ルーキー対タイガ

『さあ試合は終盤、八回の裏を迎えます』


 オープン戦の最終戦。バックネット裏に座って聞いているラジオで、実況は試合を振り返る。


『スコアは1対2。三回の裏に、シマ選手のタイムリーで勝ち越ししてからはお互いチャンスがありません』

『どちらもピッチャーの継投がうまくいっていますね。今シーズンも期待できる仕上がりです』

『このまま1点のリードを守って逃げ切れるのか、というところですね。しかしそうなると、野球ファンとしてはさびしいものがありますが……観客もオオムラ選手の登場を待ち望んでいると思うのですが』

『うーん、しかしこれといったタイミングがなかったですからね。オオムラ選手は守備はちょっと……な選手ですので、代打に出した後はさらに守備要員との交代が必要になるわけです。指名打者制がない場合はピッチャーの交代時に気軽に出せるのですが、セ・リーグのチームとの試合でも指名打者制が採用されますからね……起用は難しいと思います』

『では、オオムラ選手の出番は今日はない、と?』

『いや、この回の打順は下位からですからね。次の表を抑えれば攻撃はこの回で終わりですから、ここでチャンスメイクできれば、あるかもしれませんよ』


 というか出てこないと観客は不満だろう。さすがにアンチ集団に囲まれていた時ほどではないが、周りでちらほらカナの話をしている人たちもいるし……。


『――抜けた! ヒット! ランナーは一塁へ。八番ミナカタ、本日初ヒット、出塁しました。1アウトランナー一塁! ここまでスコアは1対2、とどめの追加点が欲しいところ……おっと、ベンチが動きましたか?』

『そうですね。ここしかないでしょう』

『……代打です! 九番アサマに対して代打が出ました! 代打、オオムラ! 代打オオムラです!』


 カナがベンチで誰か……アサマ選手だろうか? と握手してから、フィールドに出てくる。敵味方どちらの観客からも歓声が上がった。ちらりとこちらを見て、バッターボックスに立つ。


『NPB史上二人目の女子選手! 育成ドラフト13位で入団、二軍で代打として出場、打率は十割! 打撃のメガネことオオムラカナ選手が出てきました!』

『この観客数は初体験だと思うのですが、落ち着いていますね』

『さあ対するピッチャーは七回から登板のカノウ選手。切れ味鋭いスライダーを武器とする投手ですが、オオムラ選手との相性はどうでしょうか、マルオカさん』

『うーん、今のところはなんとも言えませんね。オオムラ選手を抑えた投手が現時点ではいないわけですから』

『球速についてはどうでしょう? カノウ選手のストレートは平均140、女子野球ですと最速でも130キロぐらいと聞きますが』

『今はそれ以上の球速で練習しているわけですし、現にファームでもヒットを放っています。そこは問題ないでしょうね。カノウ選手は正統派の投手ですし、オオムラ選手を試すよい試金石……ん?』

『おっと、ここで相手側ベンチにも動きが!? まさか、これは!?』


 バックスクリーンの大画面に、選手の顔が表示される。勇ましい何かのテーマ曲がかかる。


『タイガ選手! タイガ選手が登板です! NPB史上初の女子選手、タイガ選手がマウンドに駆けていきます!』


 うおおお、と歓声に球場が揺れる。


『一昨日は先発し7回を2失点に抑えて勝利したタイガ選手、中1日で再登板です!』

『驚きました。いや実現してほしい対戦カードでしたが、まさか本当にそうなるとは。粋なことをしてくれますね』

『今ベンチでの映像のリプレイが……ああ、タイガ選手、監督を脅してますね。やらせろ、そういったところでしょうか。常々、叩きのめしてやると公言していたタイガ選手、絶好の機会を逃すまい、と』

『交流戦もありますしセ・パでぶつかる機会は増えましたが、それでも数少ないチャンスですからね』

『タイガ選手のリリーフ登板は珍しいですよね?』

『プロ三年目以来じゃないでしょうか。一、二年目は中継ぎでやっていましたし、経験がないわけではありません』


 マウンドに立ったタイガは、投球練習を始める前にキョロキョロとこちらを見回す。

 俺が手を上げると、笑って頷いた。


『で、出たッ、タイガースマイル! 獲物を前にした獣の笑み! タイガ選手、本気でオオムラ選手を潰す気ですね?』

『オオムラ選手は監督が実力を確かめるためにファームから呼んだわけで、この打席の結果如何では一軍入りもあるのではと予想されていましたが……どうやら本気で叩きのめすんでしょう』

『なるほど、ファームに送り返してやるぞ、と……後輩になんとも容赦のない』


 ……何も考えずに対戦しに来ただけだと思うんだがなあ。


『オオムラ選手に対してタイガ選手ですが、どうでしょうかマルオカさん』

『私はタイガ選手はもっと評価されていい選手だと思っていますよ。確かにメジャーに行った二刀流選手のような華はありませんが、非常に手ごわい投手です。ここでオオムラ選手にぶつけるなら、タイガ選手が最善でしょう』

『それはどうしてでしょうか?』

『やはり、球種の多彩さです。それをオーバー、サイド、アンダーの三種の投法から投げてくる。投手にとって投球フォームというのはとても繊細なものなのですが、三種類を自在に切り替えてくるのは正直言って異能としか言えませんね。球速や変化球の変化量が一級品でなくても、パターンが通常の投手の三倍あるというのは打者にとって非常にやりづらいものです』


 ちなみに野球ゲームに登場するタイガのデータで完全再現されたものはない、と言われている。ミタカいわく、一人だけのために投法変更とか第三変化球とかシステムに入れたくないだろ? とのことだが。


『読みづらい、ということですね。ではオオムラ選手はどうしたらいいでしょう?』

『タイガ選手の攻略は、やはり待球作戦で粘るところからですね。いくら球種が多いといっても、球数が多くなってくればどうしてもパターンというものは出てきてしまうものです。捕手のリードにも限界がありますからね。パターンが単調になる……通称「煮える」のを待つことです』


 煮えるってそういう意味だったのか……。


『なるほど。選球眼もすばらしいオオムラ選手のことです、待球は得意……ん? これは?』


 投球練習を終えたタイガが、グラブをカナに向ける。


『グラブに……手を隠して……。エッ、中指――ああよかった、三本、三本指を示してきました。一瞬放送事故かと思いましたが……ええっと、グラブから指を三本出してオオムラ選手に見せつけています。マルオカさん、これはやはり――』

『ええ、そういうことでしょうね』


 実況と解説が通じ合う。


『三球勝負! タイガ選手、後輩のオオムラ選手に対して、三球勝負を叩きつけました!』

『いやぁ……これは本気で潰す気ですねえ』

『オオムラ選手もそれを確認して――頷いた! 三球勝負ですッ! さあサイン交換が終わって……第一球はアンダーからッ!』


 カナのバットが振られ――ボールがミットに収まる。


『空振り、ストライクッ! 判定された球種は――シンカーですッ!』

『アンダーからの高速シンカーですね。浮き上がって曲がるように見えて打ちづらいボールです。使い手も少なく魔球と呼ばれることもあります。初見で攻略は難しいでしょう。いや、容赦ない』


 タイガは満面の笑みを浮かべながらボールを受け取る。カナは深呼吸してバットを握りなおした。


『さあ第二球……サイン交換が長いですね』

『投げられるものが多いので、バッテリーの意見が一致するのに時間がかかるんですよね。タイガ選手と組んだキャッチャーは、選択肢が多すぎるのでデジタルゲームをやっている気持ちになる、と言いますよ』

『贅沢な悩みかもしれませんね。さてサインが決まったようです。第二球――サイドスロー、きわどいッ!』


 カナがバットを――振りかけて、止める。振り返って審判のコールを待つ。


『ストライク! 球種はスライダー? いや、外角のきわどいところに刺さりました!』

『うーん、私ならボールと判定したかもしれませんね……ここからはボールに見えましたが、見事な投球でした。右対右のサイドスローからのスライダーは、体にぶつかるんじゃないかというぐらい角度がついて曲がって見えますからね、これも打ちづらい球種です』

『これだけすごい変化球があるのに、アンダーもサイドも使い手は少ないですよね』

『純粋に球速が出ないのと、アンダーはフォームの難しさ、サイドは左打者の増加が原因だと思いますね……タイガ選手の場合はそもそも球速がないですし、左打者には別の投法を使えばいいわけです』

『なるほど、それがマルオカさんの評価ポイントなんですね』


 1アウト、ランナー一塁。ノーボール2ストライク。


『また……サイン交換が長いですね。タイガ選手は首を振りっぱなしです。マルオカさん、次は何を投げると思いますか?』

『難しいですね。ノーボールなので普通ならボール球で釣りに行きたいところですが、三球勝負なので……そうですねえ、アンダースローからの変化球でしょうか。経験が少ないところを攻めて行きたいですね』

『なるほど。……ああ、タイガ選手側からサインが出ましたね、決まったようです』


 タイガが投球体勢に入り――大きく振りかぶる。

 ぐぐっ、と背中全体を打者に見せ付ける――


『トルネード投法! 直球勝負か!? ランナー走ったッ! ――えッ』



 踏み込み、投げたボールは――山なりの軌道。



『スローボール! こ、は、入るのか!?』


 ガギッ!


『打ったセカンド真正面、アウト! 一塁送球、ダブルプレー! オオムラ選手、迷ったが手を出した! 結果はセカンド真正面への鋭いライナー、飛び出した一塁ランナーを刺してダブルプレー、スリーアウトチェンジです!』

『いやあ……これは……予告フォーク事件を思い出しますね。えげつない』

『全球フォーク宣言をしておきながら、一度もフォークを投げずに高校で後輩だったオダギリ選手を三振にとった事件ですね? あれと同じだと?』

『さすがにあれは見逃せばボールですよ。ああいう山なりのスローボールはストライクになりえないですし、コースも外でしたからね。しかしそれでもオオムラ選手は振ってしまった。先輩が三球勝負だと言えばもちろんストライクを取るボールが来ることを予想しますし、ランナーを背負ってトルネードですからね。よっぽど自信があるボールだとしか思えません』

『そこにスローボール』

『誰が三球勝負で大外れのボールを投げてくると思いますか? なまじ時間がある分迷いますよ。正直、ライナー性の当たりを出しただけでも褒めていいと思います。あの軌道は打ちづらいので』

『なるほど。先輩のタイガ選手が、勝負に非情なところを後輩に見せ付けたということですね』


 球場からちらほらとブーイングが聞こえる。


『タイガ選手、観客の罵声を無視して、ベンチに戻るオオムラ選手を睨みつけています』


 ……どうだろう。キョトンとしているように見えるんだが。

 しばしマウンドの上で首をひねっていたタイガは、チームメイトに急かされてベンチへ戻っていった。


『さあチェンジです。九回表。これを抑えれば1-2で勝利ですが……おや、ピッチャー交代? これは』


 再びバックスクリーンに選手の顔が映され、オシャレな音楽が流れ出す。


『テンマ選手! テンマ選手が抑えで登板です! 先発から中3日での登板になりますが……』

『夏の甲子園を一人で投げぬいた選手ですからね。プロは環境が違うとはいえ、若いですしスタミナも有り余っているはずです。同期の応援に登板を志願した……というところでは?』

『なるほど、さすがヒーロー、仲間のために1点を死守しに来たと。いや、盛り上がりますね、この歓声、聞こえるでしょうか!?』


 カナの登場の時よりも大きな歓声が、球場を揺らしていた。特に女性の悲鳴のような歓声がすごい。テンマ選手がマウンドに立って小さくアピールすると、さらに歓声のオクターブが上がった。


『さあ、この回は4番DHのメイソンからですが……おや? なかなか出てきませんね。ん? またベンチに動きが……あっ! タイガ選手! タイガ選手がバットを持って出てきました! これは――DHを解除して、タイガ選手がバッターボックスに向かいます!』

『もうお祭りですねこれは。そういえば新人は全員叩きのめすと言っていたとか……』

『なるほど。テンマ選手もここで潰しておこうという魂胆なわけですね』


 いや……楽しそうに出てきたし、これもただ対戦したいだけじゃ……。


『テンマ選手はMAX150キロのストレートと、落差の大きいフォークが持ち味の投手ですが、タイガ選手との対決はどうなるでしょうか』

『テンマ選手は駆け引きも上手いんですよね。ベテランのような投球をするルーキーです。先ほどのような小細工は通用しないでしょう。ただ……』

『ただ?』

『タイガ選手は、地味に打撃もいいんですよね。セ・リーグの投手のくくりの中での話ですが、昨年の通算打率は1割8分、トップ3に入るんですよ』

『それは……知りませんでした。あまり印象になかったもので』

『まあ野手では最下位争いのような打率ですが、投手に限れば上位なんです。六大学野球にはDH制がないので、そこでも打撃経験を積んできたのが大きいのか……。パターン豊富な投球にそこそこ打てる打撃、これがスタミナに多少不安があっても先発起用されている要因でしょうね』

『なるほど……さあ、タイガ選手、ルーキーへの洗礼は続くのか!?』


 テンマ選手が投げる。タイガの背中は、隠しきれないワクワクに満ちていて。


『打ったッ! フラッと上がって……センター、おっと間に合わない! ポテンヒット! フルカウントからヒットをもぎ取りました、タイガ選手、二人のルーキーを真正面……いや……とにかく、公言どおり叩きのめしました! マウンドのテンマ選手、苦笑いしております』

『いやー、あそこまで全力疾走するピッチャーも珍しいですからね。いくら後がないとはいえ。あの当たりでツーベースを狙ってるんじゃないかという走りでしたから……苦笑いもするというものです』


 塁上のタイガは、鼻息荒くこちらを見る。少し形は悪かったとはいえヒットはヒットだ。拍手しておこう。


『ヒッ……た、タイガースマイルです。次のバッターに、打たなければ承知しない、ということでしょうか』

『恐ろしいまでの闘志ですね……』


 その闘志? もテンマ選手には通用せず、この回の得点はなし。


 カナが挑んだオープン戦は、チームは勝利に終わったものの、話題はほとんどタイガがさらっていってしまったのだった。

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