滑り込みアウト?な受験生

 2月10日。


「何も予報どおり降らんでもなあ」

「当たらない予報じゃ困るんじゃないか?」

「そりゃそうだが、かわいそうだろ」


 ライパチ先生はスコップを立て、持ち手に体重を預けながらぼやく。


「俺の腰が」

「腰」

「かわいそうだろ?」


 早朝から出勤して雪かきを続けてきたというのだから、労わる気持ちがないわけではないが。


「受験生はいいのか?」


 2月10日土曜日。前日の予報が当たって雪に白く埋もれた私立棚田高等学校は、入学試験日を迎えていた。



 ◇ ◇ ◇



 ライパチ先生に頼まれて、俺は入試の手伝いをすることになっていた。女子の手伝いは確保できたものの、男子の人数が足りないのだという。


「お前が忙しいのは重々承知しているが、頼む。スケジュール空いてないか?」

「スケジュールの調整はできそうだが……」


 なんだかんだでライパチ先生には学校方面で便宜を図ってもらっている。手伝いをすることに不満はない。だが疑問はある。


「女子だけじゃだめなのか?」

「……ウチが共学だってアピールしたいんだよ……」


 棚田高校生徒の男女比率は圧倒的に女子が多い。創立以来共学のはずなのに、男子は数えるほどしかいないのだ。制服の人気が高いこと、男女の定数を設けず純粋に学力順に合格としていること、そうしてある時期を境に比率が偏って周囲に女子高だと勘違いされたことが原因だと噂されている。俺は距離と偏差値で選んだから知らなかったが。

 そんなわけで、女子高が共学になったのかな? というレベルで男子が少ない。トイレや更衣室などの設備は男女共に同数用意されていたものが、女子用だけ二倍に増設されているぐらいだ。俺に男友達がいないのも納得の環境だと言える。


「案内が女子生徒ばっかりじゃ、受験しに来た男子が気後れするかもしれないだろ? だからせめて一人は……な、頼むよ」


 俺だけなのか。……俺の受験の時はどうだったか……覚えていないが、誰かしらいたのかもしれない。


「……わかった。引き受けよう」


 未来の後輩に、勇気を与えようじゃないか。



 ◇ ◇ ◇



 そうしてスケジュールを都合して迎えた試験日だったが、東京は未明から今年三度目の大雪に見舞われていた。報道されている交通機関の乱れは相当なもので、雪は膝元近くまで積もっている。この調子だとまだ積もりそうだ。


「うっし、もういいだろ……雪かき終了!」


 ライパチ先生が宣言し、俺も雪かきの手を止める。雪はまだ降り続いているから、道はすぐに白くなってしまうが……多少は意味があると信じたいところだ。


「終わりでいいのか?」

「もうそろそろ受験生が来るし、そんなかで雪かきするわけにもいかんだろ。……よし、会議終わって結論が出たな。メール転送するから読んでおけ。何か質問は?」

「……いや、大丈夫だ。理解した」

「じゃあ頼む。外に立たせてすまんが……」

「そういう割り振りだったし、誰かやらないといけないだろう。ライパチ先生は自分の仕事をしてくれ」

「悪いな。後でメシでもおごるわ。んじゃ行ってくる」


 体の雪を払いながらライパチ先生は校舎に入っていく。俺はスコップを置いて、『私立棚田高等学校 受験会場』と書かれたプラカードにかかった雪を払い、両手で持った。

 公共交通機関から棚田高校へ向かう道は一本だ。受験生がやってくるであろう方向を見ていると……来た。傘をさした女子中学生の群れが、吹きつける雪に身を縮めながら一列になってやってくる。


「受験生のみなさん、おはようございます!」


 これから何十回と繰り返すことになる文言で声かけする。


「私立棚田高等学校の受験会場はこちらです。足元が滑りやすくなっておりますので、お気をつけください。本日は雪の影響により、交通機関に遅れが生じております。そのため試験時間を30分繰り下げて9時30分からの開始となっております。慌てず、転ばないよう、ゆっくりと校舎へお進みいただき、次の案内を受けてください」


 女子中学生たちはこちらを何か驚いたような目で見ると、そそくさと門を通過していく。

 ……おおかた、男子生徒が案内していることに驚いているのだろう。女子の制服は有名だが、男子の制服の認知度は低く、そもそも男子がいることさえ知られていないような有様だし。


 だが、そんな視線にも慣れたものだ。


 何の因果か声優養成所――WAPPA高田スクールに通うことになった俺は、クモイの指導の下、訓練を続けている。滑舌トレーニングの『WAPPA高田コマーシャル』読み上げも、ビル前の往来で何度もやらされた。今さらこの程度の常識的な文章、驚きの視線、なんてことはない。


 そしてトレーニングの効果も出ているのだろう。案内に首を傾げられることも、質問を受けることもなかった。しっかりと受験生たちには内容が伝わっているようだ。


「お、おはようございます」

「よろしくお願いしますッ!」


 中には挨拶を返してくる受験生もいる。こちらは案内中なので小さく頷くことしかできないが。


 ……雪は勢いを弱めない。交通機関はますます遅れているらしい。


「……ふむ」


 スマホにライパチ先生から対応方針のアップデートが届く。了解を返して、俺は受験生への案内を続けた。



 ◇ ◇ ◇



「もうそろそろおしまいか?」


 雪もやっと止んだ。ここ二十分ほど受験生はやってきていない。さすがにもう来ないような気がするが、ライパチ先生から終了の連絡は来ていないし、持ち場を離れるわけにはいかない。


 手持ち無沙汰だし、門から離れない範囲で雪かきでもするかな?

 そしてにしても……男子は少なかった。たとえ全員合格したとしても男女比は覆らないだろう。後は、スポーツをやってそうな女子が多かったな。うちは進学校で特にスポーツが強いわけではないんだが……例外は女子野球部か。ああ、そうか。カナがプロ野球選手になったから、それで希望者が増えたのかもしれないな。


 そんなことを考えながら、スコップを動かしていると――


「む?」


 向こうからものすごい勢いで近づいてくる女子中学生が


「アァァァ――すいませんすいません避けて――」


 滑っている。踏み固められた雪を奇跡的なバランスで立ったままこっちにツルツルと――いやそんな感心している場合じゃない。そのまま滑ればこの先は車道だ。


 スコップを放り出す。進路に割り込む。真正面からぶつからず横抱きにさらって――回転――抱え込んで後ろから雪山に倒れこむ。雪が舞い上がり、体がめり込む。


「むぐッ――ぐう……」

「はッ、へッ!?」


 雪かきで背後に雪山を築いてなければ危なかった。いや、積んだ雪はけっこう硬かったので痛いことには変わりないんだが……。


「……大丈夫か。起きられるか?」

「はッ! あ、ハハァッ! も、もうしわけありませぬッ! い、今すぐッ!」


 どこの武士だ。


「ふんっ! ふんっ……! あ、あれ? 抜けないッ!?」

「落ち着け」


 二人して雪山にめりこんでいたので、脱出に時間がかかった。なんとか抜け出すと、細っこい垂れ目の女子中学生はペコペコと頭を下げる。


「こ、このたびは助けていただきッ! なんとお礼を申し上げたらよいかッ!」

「お互い怪我はないし、礼はいらない」


 というか、そういうことしている場合じゃないんじゃないか。


「受験しに来たんじゃないのか?」

「あッ! そ、そうでした。あのォ……そのォ……雪でですね、電車が遅れて……家からは間に合うように出発したんですけど……駅まで車は間にあったんですけど……あの……」


 女子中学生は、涙目でこちらを見上げる。


「あの、駅からも走ってきて……あッ、それで滑ってあわわわ! え、えと、す、すみませ……で、でも、一生懸命走ってきたんですッ! ……けど……時間……過ぎてますよね。だ、ダメ……ですよね……」

「学校のWebサイトで案内しているが、見てないのか?」

「スマホのバッテリー切れちゃって……」


 取り出した端末……こんなサイズのiPhoneなんかあったっけ? ずいぶん小さくてぶ厚いな。まあバッテリーが切れれば何もできないのはどんな端末でも同じか。


「交通機関に遅れが出て収拾がつかなくなったので、遅刻に対しては遅延証明書さえあれば、時間を問わず受け入れることになっている。定期的に遅刻者をまとめて試験しているぞ」

「ほ、ほんとですか! ありが――あッ、ち、遅延証明書!? ど、どうしよう、もらったっけ!?」

「落ち着け。持ってないなら、経路を教えてくれれば大丈夫だ」


 たいていの交通機関はネットから遅延証明書が印刷できるから、駅で受け取れていなくても問題ない。申告した経路の妥当性は――ホテルに泊まっているとかだとその証明も必要だったが、家から出たなら簡単に調べられる。

 そう説明したにもかかわらず――鞄をあさっていた女子中学生は顔を真っ青にした。


「じゅ……」

「じゅ?」

「受験票……駅で電車に乗る前は確かに確認して……お、落とした!? さ、探してまいりますッ」

「落ち着け、走るな」


 肩を掴んで止める。


「本人確認ができるものがあれば受験可能だ」

「えぇ!? そうなんですか!? な、なんて慈悲深い学校……」

「いや一般的な対応だぞ」


 本人確認の手間を省略するための受験票であって、それがないだけで受験させないとか鬼だろう。

 「よかった」と言って女子中学生が座りこむと同時に、スマホに着信。ライパチ先生だ。


『おー、オオトリ。すまんな、放置してて。さすがにもう受験生来てないだろ? 連絡がないのはあと一人だけなんだが、この時間じゃ来ないだろうし、校舎に入って暖まって――』

「いや、来たぞ」

『お、おお? マジか……えぇ……まいったな……。ああ、んじゃまあ、とにかくつれてきてくれ』

「わかった。では」


 歯切れが悪かったのは気になるが、試験は受けさせてくれるだろう。


「案内しよう。ついてきてくれ」

「は、ははァッ! よろしくお願いいたしますッ!」


 ……「ついてまいれ」と言ったほうがよかったかな?



 ◇ ◇ ◇



 甘い見積もりで遅刻者対応をした結果、対応する教室と教員が足りなくなる。教室はなんとか片付けて用意できるとして、教員はこの雪の中呼び出すことはできない。


 ……というわけで、俺は一人で女子中学生の試験を担当することになった。


 いちおう説明は他の生徒と一緒にまとめて受けたから理解していたし、問題用紙・答案の配布と回収は相手が一人だから特に苦労はなかった。リスニングだけ多少緊張したが、なんとかトラブルなく終了する。


「お、おわ゛ッた~」


 女子中学生は机に突っ伏した。三教科とも時間ギリギリまで百面相で挑んでいたから、体力を使ったのだろう。


「時間は大丈夫か? この後受験するところがあるなら、スケジュールがどうなっているか調べるが」

「あッ、いやッ! お気遣いなくッ! 東京で受験するのはこの学校だけなのでッ!」


 女子中学生はぶんぶんと手を振る。


「ここに受からなかったら地元で進学する予定なので……受験できて助かりました」

「そんなにうちの学校がいいのか?」

「はいっ! 憧れの先輩の母校なので! どうしても同じ部に入りたくて!」


 なるほど。――線は細いが、女子野球部志望か。カナの影響力もたいしたものだな。


「今年は入部希望者が多そうだし、大変だな」

「えッ。そ、そうなんですか?」

「ああ。……ちなみに、あれが顧問だ」

「人を指してアレって言うな」


 ドアを開けたライパチ先生がしかめっ面をする。


「確認が取れたから、終わりでいいぞ。……で、何の話だ?」

「入部希望者だそうだ」

「よ、よろしくお願いしますッ!」

「ほお……」


 頭を下げる女子中学生を、ライパチ先生は無精ひげをいじりながら品定めする。


「なんだか余裕そうだな?」

「まあなあ。あれからいろんな中学から問い合わせがあったし……推薦してくれないか? とかな。うちは一般入試のみだって言ってるのにさ。まあ、それ目当てで受験者数が増えたのは知ってるから、今さら驚かんよ」

「そ……そんなに希望者が……。すごい、ですね」

「お前さん、経験はどれぐらいだ?」

「えッ? あ、ははァッ! はじめたのは一年前ぐらいで……本格的には、半年前から……」

「ふむ、だろうな。見りゃわかる」

「わ、わかるものでございますかッ!?」

「そりゃ、体つきとか、身のこなしからとかな」

「そんなところから……す、すごい……」


 尊敬のまなざしを向けられて、ライパチ先生はニマリと得意げに笑う。


「はっはっは。うちは厳しいぞ。経歴は問わず受け入れるが、使えなければどんどん落としていくからな。うちの高校に来るなら、合格しても気を抜かず普段から練習しておくんだぞ」

「は、ははッ! かしこまりましたッ!」


 びしりと女子中学生は敬礼をし――ぐうぅ~、という腹の音が鳴り響く。


「はぅ……」

「はっはっは。よし、飯でも食いにいくか。俺も採点前に何か詰め込んでおかんと倒れそうだ。おごってやるからついてこい。……お前さんもだよ」

「え!? い、いいんですかッ!?」

「構わんだろ。そもそも試験も終わってるしな……まあ何か文句言われても、たまたま一緒の店に入って席が近かっただけ、ってことにすりゃいいさ。用事があるなら、無理にとは言わんが」

「い、いえッ! お供いたしますッ!」


 どこの武士だ。



 ◇ ◇ ◇



「学校近くに定食屋があるなんて初めて知ったな」

「生徒が来るようなとこじゃないからな。夜は居酒屋だし。教員同士で飲みには来るぞ」

「あ、あのォ……このコンセントで、スマホを充電しても……?」

「おやっさーん! コンセント使っていい? ――ん、いいってよ」

「ありがたきしあわせ……ッ!」

「……見たことない端子だな。最近のiPhoneはゴツいんだな」

「……オオトリ。それ、3GSだぞ」

「これ、iPhoneじゃないのか?」

「世代差を感じる……ハァ……急に背中と腰が痛くなってきたよ……」

「ん……どうした? そっちも浮かない顔だが」

「いえその……さっきのテストの解答を間違えてるような気がしてきて……」

「はっはっは。テストは一発勝負だ。悩んでも悔やんでも何も変わらんよ。ダメだったら切り替えていけ――カンニングしたとかなら一生悔いていいが」

「し、してませんしてませんッ!」

「お、怪しいなあ。本当か、オオトリ?」

「さて……」

「してませんッ! ちかって! しておりませんッ!」

「はっはっは! いやいや、冗談冗談――……」



 ◇ ◇ ◇



 ――その日の夜。


『不正してるよね?』


 日刊オールドウォッチの編集長、ユキミは通話が繋がるなりそう言った。

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