山積みの問題

「どうですか、調子は」

「問題が山積みだ」


 問いかけてきた相手は、メガネの奥で目を丸くした。


「……そこは順調だと答えてほしかったところですね。いや……もしかして」


 スーツを着こなしたイケメンは、顎に手をやって考えてから口を開く。


「……妹が関係しているのですか?」


 男――島根県Web広報部広報室長のイルマの問いに、俺はゆっくりと頷いた。



 ◇ ◇ ◇



「ツグ姉よ、そろそろ家賃を入金してほしいんだが」


 2月20日。洗濯物を畳みながら、俺はふとそのことを思い出してパソコンに向かう従姉の大きな背中に声をかけた。

 コムラの紹介でWAPPAに通うようになったため、コンビニでのバイトは時間の都合で辞めなければなくなり、その収入はなくなった。残る収入源はKeMPBだけだが、今のところ俺が貰う分だけでは生活費はまかないきれない。

 そこで同じくKeMPBから収入を得ている従姉に、家賃を折半してもらうことになっていた。


「引き落とし日は月末なんだが、出張の予定があるし早めに確認しておきたい」

「あ、うん、そうだね。足りなかったら困るよね……大丈夫、オンラインでできるから今やるね」


 従姉はパソコンに向き直って操作をし――


「――あれ……?」


 固まった。


「どうした?」

「いやその……ええと」


 従姉は背中を丸めて振り向くと、蒼い顔で言った。


「……口座にお金がない……」


 ◇ ◇ ◇


『落ち着け。まずは窓口に電話して口座を使えないようにしてもらう必要がある』


 困った時のシオミということで電話したところ、冷静に突っ込まれた。

 確かにそうだ。シオミに聞いている場合ではない。口座から盗まれているなら、まず利用停止処置をしてもらわなければ。


『……いや、待て。入出金明細は確認できるか?』

「えと……1月からのなら……あっ、引き出しされてる」

『出金時の明細に、金額のほかに摘要てきよう欄があるだろう。そこに何か書いてないか?』

「何か英数字のコードが書いてあるな」

『読み上げてみろ』


 コードを伝えるとしばらく時間が空いて、電話口からため息が吐かれた。


『……ツグ。通帳は手元にあるか? 届出印は?』

「えっと……キャッシュカードだけ……」

『わかった。とにかく、利用停止の手続きはしておけ。これからそちらに向かう』


 ということで銀行とやりとりし、落ち着かない時間を過ごしているうちにシオミがアパートにやってきた。


「……荷物が少ないな」

「? そりゃあ、あまり家具を買う金がないからな。でもストーブは買ったぞ」

「そういうことではない。……まあ、座って話そうか。ツグも座りなさい」

「は、はい……」


 コタツを囲んで座ると、シオミはコツコツと天板を指で叩いてから口を開いた。


「ツグ。お前の口座はいつ作ったものだ?」

「え? えぇと……さあ……分からないです。大学に行く時に、お母さんからカード貰って……これに仕送りいれてくれるって……あ、お年玉も入れてるって言ってたから、子供の頃かも?」

「通帳と印鑑は渡されてないんだな?」

「カードがあればいらない……ですよね?」

「受け取ってない、か……」


 シオミは長くため息を吐く。


「……シオミ、もしかして」

「ああ。明細に残ってるコードだが、あれは出金が行われた店舗が記載されている。場所は……島根。ツグ、お前の実家の近くの店舗だ」

「え……あッ?」

「通帳と印鑑さえあれば、家族なら容易に手続きできる。九割方……いや。確実にお前の親が引き出したんだろう」

「え、えぇ……そんな……」

「以前の騒動で示談の条件としてお前の荷物をここに送れと通達したが、荷物は来たか?」


 来ていない。


 従姉が婚姻届けを偽造された件で、シオミが弁護士と示談をまとめていてくれた。その条件の一つにツグ姉の荷物を送ることを盛り込んでいたのだが……あまりに送られてこないのですっかり忘れていた。あれから半年以上が経過している。


 送る気がない。――そう考えるしかない。

 そして今度は、ツグ姉の貯金に手を出したのだ。理由は知りたくもないが。


「……ツグ姉の口座だろう? 勝手に引き出されたのだから、取り返せないのか? クレジットカードの不正利用だと補償があったりするじゃないか」

「銀行には補償させられんよ。通帳と印鑑を預けていたのはツグの過失だし、そもそも親族や家政婦を含む同居人による引き出しは補償対象外とされている。……となると窃盗で訴えるしかないわけだが」

「難しいのか」

「身内の犯行は難しい、と前も言っただろう。特に親族間の窃盗罪は特例で刑罰が免除されて親告罪……つまり、こちらが明確に相手を訴えない限りは罪に問われないようになっている」

「だが、訴えることはできるんだな」

「訴えることも、勝つこともできるだろう。ただし」


 シオミは眉間に寄った皺をもみほぐし、ため息を吐いた。


「金が返ってくることはないだろうさ」

「なぜだ? 裁判して勝てば……」

「勝訴して損害賠償請求権を得たとしても、それに強制力はない。そもそも引き出した金は手元にはもうないだろう……借金があったからな。その返済に使っている可能性が高い」


 前回の件で債務状況などは弁護士と調査済みだという。


「いくらか費用をかけて強制執行の手続をしても……言っては悪いがあの家には差し押さえられそうな物もなかったし、不動産――農地の差し押さえは難しい。土地が売れないと意味がないからな。サラリーマンなら給料の一部を差し押さえることができるが、専業農家だからそれも無理だ」

「……つまり?」

「今回も、ツグ次第だ」


 見過ごすか。費用と時間をかけてあてのない返済を求めるか。


「……わたしは……」



 ◇ ◇ ◇



「身内の恥を見せてしまって申し訳ない」


 事情を説明すると、イルマはそう言って頭を下げた。


「イルマは俺にとっては従兄にあたる。身内と言えば同じだ。頭を下げないでほしい」

「そう言ってくれると助かりますよ。……それで、妹はどうすることにしたんです? 私はあの人たちにはホトホト愛想が尽きていますからね、徹底的にやると言うなら付き合いますよ。なに、いざとなったら施設にぶちこめばいいんです。施設費用の負担ぐらいで済むなら安いものですよ」


 顔が怖いぞ、顔が。それにまだ両親ともそんな年でもないだろう。


「……訴訟や手続に時間をとられる方が嫌だし、もう関わりたくないそうだ。だから訴訟はしない……ただ、イルマには手伝ってもらいたいことがある」

「なんでしょう?」

「荷物の回収に付き合ってもらいたい」


 従姉が実家に残している荷物を回収するのだ。……さすがに売り払われているということはないと思いたい。


「なるほど。私が一緒の方が都合がいいですね。ユウさんや引越し業者だけだと、住居侵入罪とでも言い出しかねない。その点、私は実家に妹の荷物を取りに行くだけですから」

「手伝ってもらえるか?」

「任せてください。業者も手配しておきましょう……イベントの最終日でいいですか?」

「そのつもりだった。お願いしたい」

「ある意味タイミングよく発覚しましたね」


 俺がここ島根に来たのは、従姉の件があったからではない。

 ケモプロのパブリックビューイングイベントのためだ。


 ありがたいことに、ツナイデルスの地元・島根で若者を中心に応援団が発足したのだという。今やオーナーである島根出雲野球振興会の関連団体が発行する配布物よりも、応援団が作る配布物のほうが効果が高いのだとか。定期的にオフラインで集まりツナイデルスの試合を観戦して応援しているそうだ。

 それを知ったイルマが、それなら一度規模の大きいイベントを企画してみようか……ということでイベントホールを借りてパブリックビューイングを行うことになった。2月23日からの対鳥取サンドスターズとの三連戦。ゲストは俺とナゲノだ。


 もちろんこのイベントがなくても事態の解決のために来たと思うが、さすがに島根への往復はスケジュールの調整が大変だ。タイミングがよかった、それは間違いないだろう。


「まあ妹の件はともかく、イベントの方は順調でなによりですよ。県外からこんなに申し込みがあるとは思いませんでした」


 イベントチケットはオンライン――ケモプロでも販売したのだが、予想以上の早さで売り切れた。


「これなら販売量を増やしてもよかったかもしれませんね……県民専用の枠は埋まりませんでしたから」

「地元民が全員入れたのだから良しとしよう」

「……それもそうですね。宿の確保も大変でしたし。イージスさんがいてくれて助かりましたよ」


 県外からこのイベントにやってくる人向けに宿泊施設を用意したのは、伊豆ホットフットイージスのオーナー企業、全国ビジネスホテルチェーンのホットフットイングループだ。

 イベントは3日間行われる――つまり最低でも2泊分の宿の確保が必要だった。スケジュールと規模的にも難しい話だったが、なんとか対応してもらえた。そのうえかなり値引いてもらったから、頭が上がらない。


「会場のほうは問題ないだろうか? ナゲノが機材の設置とリハーサルに行っているが……」

「トラブルがあったら連絡がくるようになっていますし、大丈夫でしょう。グッズの搬入も終わったと聞いています」


 最初はセクはらの衣服ぐらいしかなかったコラボグッズも、アクリルキーホルダーやラバーストラップ、湯のみやお菓子などバラエティ豊かになってきた。各球団に属する選手の使用権は、KeMPBだけでなくそのオーナー企業も持っている。それを生かして独自に動いてもらった結果だ。

 ……ツナイデルス選手がヒットを連発しているイラストでパッケージされた『ツナイデル蕎麦』は、そのなんだ……そうなるといいな、という気持ちになれる商品だな。蕎麦の玉が野球ボールを模したものになっていて、見た目にも楽しいんだが……。


「バスの手配もできましたし、日中の観光ツアーも問題ありません。あとは当日に盛り上がるかどうかですね」

「全力を尽くそう」


 好評を博し成功を収めれば、今後のモデルケースのひとつとなる。解説だけでなく観客からの質問に答えるコーナーもあるから、気が抜けない。


 問題は山積みだ。だがとりあえず、島根での問題はこれで――


「ああ、ところで、妹の荷物の発送先は今の住まいでいいのですか? そこそこ荷物があったと記憶しています。全部持ち出すとなると相当な量になりそうですが」

「………」


 アパートは狭い。

 というか、二人分の生活用品がこの一年で増えて――余分な荷物を置くスペースなんてあるわけがない。


「……問題は、山積みだ」


 ……山積みにしたら解決しないかな? 床が抜けるか? うん。

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