声と舞台と
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
WAPPA高田スクールでの授業は挨拶から始まる。まともな挨拶ができなければそこからやり直しだ。
「ん、おはよう! いい挨拶ネ!」
ワッキャ先生がウインクする。最近ようやく一発で挨拶が認められるようになった。……クモイだと今でも三回ぐらいやり直させられるんだが。と、そのクモイの姿がないな。
「クモイさんは?」
「今日はオーディション受けに行ってるからお休みヨ。アタシとマンツーマンレッスンね」
クモイと二人ということは多かったが、ワッキャ先生と二人というのは初めてだ。
「さ、時間を無駄にせずいきましょう。今日はなんと、バァン! コレ! 台本ヨ!」
「この台本の朗読ですか」
「も~、よく表紙を見てご覧なさいな」
……スマートフォンアプリ、最上川これくしょん、第一弾収録用。株式会社NoimoGames。
「オーディション用の台本、ですか」
「そうよォ。一次審査が終わって、その合格者に渡されるモノ」
俺以外の参加者は一次審査とやらをやっているらしい。サンプル用のボイス提出と、簡単な書類審査だそうだ。その合格者にだけ、何の案件なのか詳細が知らされる形となっている。それまでは確か『某有名女性向けスマートフォンアプリのキャラボイス』とかそんな感じで募集をかけているとか。
「これで気兼ねなく練習できるわネ?」
「そうですね」
俺はゲスカワ君の役でオーディションを受けることが決まっている。だからやろうと思えばゲスカワ君の台詞一覧を抜き出して練習できるし、なんならNoimo――モロオカからも台本を先に送ることを提案されていた。が、断った。
いくら『才能とめぐり合わせ』とはいえ、一次審査をパスした上、キャラの練習まで先に始めるのはフェアじゃない。自信があるわけではないが、素人だからと優遇してもらっても意味がないと思う。だから、台本を貰うタイミングは他の参加者と同じにしてもらっていた。
「けっこう分厚いものなんだな……」
「複数体のキャラを収録するし、その掛け合いもあるから一冊にまとめてあって……でこの量ね。注釈も丁寧に入れてあるから厚くなるのはしかたないわネ。ま、セリフだけのペラペラなのよりはいいわヨ」
「ペラペラ」
「ひどいとこだと誰のセリフか分からないようなリストしか渡してこないとこもあるわヨ。しかも翌日に収録とか」
「それはどうやって練習するんだ?」
「まともにできないしぶっつけ本番? でも収録に立ち会った発注元の人もどっちがどのセリフか分からなくて結局全部録ったとかね……そういうのに限って後で発音が違うとかで文句言うのヨ、ひどいと思わない?」
「リテイクもタダではないのだろう? ひどいというか……仕事なのか、それは?」
「さすがにここまでヒドいのは見なくなってきたケド……」
「それは、先生レベルならそうですよ」
スッ――と。穏やかで包容力のある、暖かな男の声が割り込んできた。
声の方向に振り向く。
「僕なんてまだまだそういうのに出くわしますからね」
スマートな声質。いわゆるイケボ。耳と目のどちらを疑うべきか。
立っていたのは声からは想像できない、巨漢の赤ら顔の男だった。
――それ以外にはいない。少し探してしまったが、壁のような体の後ろにも隠れていなかった。ナゲノ以来のギャップのある声だな……。
「おはようございます。お元気そうで何より」
「あらァ、キョウちゃん。久しぶりネ、どうしたの?」
「ちょうど近くを通りかかったもので、後輩に差し入れに。あとで先生も食べてくださいよ」
「キョウちゃんセレクトならハズレなしネ。楽しみにしておくワ」
「はは、見かけたのを適当に買ってきただけですよ。……ところで、彼は?」
「ああ、紹介するわネ。ユウちゃん、こっちはキョウちゃん。ここの出身の声優よ。キョウちゃん、こちらはユウちゃん。ちょっとワケアリで預かってる生徒さん。変わったとこがあるけどいい子よォ」
「ふぅん……アザハラキョウタロウです。よろしく、後輩くん」
「オオトリユウです」
野球のグローブ……というかクリームパンのような手と握手する。
「ああ、ちょうどいいわ。キョウちゃん、時間ある? 台本の練習をさせたいんだけど、掛け合いのところの相手役をやってほしいのよ。アタシ、イケボ苦手なのよネェ……」
「いいですよ、それぐらい。台本を失礼。……ああ、あの案件、やっぱりもがこれだったのか」
「知っているのか?」
「知り合いが同じオーディションに応募するって言ってたからね。会社名と条件を組み合わせて考えればだいたい分かるさ。どれ……挨拶代わりに一本」
アザハラはズォッ、と深呼吸すると、一拍置いて口を開いた。
「――あぁ、おかえりカセカンさん。それじゃあお茶を入れてよ。え? おみやげあるんでしょ? うん、ありがとう。じゃよろしくね。あれ……いいの? お茶、二人分じゃなくて?」
「おぉ……すごい」
俺は思わず感想を口にする。
「本当にカセカン(河川管理者=もがこれのプレイヤーの呼び名)と話しているみたいだ。それにゲスい中にも心配している感じがした」
「ははは、褒められると気分がいいね。僕もオーディションに出たくなっちゃうよ」
「出ないんですか?」
「出られるわけがないだろ? 君は僕をバカにしてるのか?」
……?
「すまない。よく分からないのだが」
「一次募集の要項で察しがつくだろ?」
「その要項を知らないんだ」
「え。……マジで?」
「マジよ。言ったでしょ、ワケありって。ちょっと事情があって一次は免除なのヨ」
アザハラは小さな目を閉じ、太い眉を寄せて頭をガリガリと掻いた。
「えー……っと。そのだな。そう、一次募集にはいくつか条件が出されていたんだよ。少年役の声って女性声優がやることもあるんだけど、この案件は男性限定。しかもキャラごとにある程度の身長・体重の基準も示されてる」
「? 声じゃなくて?」
「声よりも先にね。つまり、ここから導き出される答えはひとつ──声だけの仕事を想定した募集じゃないってこと」
「声だけじゃない」
「要するにそのキャラの役として人前に出る場面があるんだよ。女性向けのゲームで、きっちりキャラごとに体型の指定もあるから──舞台劇。最低でもトークショーぐらいは計画しているだろうね。……だから、僕は出られない。応募したところで書類選考の時点で、履歴書の写真を見て落とされるさ」
「そういうものなのか?」
「君には分からないだろ」
アザハラは太い指を俺の胸に突きつける。
「ちょっと、キョウちゃん?」
「先生も先生ですよ。なんでこんなやつを指導してるんです? 声も平凡だし――……やっぱ、顔ですか? 落ちたもんですね、WAPPAも。フツーの声優事務所になり下がったってことかよ!」
びりッ、と部屋が揺れる。声量だけじゃない。迫力が――
「クソ騒がしい」
ガチャリ。ドアを開けて開口一番、クモイが文句を言った。
「あら、モモちゃん! 早かったわね! オーディションはどうだったの?」
「落ちました」
「あぁ……そう……」
ムスッとした顔に迎撃されて、ワッキャ先生は勢いを落とす。するとアザハラはフンッと鼻を鳴らした。
「そんな格好でオーディションに行ったなら、そりゃ落とされるさ」
「は?」
「せめてもっと着飾っていけって話。クモモちゃんや僕みたいのが印象をよくするにはそれぐらいしかないだろ。ほら」
アザハラはその場で腕を上げて服をアピールする。巨漢だがそれを誇張しない服装だ。
「まあまあだろ? スタイリストにコーディネートしてもらってる。金はかかるけどその分の価値は十分あるね。せめて清潔感ぐらいは出さなきゃあダメだよ。僕は体型維持のダイエットも始めたし、スキンケアも気を使ってる」
「……あの、何の話?」
「世の中結局顔だって話だよ。僕はイケボで売ってるけど、中身の顔はこんなんだ。毎度顔出しNGって約束して仕事をしてる。……別に文句はないよ? 仕事を取るためと――まあいつか有名になって写真が流出した時、多少はマシだって言われるようにこうして身奇麗にはしてるけど、自分から顔を出すつもりはない。ファンの夢を壊すのもなんだしね」
そして、アザハラは俺のほうを向いていびつな笑みを浮かべる。
「分かっただろ? だから、僕はもがこれのオーディションには出れない。舞台やトークショー……なんならキャラソンでライブとか企画するかもしれない仕事にはね。ま、普通のことさ。オオトリ君だって、仕事を一緒にするなら僕みたいなブサイクよりイケメンの方がいいだろ?」
「む……」
視線を感じて、俺はワッキャ先生とクモイに目をやる。ワッキャ先生は無言で受け止め、クモイはサッと目をそらした。
「……そうだな」
俺は頷く。
「イケメンの方がマシ、かもしれない」
「だろう、そりゃ……ん? マシ?」
「コミュ障だからなかなか人とうまく話せないんだが、特に顔を見て話すのが苦手だ。どうしても平均とは違う……その人の特徴のある部分に目が行ってしまう。アザハラさんなら、頬とか、眉とか、目とか」
人の顔を覚えなければと思うと特に。ところが。
「そうするとどうも相手は不快な思いをするらしい。怒られることもある」
「………」
「だから、顔を見られることに慣れている相手の方が話しやすいと思う。そういう人は大抵、イケメンだ」
ただ、顔は覚えるのに苦労する。イケメンは特徴を探すのが難しいのだ。顔を見ていても目が滑る。
「……それじゃ、オオトリ君は僕の顔をどう思うわけ?」
「人並みの審美眼は持っているつもりだ。美醜の判断をしろというなら、後者なんだろうとは思うが」
例に照らし合わせれば。ただ。
「俺個人としては別にどうとも思わない。いや、普通のイケメンより覚えやすくていいな、とは思う」
「な……」
アザハラは口をパクパク動かして、結局何も言わずに閉じる。そんな彼の大きな背中を、ワッキャ先生がバシンと叩いた。
「ね。変わった子でしょ」
「……はは。ハァ……そうですね。毒気を抜かれましたよ」
アザハラは後ろ頭をバリバリと掻いて笑う。
「オオトリ君みたいな同級生が欲しかったな。そうしたらもっと生きやすかった気がするよ」
同級生。……友達? もしかして、これは男友達を作るチャンスでは?
ある、あるな。こうやってちょっとケンカした後に急に仲良くなるのが定番だ。ここはひとつベストなセリフを――
「ばっかみたい」
クモイが、大きくため息を吐いた。
「アザハラ先輩はチョロすぎだし、オオトリは中二病をこじらせすぎ」
……どうもクモイの中で俺は中二病らしい。
「だいたい、今の流れは男同士だからそうなるだけ。異性の声優がブスなのは誰だって嫌。……私みたいのがアニメのヒロインやってたら嫌でしょ。アザハラ先輩の言うとおり、顔に合わない役はできないんだよ」
「クモイさんの声質でヒロインなんて、インパクトがあっていいと思うが」
「私じゃ、キャラに恋してもらえるわけない」
「恋してほしいのか?」
「は? キャラのことだけど? バカじゃない?」
「キャラに恋するのとクモイさんは……声はともかく外見は関係ないだろう」
「きれいごとだ」
「キャラはクモイさんじゃないし、クモイさんもキャラじゃない」
確かにわざわざ中の人の容姿をあげつらうような人たちもいる。だがそれがなんだというんだ。
「やりたいことがあるなら、遠慮しないほうがいい」
俺の幼馴染も言っている。
「誰に迷惑をかけてでも、それ以上の結果で報いることができるなら、それでいいじゃないか」
「………」
「はいはいはい、そこまでヨ!」
パンパン、と手を叩いてワッキャ先生が割り込んでくる。
「おしゃべりはここまでにしましょ。今日は何のためにここに来たの? ユウちゃんの練習のためよね?」
そうだった。せっかくの練習時間を無駄にはできない。……しかし、練習か。
「……舞台の練習とかも、必要なんだろうか?」
「おや?」
俺の呟きを聞きつけたアザハラが、冷たい声で言う。
「それ、今悩むことかい? 君、そんな余裕があるの? 人の心配をする余裕、オーディションに受かる自信が? ……ワッキャ先生が教えてなかった、練習させてこなかったってことは、それはつまり、そんなことをしていたら声のオーディションでさえ受かる可能性がないからじゃないか? ──なめるなよ、素人」
圧力。びりびりと肌が震える感じ。
「こっちの土俵に踏み込んでくるからには全力で来い。舞台の心配なんて、役を勝ち取ってからだ」
「……その通りだ」
気持ちが緩んでいた。
こんなにすごい人たちから指導を受けているのだからと、どこか慢心していたのだ。あくまでオーディションを受けるのは俺一人で……訓練を初めて一ヶ月程度の素人だというのに。
「台本の相手役をお願いできるだろうか?」
「厳しくいくよ」
俺とアザハラ先輩は目と目を合わせて──
「クソ寒い」
ぼそりとつぶやかれたクモイの一言に、ぴたりと動きを止めた。
「やることやるだけなのに、いちいちそういうのいる?」
「あ、うん……いやクモモちゃん、男にはさあ……」
「やれないの?」
クモイの目は冷たい。
「アラ、男の子って感じで微笑ましかったじゃない?」
「アザラシとクソ素人の組み合わせなんてどうでもよくないですか」
アザラシというよりはセイウチかトドじゃないだろうか。
いや……確かそれらの四倍ぐらい重いアザラシがいるとかずーみーが言っていたような……。
「ええと……じゃあ、とりあえずやっていこうか……」
「わかりました」
気まずく太い眉を下げるアザハラに、俺は頷いて答える。
収録日は月末。公開オーディションは来月。練習する時間はいくらあっても足りないのだった。
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