山盛りの問題
「よッ……と」
どさり、とダンボール箱を床に置く。
「ユウ君、次行くぞ」
「場所をお借りしただけでなく、手伝わせてしまって申し訳ない」
「ははは。なあに、構わんさ。娘の部屋も有効活用できて何よりだ……ほら、次だ」
カナの父親からダンボール箱を受け取り、カナの部屋の床に下ろす。
「しかし預かり物をするのはこれで二度目になるな」
「言われてみればそうですね」
今回は荷物だが、前回は荷物以外もあったな。
島根から引き上げた従姉の荷物は、ふたたびカナの部屋を占領するのだった。
◇ ◇ ◇
2月26日。俺は島根でのイベントを終えて東京へ引き返し、一夜明けてカナの家にやってきていた。島根から引き上げた従姉の荷物を置かせてもらうためだ。場所を提供してくれただけでなく、仕事を休んでまで手伝ってくれたおじさんには頭が上がらない。
「あらためて、荷物を置かせてもらってありがとうございます」
「気にしない気にしない。さっきも言ったが、娘が出て行って空いたスペースだからね」
荷物の搬入が終わり、机を挟んで座って休憩する。おばさんが出してくれたお茶がうまい。
「トランクルームを都合してもよかったが、短期間ならそこまでする必要はないだろう?」
「なるべく早く解決するようにします」
そもそもこの荷物なしでも1年間問題なかったのだ。どうしても必要なものだけ抜き出せば大した量にはならないだろう。従姉には流行の断捨離を決行してもらわなければならない。俺もアパートに越す時は大鉈を振るったからな……。
とはいえ従姉の作業も山場を迎えている。荷物を確認しにここまで来るのにもなかなか時間がとれない。……ダメならワンルームから多少広い物件に引っ越すか。
「ああ、いや、そうじゃない。言い方が悪かったな。もちろん、急がなくていい。ゆっくり仕分けしてくれて構わんよ。……大変だったんだろう?」
「イルマ……従兄が対応に立ってくれたので、それほどは」
荷造りや搬出の邪魔をされることはなかったが、聞いていて耳を疑いたくなる主張を繰り返す叔父と叔母に、冷静に理路整然と突き放すイルマの問答が作業中ずっと繰り広げられ、俺も引越し業者も心を無にして作業するのに努力を要した。
「……世の中、いろいろな主義主張があるなと」
「うむ。いろんな考えの親がいる。だがその中には君の味方もいる。それは覚えておいてくれ」
「わかっています」
カナの両親。シオミ。俺は恵まれている方だと思う。
「話は変わるが、島根に行ったのはそれだけじゃないのだろう? どうだったんだね、イベントは」
「大成功、と言っていいと思います」
パブリックビューイングとナゲノの生実況は大いに盛り上がったし、日中の観光もなかなか好評だった。地元民と県外から来たファンの交流も深まったようだし、大成功だろう。
初めて顔出ししたナゲノが、その声と見た目のギャップでちょっとした騒ぎになったり、それをライムが面白がって拡散したりはしたが、問題はそのぐらいだ。
「参加者からは次回があれば参加したいと言われたし、島根の方もぜひ開催したいと言っていた。次回の受け入れ人数を増やすかどうか考えどころです」
「ほう、それはだいぶ盛り上がったようだね。よかったじゃないか」
「ただ……」
「うん? どうした?」
「いや、大したことではないのだが……温度感が違うなと思った」
応援団を自負する参加者たちは、ケモノ選手たちのプレーひとつひとつに真剣なまなざしを送っていた。三振を取れば鳴り物がホール中に鳴り響き、得点を取ればハイタッチ。最終日なんか跳んで喜んで涙ぐんでる人までいた。
それを解説席から見ていたわけだが……。
「自分はああいう感じには混ざれないな、と。もちろんチームを応援する気持ちはあるんだが……」
実際の球場にも何度か行っているが、周りのテンションについていけなかった。楽しくないわけではないのだが、どうもそれを他の人たちのように表現するのが難しい。……ケモプロのアバターならいくらでも飛び跳ねさせられるんだが。
「ふーむ、そういうものかね。まあ、君はホストだったんだ。ゲストと一緒に騒いでいるわけにもいかないだろうし、そもそも心構えが違う。気にすることはないだろう」
「変なことを言って申し訳ない」
「ははは。若者の悩みを聞くのも年上の役割のひとつだよ」
おじさんは微笑んだ後、「ああ、そうそう」と顔を引き締める。
「日刊オールドウォッチと君の会社が親しいというのは本当かね?」
「仕事仲間だ」
「そうか。いや、一言伝言を頼みたくてね……」
おじさんはフンッと鼻息を荒くする。
「こちらも愚痴ってしまうようで悪いが、娘に関する報道にはもうハラハラしっぱなしでね。テンマ選手が同期だからと組み合わせる内容も多くて……娘を信じているが、あれこれ言われてうろたえないほど人間ができていないと思い知ったよ」
この三年間の高校野球の話題を独り占めした怪物、タツイワ選手。その最後の一年に新星のごとく現れて甲子園で勝利したテンマ選手。そして史上二人目の女子野球選手、カナ。この三人が持つニュースバリューはすさまじいものがあるらしく、キャンプ地のマスコミの人数、応援に駆けつけたファンの人数ともに過去最高を記録しているという。
「美男美女カップルとか……そりゃ娘は綺麗に育ったが、勝手にカップルにするのはどうなんだ?」
「今はそんなことはないのでは? テンマ選手は早々に一軍キャンプへ行きましたし」
「それでも何かと一緒に記事にしたがるんだよ。おかげでスクラップブックにはテンマ選手と娘のツーショット写真を大量に貼り付けなきゃいかん」
「スクラップブック」
新聞や雑誌の記事を切り抜いて貼り付けて作る、あれか。
「見せてもらっても?」
「いいとも、あとでタブレットを持ってこよう」
「タブレット?」
「うん? ああ、スキャンしてデジタルでまとめているよ。ネットの記事や動画も一緒にね。……今時ハサミとノリはないだろう。さすがに私の世代ならそれくらいやるさ」
「あら、タカヤマさんが泣きつかれてずいぶん苦労したって言ってましたけど?」
「か、母さん……いやっ、ほんの少し分からないところだけだからな? ちょっとだけだぞ」
キッチンから飛んできた声に、おじさんは慌てて弁解して咳払いする。
「まあなんだ。そうやって記事をまとめているとな、中には眉をひそめるような内容もある。一方で、それをすぐに検証して正してくれるネット記事もあると気づいてね。それが日刊オールドウォッチで、君の知り合いだと言うじゃないか。……ユウ君が娘を守るよう頼んでくれたんだろう? だから君とオールドウォッチに礼が言いたくてね」
最初のホテルの部屋に関する報道があり、それに対するカウンター記事をユキミが出してくれた後、今後もよろしく頼む、とは言っておいた。……たぶん、ユキミとしては記事が書ければなんでもよくて、カナが失敗した時はそれはそれでしっかり報道すると思うが……。
「伝えておきます」
カナなら大丈夫だろうし、感謝する人がいることを伝えるのは悪くない。
「うむ、頼む。オープン戦も近くなってきてまた報道が過熱している感じだからね」
オープン戦。プロの球団同士のペナントレース開幕前の調整試合だ。
ケモプロとしてはここが正念場だ。3月のオープン戦、4月の開幕戦……どうしてもスケジュール的にここはプロ野球とかぶってしまう。この期間の視聴者数がどうなるかで今後の計画も決まる。
「ところでユウ君は、娘が出られると思うかね? ……オープン戦に」
「出場できるといいと思っています」
「では……君が球団の上層部だとして、娘をオープン戦に出すかね?」
俺が上層部……つまりカナを雇った場合の話か。
「……高卒で即戦力というのは難しいと聞きました」
甲子園のスターとして華々しくデビューしても、プロの世界は甘くない。そのまま一軍入りして新人王になったような野手は長い歴史の中でも10人に満たないという。投手では倍ぐらいいるらしいが、とにかく少ない。まだ体が成長しきっていないからというのが主な見解らしい。
とはいえ話題性は時と共に失われていく。4年じっくり育ててから1軍デビューとなっても、熱心なファン以外にはわからないだろう。そしてその間の成長は保証されているわけではない。そうなれば。
「興行的に考えれば、出します」
キャンプでの練習でさえ人を集めているのだ。獲得に使った契約金を考えれば、一試合だけでもおつりが出るのではないだろうか。世間の期待も高いし、ここで出さないという手はない。――だが。
「しかし今年はテンマ選手がいる」
人気だけでもカナより上だ。そのうえ、一軍キャンプにすぐに上がったぐらい実力を球団も認めている。だったら客寄せはテンマ選手だけで十分だろう。いくら客が来ても、観客席に入る人数は限られている。それなら分散したほうがいいだろう。
一軍以下の試合はほとんど興行として成り立っていないと聞く。だが話題性のある選手がいれば違うはずだ。二軍……三軍の試合に出すのではないだろうか?
「一軍のオープン戦に、カナを出す必要はない……と考えます。様子を見るのではないかと」
「そうか。うむ。私もそうなると思っているよ」
おじさんは深く頷いた。
「早く活躍してほしい気持ちもあるが、親としてはじっくり育ててもらいたいからね。即戦力として話題を振りまいてくれるのは、テンマ選手やタツイワ選手だけで十分だよ」
「タツイワ選手はすでにオープン戦に出たそうですね」
すべての球団ではないが、二月の最終週末に沖縄県でオープン戦が行われる。その後休みをおいて三月に入ってから各地でオープン戦が行われるのだ。タツイワ選手はさっそくそこでデビュー戦を決めていた。
ちなみに沖縄でオープン戦を行わない球団は、高知県でプレシーズンマッチと題して試合をやっているし、テンマ選手もそちらに出場しているが――オープン戦は入場有料の準公式試合、プレシーズンマッチは入場無料の練習試合となり、扱いとしては少し違うのだそうだ。
「おお、そうそう。いや凄かったな。とても高卒ルーキーとは思えない風格だったよ。ヒットも打ったし、あの巨体で守備もそつなくこなしていた。さすがは怪物といったところか。見ていてワクワクしたよ」
「あら。そのわりに『ウチの娘なら今のは軽くスタンドに放り込める』とか『ウチの娘なら今の失投は見逃さないな』とか、身内びいきなことを言いながら見てましたけど?」
「うぐ」
「さあさあ、ユウ君、お昼ができたから食べてちょうだい。おばさん久しぶりだから張り切っちゃった」
「いただきます――っと、失礼」
おばさんがテーブルに料理を並べ始めると、スマホが着信を伝えた。断って通話に出る。
「どうした?」
『あの、同志、ごめん。送ってもらった荷物に、どうしても足りないのがあって』
特に先に送ってほしいと言われていた荷物――パソコンや俺が見てもわかるもの――は、まとめてアパートに送っていたのだが目当てのものがないという。
『マイクスタンドみたいなやつで……USB接続のなんだけど……あ、画像、画像送るね?』
「梱包し忘れたかな。こちらで探してみよう」
『ごめんね……お願い』
「任せてくれ。――すいません、後でカナの部屋に入って荷物を確認させてもらっても?」
「あら、忘れ物? もう少し準備に時間がかかるから、探してきていいわよ。できたら呼ぶから」
「なら私も手伝う――」
「お父さんはこっちを手伝ってね?」
「はい」
ということで再びカナの部屋にやってきた。山積みになったダンボールを、ひとつずつ下ろしてはガムテープを剥がし、中身を確認。5箱ぐらいあけたところで目当てのものを発見する。
「ああ、これか。……おや」
と、カナの本棚に懐かしいものを見つけた。俺が野球を始めるきっかけになった野球マンガ――主人公が魔球を投げて甲子園で活躍するやつだ。
「ん?」
いや、なんでカナの家にあるんだ? 俺が話して、カナも買ったのか……いやこの古ぼけて日焼けした本は間違いなく俺が読んだやつだ。ううむ……正直、あの頃の記憶はよく思い出せない。そのうち聞いてみるか。
「おお、見つかったかね?」
「はい。お待たせしました」
戻ると机の上には料理が所狭しと並べられていた。
――全部、特盛りで。
「……これで三人分ですか?」
「男の子だもの、カナより食べるでしょう?」
俺はカナより小食だ。というかスポーツマンの量より増やされても……その。
「好き嫌いは克服できたかしら?」
「……ええ、苦手はなくなりました」
正確には少し残っているが、全く食べられない苦手はない。
「そう! なら大丈夫ね。あの頃は大変だったなぁ。カナもユウ君に釣られて食べないとか言い出すし」
「ははは。懐かしいな。タマネギが嫌だと言ってハンバーグさえ食べなかった。そうしたら娘も食べないと言って匙を投げていたが、目はじーっとハンバーグに釘付けでな」
「夜中に起きてきて『お腹すいた』って泣いてね。ふふふ」
そんなこともあったかもしれない。これも今度聞いておくか。
「でも好き嫌いがなくなったなら問題ないわね! たくさん食べてちょうだい。しばらく二人だけで量が少なかったから、たくさん作れて楽しかったわ」
「そうだな、食卓がにぎやかなのも久しぶりだ。ツグちゃんの問題も解決したことだし、どんどん食べてくれ」
「――はい」
問題は山積みだ。まだ解決していない問題が、もう一山残っている。
だが今は新たに増えた物理的な山を――山盛りの料理を崩そう。俺は箸を手に覚悟を決めるのだった。
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