指定席と私物
1月8日。
世間はお正月から成人式ムードに切り替わり、おそらく明日からは普通の平日だろう。棚田高校も、冬休みは今日の成人の日でおしまいだ。
そんな冬休み最後の日、俺は見慣れない住宅街を歩いていた。
「ここか」
砂利の敷き詰められた路地で、俺はスマホ上の地図から目を上げて頷く。
うん……長屋という形式の住居だな。玄関が四つあるんだが、どれの呼び鈴を押せばいいんだ?
「先輩! こっちッスよ!」
さすがに全部押すわけにはいかないのでチャットで質問すると、真ん中右側の玄関が開いて、ずーみーのもさもさヘアが頭を覗かせた。
「朝からすまないな」
「いやー全然構わないッスよ!」
「これは頼まれていたものだ」
「おおッ!」
コミケで買ってきてくれと頼まれていた分と、ずーみー用に買った分のケモプロ本が入った紙袋を渡す。
「いやー、ありがたいッス。これで色々はかどるッスよ。っと、寒い寒い。狭いところッスけど、上がってください」
玄関から上がって冷えた廊下を数歩進む。よく見たらずーみーが着てるドテラはケモプロコラボのやつだな。ツナイデルスロゴがデカデカと背中に踊っている。うむ、ダサい。
「ささ、入って入って」
「お邪魔します」
扉を開け、どこかのみやげ物らしいのれんを分けて中へ。暖房がしっかり効いた部屋に入る。
「まあまあ、いらっしゃいませ!」
コタツから立ち上がってそう言ったのは、ずーみーと同じぐらいの背丈で、もさもさしていない女性だった。
「あけましておめでとうございます。娘がお世話になってます。今後ともどうぞよろしくお願いします」
ということはずーみーの母親か。で、コタツに入ってタブレットを構えているのが父親だろう。髪質的に。もさもさしてるし。……背は高いけど、髪的に間違いないだろう。うん。
「あけましておめでとうございます。朝からお邪魔して申し訳ありません」
「いえいえそんな。むしろ、大したおもてなしもできなくて。お食事はされてきたと伺ってますけど、よければ何か……」
「おかーさん、そういうのいいから! ほら、先輩、そっち座ってください!」
ずーみーに背中を押されて、コタツの奥のほうの席に座る。ずーみーの父が、横目でちらりとこちらを見て――険しい顔をしている。見知らぬ男が入ってきたらのだから当然か。
「よいしょ――」
続いてずーみーがいつも通り俺の膝の間に入って座り――
「――はぅあっ!」
変な声を出して飛び上がった。
「や、ち、ちが……これはッ」
「あらあら」
わたわたと手を動かすずーみーを見て、母親がニマリと笑う。
「高校に上がってからお父さんに座らないと思ったら……指定席が変わっていたのね?」
「おおおお、おかーさんッ! 言わなくていいしッ!」
「いいのよ、わたしは気にしないし。ねえお父さん」
ぎょっとしたというか、目を剥いてこちらを見ていたずーみーの父が、咳払いしてタブレットに目線を戻す。……偏光フィルターかな? 画面が点いてないように見えるが。
「いや……うん……はしたないから、やめなさい」
「そういうんじゃないし……もー……」
ずーみーは顔を赤くしながら、俺の隣に座った。……また父親から視線を感じるが、目は合わない。
「大鳥さん、でいいかしら? いえ、いつも娘から話は聞いているんです。でもなかなか写真も見せてくれないし、連れてきてもくれないし。だからニュース記事で初めて顔を見て、しっかりした方だなと思ってたんですけど、実物はそれよりもまず優しいって印象を受けますね」
「挨拶が遅れて申し訳ありません」
「いいえ、とんでもない! 社長さんをやっているんでしょう? 忙しくて当然ですよ。むしろ、娘がご迷惑をおかけしていないか心配で。どうなんでしょうか、娘の仕事ぶりは」
「そうですね」
ずーみーは、と答えようとして止まる。家族にハンドルネームは通用しないかもしれないし、大事な一人娘を呼び捨てにしても印象が悪いだろう。さすがに代表として人と交渉する機会が増えれば、そのあたりの機微にも気づこうというものだ。敬語も違和感が減ったといわれているし、成長だな。よし。
「そうですね。ミミコさんは大切な」
「ブフゥー――!」
横のずーみーが飲みかけた茶を噴き出した。ゲホゲホ、とむせて机に伏せている。
「風邪か?」
「ゲホッエホッ……いや……ちがくて……けふっ、先輩が、急に、なッ、名前で……」
「名前はミミコだろう?」
「そッ、そうだけど!?」
「まあまあ、それで? うちのミミコはどうなんですか、大鳥さん?」
「ミミコさんがいなければこの企画が成功することはなかったでしょう。当社にとって大切な人材です。他のメンバーからも高く評価されています」
「あら嬉しいわ。でも大鳥さん、会社的には分かりましたけど、個人的にはどうです? うちのミミコは!?」
個人的に。代表としての俺ではなく、ということか。
それなら答えは簡単だ。
「ミミコは俺のたった一人の後輩で、目的を同じくする仲間だ。これから先何十年と一緒に仕事をしていきたいと思っている」
「まあ……!」
ずーみーの母が口に両手をやったきり動かなくなった。目がやたらキラキラしている。
「……まあまあ! それじゃ――」
「あーもう! やめ! やめ! おかーさんはもうやめて! 先輩も、いつも通りでいいッスから!」
「しかし」
「両親ともハンドルもネット上の活動も知ってるんで……あと、敬語の先輩、なんか嫌ッス」
「そうか」
まだ敬語の使い方が良くないようだ。ずーみーの父からも睨まれている。
「きッ、君、大鳥君だったっけ? うちの娘とは、い、いったい……どういう関係なんだいッ!?」
「学校の後輩で、同じ会社の仲間だ」
「そッ、それだけか!?」
「あとは……仲がいい?」
「えッ。いや……まあそれは見ればそうだろうなとは思うけど、いやちがくて」
「違うのか、ずーみー」
「いや、違わないッス。仲良しッス。納得したならおとーさんは黙って」
ずーみーの父は……なにかもごもご言って、またタブレットに目を戻した。それを見てクスクスと母親が笑う。
「ごめんなさいね。お父さんは心配だったのよ。だってほら、一人娘でしょう? それがねえ、得体の知れない男に、指定席を奪われて……」
「先輩は得体が知れなくなんてないよ」
「ええ、もちろん立派な人だと思うわ。でも男親としては、娘をさらっていく男はみんな敵なのよ」
「だからそういうのやめてってば!」
「特に連れ出す予定はないのだが」
「先輩もいいんで! 気にしないで!」
「あら、お母さんは賛成よ? この後どこか遊びに行ってもいいんじゃない? なんなら泊まりで」
「!?」
「だから……ああもう!」
ずーみーはバンバンとコタツの天板を叩いて叫ぶ。
「先輩はテレビ見に来ただけ! それだけなんだったら!」
◇ ◇ ◇
アパートにテレビはない。
従姉は上京するときに持ってくるような暇はなかったし、俺も自分の部屋にテレビはなかった。それで何か困ることもなかったのでそのままにして、テレビがないという事実さえ忘れていた。
なので。
『明日の朝八時からの生放送、絶対見ろよなー!』
という幼馴染からのLINEに。
『わかった』
と約束してから、テレビを見る手段を探さなければいけなくなったわけだ。
「はぁ……あ、そろそろだ。先輩、テレビつけますね」
「頼む」
俺の席から正面にテレビはあった。ずーみーがリモコンに手を伸ばそうと動く。
「んしょっと……」
いつもの膝の中ではなく、隣り合って座るのはなかなか新鮮だ。リモコンを取って動かすずーみーの肩がポフポフと当たる。ドテラのせいだな。
『みなさーん! あけましておめでとうございます!』
「ここのチャンネルでしたよね。間に合った間に合った」
「野球の番組を見るなんて久しぶりねえ」
テレビには野球場ではしゃぐ女子アナウンサーの姿が映されていた。
『いやー、広いですね! みなさん、ここはどこか分かりますか? そう、野球場!』
「知ってる」
「知ってるわ」
ずーみーと母親が同時に突っ込んだ。
『今日は成人式で休日ですが、今日からお仕事を始める人たちもいます! そう……今年の新人選手です! 今日は生放送でたっぷり一時間、新人合同自主トレの模様を密着取材したいと思います!』
新人合同自主トレ。1月から行われる、去年のドラフトで獲得した新人野球選手たちが集まって行う合同練習だ。プロ野球の春季キャンプは2月から行われるが、それに先んじて行われるものになる。
その模様はファンに公開されていて見学も行えるのだが、今日だけはマスコミだけのクローズドな環境でやるらしい。それもすべてこの生放送のためだという。なかなか大事だ。これを見逃したなんて言ったら、小さいほうの幼馴染にどんな目に合わされることか。
『それでは、今日登場する新人選手の皆さんを紹介するため、まずは先日行われた入寮の様子をご覧ください!』
「あれ。生放送じゃないの?」
「もう録画になったわね」
結論から言うとそれから30分ぐらい録画だった。生放送とはいったい何なのか。
ともかく、テレビは新人選手が寮にやってくる様子を流し始めた。
『こちらが! 新設された選手寮です! 三軍を作るとなると大増員! そこで心機一転、寮も新しくなったわけですね! さあ今年ドラフトで入ってきた選手たちがやってきますよ!』
特に枠を裂いて紹介されたのは、甲子園のニューヒーロー。東北勢初の優勝を、無名の弱小公立高校からなしとげたドライチ、テンマダイチ選手だった。入団会見やドラフトどころか、甲子園の予選の映像にまでさかのぼって紹介されている。
『テンマ選手、おはようございます! 今日から寮生活ですが、いかがですか?』
『久しぶりの寮生活なので不安もありますが、ワクワクの方が強いですね。ここを拠点に、まずはレギュラーを勝ち取りたいです』
『気合十分ですね! ところで、寮にはどんな私物を持ち込んだんですか!?』
どうやら私物紹介が入寮シーンでは定番らしい。テンマ選手は白い歯をキラリと光らせて笑うと、一枚の色紙を取り出した。
『これですね。僕の宝物です』
『これは……テンマ選手のチームメイトたちからの寄せ書きですか! うわあ、素敵です!』
「イケメンねー」
「持ち込んだ私物が色紙だけって、大丈夫なんスかね?」
「さすがに色紙だけということはないだろう。……面白いものを紹介しているだけじゃないか? 着替えとか映しても面白くないだろうしな」
「ああ、そっかー……そりゃそうッスよね」
続く他の選手たちは、何か人形を抱かされたりしていた。私物なんだろうが、そういうプライベートまで報道するのもどうだろう。人数が多いからか、後半に行くにしたがって早回しに紹介されていく。
『そして中にはこんな選手もいました!』
パッと場面が切り替わり、制服姿の女子生徒が二人映される。大きいおさげと、小さいツインテールと。
『オオムラ選手、おはようございます! どうですか、選手寮は!?』
『おはようございます。前に見たときはまだ工事中だったので、実際に入れる今日が楽しみでした』
画面はカナの紹介映像に切り替わり、ナレーターが語りだす。
『オオムラカナ選手。東京の私立棚田高校女子野球部出身。高校二年でマネージャーから選手に転向、最後の夏、全国高等学校女子硬式野球選手権大会にて打率十割本塁打三本の成績を残し、チームを準優勝に導く。トレードマークはなんと言っても、このメガネ』
パッと映像が切り替わる。見覚えのあるシーン。
『打撃の秘訣は何でしょうか?』
『メガネをきれいにしておくこと……ですかね?』
「これ、何度使いまわされるんスかね」
「新しい伝説が生まれるまでじゃないか?」
カナならどんどん生み出していく気はするが。などと考えていると、インタビューの映像に戻る。
『オオムラ選手はどんな私物を寮に持ってきたんですか!?』
『私物……』
ハッとカナが目を開き、オロオロとスーツケースを見下ろす。
『ええと、着替えとか……ノートパソコンとか、そういう……普通の……』
『もー、言われてたじゃん、なんか面白いの入れとけって!』
小さなツインテール。俺の幼馴染のニシンが、カナの脇を肘でつつく。
『ご、ごめんなさい。忘れてて……』
『ふふん、まあカナだったらそんなことだろうと思って! ジャーン! あたしが持ってきてまーす! カナの大事なぬいぐるみ!』
『な……なァッ!? ちょッ』
『わあ、かわいい白熊? ですね。お洋服を着てておしゃれ~♪』
『だッ、駄目! 駄目ですッ!』
カナはものすごい勢いでぬいぐるみを取り返すと、背中に庇った。
『やっぱり、寝るときは一緒だったり?』
『らしいですよぉ……今夜確かめておきますかッ!』
『うぅぅ……!』
カナは顔を赤くして座り込む。
「……さっそく生まれたんじゃないッスか? 伝説」
「かもしれないな」
しかし、あのぬいぐるみ……見覚えがないのに見たことがあるような気がする。
いや、俺が世話になっていたときにあんな大きなぬいぐるみはなかったはずだが。ならなぜ見覚えがあったんだろう? わからん。
『以上! 新人選手の入寮の模様でした!』
俺が首をひねっているのをよそに、放送は進行する。
「次こそ生放送ッスよね?」
「時間的に、そうだろう」
さすがにこれ以上メインコンテンツを待たせることはなかった。右上に「LIVE」の文字が戻ってくる。
『お待たせしました! 今日は新人合同自主トレの初日ということで! こちらの選手たちに登場いただきます! どうぞ!』
アナウンサーの合図で、ジャージを着た三人の男女が近づいてくる。
甲子園のニューヒーロー、テンマダイチ。
二人目のNPB女子選手、カナ。
そして三人目に――
『どーもどーも!』
なぜかツインテールの幼馴染が並んで歩いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます