ボドボドの滑舌
知らない町の駅前のビル群。その隙間に立つような細いビルにかかった看板を見上げる。
間違いない、目的地だ。
中に入ってエレベーターで目的の階へ。扉が開き、無人の受付で呼び鈴を鳴らす。
看板に並んだ文字を見ながら、俺はナゲノとの会話を思い出していた。
◇ ◇ ◇
「WAPPA高田スクールという養成所なんだが」
「真っ裸だ!? な、なんてこと言うのよアンタは!?」
そんなこと言ってない。
「WAPPA高田スクール」
「……マッハダダダ?」
何度かこんなやり取りをしてようやく正しい名前を伝える。
「取引先に紹介されて、そこのレッスンを受けることになってな。ナゲノなら何か知っているかと思ったんだが」
「経緯が謎なんだけど……まあそれは置いておきましょ。で、WAPPA? 聞いたことないわね。ていうか、有名所ぐらいしか知らないわよさすがに」
そう言いながらも、ナゲノは端末で検索を始める。
「基本的に養成所とか研究所は声優事務所の下にあって、声優学校は学校なのよ。だからそのWAPPAもどっかの事務所のやつでしょ……ふむふむ。え、ワッキャさんが講師なの? へえ~!」
「ワッキャ……?」
「ワタノハラオキヤさん。知らないの? ある意味大御所よ?」
「声優なのか?」
「そりゃそうよ。『キャット&フィッシュ』ってアニメでブレイクしたんだけど……女性人気も結構あるのよ? あとラジオとかもやってたかしら……」
知らない。スマホで調べると10年ぐらい前のアニメだった。猫っぽい少女とハードボイルドな男探偵のコンビが事件を追うアニメらしい。……ううむ、ネット配信はないか。
「とにかく、小さな養成所みたいだけど変な噂もないし、何よりワッキャさんなら大丈夫よ。いい評判しか聞かないし」
「地獄ではない?」
「取って食われるなんてことはないでしょ。安心しなさいよ、まったく……」
◇ ◇ ◇
「あらかわいいコじゃない、食べちゃいたいワ」
取って食われそうだ。
受付で指示された部屋に入ったとたんそう言われて、俺は固まった。
舌なめずりして体をくねらせながらそう言ったのは、背の高い細身の男だった。サングラスを額にかけ、つやつやした目をこちらに向けている。髪はピンクに染められているが、服装はスマートにまとまっている。くねってなければ普通の明るいおじさんという感じだ。
「……オオトリユウです。今日からお世話になります」
「あら、アタシったら先に自己紹介させちゃったわね。こんにちは、ユウちゃん。アタシはワタノハラオキヤ――気軽にワッキャ先生と読んでちょうだいネ」
……この人が?
「失礼ですが、『キャット&フィッシュ』に出演された?」
「アラァ、若いのに勉強熱心ネ。そうよ、アタシの代表作。見てくれたの?」
「PVだけは……」
どこもネット配信してないからそれぐらいしか見つからなかった。
「……ワッキャ先生が、あの作品の主役……探偵役を?」
「アーン、違う違う」
「じゃあ少女役」
「なんでヨ」
「すごい声優だと知人から聞いたので……すごい人ならできるのかなと」
「アタシをヒロインに起用したら頭を疑うわネ。そういうのもいいかもだけど。アタシの役はこっち」
そう言うとワッキャ先生は自分のスマホで動画を再生した。
暗い路地裏を、ハデな女物の服――赤いロングスカートを履いた男が歩いて、何者かを追い詰める。
『アァラ、アナタはここまでなのォ?』
『ひッ……た、助けてくれッ、ジ・ウォーカー……このままじゃクソ探偵どもに捕まっちまう』
『ンフフ……諦めてる? 絶望してる? いずれにしろ、アナタが立ち止まるというのなら』
『!? ギャアアーッ! ひっ、ぁがあああ!? あッ、アアアアーッ!』
『この脚、代わりに貰ってア・ゲ・ル。さ、行きましょ』
『ァ……あああ……』
『またね、探偵さんたち。道が交われば会いましょう。アデュー……フフフ……アハハハハ!』
なにこれこわい。
……あ、しかもこれスカートじゃない。脚だ。このキャラ、腰から血まみれの脚をぶら下げてる。フリルみたいに。よくアニメのジャンル見たら探偵アニメじゃなくてサイコサスペンスって書いてある。サイコすぎるだろう。
「引退を覚悟して素の自分をさらけ出してやったけど、それがうまくハマったのよねぇ。おかげでそういう役のオファーが来るようになって、食いっぱぐれないですんでるの」
どこまでが素なのか気になるが聞けない。
「……大御所、と聞きましたが」
「そう言う人もいるけど、オネエキャラでも競争は激しいのよネ。ライバルいっぱいで大変よ」
こんな人が何人もいるのか。声優業界も大変だな。
「さて……かっちゃんの頼みだからアナタを仕込むわけだけど、アタシも収録とか他の子の指導とかで忙しいのよネ。だから――モモちゃん! 入ってらっしゃい!」
ワッキャ先生が遠く響く声で呼ぶと、ドアが開いて女子が一人入ってきた。
メガネをして口を一文字に結んだおかっぱの――体型全体がおかっぱという感じで、ノシノシと近づいてくる。
「こちら、ユウちゃん。今日からここの生徒よ。はい、モモちゃんも自己紹介」
「………」
じろり、と顔に比例して小さなメガネの奥から睨まれる。
「……クモイモモです」
――衝撃だった。
こんな声、いままでの人生で聞いたことがない。そして二度と忘れないだろう。
……なんだろう、逆さ吊りで水責めにされるぶさいくな猫のような声……?
「オオトリユウです。よろしく、クモさん」
「クモイ」
「?」
「クモイ、モモだから。二度と間違えないで」
「すまなかった」
そりゃ、蜘蛛と間違われたら怒るよな。
「先生、なんなんですかこの人。いつ試験したんですか」
「このコは特別枠なの。古い知り合いに頼まれて、期間限定でとあるオーディションまでに仕上げてくれって言われててね」
「へえ……」
丸メガネの底からじろりと睨まれる。
「そういうことしない所だと思ってましたけど」
「アァン、だから今回だけの特別ヨ。だって初恋の人に頼まれたら、断れないじゃない?」
「知りませんよ」
「モモちゃんもそのうち分かるわヨォ。春は高校、クラス替えあるんでしょ? 新しい出会い、恋の芽生えの予感がしない!?」
「学校はクソなんでいいです」
「つれないわね~」
ワッキャ先生は肩をすくめる。
「ま、いいわ。それよりなんで呼んだかって言うとね、モモちゃんにはユウちゃんの指導をして欲しいの」
「は!? なんで……私、生徒ですよ?」
「でもォ、ここに来てもう一年でしょ? 基礎は十分身についてるし、教える資格は十分よ。ダイジョーブ、カリキュラムはここにちゃんとプリントしてあるから、ネッ」
「でも……」
「仕事を押し付けてるわけじゃないの。人に教えるってね、勉強になるのよ。これもモモちゃんの成長のためってこと。もし引き受けてくれるなら……」
ワッキャ先生はウインクする。
「モモちゃんが知りたがってる、声優の『極意』……伝授してあげちゃうワ」
「! 本当ですか!?」
「本当も本当、超本当ヨォ。じゃ、このプリントどおりによろしくネ。アデュー!」
そしてワッキャ先生は去っていった。広い部屋に二人取り残される。
「……ひとつ、言っておくけど……」
クモイは紙束を握り締め、こちらを睨みつけて言う。
「本当はこのスクールは、オオトリみたいのが来るような場所じゃないから。ちゃんと入所前に厳しいテストがあって、それに合格した人しか入れない所なんだからね」
「どんなテストをやるんだ?」
「えっ」
「……いや、テストをやるんだろう?」
「……し、知りたいの?」
「教えてほしい」
先生の知り合いの紹介で入るというのは、裏口入学みたいなものになるのだろう。敵意をもたれるのは当然だ。ただ、もうその立場は変えられない。なら、どの程度ズルいのかは知っておきたい。
そう考えながら待っていると、クモイはその太い身を少し縮めて口を開いた。
「……まず、予約を取って……指定された時間に、試験官に電話する」
「電話か……それで?」
「一ヵ月後にまた電話をする」
「うん」
「………」
「……他には?」
「……そしたら来いって言われて所属になる」
なるほど。時間的な厳しさということだな。
「クモイさんとしては、一ヶ月もショートカットしてきた俺は気に入らないかもしれないが……指導をお願いできないだろうか?」
「……なんで? 私なの?」
「他に頼る人もいないし」
この養成所で会ったのは、あとは受付の人ぐらいだ。
「それに、俺を仕上げるという仕事を引き受けたワッキャ先生が、その仕事を託した相手だからな。クモイさんなら確実にできると、そう信頼して任されたんだろう? なら俺も、クモイさんができると信じる。信じてやるしかない」
「……ソ」
ん?
「クソが」
なんでだ。
「……先生に頼まれたからにはやる。先生には何か事情があるようだけど、私は容赦しない。厳しくやる」
「望むところだ」
「じゃあまず、これを読み上げて」
渡された紙には随分長い文章が書いてあった。
「これは?」
「WAPPA秘伝の練習文。一般的にはウイロウウリなんだけど、あれは現代人には意味が分かりづらいし、実用的じゃない。そこで現代風にしたものがこれ。その名も『WAPPA高田コマーシャル』。さあ、読んで」
「……わかった」
それでもなかなか言い回しが難しそうだが、やるしかない。
俺は酸欠を覚悟しながら、WAPPA高田スクールを宣伝する文章を読み上げ始めた。
◇ ◇ ◇
「クソ下手」
「……そこは……ヘタクソにはならないのか」
「クソドヘタクソ」
息を切らせてあえぐ俺に、クモイは評価を下した。がんばって読みきったのだが……。
「今まで生きてきたのが不思議なぐらいクソだった」
「……具体的に、どこがダメだったか教えてもらえるだろうか?」
「発声がクソ。ボリュームとテンポが安定しない。滑舌もクソ。タダナラ行だけじゃなくて全般的に舌が死んでる。感情もクソ。初音ミクの方が感情こもってる。肺活量も足りないし、何もかもひどい」
コミュ障だからと会話してこなかったツケだろうか。
それでもここ最近は代表として交渉する機会も多く、改善してきたと思っていたのだが……思い違いだったらしい。
「ボイレコある?」
「スマホでいいなら」
「起動して」
録音を開始すると、クモイはスラスラとWAPPA高田コマーシャルをそらんじ始めた。読んでいない。完全に暗記している。それでいて迷うことなく、俺が詰まった箇所も難なく口を回していく。
目を閉じれば、逆さ吊りにされたブサイクな猫が水を滴らせながら陽気に客寄せをしている様が浮かぶようだ。時に指導者のように、時に怪しい詐欺師のように、時に身をくねらせる男娼のように。
「今のを手本に練習して。発音、区切りに注意」
「わかった」
「あとは今日は発音の仕方も教える。口と舌の動かし方に注意して。ア行から……」
「動画に録ってもいいだろうか?」
「……一回で覚えて」
拒否されたら仕方ない。俺はクモイの口の動きに集中した。
「……以上。今日はここまで。あとはひたすら練習して」
「わかった。ありがとう」
「……お礼を言ってられるのも今のうち」
クモイはムスッとしながら言う。
「先生は引き受けろとは言ったけど、オオトリに責任を持てとまでは言ってない。やるからにはやるけど、結果はオオトリ次第だし、やる気がなければそこまで。来週に進歩が見られなければ、先生にレッスンをやめるように言う……少なくとも、私は降りる」
「覚悟が必要ということだな」
「覚悟より練習。それだけ」
「わかった」
正直すでに顎が痛いんだが、そうも言ってはいられない。
こうしてプロの指導を受けて、痛いほど分かった。何もしないままゲスカワくんの声なんてやったら、もがこれにとって良くない結果しか生まなかっただろう。
「きっちり練習してくる」
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