マトリョーシカの殻

「ああ、こっちヨ、こっち! 座ってちょうだい」

「失礼します」


 薄暗い店内に、静かなジャズピアノが流れる。カウンター席に座る長身でピンク髪の男――ワッキャ先生が手を上げて、騒々しく呼んだ。店内に他の客がいなくてよかったと考えながら隣に座る。


「ユウちゃんは――未成年だったかしら?」

「三月に高校を卒業します」

「若いのに会社の社長をやっているんだからスゴいわよねぇ……マスター、カレにはソフトドリンクを」


 適当なフルーツジュースを注文する。カウンターに置くとマスターはそっと離れて行った。


「それで、どうかしら?」

「苦戦しています」

「ウフフ、聞いてるわァ」


 ワッキャ先生はクスクスと笑う。


「『先生、オオトリはクソです』って。プリプリしながら言ってたわヨ」


 さすが声優、声マネがそっくりだ。いやさすがにマネだとはわかるが。クモイの声は独特すぎる。


「でもォ、一方からだけ話を聞くのはフェアじゃないじゃない? だからユウ君からも説明してほしくってネ。……どういう感じでモモちゃんと喧嘩したのか、教えてくれる?」

「わかりました」


 俺は頷いて話し始めた。あれは……島根に出張する前の日だったな。



 ◇ ◇ ◇



「はいクソ、ダメ」


 時はさかのぼって2月21日。WAPPA高田スクールで、俺は今日もクモイにダメ出しされていた。

 今やっているのは台本の読み合わせだ。クモイと俺で一芝居打っているわけなのだが……。


「どうしてそんなに感情表現がクソなの? オオトリはアンドロイドなの?」

「人間のつもりだが」

「ならもっと言葉に感情を乗せて」


 バシバシ、とクモイは台本を叩く。女子高生がつれない後輩に告白しようとするも、逆に後輩から告白されて今までの態度の勘違いを正していくという、ベタベタな内容だ。

 一度だけでなく何度か読んだし、男女交代したりもした。赤ペンで解釈も入れてもらったし間違いはないはずなのだが。


「今のままじゃどうがんばっても好きあってる二人、じゃなくて、のれんに腕押ししてる一人、って感じにしかならない。私一人がバカみたい。バカにしてる?」

「そんなことはない」

「クソが」


 クモイは吐き捨てるように言うと、深くため息を吐いた。


「……そもそもオオトリは、どういう声優になりたいの?」

「というと?」

「声優にもいろいろある。アニメの声優。吹き替えの声優。ゲーム、ラジオ、ナレーション……。先生からもらったカリキュラムを見ると、吹き替えとかナレーションって線はなさそうだけど」


 映像の口の動きに合わせる訓練が入っていないこと、恋愛要素多目のシナリオが多いことを根拠にあげられる。


「何かのオーディションに出るんだったっけ?」

「ソーシャルゲームのキャラクターのオーディションだ」


 タイトルは言えない。一般には公表されていない計画だからだ。


「ふうん。……なんでそのオーディションに?」

「頼まれたからだな」


 取引先の担当者から、直接。


「その人にはずいぶん期待されているし、断れない事情もあった。だからやると約束して――」

「何それクソかな」


 ――クモイはギュウッと眉間に皺を寄せて、小さなメガネの奥から睨みつけてきた。


「つまり自分がやりたいわけじゃない――本気じゃないってこと?」

「そんなことは」

「オオトリは働いてるんでしょ。取引先がどうとか言ってたし」

「会社の代表社員をやっている」

「ダイヒョーシャイン……」


 クモイは少し首をかしげて、ぶるぶると頭を振った。


「従業員代表とかそういうのはどうでもいい。とにかく、オオトリは中途半端。だからダメ、きっとそう」

「そう……なのか?」

「ここの……WAPPAに所属してる人たちは、みんな声優になるしかないと思ってやってる。声優になるためにがんばってる」


 クモイ以外にも何人か会ったことがある。練習に参加してくれたことも。確かに、みな真剣だった。


「でもオオトリはそうじゃない。そのオーディションがダメなら会社で働けばいいと思ってるんだ」

「……すべてを懸けろということなら……」


 それは――できない。

 俺はケモプロで何十年も食っていくと決めたし、それに乗った仲間も何人もいる。ケモプロを放置して声優に専念することはできない。


「覚悟が足りない。だから本気じゃない。そうに決まってる」

「そう……なのかもしれないな」


 いや、そうなのだろう。いくらケモプロの仕事の隙間をすべてトレーニングに費やしても、本気で目指している人の練習量には足りないに違いない。クモイが怒るのも当たり前だろう。


「……クモイさんは?」

「は?」

「いや。参考にしたくて。まだ役が取れていないという話だったが……」


 俺なんかとは比べ物にならないほど上手いのに、なぜ。いや。


「どういう声優になりたいんだ? 何の役をやりたい?」

「え。……まあ……アニメの声優だけど」


 クモイは目を逸らしながら言う。


「今は……モンスターの役とかに応募してる」

「モンスター」

「いわゆるモブ。……わかるでしょ?」

「モブの意味ぐらいなら。メインキャラクター以外のことで――」

「そっちじゃないクソが」


 違ったか。

 クモイは長く溜め息を吐いて、体を横に向けた。


「こんな声だし、新人なんだから端役から経験積まないとでしょ」

「そういうものなのか」


 まあ確かにモンスター的な声だとは思うが。


「クモイさんならもっとすごい役がとれるんじゃないかと思っていたんだが」

「は?」

「一度聞いたら忘れない、すごい声をしているし。モンスターなら魔王とかそういう目立つ役を――」

「いい声の人なんてたくさんいる」


 クモイは早口に言った。


「この業界で本当に成功するには、声だけじゃない。二物が必要なの」

「ニブツ……声の才能以外に?」

「オオトリにはわからないよ。クソ無神経野郎には」


 言い返したいが、わからないので言い返せない。


「……クモイさん」

「なんだよクソムシ」


 そういう略し方はどうかと思う。


「覚悟が足りないという話はわかった。本来なら俺みたいな中途半端なのがいていい所じゃないんだろう。頼まれたからやる、という態度は気にくわないかもしれないが……頼みを叶えてやりたい、という気持ちは本気なんだ」


 俺がゲスカワ君の声になることで喜ぶ人がいるなら、そうしてやりたい。……ニャニアンとモロオカの2名だけのような気もするが、それは今後のオーディションではっきりするだろう。


「もう少しトレーニングに時間を裂けるように調整する。だからオーディションまで協力してくれないか。クモイさんの力が必要なんだ」

「クソが」


 なんでだ。


「クソだけど……しかたない。私も先生に頼まれてる。ここまできて投げ出すのも気持ち悪い」


 クモイはそう言って、スマホでスケジュールを確認した。


「じゃあ……明日と明後日、同じ時間にここで」

「あ、明日から日曜までは無理だ」

「は?」

「出張があってな」

「……社員代表程度で? 代われないの?」

「代表社員だから行くんだ。ずいぶん前から決まっていて変更はできない」

「そう」


 クモイはスマホを下げて、にこりと笑った。


「死ねクソ」



 ◇ ◇ ◇



「――ということでレッスンを拒否されて」

「アッハッハッハ!」


 事情を説明しきると、ワッキャ先生は身をくねらせながら笑った。


「あぁおかしい。そうよネェ、まだ社会経験のない高校生じゃ……ウウン、大人でも代表社員って聞いて社長と同格とは思わないわよネェ。合同会社はまだまだ日本じゃ馴染みがないから」

「……ああ、従業員代表のように勘違いされていたのか」

「そういうことネ。なんならバイトリーダーだと思われてたんじゃない? それが出張ってどういう仕事よ! って感じかしら?」


 きちんと説明しなかったから微妙にズレがあったのか。機会があったら訂正しておこう。


「それで、ドォ? モモちゃんと喧嘩した感想は」

「俺はオーディションに出ないべき……でしょうか?」

「アラ。どうしてそう思ったの?」

「クモイさんの言うことは間違っていないと思って」


 覚悟が足りない。声優に全力を傾けていない。KeMPBという別の仕事がある。


「考えてみたんだが……例えば映画で多いですが、本業の声優ではなく芸能人が声優に選ばれることがあるじゃないですか。視聴者側としては、あれはとてもつらい。上手ならまだしも、明らかに下手で棒読みだと……」


 制作側の政治も透けて見えてげんなりする。


「視聴者側でさえそうなのだから、仕事を奪われた声優側からしたら、もっと許せないのだろうなと」

「なるほどネ」


 ワッキャ先生はグラスを傾けて一息つく。


「つまりそういう声優に全力でない人は、声優業をやるべきではないんじゃないか、ってことネ」

「やはり、そう思いますか」

「一人の人間の感情としては、そうネ――クソ喰らいやがれ!」


 ドスの効いた低い声で言って――一転、ワッキャ先生はいつもの調子に戻る。


「でもそれは弱者の言葉なの。相手はアタシたちより知名度があった、事務所の人脈があった――技術を上回る力があった。決定権を持つ人を頷かせる力が。そして、アタシたちはそれを持っていなかった。それだけの話ヨ」

「そういうものか」

「だいたいね。役を取れるかどうかは、努力や気力で決まるものじゃないの」


 これはアタシの持論だけど、と言って、ワッキャ先生は続けた。


「才能と、めぐり合わせヨ」

「……努力ではない?」

「努力も才能のウチではあるけどネ。そんなこと言ったら、役を取れるのは何十年も努力してきたベテランだけになっちゃうでしょ? 新人がいくら努力したって、積み上げてきた年季が違うもの」


 確かに年数の差は覆せないな。精神と時の部屋があるわけでもないし。


「もちろん努力が無駄とは言わないし、必要なことヨ。でも最終的に役を決定付けるのは――その役と合う声、才能と、それに出会えるかどうかのめぐり合わせ。……副業をしている声優なんてたくさんいるし、ユウちゃんがオーディションで役をゲットできたなら、それは才能、めぐり合わせ、運命だったのヨ。気にすることはないワ。誰を蹴落とそうと、社長業をやりながら声優をやった人間に勝てなかった……ただそれだけの話なんだから」


 勝った理由は運命。負けた理由はいくらでもつけられる。そういうことだろうか。


「変に気負わず、自分のペースで挑戦しなさい」

「わかりました」

「ア~、よかった。ここで諦められたら、かっちゃんとの約束が果たせないものネ。納得してくれた助かったワァ。……化学反応を期待した身としては、予想外の結果になりそうで焦ったわヨ」

「化学反応?」

「そ」


 ワッキャ先生は頬杖をつく。


「かっちゃんはユウちゃんを声優として仕立てたいと考えてる。でもアタシはアタシで理由があってそれを受け入れたのヨ」

「……クモイさんですか」

「そ。何かいい刺激を受けてくれたらなって。モモちゃんにはヒミツよ?」

「まだデビューできていないと言っていたが……デビューするのは難しいのですか?」

「めぐり合わせヨ。1年もしないうちにデビューする子もいれば、何年たってもできなくて諦めていく子もいる。実力的には申し分ないと思ってるし、モモちゃんの才能ならイケると思ってる。ただねェ……」


 ワッキャ先生は、フゥッと息を吹いて前髪を揺らした。


「オーディションを受けに行く役がねェ……怒られるのよネ、アタシ」

「怒られる? なぜ?」

「『こんなメインを食っちまいかねないキャストをモブに当てられるかよ』って。『もっとふさわしい役に応募するよう指導しろ』って」


 なんとなくわかる。クモイの声でモブをやったら、モブのことが気にかかってしかたなくなりそうだ。


「でも、いくらモモちゃんにイイ役にチャレンジしてみないかって言っても、断られるのよネ」

「それはなぜ?」

「本人は新人だからって言ってるけど……あの子は自分と他人の評価が正しくないのヨ。他人の跳んでるハードルが高く、自分の跳んでるハードルが低く見えてしまう感じかしら? 明らかな実力を持っているのに、自分は大したことない、って考えて……ミスマッチから役を落とされて……ああやっぱりね、ってドツボにハマっていく」


 確かにそんな感じはするな。俺が賞賛してもブスッとしているし。

 ……いやまてよ? 俺はクモイに褒められたことないぞ? つまり高く見てもへたくそなのか?


「あとは……こっちは理解できなくもないけど……ルックスに対するコンプレックス」

「ルックス?」

「あら、今声優に外見は関係ないとか考えた? 残念ながら今となっては無関係じゃないのよ。声優も顔で売る時代なの。今や声優志望者はたくさんいるわけじゃない? となったらある程度声がよければ、顔のいい人を選びたいのは当然よね、だって付加価値のある人を選ぶ方がオトクじゃない?」


 なるほど。それがクモイの言う『二物』か。


「ユウちゃんはどう思う? モモちゃんのこと。アタシはカワイイと思うケド」


 いくら無神経と言われても、人並みの審美眼は持っているつもりだ。だからどうというわけでもないが……そうだな。


「マトリョーシカの一番外側に似てます」

「ンブッ」

「そういえば笑った時はリンゴのモンスターにも」

「ック、ッ……やめて……」


 ワッキャ先生は顔を逸らし、しばらく肩を震わせた後、咳払いをした。


「とにかく、一般的な美人ではないわネ。だから顔出しして売っていくような声優でなく、モブで細々やっていこうとしちゃってるのヨ。そして、アタシはそれをとてももったいないと思ってる。……このスクールがどういう試験をやってるか知ってる?」

「クモイさんから聞きました。二回電話するとか」

「そう。一ヵ月後の二回目の電話で声を聞いて、試験官が名前を思い出せたら合格ってしてるの。一度聞いたら忘れられない、独特な声を求めてね」


 それならクモイは間違いなく合格するだろう。あの声を忘れるのは難しい。


「いい声、いい顔。それでデビューする新人たちに個性がないとは言わないワ。でも素人が聞き分けられるようなインパクトを持った子はほとんどいなくなってしまった……業界がそれを生み出す環境ではなくなってしまった……と、アタシは思うの。だから、WAPPAはそういう試験をする。そうしたの。モモちゃんはそうして選び育てた金の卵のひとつ」

「なかなか孵らないから、俺で小突いてみた?」

「かっちゃんの頼みごとを受け入れるついでに、いい事起きたらいいなって程度よォ」


 ワッキャ先生は苦笑する。


「たまには違う人種と触れ合うことも必要じゃない? いろんな経験は演技の糧になるしネ。ま、お詫びというわけじゃないけど、二人じゃ煮詰まっているみたいだし、次のレッスンはアタシも同席するワ――モモちゃんと一緒にね」

「お願いします」


 これで声優の訓練を続けられる。なんとか一山……いや。うまく行っていないことに変わりはないから、山は崩れていないか。

 次のレッスンで何かコツがつかめればいいのだが……。

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