サインを盗む獣たち

『結論から言うと、不正じゃねェ』


 ミタカは疲れた声でそう報告した。


『……が、やってないわけじゃねェな。つーか、やってる』

『やってマシタネ……』

『ふーん、やってたんだ』

「うん……たぶん、やってるね……」

『いやー、そりゃこれ見れば一目瞭然ッスよ』


 問題の動画をずーみーが再生する。うん……わかりやすいな。これはやってるな。


『サイン盗みですか……いかがなさいますか、ユウ様?』



 ◇ ◇ ◇



 2月10日の夜。ユキミから電話でそのことを指摘された。


『サイン盗みをしているんじゃないか、ってね』


 ケモプロの選手たちが、相手の出すサインを盗んでいるのではないか、という指摘だ。

 ケモプロも現実と同じように、監督という司令塔がいる。そして監督が選手たちに作戦を伝える手段も、現実と同じくサイン――体の動きを使った暗号で行っていた。投手と捕手の間のやりとりも同じだ。

 それが、盗まれる――解析され、作戦を見破られているという。


『一月ぐらいからかな。そんな兆候があったんだけどね。作戦失敗率ならぬ作戦看破率かな。それがグンと上がってきている。特にスクイズとかはね、ひどいよ。8割以上見破られてチャージをかけられてる』

「……戦術の学習の結果じゃないのか?」

『さあ、そうかもしれないね。実際のところは、僕は分からない。ただ特にフィールドに監督が出ているチーム……伊豆と鳥取の作戦が見抜かれている確率がひどい。伊豆が最近負けがこんでいるのは、ほとんど監督の作戦の失敗だ』


 細かい話は資料を送るから見てくれ、とユキミは楽しそうに言う。


『さて、どうする? ケモプロさんの動きは?』

「そちらはどうするんだ?」

『スクープじゃないかな? ガシガシ記事をあげていきたいね。いくら加盟球団と言っても、本業はメディアだからね。ケモプロではびこるサイン盗み疑惑! どうだい? なかなかアクセス数が稼げそうだ』

「疑惑でいいのか?」

『……ん?』

「いや、原因とか調査結果とか……もし本当ならその対策とか、そこまでまとまっていたほうがいいんじゃないか?」


 日刊オールドウォッチはメディアを報道するメディアを標榜している。誤報やデマの類を叩き潰すカウンターメディアだ。

 だがもちろん自身でもニュースを発信しているし、その際は他の報道機関につけいる隙を与えない裏付け調査をしたうえで記事にしている。それが『疑惑』の報道でいいものだろうか。


『……ふむ。調べる気はある、と』

「もちろんだ」

『独占記事を書かせてくれるなら、待とうかな』

「ネタ元はそちらなのだから当然だろう」

『ははは。わかったよ、じゃあそうしよう』


 ユキミは電話の向こうでニヤッと笑う。


『僕としてもケモプロはイチユーザーとして楽しみなんだ。軟着陸してくれるなら、それにこしたことはない。オーナー企業でもあるしね。ただ、早くしてくれよ? 他所からスクープが出てしまうようじゃこちらの出し惜しみ損だからね』



 ◇ ◇ ◇



 というわけで従姉とミタカに調査に当たってもらった。それで出てきたのがこの動画だ。


 2月11日の島根出雲ツナイデルス対電脳カウンターズ。ゲーム差1で首位の東京に迫るカウンターズは、この試合でもやりたい放題だった。嫌らしいバント、嫌らしい走塁、嫌らしい牽制……ことごとくツナイデルスの裏をかいて振り回す。確かにツナイデルスのベンチからのサインを読んでいるようではあったが、その確信は持てない。


 そんな中、復帰したての高坂たかさかルーサーが六回裏に負傷退場。この試合、ルーサーの打撃でなんとか食らいついていたのに、交代は第二捕手の打てない虎、ダイトラ。2対2、これは負けたか――と誰もが諦めたが、意外にもここから試合は拮抗した。

 2対2のまま迎えた九回裏。カウンターズの攻撃。虚を突いた盗塁でノーアウトランナー二塁。あっさりと送りバントが決まり、ワンアウトランナー三塁。事件はここで発生した。


 完璧に裏をかかれた形でピンチを迎えたツナイデルス、捕手のダイトラは溜め息を吐いて――



 敵側ベンチをガン見する。



『いやァ、もうこれ……完全に敵ベンチのサイン盗んでるわ。分かりやすすぎんだろ、ダメ虎』

「内部ログ的にも……ベンチの監督の動きが一番評価されてるから……間違いないと思う」


 従姉は俺の隣で頷く。


「ダイトラの動きと同じようなログを抽出すると、資料で指摘されてた場面と一致してたから……」

『指摘してきた電脳が一番やってたけどな』

『うわ、さすがヒール球団ッスね』

「やってなかったのは?」

『……島根はこれが初めてっぽいな。たぶんだが』

『初めてだから、うまくこっそり見るとかできなかったんデスネ~』

『ムフ。そう考えると、なんかかわいいね!』


 不器用なダイトラがやったからこそ、確信が持てたという感じか。タイミングがよかったな。


「それで」


 確信が持てたからこそ、緊急で報告会を開くことになったわけだが。


「不正じゃない、というのはどういうことだ?」

『まァ、まずは一言、言わせてくれ』


 コホン、とミタカは咳払いする。


『……すごくね?』


 ………。


『黙るなよ! ったく……AIが予期しない方向に成長するとか、ロマンあるだろ? まァ冷静に考えれば効率がいいことを学習するのは当然で、サイン盗みが悪いことだと知らなきゃそうするわな、って話だが』

「悪くないのか?」

『ルール違反じゃねェからな』


 ミタカはネットの向こうで肩をすくめる。


『公認野球規則には書いてねェもん』

『モン、て……アスカサン……』

『うっせ。……まァちと調べが足りなかったんだよ』


 ガリガリ、と頭をかく音がする。


『ケモプロのルールは、公認野球規則にのっとってる。なんで、サイン盗みは反則じゃないから、審判も何も言わない』

『でも最近も甲子園で、サイン盗みが問題になったと思うんスけど』

『実はな……野球のルールは、運用レベルになると公認野球規則だけじゃなくなるんだわ』

「他にもルールブックがあるのか?」

『ある。硬式軟式を問わずプロ以外――アマチュア全体で適用される、アマチュア野球内規。特に高校野球で適用される、高校野球特別規則。公認野球規則に加えて適用されるルールだ』


 二つもあるのか。つまり甲子園は公認野球規則+アマチュア野球内規+高校野球特別規則でやっている、と……複雑だな。


『じゃ、そのどっちかにサイン盗みが反則だって書いてあるんスね?』

『書いてねェんだなこれが』


 ないのかよ。


『書いてあるのはな……高校野球・周知徹底事項……つー代物だ。高野連に所属する人間はこれを守れよ、っていうお達しさ。ここにのサインを見て、それを打者にする行為はする、とある』


 昔の野球漫画によくある、二塁ランナーがキャッチャーのミットの構えを見て「右よ」とかやってるやつか。


『……え、で、やったらどうなるんスか?』

『罰則の規程はない。審判の裁量だろーな。オレらはログを見て判断できたが、サイン盗みかどうかなんて現実じゃ判断つかねェし、やってないと言われたらそれまでだしな』


 そういえばサイン盗みでアウトになったとか退場とかは聞いたことないな。


「……高校野球には少なくとも禁止、という……周知事項があるのは分かった。それで、プロは?」

『規則のほかに野球協約、というものは存在しますが、これは試合のルール的なものではありませんね……どうなんですか、ミタカさん?』

『これがな……まとまった資料が手に入らなかったんだが……コミッショナーって分かるか?』

「こみ……?」

『お兄さん英語弱いね。組織における最高権限をもつ責任者のことだよ? 政府の長官とか』

『日本じゃ野球とかプロスポーツの最高責任者を指すのが一般的だな。大学総長とか検事長とか裁判長とかの偉いさんが任命されてる。なんらかの事件があったとき、裁定・指導をするような役職だと思やいい』


 そんな役職があったのか。オーナーが一番偉いものだと思っていたが。


『でな、問題が起きた時にそのコミッショナーが裁定を下すわけだ。プロ野球よ、こうしなさい、ってな。いわゆるコミッショナー通達ってやつだ』

『つまり、コミッショナーがサイン盗みダメ、って言ってるわけッスね!』

『そこも微妙でな』


 まだ何かあるのか。


『1998年にあるチームが、外野スタンドの観客に、捕手のサインを打者に伝えさせてるんじゃないかって疑惑があってな。それで1999年に、試合中のからの情報の禁止――がコミッショナーから通達された』

「……それがサイン盗みの禁止、ということか? だがそれだと内部……選手間なら問題なさそうだが」

『もうそこから先は闇でな』

「闇」


 闇とは。


『セ・リーグとパ・リーグがそれぞれアグリーメント……まァ約束事を決めた文書を用意しているんだが、もしかしたらそこには書いてあるのかもしれねェ』

「もしかしたら……?」

『一般には非公開なんだよ。それこそ一昔前のルールブックみたいにな』

『オー、ブラックボックス』

『コミッショナー通達をまとめて記載したモンが見つからねぇから、アグリーメント側で補完してる可能性があるんだが……読めなきゃ手出しできねェ。基準がわかんなきゃどーしよーもねェだろ』

『ねえねえ、そもそもさ!』


 ライムがひょっこりと割って入る。


『サイン盗みって悪いことなのかな? メジャーじゃ禁止してないよ?』

『えッ。そ、そうなんスか?』

『ちょうど去年サインの解析で事件になったけど……サインの解読自体は禁止されてないよ。電子機器を使って解読・伝達するのが禁止ってなっただけで。人力ならオッケーだって』

『……ケモプロの選手は、全員電子機器みてェなもんじゃねェか』

『ムフ。それもそうだね』


 ……伝達の禁止、か。


「ケモプロでは、サインを伝達してるのか?」

「そこまではしてないみたい……監督のサインをそれぞれの選手が解読して、判断に使ってるの。あとはピッチャーから出したサインとかも」

『ま、今のところはな伝達してねェな。時間の問題の気はするが』

「なら反則じゃないからよしとするか? 現実では伝達が問題とされているようだし」

『えぇー……ズルくないッスか?』

『らいむ、サイン盗まれる方が悪いと思うなあ。現実のプロ野球じゃ対策してるでしょ?』

『ブロックサインッつー仕組みで対策してるな』


 例えば送りバントのサインは右手で右腰を触る、とする。それが試合によっては左腰になり、あるいはイニングごとに場所ブロックが変わる……など、敵に解読されにくくするための工夫だ。人間の選手ではこれを解読できないからこそ、メジャーで電子機器を使った解読が問題になったわけだな。


『今はケモプロにブロックサインの仕組みはねェんだわ。……んで、実はちょいと実験してみた。簡易なモデルを用いて、サイン学習とブロックサインによる対抗って形でぶん回して……』

「どうなった?」

『サイン伝達ミスが増えて、試合時間も平均で1.3倍ほどかかるようになった』

「サインが複雑になって理解できない選手とかもでてきて……余計な動きも多いから……」


 テンポが悪くなってそのうえへたくそになるのか……。


「……ブロックサインは、ダメだな」

『えぇ……じゃあ見過ごすんスか?』

『見過ごしたら見過ごしたで、結局盗まれるからってサインを使わないようになってな……チーム的な戦術がなくなる。ノーアウトでランナーが三塁にいても、何も考えずに振り回す大味な試合展開ばっかり、て感じに進化したわ』

「そうなるのは少し困るな」


 反則かどうかはともかく――サイン盗みは対策を講じた方がよさそうだ。


 世間一般には、ずーみーのようにサイン盗みは悪だと考える人が多いだろう。ユキミだってそう考えたから連絡してきたわけだ。

 だがライムのように、それを技術と割り切る人もいる。問題は人間より解読の技術力が高すぎることか。


 ……そもそもサイン盗み自体は、本当のところは誰もやってほしくないんじゃないか?

 見て分かってしまうことは防ぎようがない。だからせめて伝達だけでも禁止しておこう……NPBもMLBも、そんなところじゃないだろうか。


「……サイン盗みが防げるのであれば、それにこしたことはない気がするな」

『へへ、言うと思ったぜ。実はバッチリ解決できるアイディアがある。――ケモプロはデジタルだってこと忘れちゃいねェだろ?』


 フフン、とミタカは得意げに鼻を鳴らす。


『サインを見えなくすりゃいいのさ。サイン中の選手を箱で覆うわけだな。この箱は視聴者や味方からは透明だが、相手選手からは中が見えないようになってる……これでサインは盗めないって寸法よ』


 なるほど。選手ひとりひとりに視界があるケモプロならではの対処法だな。


『これならサインも単純化が進んで試合進行に遅れが出ることもねェ』

『イイデスネ。完璧な対策じゃないデスカ?』


 確かに、完璧だ。



 ……だが。



「リアルでは、ないな」

『アン? なんだって?』

「現実にはそういう箱はない。それにサインを読むのはともかく、ベンチの動きがあわただしいとか、顔色が悪いとか、そういうところから作戦を『予想』するのは悪いことじゃないだろう? 箱があるとそれも防がれてしまうんじゃないか?」


 暗号の解読で作戦をことと、相手の様子から作戦をするのは別の話だ。

 野球の面白さのひとつ――駆け引きを減ずることにはならないだろうか?


『んじゃどうすんだよ。さすがに本番サーバじゃ急速には進行しねェが、一年後ぐらいにはかったるい試合展開になってるぞ』

「それは……選手に倫理観を与えるとか? サイン盗みは悪いことだと」

『AIは人間じゃねェ。効率のいいことが悪だなんて、学習の阻害にしかならねーな。審判が反則を取ってペナルティを与えるようにすれば、それを避けようとはするが……敵側ベンチを見たら反則にするのか? 基準がわかんねェだろ?』


 敵選手の動きを見てサインを理解したら反則。

 ……うん、確かに意味が分からないな。現実でできないことはリアルじゃない。


『ブロックサインを解読できないよう頭を悪くするって手もあるが……認識や推測の能力を落とすと、どんな影響が出るかわからねェな』

『オススメできマセンね。タダでさえヘタクソって言われてるのに。イーじゃないデスカ、ブラックボックスで。対外的にも、サイン盗みできないようにシマシタヨー、て言うダケデショ』

「……確かに、箱はゲームとして、デジタルとして正解だと思う」


 例えば投手がサインを出したら、その後ろにいる選手は見えなくなるのか? というような疑問も、ミタカならうまく解決してくれるだろう。ただ……。


「だがリアルな野球をする……という視点からは遠ざかってしまう。せっかくここまでゲーム的な判定をいれずにきたんだ。なんとか――アナログな手法にならないだろうか? ブロックサインもそうだが、他にリアルの方で対策は?」

『昔は、乱数表つーのをグラブに貼って、それでバッテリーのサイン交換をしてたらしいが、時間がかかりすぎるっつーんで禁止されたんだと。それでブロックサインになったわけだ。つまり人間には……リアル側ではここまでなんだよ』

「なら、未来では?」

『アァ?』


 今の野球ではやっていないかもしれない。だが。


「ケモプロが先んじて、ブロックサインに変わるサイン伝達方法を打ち立ててもいいんじゃないか?」

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