卒業式と理事長
3月9日。
急激に暖かくなりはしたものの、さすがに桜はまだ咲かない。
教室の窓から小さな桜のつぼみをぼんやり眺めていると、入り口のほうで歓声が上がった。
「わあ、来れたんだ!」
「へへ、さすがに今日ぐらいはね?」
「沖縄からだと大変じゃなかった?」
「いやいや、もうキャンプは終わってるからね!」
「え、てことはカナも来てるの!?」
「おうさ、向こうの教室の騒ぎが聞こえるっしょ」
あっという間に囲まれた小さな幼馴染は――いや、さすがに少しは背が伸びたから頭が見えるな。ニシンはこちらに気づくと、ニカッと笑って手を大きく振った。
今日は3月9日――私立棚田高等学校の卒業式だ。
「ひっさしぶり、ユウ」
カナを見に行こうと女子たちが隣の教室に移動していくと、その波をするりと抜けてニシンが近寄ってくる。
「いやあ、無事に卒業できるものなんだね、あんなに教室にいなかったのに!」
「出席日数は足りたからな」
成績はさておき、各授業の3分の2以上を出席していないと卒業できない。社長業と平行して学校に通っていたが、仕事や出張の入る曜日が偏っていて、特定の教科でかなり危うかった。――成績もだが。
「いや~、ユウと一緒に卒業式って初めてだよ」
「そうか?」
「そうだよ。カナとは全部一緒だけどさ」
ニシンは向かいの椅子にまたがり、その背に顎を乗せて全体をガコガコと揺らした。
「ユウは小学校の頃、二年で転校したじゃん。あたしに何も言わずにさ」
「すまなかった」
「いいよ、事情は前にカナから聞いたし。……カナも聞いてなかった、ってのはその時初めて知ったけど」
「そうなのか?」
「そうだよ」
ニシンはフグのように膨れる。
「おかげでユウが転校したって先生が言った後、カナと喧嘩したんだからね。なんで教えてくれなかったの、って。お互い気が立ってたから取っ組み合いになってさぁ、しばらく口もきかなかったな。結局カナが折れて謝ってそれでおしまい。でも本当はカナが謝ることは何もなかったんだ……って知った気持ち分かる?」
「……二人には申し訳ないことをした」
「いーって。言ったでしょ、事情は聞いたってさ。一年ぐらい前かな? でも文句言ってなかったの思い出したから、言ってみただけ」
それより、とニシンは身を乗り出す。
「卒業式だよ! 中学は別だったけど、ようやくこういうイベントが一緒にできるねぇ!」
「ようやくか?」
「ようやくだよ。入学式こなかったじゃん」
「……小学校の入学式なら、たぶん一緒だったんじゃないか?」
「それ覚えてる?」
「覚えてない」
「でしょ。あたしも」
たった二人の幼馴染との、最初で最後の卒業式か。そう考えると確かに感慨深いものがあるな。……交友関係の少なさも染み入るが……。
などと考えていると、教室の外が騒がしい。
「うお、なんだお前ら! 自分の教室に戻れっての! ほらほら見世物じゃない! いいのか、式の説明聞いておかないと変なタイミングで起立して目立つことになるぞ!? さあ急げ急げ!」
「ライパチ先生の話で泣くタイミングの打ち合わせー?」
「ライパチ先生、何時間ぐらいやるの? トイレ休憩ある?」
「やめろお前ら、それはさっき職員室でさんざんいじられてきたから……」
げんなりした顔で、ライパチ先生が女子生徒を教室に押し込みながら入ってくる。
「ほいじゃまた後で」
「わかった」
ニシンが自席へ移動していき、高校生活最後のホームルームが始まった。
◇ ◇ ◇
私立棚田高等学校。狭い山間部にありそうな名前だが、一応都内の進学校だ。
まるで調べていなかったが、第44回卒業式とあるからには約40年の歴史があるらしい。学校としては古い部類なのだろうか? 平均が分からないが、少なくとも古臭い感じはしない。根拠のはっきりしない校則なんてものはないし、行事も最低限といったところだ。
卒業式も冗長なプログラムは存在しない。中学の時はエライ人たちの話が長々と続き、やっと終わったと思えば祝電を延々と読み上げられたものだが、棚田高校ではエライ人は一人しか登場しない。
「当校理事長兼校長、
壇上に上がったのはスーツ姿の女性だ。意志の強い目鼻立ち。自信に満ちた微笑み。
「卒業生の皆さん、保護者の方々、本日はおめでとうございます。今年も全員が何らかの道を見つけ、新たな門出を迎えることを嬉しく思います」
挨拶はこれだけ。その後は早々に、今年行った取り組みの紹介、今後の計画を話していく。
「――また冬休み中には数年間の懸念事項であった全校舎のインターネット接続も実現しました。まあ……卒業生の皆さんは恩恵を得られる機会が少なくて、なんだよ遅いじゃないかなんて思ったかもしれませんが……」
絶妙な間とおどけた口調に、卒業生たちから笑いが起こる。それを咎めることはせず、ミサキはより笑みを深くした。
「今後も最新の教育環境を整えるべく動いていきますので、ご期待ください。さて……私の話はこれぐらいにして、次の話者に登壇してもらいましょう。卒業生から在校生へ、自身の経験を踏まえた進路についての助言です。今年も卒業生は様々な経験を積み、進路を決めていきました。進学だけではない、様々な進路があることを知ってもらいたい」
もちろん有名校に合格した生徒にも話してもらいますが、と前置きして、ミサキは言葉を続けた。
「海外留学した者、仏門に入る者、芸能界に入る者……起業した者」
ミサキと目が合った気がした。いや気のせいではない。こちらを見て笑っている。
「全員を紹介し、講演していただきたいところですが、時間が足りません。大変惜しいことですが、数名に限って登壇していただきます。……もちろん、トリは皆さん期待のあの人なので、ご心配なく」
◇ ◇ ◇
「突然お呼びして申し訳ありません」
卒業式の約一週間前。俺は学校のほとんど踏み入ったことのない領域にやってきていた。校長室と札のかかったその部屋は、重厚感のある家具で囲まれた学校らしさのないところだった。
担任であるライパチ先生と一緒に大きなソファに座り、向かいから差し出された名刺を受け取る。棚田美咲。私立棚田高等学校、理事長兼校長。
「君のことは聞いていますよ、オオトリくん。去年起業したKeMPBの代表社員。社業も順調だと聞いています」
「ありがとうございます。……タナダさんは校長なんですね」
「ミサキ、でいいですよ。君のことは聞いている、と言ったでしょう? 喋り方もいつも通りで結構」
「わかった、そうさせてもらおう。……どうした、ライパチ先生、頭を抱えて」
「お前の切り替えの早さにちょっとな……ていうか、校長の顔ぐらい知っておけ」
「いいんですよ。年に数回、遠いところから見る程度でしょうからね」
加えて言うとここ一年、そういうタイミングは『休むチャンス』としか見てなかったしな。
「それでミサキ。どういう用件だろうか? ……卒業の件なら、条件は満たしたと聞いているが」
「卒業には問題ありませんよ。今日はそういう話ではありません。……学生としてのオオトリくんに用はありません」
「えッ。じゃあ俺は?」
「ライジョウ先生には案内をお願いしただけです。なぜ同席を? まあ構いませんけど……」
学生ではない、となると、KeMPBか。……しかし、校長が何を?
「さて、オオトリくん。最初のお話ですが」
ミサキは自信に満ちた顔をして、俺の目を覗き込んで言った。
「当校の理事になりませんか?」
◇ ◇ ◇
「理事……というと、理事会のメンバー? 俺が?」
「理事会が何かはご存知?」
「……偉い人の集まり、というイメージしか。フィクションでしか存在を知らないな」
そして大体、ラノベや漫画の理事会は敵役だ。
「理事会とは、学校を運営する経営陣の集まりです。会社で例えると、理事は役員ですね。校長、教頭、教職員は実務担当――従業員にあたります」
「ミサキは理事長兼校長とあるが」
「経営陣のトップでもあり、従業員のトップでもあるわけです。学校の経営方針から教育方針、予算から人事まですべての権限を握っています。面白いところでは、生徒の懲戒権限などもありますよ」
「……つまり、KeMPBにおける俺の立場のようなものか」
代表社員が理事長で、社員が理事。そんなところだろう。
「それで、俺を理事に? ……なぜ?」
「理事会は先ほども言ったように、学校の経営をする組織です。経営判断力、行動力をもった人材を欲しています。自力で起業した有能な人物を取り込みたい、と思っても不思議ではないでしょう?」
「ミサキとは比べ物にならないんじゃないか? この学校を作って運営してきたんだから」
「私がそんなに高齢に見えますか」
「いや」
四十代といったところだと思う。シオミとそう変わらない。
「私は二代目ですよ。祖父が作った学校を引き継いだんです。大学を出て理事になって……十年前、理事長になりました。それから理事の世代交代を進めていましてね、若い人が入って欲しいんですよ」
「世代交代……今の理事会に何か問題が?」
「
ミサキは暗い目をしてボソリと呟く。
「……ライパチ先生」
「俺は知らん。ここに入ったときからこの人が理事長だったし、上の方には興味がなかったからな。つか振らないでくれよ俺だって怖い」
「とにかくです」
ミサキはパッと表情を笑顔に変えて言う。
「オオトリくんが理事になることは、棚田高校のためになると思うのですが、いかがでしょう?」
「……理事って、なると報酬がもらえるのか?」
ラノベや漫画では利権を貪り食う組織のようなところらしいが……。
「月々の報酬はこの程度」
「……これで生活できるのか?」
「皆さん兼業ですよ。理事長の私も、収入の大半は校長職の方でいただいています。報酬は多すぎても腐敗を招きますし、かといって無報酬でも腐敗を招きますからね。この辺りが落としどころです。その他のメリットは……社会的地位、ですかね」
社会的地位。確かに『棚田高校の理事』という肩書きは強そうだ。そこそこ知名度のある私立高校なら、勝手に信用もついてくるだろう。
「理事のする仕事は?」
「経営方針を決める会議に出席すること。委任状を書いて欠席でも構いませんが、なるべく出てもらいたいですね。あとは権限と裁量のもと学校の利益のために活動すること」
具体的な仕事はない。学校の利益を目指して自ら活動せよ、という感じか。それなら。
「断らせてもらう」
「ちょッ、お前な――」
「早いですね。理由は?」
「俺は今、KeMPBの代表として、KeMPBの利益を第一として動いている。もしKeMPBと棚田高校の利益が相反するようなことがあったら――」
天秤は傾く。
「だから、理事にはなれない」
「わかりました。――じゃあ、次の話を」
ミサキはあっさりと引き下がって話題を変える。
「当校への寄付を考えてみませんか?」
「……寄付?」
盲導犬とか、井戸掘りとかに?
「ライジョウ先生のお給料が何から出ているか知っていますか?」
「……学校からでは? まさかその学校の収入源が……寄付?」
「一般的に寄付は全体の一割程度ですけどね。私立校の収入はおおよそ、学生の支払う授業料で六割、国からの補助金で三割といったところです」
「ライパチ先生、国からお金を貰っていたんだな」
「そういう言い方するなよ、どこも一緒だろ……」
しかし三割か。補助金は大きいな。KeMPB設立時も事業内容によっては国から補助金が出るとかあったんだが、いろいろ検討して補助金は使わないことにした経緯がある。
「寄付金を出すとどうなる?」
「余力に使える予算が増えるようになります。施設を更新したり、新しい機材を導入したり、より実績のある教員を雇ったり……。常に寄付は募っていますが、例えば奇跡的に当校が甲子園に出場するようなことがあれば、さすがに予算不足になるので大々的に寄付を募りますね。それで野球部が甲子園に行けるようになるわけです」
「奇跡て校長……いや、まあ……」
ちなみに女子野球部が夏の大会で決勝に行ったときも、その寄付金、プラス、ミサキのポケットマネーからバス代を出したという。金額を聞き、あのスカスカ具合を思い出して、少し気の毒になった。
「特に大きな寄付金をいただいて、それをもって何か作ったり改めた場合は名前を出すこともありますが、基本的には特に見返りはありません。ただ、学校への投資――とも考えることはできます」
「投資」
「例えば学校に残る後輩のため」
ずーみーか。しかしずーみーも来年は卒業するからなあ。
「これから入学する兄弟のため。将来生まれる子供のため」
………。
「青春を過ごした母校に子供も通ってほしい、という考えは一般的だと思いますよ。それがよい学校であればなおさらです。寄付をして設備を整えてもらい、子供を通わせる……まあ、当校は一般入試しかしないので、子供が入学する保証はありませんが」
いわゆる裏口入学、というのは棚田高校にはなさそうだ。
「母校が甲子園行ったら自慢できっからなぁ……俺も出身のOB会に寄付金払ってるぞ」
「ライジョウ先生の出身校、当校と同じで毎年予選二回戦落ちと聞いてますが? 二回戦落ちの仕方でも指導しているのですか?」
「うぐッ……いや、その……部員数がですね」
「そろそろ顧問から外れませんか? 別に実績がどうという話ではありません。ブラック部活という呼称が認知されてきた昨今です。当校も部活動は専門の職員を雇ったクラブ化を進めています。それなのに、男女野球部がライジョウ先生の兼任では……」
「いやッ! その、俺はやりたくてやってるんで!」
「確かに当時は野球部の顧問ができる人を、ということでお招きしましたし……本業の教職に支障がでていないから黙認していますが……予算は確保しているのに……」
「野球部は大丈夫なんで! そ、それより今日はこいつの話でしょう!?」
「そうですね……。それで、どうでしょうオオトリくん」
ライパチ先生の説得を諦めて、ミサキはこちらに向き直る。
「今後の棚田高校のため、寄付を考えてはもらえませんか?」
「断らせてもらう」
「では理由を」
「いい学校だとは思っている。他の高校に通ったわけでもないから比較はできないが、特に不満はなかった。だが逆を言えば、この学校以外にもいいところはあるかもしれない。ここでなければ、という理由が見当たらないんだ。ここに残る知り合いも、今年三年になる後輩が一人だけだし、どうしても存続してほしいということもないし……」
来年廃校になったって、俺は特に困らない。
「出身校だからといって特別な思い入れがあるわけでもないし、正直なところ寄付をするほど俺個人の収入に余裕もない。だから断らせてもらう」
「なるほど」
ミサキは頷いた。
「まあ、それが正常だと思いますよ」
「校長ッ!?」
「私が言う台詞じゃないですが、たかが出身校程度の関係で身銭を切る人はお人よしすぎると思ってますからね。あまり友達になりたくないタイプです」
「……それ、絶対外で言わないでくださいよ、マジで……」
「なんですか。ライジョウ先生だって、オオトリくんが寄付をしようとしたら止めるつもりだったでしょう? すごい顔してましたからね」
「いやそりゃ……教え子が稼いだ金を、見返りの薄いことに使わせたくないでしょうが」
「そうなのか」
「そうさ」
ライパチ先生は腕を組んで言う。
「いいか。労働で得た金は空から降ってきたわけじゃない。その出所はまた別の仕事で稼いだ奴が使ってくれた金で、その稼ぎはまた別の、と巡り巡ってきたもんだ。特にオオトリは会社の代表だ、その重みに見合った使い方を――会社の利益になる使い方をしなきゃいかん。寄付なんてお前にはまだ早い」
「説教臭いですね。どう思います? オオトリくん」
「ライパチ先生らしくていいんじゃないか?」
「でしょう。私もこういうところを買っているんですよ」
「うぐっ。なんなんだよこれ……」
ライパチ先生は頭を抱えてうずくまってしまった。ちらりと見えた顔が赤いような気がする。
「それで、話はそれだけだろうか?」
「三つ目があります。これが最後です」
ミサキは――笑って言った。
「当校の広告を、ケモプロで出せませんか?」
「いいとも」
俺はスマホで資料を呼び出す。
「これが今空いてるスペースの価格表だ。一ヵ月後ならここも空きになる」
「意外とリーズナブルですね」
「来期は値上げの予定だ」
「なら今がお買い得ですね。学割は効くかしら?」
「ミサキは学生なのか?」
「定番の学校法人ジョークですよ。そういう返しをされたのは初めてですが」
「学割はないが継続期間によっては多少割引をする」
「なるほど」
「スポットでいいなら二軍の試合で協賛……冠レースならぬ冠試合もできるが」
「面白そうですけど、やはり継続性のあるほうが……」
要望と予算をすり合わせて、お互い納得のいく結論を出す。
「ではそれで。見積もりを送っていただけますか? 理事会に提出しますので」
「わかった。……どうした、ライパチ先生。変な顔をして」
「呆れてるんだよ」
ライパチ先生は、長く溜め息を吐いた。
「あんな微妙ぉ~な空気から、二人ともよくそんなノリノリに商談に移れるな?」
「別の話だから、切り替えるのは当然じゃないか?」
「できる営業マンとはそういうものですよ、ライジョウ先生」
「……俺、教師になってよかっ……うーん……いや……」
何か悩み始めたライパチ先生を置いて商談はまとまる。
「そうそう、卒業式ですが」
そしてそろそろ引き上げようとした時、ミサキは思い出したように言うのだった。
「毎年、ユニークな進路を選んだ生徒には、後輩への訓話をお願いしているのですよ。オオトリくんもどうですか?」
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