ダブルプレー、前から刺すか? 後から刺すか?

 1月22日。


「すまない、遅くなった」

「遅いわよ!」


 雪を払い、ドタバタとナゲノの部屋に駆け込む。

 この日、東京は数年ぶりの大雪に見舞われていた。朝から営業で外回りしていた俺はモロに交通機関のトラブルに巻き込まれ、スケジュールが遅れに遅れ、ナゲノの家に辿り着いたのは試合開始五分前。放送自体はすでに開始している。


「はい、マイク、ヘッドホン! アンタの分!」

「これは……どうすればオンになるんだ?」

「ハァー? 見て分かりなさいよ。ここをこうして……って入ってたァ!? ゴ、ゴホンッ! 失礼しました! ただいま、解説の大鳥代表が到着しました!」

「遅れて申し訳ない……ん?」

「逆よ、逆……今のがオフで……ああぁ……」


 ナゲノが頭を抱える。モニタにはケモプロと、ナゲノの実況配信のチャンネルのチャットの様子が映っていた。いわく。


『うるせえBBA』

『お子さん大きいですね』

『世話焼き女房かな?』


「アタシはこいつの母親でも女房でもないッ!」

「大変だな」

「アンタのせいッ!」

「グッ」


 脇腹が痛い。とても痛い。


「気を取り直して……本日は島根出雲ツナイデルス対東京セクシーパラディオンの第9回戦、球場は東京セクシードームから、実況は私ふれいむ☆、解説はKeMPB代表の大鳥さんで放送します!」


 ◇ ◇ ◇


 ナゲノから依頼があったのは少し前のことだ。正確には島根出雲ツナイデルスのオーナー、島根出雲野球振興会を通してだが、ナゲノの実況に俺の解説を入れたいらしい。野球に詳しいわけではないのだが、ケモプロを作った会社の代表のコメントが欲しいとのことだったので、スケジュールの都合をつけた。ケモプロが盛り上がるなら、雑用係としてなんでもやらないとな。


「試合開始までまだ少々時間があります。この間に大鳥代表に今日の試合の展望を聞いておきましょう。パラディオンはこの島根との三連戦、二連勝してリーグ最速の30勝に王手。一方ツナイデルスは先日の鳥取サンドスターズとの三連戦こそ全勝しましたが、ここまででやっと15勝です。リーグ最強との戦いになるわけですが、いかがでしょう?」

「どうなんでしょう?」

「がんばれぐらい言えッ!」

「グェッ」


 そういうコメントが必要だったのか。


「……二連敗こそしましたが、パラディオンとの対戦成績はまだ6勝2敗で勝ち越してます。昨日一昨日の試合も内容は悪くなかったと思いますし、今日の試合もまだ分からないんじゃないでしょうか」

「そうですね! そして何より、今のツナイデルスにはこの人がいる! 負傷から見事に復活した正捕手、高原たかはらルーサー! サンドスターズとの三連戦の立役者です!」


 イケアルパカがマスクをかぶりながらホームベースへ向かう。今日のツナイデルスは後攻だ。


「無事に帰ってきて何よりです。鳥取との三連戦では六番ながら合計4打点に絡んだ活躍でしたね」

「打順をもっと上げてもいいと思うのよね……控えがアレじゃなければ……」


 ダイトラの信用度は低いままのようだ。先の電脳カウンターズとの三連戦は、ほとんどダイトラで負けていたようなものだからなあ……かといって次の第三捕手が出てこないあたり、監督の評価が謎ではある。


「まあ、控えなんて出てこなければいいだけの話です! ルーサーの活躍で、今日は連敗から脱出を目指して欲しい、ツナイデルス! まもなく試合開始です!」



 ◇ ◇ ◇



「――負傷! ……ツナイデルス正捕手、ルーサー負傷! 自打球を左足に受けて負傷退場になりました!」


 今思えばあんなに試合前にルーサーに期待したのがフラグだったのか、ルーサーは担架で回収されていった。内角に来たボールを打ち損じたと思ったら、足を押さえて飛び跳ね始めるから何かのバグかと思ってしまった。


「これでルーサーの負傷退場は今期二回目となります。怪我に悩まされるアルパカです」

「草野球時代の約一ヵ月半では四回負傷退場してますから、少なくなりましたね」

「成長……でいいのかしら……?」

「ところでこれはアウトですか?」

「このケースの自打球はファールですね。……って、解説がルール聞いてどうすんのよ!」

「エグッ」


 俺にも担架来てくれ。


「さあ代打は誰を出してくるのか。1点差を追いかける九回裏、1ボール1ストライク1アウト一、三塁のチャンス。せめて同点で延長に持ち込み……いや、逆転して試合を決めて欲しいところ! さあベンチでアラシ監督が動いた……ハァッ!?」



 六 H 山茂ダイトラ



「な ん で よ!」

「ふれいむ☆さん。このスコアボードのHという表示は何ですか?」

「いや代打だけど!? じゃなくて! なんでダイトラが出てくるのよ!?」

「捕手の交代だからダイトラでいいのでは?」

「打たないといけない場面で! なんでヘボ打撃のキャッチャーに替えるのよ!? 代打やったあと延長になったらその時替えればいいじゃない! いや確かにこの場面で安心して任せられるような打者がいたら即レギュラーだし、ツナイデルスにはそんなのいないけど!? よりによってダメ虎!?」

「選手層が薄いのもツナイデルスの悩みですね」


 ドラフト後は各球団にランダムに割り振ったはずなのだが、ツナイデルスは特にタレントが揃わなかったチームだ。


「ベンチの映像を確認すると、迷っているアラシ監督にダイトラが自ら手を挙げたようですね」

「なんでいるの……ブルペンにいなさいよいつもみたいに……」


 ナゲノが嘆いているのも知らずに、ダイトラはバッターボックスへ向かう。


「って、なんでもう息が上がってんのよ」

「ブルペンでがんばったんだろう」

「ぐぐぐ……!」


 ナゲノが歯軋りする中、プレーが再開する。と、ベンチのアラシ監督が動いた。


「これは……初球からスクイズ? スクイズのサインです。どうやらツナイデルスは延長戦にかける模様ですね」

「一発打てば逆転できるのに、同点でいいのか」

「打てないからでしょ……一説にはキャッチングが上手い選手はバントも上手いと言われています。ダイトラは……うん、バントの成功率は高いですね。それなら分からなくもない作戦です」

「そうは言ってもバント自体の回数はそれほどウグッ」

「さあ! パラディオンの抑えのエース、ニホンカモシカ系の童顔男子、大和やまとアオ、セットポジション!」


 ダイトラは何気ない仕草でバットを構える。


「なげ――とぁっ!? 大きく外した! 三塁ランナー戻るッ……タッチ、セーフ! パラディオン、スクイズを読んでいた!? 大きく外して、追いかけたダイトラはバントできず、飛び出した三塁ランナーの田中たなかエイジ、慌てて引き返しました! 危ういところでしたが判定はセーフ!」

「危ないところでしたね」

「ショートの三塁カバーも早かった。これは完全に読まれていたでしょう」


 無理にバントをしようとして倒れたダイトラは、舌打ちして立ち上がる。


「さあ1ボール2ストライク1アウトになりました。ツナイデルス追い込まれて……へ!? スクイズ!? アラシ監督からの指示はスリーバントスクイズ! あくまでスクイズ強行!」


 バイカルアザラシの自然しぜんアラシ監督の思考には、確かにスクイズが表示されていた。


「スリーバントは失敗……ファールするとアウトですよね。どうなんですかこれは、ふれいむ☆さん」

「意表を突くという点ではいいかもしれません。先ほどの対応は完璧でしたからね、あれでスリーバントスクイズをしようなんて考えるとは普通思わないでしょう。まあダイトラには普通に打たせるより目があると見たか……って解説の仕事ォ!」


 俺は詳しくないんだ。


「ったくもう……さあ大和アオ、セットポジション……投げッ ハァッ!?」


 走る。


 一、三塁ランナーが。

 ファーストが、サードが、ショートが、ピッチャーが。


 一球前と同じ――スクイズを予期していたかのような動きで。

 一球前と違うのは、キャッチャーが立たないこと。ストライクゾーンにボールが入ってくる。


 舌打ち。カットイン演出が入る。青毛の虎がこめかみに血管を浮かしながら――


「――プッシュバントだッ! うまいッ!」


 膝を突いてまで体勢を低くし、ダイトラがボールをすくいあげる。それはゴロを処理しようと突っ込んできた守備陣の頭上を越え――


「うまいが――飛びすぎたッ!? セカンドのキタ雄、ワンバウンドしてキャッチ! 二塁カバーいないッ、ボケッとしてた一塁ランナーの鈍足ドーラ走るッ! センターがカバー……いや、キタ雄そのまま走る! 競争だッ! 二塁ベース踏んで……アウト! 一塁はライトがカバーに走る、いやッ――ゴリラだ、ゴリラが来たァッ!」


 ファースト、雨森あめもりゴリラ。東京セクシーパラディオンの主砲。

 頭上を抜かれたとき、いち早く体勢を立て直して反転したのが、このゴリラだった。


「ダイトラ、無理な姿勢からのスタートで出遅れている! ダイトラとゴリラの競争だッ! ダイトラ、ゴリラ、走るッ! キタ雄、タイミング計って送球――ダイトラ、ゴリラダイブッ! ほぼ同時にベースに触れたがこれは……――アウト! アウトだッ! ダブルプレー、試合終了……ッ!」


 観客席が沸く。


「完璧ッ! ゴリラ、走・攻・守と今日は完璧な活躍を見せました! 最後のワンプレーは見事の一言、キタ雄からの送球をダイビングキャッチしてそのままベースにタッチしました! まさにファインプレー! パラディオンの考えるゴリラ、ゴリラパワーでツナイデルスをねじ伏せたッ!」

「三塁ランナーは頭上を抜かれた時点でホームインしてましたからね。ここでダブルプレーを取らないと同点という場面でした」


 解説らしい仕事もしておこう。


「そうですね。一塁から刺すと加点されてましたから、パラディオンとしてはギリギリでも狙うしかないところでした。ライトの守備位置も悪かったですね」


 ……そうなのか。打者さえアウトにすればいいと思ってたんだが。野球って難しいな。


「東京セクシーパラディオン、最後はファインプレーで試合を締め、この三連戦三連勝でリーグ最速の30勝を記録しました! やはりゴリラ、さすがゴリラ、大正義ゴリラが試合を作った!」

「ダイトラもファインプレーだったんじゃないか?」


 走塁が間に合わなかったとはいえ、咄嗟にプッシュバントで頭を抜いたのが褒めていいと思うんだが。


「……まあ……その……ファインプレーは成功したプレーだけよッ!」


 褒められなかった。

 さすがに今日は戦犯にはされなかったようだが、日ごろの行いが悪かったようだな……。


 ◇ ◇ ◇


「おつかれ。はい、お茶」

「ありがとう」


 実況放送が終わり、ナゲノからお茶を受け取る。試合中は集中してしまってついつい水分補給を忘れてしまう。温かいお茶は体に染みるな。


「まあアンタも忙しいんだろうけど、打ち合わせとかもやりたかったし、次はもっと早く来てよね」

「すまない」

「ふん。……で、アンタ、さすがに今日はこれで仕事終わりかしら?」

「延長があるかもしれなかったから、バイトは入れていない」


 バイトの遅刻の理由が「野球が延長しました」では納得されないだろう。


「そ。じゃ、まあ、お茶飲むぐらいはゆっくりしていきなさいよ。雪のせいで冷えてるでしょ」

「ありがとう、助かる」

「水分はちゃんと定期的に摂らないとダメよ。喉は大切にしないと」

「そうだな……」


 特にこれから先は気をつけないといけないだろう。


「っていうか、アンタまだ社長なのにバイトやってるのよね。いい加減忙しくない?」

「ああ――いや、近々辞める予定だ。オーナーにも伝えた」

「えっ? あ、そ、そうなの。ま、まあそうよね」

「さすがに時間が足りなくなってな……」

「ま、まあ? アタシもこの仕事が順調だし? バイト辞めて専念しようかなって思ってたところよ」

「そうなのか」


 さすが長いこと実況動画をやってきたことだけはある。バイトを辞めても生活できる目処が立ったとは。


「やはりナゲノはすごいんだろうな……」

「なッ、何よ急に気持ち悪いわね」

「いや、本当にそう思う。実況のプロだろう?」

「プロ……そ、そうね。そういうことになるかしら」

「そういう訓練を受けたりしたのか?」

「訓練……? ああ、アナウンススクールとかってこと? そういうとこには行ってないわね。独学ってことになるのかしら? ネットで調べた発声とか滑舌とかやってるから、完全に一人ってことにはならないと思うけど……あぁ」


 ナゲノは眉間にしわを寄せた。


「黒歴史を思い出したわ。そういや大学のアナウンス研究会にちょっとだけ行ったわね……」

「どうだったんだ?」

「地獄だったわね」

「地獄」

「所詮三流大学ってことよ。アナウンサー志望の女の子をチヤホヤして食い物にするようなとこだったわ。ま、もう大学自体辞めてやったし、なーんにも関係ないけど。……何よ、急にどうしたの?」

「心構えをしておきたくてな」


 地獄かもしれないという心構えを。


「声優養成所に通うことになってるんだが……生きて帰れるだろうか?」 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る