ラブ

「全然ダメね」


 ピンク髪の長身の男――ワッキャ先生は、頬に手を当ててホゥッと息を吐いた。


「ダメですか」

「ダメね。ここまでダメとは思わなかったワ」

「だから言ったじゃないですか、先生」


 マト……クモイが鼻息も荒く断言する。


「オオトリはクソだって」


 ◇ ◇ ◇


 最上川これくしょんのゲスカワくん役を依頼され、声優養成所WAPPA高田スクールに通い始めてから一ヶ月と少し。コンビニバイトの時間を丸々ボイストレーニングに転換してやってきたのだが、その評価はご覧の有様だった。


「滑舌はよくなったワ。最初に会ったときは、ゴニョゴニョボソボソでどうなることかと思ったけど。肺活量も上がったわね。元がヘロヘロだったから上がり幅も大きいんでしょうけど、とにかく喋るだけなら及第点。でも……」


 ワッキャ先生は薄く目を開ける。


「感情表現がここまでヘタクソだとは思わなかったワ」

「ヘタクソですか」

「クソだよ」


 クモイは顎を首に沈めんばかりに頷く。


「演技力じゃがりこ面接をやらせたら、淡々と『じゃがりこ』って言いそう」


 お菓子と演技と面接になんの関係があるんだ?


「無感情人間が声優とか、無理」

「……怒ったり驚いたりぐらい、普通にするぞ」

「だったらキャラの気持ちぐらい分かるはず」

「ちゃんと考えているつもりなんだが」

「いきなり人の気持ちを想像するのは難しいかもしれないワネ。架空の人物なわけだし……」


 パン、とワッキャ先生は手を叩く。


「収録まで時間もないし、できる方法でやることにしましょ。……ユウちゃん、親しい人に怒ったことはある? 注意したって意味じゃなくて、怒りを覚えたことネ」

「……ない……いや……ありますね」

「じゃ、目を閉じてその時のことを思い出して。そしてその気持ちで、この台詞を読んでちょうだい」


 目を閉じる。……長い髪、特徴的な泣きボクロ。笑顔を作って近づいて、言いくるめようとする……ススムラ先生。


「本当に裏切ったんですか」


 ……ふう。なんだか言ったらスッキリしたな。


「どうですか?」

「イイんじゃない? 悲しみと寂しさと怒りと……そんな気持ちが伝わってきたワ」

「怒りメインって感じじゃなかったと思うけど……まあ」


 初めて感情表現で合格できたようだ。少しホッとするな。


「じゃ、次から『怒り』系の台詞は同じようにしてごらんなさい。今の気持ちを思い出して」


 ……しまった。言ったらスッキリして、もう怒ってないんだが……。


「キャラの気持ちになれなくても、自分の近い感情を呼び起こせばその場しのぎにはなるワケ。さ、この調子で他の台詞も行ってみましょう」

「……やってみよう」


 こうして今まで詰まっていた感情表現はスムーズに進み――


「ダメね」


 ――進まなかった。


「本当に『初恋の人に話しかける時のドキドキした気持ち』で言ったのかしら? 全然伝わらないワ」

「オオトリは特にこういう系がクソ」

「そうネ。照れてるわけじゃないのにねぇ。恋愛系のセリフは誰だって初めは恥ずかしい、って感じで読むのに、ユウちゃんはそういう初々しさはまるでないというか……照れないのはいいことなんだケド」

「……実は」


 隠していても仕方ない。俺は思い当たる原因を言うことにした。


「全然、ドキドキした気持ちになっていなかった」

「クソが」

「まあまあモモちゃん。えっと、それはどうしてかしら? 集中できなかった?」

「特に思い当たらなかった」

「アラ?」


 ワッキャ先生はなぜか笑顔になる。


「ヤダ、照れ隠しだったの? アタシ騙されちゃった?」

「……? いや、特に隠し事はしていない」

「イイのヨォ、ここだけのヒミツにしてあげる。どんな初恋でも笑ったりしないから、言ってごらんなさいよ。どんな人?」

「いないな」

「またまた! 思春期のオトコノコなんだもの、いないわけないでしょ。好きなアイドルでもいいのよ? アッ、二次元だってオッケーだから」

「ああ、それだ」

「アラホントに二次元? いいワヨ、リビドーのままに答えてちょうだい! どんな特殊性癖のキャラに、ガチャにいくらつぎ込んだの!?」

「いや二次元ではなく」


 そんなにガチャにつぎ込む顔をしているのか……いや、そこじゃなかった。


「思春期というものがまだ来ていないらしい」


 はしゃいでいたワッキャ先生は、急にピタリと止まった。逆にその様子をうんざりした目で見ていたクモイが、呆れたように言ってくる。


「は? 何それ。中二病? 女に興味ないアピール?」

「俺はもう高三だぞ」

「年上かよ」

「そういえばクモイさんはいくつなんだ?」

「クソが」


 なんでだ。いや、話の流れで聞いただけで知りたかったわけじゃないが。


「えっと……ユウちゃん。それじゃ女の子にドキドキしたり、女の子の下着や裸に興味を持ったことは?」

「思春期が来るとそうなると聞いている」


 いつ来るのかわりと楽しみだ。いったい自分の心境がどう変化するのか? 毎日畳んでいる従姉の下着も直視できなくなったりするんだろうか? マンガでよくそういう描写があるが、いったい何があるんだろうなあれは……。


「ヤダ。ちょっと地雷踏み抜いたかしら……」

「ワッキャ先生?」

「ア、ウウン、なんでもないワ。オホホホ」


 オホホなんて笑う人は初めて見たぞ。


「エェト、そうね……アタシはちょっと席を外すワ。モモちゃん、さっきまでのところの復習をやってあげて。ユウちゃんは……レッスンが終わったら、この間のバーに行ってくれるかしら? アタシもすぐ行くから」

「わかりました」

「はぁ……」


 ワッキャ先生が足早に部屋から出て行き、クモイがため息を吐く。その後のレッスンは、「さっきはできてたじゃないクソが」とクモイに連呼されながら進んでいった。



 ◇ ◇ ◇



「こっちです」

「ゴメンなさいね、待たせちゃったかしら」


 静かなジャズピアノが流れるバーに、ワッキャ先生が入ってくる。この間とは逆だな。

 カウンターに座るとワッキャ先生は酒を注文し、一口飲んでから話を始めた。


「急にレッスンを投げ出しちゃってゴメンなさいね」

「いえ。何か急用でも?」

「用があったわけじゃないけど、ちょっと動揺したっていうか……考えをまとめたくてネ」


 動揺するほどヘタクソだったということだろうか。


「ユウちゃんは、声優をやる気がある?」

「今回の件については」


 もがこれのゲスカワくんをやる。それはもう気持ちを固めた。ここまで練習を重ねてきたのだ、自分としてもやってみたい。


「だが声優を仕事にするかと聞かれたら……違うと思う。ケモプロを何十年と続けていくために、KeMPBを発展させていくのが俺の仕事だ」

「かっちゃん……カズミちゃんからは何か聞いてるかしら? 声を当てるってこと以外に」

「いや、特に聞いていないですが」

「そう。ならそこはアタシが何か言うのはやめときましょ」


 コスプレぐらいならやらされそうだが、それは今更だしな。


「そのキャラの声を……いいモノにしたい?」

「ファンに喜んでもらうためのものだから、当然そう思っている」

「そう、そうよねぇ。でなきゃモモちゃんにしごかれてもガマンしないわよね」

「しごきだったんですか」

「少なくともアタシは、往来でWAPPA高田コマーシャルをやれなんて指示出してないわヨ? 生徒にやらせたこともないわね。普通に通行人に迷惑だし」


 ……伝統だと聞いていたんだが。


「泣いて逃げ出すだろうと思ってやらせたのに、震えながらやりきってくるから少し見直したって言ってたわね」


 コミュ障なので。何か暴言を吐かれたり絡まれたりするんじゃないかとビクビクしていたが、震えてまではいなかったと思う。


「それじゃあ……ちょっと変な質問しちゃうけど。ユウちゃん、悩みはある?」

「たくさんある」


 仕事の課題は減らしてもどんどん増えていく。最近はユーザーサイドから変な要望が――


「仕事以外ね」

「……仕事以外」


 初戦以外幼馴染の応援に行けていないのは、仕事が忙しいからだ。

 ワンルームのアパートが狭くなってきたのも、儲けが増えれば引越しできる。

 学業――はもう悩むこともない。


「特にない」

「ホントに?」


 ワッキャ先生はジッと目を見つめてくる。


「ココだけの話にするから……ほら、アタシもヒミツでいっぱいのオトメだし? 誰にも言わないわよ? ね? 例えば、恋の悩みとか?」

「ないですね」


 レッスンが上手くいかないのも、突き詰めれば仕事の話だし。


「そう……まあ、そうね。まだ若いから、そういうものかも。アタシ、変に気負いすぎちゃってたかしら」

「……?」

「こっちの話よ。そうね……演技の話に戻りましょうか」


 ワッキャ先生はグラスを脇に避けると、指を組んで話し出す。


「台詞に感情を込めるには、さっきやったみたいに自分の経験を元にすればいいわ。慣れてくるとキャラの気持ちに入り込めるんだけど、今のユウちゃんにそこまでは無理ね。そして問題は、恋愛関係の演技がダメダメなこと。乙女ゲーキャラをやるのに、ドキドキするような台詞を言えないのは致命的よね」


 確かに。ゲスカワくんはからかうような台詞が多くてなかなかデレない――とニャニアンが評していたが、デレた台詞が皆無というわけではない。ドキドキさせられないようではファンは満足しないだろう。……とはいえ。


「……アンチ集団に囲まれていつ殺されるかドキドキした気持ちじゃ、ダメかな?」

「それは恐怖じゃないの。恋愛のドキドキとは違うわよ」

「吊り橋効果という言葉も」

「今は関係ない……わけじゃないわね」


 適当に言ってみたんだが、言ってみるものだ。


「……いや、やっぱり関係ないわね」

「そうですか」

「なるべく近い感情でやるしかないわね、と言いたかったのよ。ユウちゃんはラブを感じたことはある? ラブを。例えば家族愛とか」

「家族……」


 父親、母親。


「アー! ゴメンゴメン! 今のナシ!」

「急にどうしたんですか」

「いやスッゴイ顔してたわヨ……エート、そうね……親友って呼べるような友達はいる?」

「友達はいない」

「ハイハイハイハイ! ゴメンなさいね! 最後、最後の質問! その人が窮地に陥ったとき、自分の身と引き換えにでも助けたいって人はいる?」

「それならいる」

「アラ」

「いくらでもいる」

「……ん?」

「というか、俺一人の犠牲で誰かが助かるならいいことじゃないか? それが誰であれ――」

「ストップストップ!」


 ワッキャ先生は両手を振って発言を遮り――カウンターに突っ伏す。


「……聞かなかったことにしたくなってきたワ……ユウちゃん、猫を助けてトラックにひかれでもしたいの?」

「さすがに見ず知らずの猫にまでそんなリスクは犯せない。かわいそうだが……」

「『自分の身なんてどうでもいい』って言う人はいるけど、それって大抵ポーズなのよね。誰だっていざその時になれば躊躇してしまう。結局自分が一番だから。それが人間らしさ、普通の感覚。なんだけど……ユウちゃんの目を見てるとホントにやりそうで怖いのヨ。リスクとリターンが見合えばためらいなく車道に飛び込みそう」

「いや、俺だって自分が大切だと思う」


 募金なんてしたこともないし、時間がなければ道案内も断るし。


「それにKeMPBがある。今、俺が倒れるわけにはいかない。仲間が共倒れになってしまう」

「その気持ちを大切にして」


 ワッキャ先生は俺の手を取って言う。


「短い付き合いのアタシが言うのもなんだけど、今のユウちゃんを支える……というかストッパーになってるのは、間違いなく会社よ。その居場所を絶対手放さないようにして」

「わかりました」

「よろしい。おせっかいして悪かったわネ。……なんの話だったかしら。そうそう、ラブね、ラブ」


 手をもまれる。


「見ず知らずの人と知り合いで区別はついているようだし、博愛主義者、人類愛の塊ってわけでもないでしょう? 恋愛系の台詞は、助けたい人たち……あまり気分がいいものじゃないかもしれないけど、天秤に載せて比較して最後まで残った人たち、一番大切な人たちに向けて言うように読んでごらんなさい」

「手は離してもらっても?」

「アラ、ゴメンなさい。スベスベしてて気持ちよかったから」


 手を離してもらうと、俺は目を閉じて考えをまとめた。

 天秤。どちらかを見捨てないといけないとき、それが選べなくなるような人たち――絶対に見捨てられない人たちに向けて。


「――うん、イイんじゃない」


 ひとつ台詞を読みあげると、ワッキャ先生は柔らかく笑った。


「親愛が伝わってきたワ。優しいラブ、安心するラブね。ドキドキはしないケド、愛されてる感じがする」

「これで演技は問題ないでしょうか?」

「オーディション参加者次第ね」


 ワッキャ先生は懐から名刺を差し出すと、胸元のペンで何か書き加えてこちらに寄越した。


「コレ、アタシの個人的な連絡先。もしユウちゃんがお仕事以外の悩みを抱えて、先人の知恵が欲しくなった時は連絡してちょうだい。力になるわヨ」

「ありがとう、覚えておきます」

「月末には収録だし、そうなったらココからも卒業ネ……」

「ええ」


 収録の日は近づいている。

 オーディションの結果がどうであれ、声優を仕事にしない俺がWAPPAに通うのはそれまでだ。


「卒業です」


 そして三年間通った高校の卒業式も、間近に迫っていた。

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