オープン戦最終戦
『いったい何がおかしいって言うんですか?』
野球のユニフォームを着た初老の男が、苛立ちを隠せずに口を開く。
『今期は一軍の試合には出さない方針だ、と二軍監督からは聞いていますが』
『そうですか、一軍の監督は私ですが』
『やはり二軍監督との間に確執が?』
『ありません。何か勘違いしていらっしゃるようだ』
記者のしつこい質問に、歩きながら回答していた男は立ち止まった。シャッターがバチバチと切られる。
『球団としても基本方針として、ファームでの育成を考えていることは事実です』
『では監督の独断ということですか?』
『だから、あなた、そこを間違えている』
男――監督はむすっとした顔で記者に反論した。
『オープン戦は一軍の試合ではありません。練習試合ですよ、練習試合。色々な選手を試して何が悪いんです?』
『噂では人気取りのためだとか……』
『誰が言ってるか知りませんが、ウチの選手はみんな人気者ですよ。誰が出たって総合的には変わらないと思いますがね』
『しかし育成の選手を出すというのは例のないことで』
『他の球団でも育成の子を出しているんですが、ご存じないのかな?』
ハァ、と監督は短いため息を吐いてから、記者ではなくカメラに向かって言った。
『ファームで好調の選手を試す、その意図しかありません。オオムラを特別扱いしているとでも言いたいのでしょうが、出している結果を見て決めたことです。それでは』
◇ ◇ ◇
3月25日。プロ野球オープン戦最終日。
それにカナが出場するというニュースは、二軍のオープン戦でデビューすることよりも大きく取り上げられた。
カナはいまだに一軍の公式戦に出ることのできない、支配下登録をされていない育成選手だ。支配下登録からさらに選ばれた28人の一軍、それに含まれない二軍。育成選手は二軍の試合にも5人までしか参加できない。
だがオープン戦は公式戦ではない。育成選手の出場も、十年ほど前から認められている。前例がないことではない……が、それでも珍しいことで、プロ野球ファンは大いに盛り上がった。
女性選手の活躍に。
テンマ選手との共闘に。
そして対戦カード……NPB初の女子プロ野球選手、タイガとの対決に期待を寄せて。
◇ ◇ ◇
ケモプロのアップデートを間近に控えて過密なスケジュールを過ごす中、急に飛び込んできたカナのオープン戦参加のしらせ。直前までカナたちにも分からなかったらしい。
そもそも二軍はすでに公式戦がスタートしており、そこで戦力として計算されているカナがオープン戦に引っ張り出されることは多少悶着があったようだ。だが基本的に皆一軍を目指して活動しているわけで、最終的には暖かく送り出されたとのこと。
しかし『最終的』であって、俺が知ったのは直前であり。
『スケジュール空いているわよね? 空いてないとは言わせないわよ、空けなさいよ?』
タイガ……とカナのマネージャー、エーコの助けがなければ現地で観戦はできなかっただろう。
「いつもすまないな」
『そう思うならシーズンシートでも買っておいてくれると、プロ野球関係者としては助かるわね。タイガと、カナのホームで』
「……いつもすまないな」
年間を通して観戦席を確保できる年間予約席は、三桁万円ぐらいする。それを二球場分となると……いや、一球場分でも無理だな。会社の経費にするわけにもいかないし。
『ま、いいわよ。オープン戦はシーズンシート対象外だし』
おい。
『三席分確保したから、君がご両親をエスコートしてくれる? 私はちょっと忙しくて』
「分かった。……が、三席か」
『何か不満でもあるのかしら?』
「いや、そんなことはない」
手配してもらって不満も何もない。だが。
「ご両親……というと、どうしたものかと思ってな」
『は? ……あッ』
通話の向こう側で、エーコが額を叩く音がする。うん、そういうことだ。
「ニシンの両親はどうしようか」
◇ ◇ ◇
結局、球場にやってきたのはカナの父親とニシンの父親だった。
「こうして揃って娘の応援に行くのは、リトル以来ですかな」
「あっ、そうなるかー。下の子の方の部活を優先しているとついね。カナパパは高校でも応援に行った?」
「いや、私も久しぶりだ。恥ずかしいから来ないで、なんて言われていて。しかし今日はユウ君の誘いだからな、仕方ない」
「あっはっは、なるほど! よっ、ユーウく~ん!」
がしっ、と肩を組まれる。短い髪を金に染め、サングラスをかけた男――ニシンの父親だ。恰幅のいいカナの父親と並ぶと、息子かな? と思うような若々しさだが、同い年だという。
「おお~、でっかくなったな~! 小学生の頃はこんなだったのに」
手で示したサイズは豆粒ぐらいなんだが、どんな小学生だ。
「覚えているんですか」
「そりゃまあね。娘の男友達なんだから覚えてるって。……あっはっは、ウソウソ! 高校に入ってから娘に写真を見せてもらってさ、それで知ってるだけ! 小学生の頃のキミは知らないな~。会ったこともないんじゃない? ま、とにかく招待してくれてサンキュウ! いやーママにはズルいって言われたけど、男同士の付き合いってやつも大切じゃん?」
「……そうか」
チケットは売り切れ、自由席も長蛇の列となった球場。ここに並べというのは、慣れていない人間にはつらいものがあるだろう。俺も慣れたとは言わないが、しかし――
「やはり俺が来ないほうよかっ」
「いやいやいや~、何言ってるのかなユウく~ん? キミが来なかったら俺らが娘にうらまれるじゃん? ねえ?」
「チケットを用意したのはユウ君なんだから、気を使ってくれなくていい」
正確にはエーコだし、カナの父親はそれを知っていると思うのだが。
「そういうことだ、な?」
肩を強めに叩かれれば、それ以上何も言うことはできなかった。
「席は私たちとユウ君でバラバラなんだろう? じゃあ、ニイミさん、先に行きますか。最初の一杯はおごりますよ」
「お、いいのか~? ベロベロになって晴れ姿を見てなくて、カナちゃんに怒られても?」
「はっはっは。録画しているから大丈夫さ」
そうして二人は人の流れに混ざって行ってしまった。
その背中が見えなくなってから、俺もスタンドに向かって歩き始めるのだった。
◇ ◇ ◇
『オープン戦の最終戦、球場は満員御礼、すさまじい熱気を放っております!』
バックネット裏の席に腰を下ろし、野球中継をイヤホンで聞く。フィールドにいる選手の顔が見える位置ではあるが、やはり実況を聞くのは分かりやすくなっていい。贅沢を言えばケモプロのように席を自由に移動したいが……。
『本日は解説にプロ野球評論家のマルオカさんをお呼びしています。マルオカさん、よろしくお願いします!』
『よろしくお願いします』
『今日はオオムラ選手がベンチ入りとのことですが』
『いずれこの日が来るだろうと思っていました。それが今日だとは想像していませんでしたが、とにかくプロ野球にまたひとつ歴史が刻まれたということでしょう』
『オオムラ選手は二軍のオープン戦、公式戦で活躍しております。すべて代打出場ではありますが、なんと打率、出塁率は二軍のオープン戦から数えても十割をキープ! これはどれぐらいすごい記録なんでしょうか?』
『この場合、ヒットによる出塁と、フォアボールによる出塁が混ざっているので、記録としては連続打席出塁……より珍しいものとしては連続打席
『では、歴代4位ということに?』
『とはいえオープン戦は公式戦ではありませんからね。二軍の公式戦の記録、となると4打席連続になりますか。ただ二軍の記録ですからね……』
『しかし、オオムラ選手は女子の甲子園でも十割ですよね。打席に立てば必ず出塁し続けている――それを加味するとものすごいことなのでは?』
『そこも入れてしまうなら、例えばチーム内の紅白戦などでは凡退もありますし、記録は途切れていることになりますよ。しかし、勝負強さがある、ということは確かでしょう』
盛り上げたい実況者に対し、解説者は控えめな回答を返している。
それでも、誰もがすごいことを期待している、という雰囲気は伝わってきた。
『それにしても今年のルーキーはすばらしい活躍をみせていますね。テンマ選手も失点こそあれ未だ黒星がついていません。他球団になりますが、タツイワ選手もオープン戦の長打率はトップ争いに食い込んでいます。そしてオオムラ選手が、今日ここでどんな活躍をみせてくれるのか』
『どのタイミングで代打に出すかが注目ですね。オオムラ選手の実力を試すならプレッシャーのかかる場面を選択するでしょう』
『おっと、ここで注目のもう一人のルーキー、新卒球団職員、ファームのクノイチことニイミさんが出てきましたよ』
ツインテールの小さな幼馴染が、ユニフォームを着てファールグラウンドに駆けていく。大きな球場にはしゃいで、跳んで跳ねて観客に手を振っていた。
『ニイミさんはオオムラ選手と同じ高校出身で、用具係として球団に入職しました。以来、職場を同じくして用具係、ボールガールとして働き、オオムラ選手を支えているわけです。注目されるようになったのはネットに投稿されたスーパーキャッチの動画でしたね』
『ファールフライを見事な三角跳びで捕球したあれですね』
『ちなみにボールガールがフライを処理していいんでしょうか?』
『あきらかに追いつけない状況だと審判が判断すれば、ボールガールが捕ってしまってもファールと判定されますから、あの場面では問題ありませんよ。まあ、捕ってしまった後のオロオロした様子はかわいらしかったですが』
『女子プロ野球のドラフトで一位指名されていたこともありますし、その血が騒いでしまったというところですか』
『小学生からプレーしていれば飛んできたボールに反応してしまうのは仕方ないことでしょう』
『ちなみにニイミさんの守備は、マルオカさんから見ていかがですか?』
『すばらしいですね。ファールグラウンドに置いておくのがもったいないぐらいです。資料が少ないので他のプレーは見てみないとわかりませんが……あとはもう少し、身長と……』
『身長と?』
『打撃力があれば……二人目は彼女だったかもしれませんね』
打撃力もか……。
とはいえ守備は評論家に認められたということだな。後で教えておいてやろう。
『ベンチには、今日は控えのテンマ選手とオオムラ選手が並んで座っておりますね。やはりあの二人は絵になりますねえ』
『お互い打撃力を売りとしている選手ですが、チームメイトとして仲良くしているようで見ていて微笑ましいですね』
何か話しかけているテンマ選手に、カナは笑いながら相槌を打っていた。……たぶん、少し困ってるな。体が若干引いてる。
『ベンチといえば、この人も見逃せません。向かいの三塁側のベンチにオーラを放つこの選手!』
実況が誰のことを言っているのかは、ひと目で分かった。
ベンチから身を乗り出して、腰まで伸びた長い黒髪を何段かに分けて縛った――通称、タイガーテールを揺らしている女子選手。
『NPB史上初の女子選手、タイガ選手です! 一昨日先発したのでローテ的には休みなのですが、今日は後輩、オオムラ選手の活躍を見るためでしょうか、ベンチに控えています!』
『いやあ……威嚇、牽制ですかね。タイガースマイル、ここから見ていても迫力を感じます』
『潰してやる、とまで公言していましたからね。もしかしたら登板――女子選手同士の対決が見られるかもしれませんよ!』
たしかに、登板はあるかもしれない。
あのタイガースマイルは……ワクワクして投げたくって仕方ない笑顔だからだ。
『注目の一戦! 間もなく試合開始です!』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます