はじめてのおかゆ

「どう売る……というと?」


 俺の質問に、ススムラは目を丸くして質問を返した。


「例えば宣伝はどうするんだ?」


 うちの広報担当者は厳しい。まず確認しなければならないのはそこだろう。


「ああ、本の宣伝ね……大丈夫です、弊社は小さな出版社ですが書店や取次とのパイプは太いので、多少強気に刷っても問題ありません。特に獣野球伝なら――」

「そうではなくて、一般的な……読者に対する宣伝を知りたいんだが」

「えっと……それは書店の仕事ですね。私どもは書店に対する営業はいつも通り行いますが、書店が獣野球伝をどう売るかはお任せで――」

「特別なことはしないのか。いつも通りと言うが、予算はどれぐらい使うんだ?」

「え? ええと、その、具体的な金額はちょっと……」

「それもそうか」


 懐事情は他社には簡単には教えられないな。別のことを聞こう。


「ワルナス文庫がこれまでに発行した本はリストで見させてもらった。ジャンルも手広くやっているようだが……どうも、全体的に表紙が地味だと感じた。あれは何か意図があってやっているんだろうか?」

「あれはせッ……編集長の意向です。いい本は飾らなくても売れる、と」

「――今朝なんだが」

「はい?」

「今朝、コミケの待機列に並んでな」


 疑問符を浮かべるススムラに、俺は説明を続ける。


「ケモプロの動画を見ていたら、隣の人にそれは何なのかと聞かれた。説明して一緒に観戦したところ、とても気に入ってくれて、家でもチェックすると約束してくれたんだ」


 あの体験で、気づいたことがある。


「凄腕の広報担当者がいて、かなりの予算を割いて広告を出して、ニュースサイトにインタビュー記事を出してもらって――それでも、まだ届いていない人がいる。あんなに気に入ってもらえる人の目に、ケモプロは入っていない」


 ケモプロでさえそれなのに。


「俺は出版のことは詳しくないが……人の目に留まらない表紙で、そんなに売れるものなのか? 本は」

「そ、れは……」

「その様子だと、ススムラ先生も思うところがあるらしいな」

「……でもッ! ほら、今はネットの時代じゃない? SNSを使えば宣伝費は抑えられるし、本なんてみんなAmazonで買うじゃない。表紙がなくたって、予約注文は結構入るのよ?」

「その予約をする大部分は、獣野球伝を読んでいる熱心なファンだろうし、そのファンが多いことも知っているが」


 書籍化する目的は買ってもらうことじゃない。ファンアイテムとしての目的は第二だ。


「ケモプロを知らない人はどれぐらい買うだろうか?」

「………」


 より多くの人にケモプロを知ってもらうのが第一目的なのだ。


「えぇと……」


 ススムラは口ごもり、そして口を閉じた。


 ……そういうことなのだろうか。


「……獣野球伝が、俺が描いて俺だけで売り出しているなら、ススムラ先生に任せたかもしれない」

「オオトリくん……」

「でも、これを描いているのは俺の唯一の後輩で、関わっているのは会社の皆だ。獣野球伝を売るのに広報のプランがないのなら、ワルナス文庫に決めることはできない」


 こちらの条件を飲んで出版してくれるだけでは。

 ファンを相手に売り、その利益を得るだけでは。


「――ススムラ先生はいい人だから、という理由だけでは、皆を納得させられない」


 ススムラはうつむいて机の上で手を握る。見覚えのある姿だ。職員室で担任から指導を受けていたあの時と同じ。


「……もしかして、担当者が聞いていない何かがあるのかと思ったんだ」


 あるいは、何か隠し玉があるのかと。


「だけど、それもなかった。……高校生で、元教え子なら、うまく説得できると思ったのか?」

「ッ! ち、ちがッ!」

「俺はライム――うちの広報担当者のことを信じている」


 ススムラは、ライムの仕事を無視した。

 意識してのことだとは思わないが――結果的にはそうだ。


「俺は俺の広報担当者のことを信じる。今のススムラ先生とは――ワルナス文庫とは組めない」

「………」


 ススムラは自分の手を見つめて動かなくなった。


「――先に出るよ。会計は、俺がしておく」


 伝票を掴んで、荷物を持って立ち上が――



 ビリッ バリバリドササーーーッ



「……袋か何か、余っていないだろうか?」


 薄い本も数が増えれば重くなる。


 俺は袋の底を破って店内の床に散らばった同人誌をまとめながら、ススムラに助けを請うのだった。



 ◇ ◇ ◇



 12月30日。


「風邪をひいた」

「うん……すごい声してるよ」


 熱鼻喉の3コンボで布団から身動きが取れない。昨日は帰ってから夜シフトでバイトしていたんだが……待機列に並ぶ際の防寒が足りなかったのだろうか?

 とにかくアパートどころか布団から出られないので、コンビニのオーナーに遅刻しそうだと伝える。


『ああ……そういうことなら無理しないで休みなさい』

「しかし、シフトが……」

『こういうときのバックアップぐらい備えているよ、心配しないで。というか君に甘えてシフトを組んでしまって、こちらこそ申し訳ないね』

「いや……感謝しています」

『うん……えーと空いてる子は……』


 ………。


『……ごめん、明日って出れそうかな?』

「……治します」

『うん……ダメそうなら早めに連絡してくれるかな?』

『はい』


 通話を切る。


「ど、同志、病院行く?」


 病院はこの年の瀬だ、やっていない。救急外来は……まず動けなければ検討できないな。


「薬を飲んで、寝ることにする。伝染しないよう、俺には近づかないように」

「う。わ、わかった……」


 しぶしぶといった様子で従姉がパソコンに向かいなおしたのを確認して、俺は布団に入って目を閉じた。



 ◇ ◇ ◇



 ボンッ!



「ぃひゃあ!」


 爆発音。悲鳴。


「伏せろ!」

「えっ?」


 まぶたを強引にこじ開けて飛び起きる。固まる従姉と音源の間に入って、背中で庇う。


 ボン! ボボンッ!


「ッ……!」


 何か小さなものが飛んでくる。皮膚に直撃した衝撃は少ないが、痛い――いや、熱い。

 爆弾テロ? それにしては殺傷力が低い。熱いだけだ。いや火傷しそうだが。なんだこれ。というかどこからだ?


 高熱と寝起きでぼやけた頭を無理矢理覚醒して――


「……鍋?」


 台所で最大火力にさらされている鍋から、何か飛んできていた。グラグラ揺れてボンボン言っている。……とりあえず火を消すか。


「……ツグ姉。これは、いったい」

「え、えっと、その、ええとね……そ、そろそろお昼だなって思って、でもよく考えたら同志は寝ててお弁当がなくて」


 外出する前に不在分の従姉の食事は弁当にするようにしている。朝作るつもりだったので、当然ながら作れていない。


「そうか……食べるものがなかったな。すまない」

「ううん! 同志は風邪ひいてるんだから、仕方ないよ!」

「それで……何か作ろうとしたのか」


 火を止めてなお、鍋は煙を上げている。焦げた臭いがするな。


「う、うん。その、ほら、同志は風邪ひいてるでしょ? だから風邪の時に食べるもので作りやすいのは何かなって、皆に聞いて、調べて……」


 スマホでチャットログを確認すると、長々と料理について話がされていた。俺の体調についても心配をかけているようで申し訳ないな。


 で――作ることになったのが、おかゆか。


 ……適当に米を水で煮ればできる……? それはそうだが……分量も手順も特に話に上がらず……材料もみんな好き勝手に書いているが……さすがに全部は入れてないよな? 冷蔵庫にないものもあるし。


「材料を混ぜて煮ればできるって言うから、火をつけて作業してたんだけど……急にすごい音がして」


 鍋の様子を確認する。


 ……全体的に茶色いな。めんつゆか? 火力が高すぎたのか鍋に面したところは黒こげだ。異様にもちもちしているのは……流しの中を見る限り、米をすりこぎで潰した上で正月用に買った餅をすりおろして入れたらしい。


「この……卵? の層はなんだ?」

「卵とじにしたらいいって……」


 卵とじとは卵でおかゆに蓋をすることではないと思う。そういう閉じ方はしない。

 ただでさえ粘度が高いおかゆは、蒸気の逃げ場を卵で完全にふさがれ――高圧状態になって爆発したようだ。


「ごめんね……なんか、焦げてるし……失敗しちゃった」

「食事を用意するのは俺の仕事だ。ツグ姉はそれをフォローしようとしてくれたんだ。謝ることはない」

「そ、それは違うよ!」


 従姉はわたわたと手を動かして喋る。


「一緒に暮らしてるんだし……同志ができないときは、わたしがやらないといけないんだよ。共同生活だもん。なのに、うまくできなくて……」

「料理はしたことないのか?」

「……カップラーメンぐらいなら。でも、それは風邪のときに食べるものじゃないって言われて」

「インスタントの買い置きもなかったな……」


 俺はお玉を手にすると、鍋の中身の無事な部分をお椀に移した。


「ど、同志!? 駄目だよ、焦げてるよ! お、お腹壊すよ!?」

「いろいろ考えて作ってくれたんだろう?」


 具材抜きなのは食べやすそうだからとか、米をすりつぶしたのは消化のためだとか、餅はカロリーが高いからとか、そういうことを考えたに違いない。料理をしたことがないなりに、工夫を凝らして。


「それに……おかゆは初めて食べるんだ」

「え。おかゆ食べたことないの?」

「風邪を引いたことがほとんどないからな」


 特にシオミと過ごした期間は――病院食なら食べたが、それはおかゆじゃなかったし。とにかく、家で寝込むことはなかったから、おかゆは食べたことがない。


「だから食べようと思うんだが」

「な、なおさらやめたほうが?」

「味見はしたのか?」

「し、してないけど……」

「なら、今がその時だ」


 もったりした物体をスプーンですくい、口の中へ。



 ………。



 ………もっちゃもっちゃガリッもっちゃもぐもぐ……もぐ……ッ……………ごくん。



「ど、同志?」


 ――現実はアニメやラノベなんかじゃない。

 非情な現実には、現実的に対処をしなければならない。


「……出前を取ろうか」

「……うん……その、ごめん」

「いや……」


 どうやら失敗料理を腹の中に収める度量は、俺にはなかったようだ。

 辛いし。痛いし。苦いし。ベトベトしてザラザラしてニュルッとしてるし――吐かずに飲み込んだだけでも、拍手されたい。

 ――適当でいいとか、レシピなんか見なくていいとか、そういうアドバイスをチャットしたミタカには一度料理の危険性について説明しておく必要があるな。




 その夜、症状の熱鼻喉に腹が加わった。

 翌日のシフトはナゲノが代わってくれた……ものすごく怒られたが。

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