩はいずれ」


 どこの武士だ。


「足が震えているが大丈夫か」

「……は、這ってでもッ!」

「そんなにやりたいのか」

「生きがいを生み出してくれた先輩と、同じ部に入るためなら……ッ!」


 生きがいときたか。漫画部の偉大な先輩――通称レジェンドも罪作りだな。


「ということだそうだが、どうする?」

「いや、そこまで気負わなくても、こっちとしては願ったりかなったりッスけど」


 そうだな。幽霊部員の確保にも困っているような状況だし。


「というわけで、歓迎するッスよ」

「……?」


 ずーみーの言葉の意味が分からないのか、一年生は怪訝な顔をする。


 なので、ずーみーはにこりと笑顔を作って言った。


「ここが漫画部ッスよ。で、自分が部長ッス。ようこそ、漫画部へ!」


 そして一年生は――


「……!?!?!? ………? ……キュウ」


 膝から崩れ落ちて、今度こそ真っ白になって死……力尽きるのだった。

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