コミケの再会

「暑い……」


 コミケ会場に入ると、風がなくなったためか人口密度が上がったためか、ムッと暑くなった。ずーみーとニャニアンのアドバイスにしたがってコートの内側の装備を解除し、少し身軽になる。


「おつかいマップによると……こっちからか」


 人の流れに乗りながら地図を確認し、目的地へ向かう。足を止められるような場所ではない。


「よし、やるぞ」


 入場するのに一時間ぐらいかかった。二人から頼まれたリストには人気サークルも含まれるというから、すでに配布終了しているところもあるかもしれない。せめて戦利品を持って二人の癒しとしたいが――焦っても走ってはいけない。コミケにおいては俺も参加者の一人で、その品位が試されているのだ――と、カタログに書いてある。

 ……グイグイ追い抜かれていくと、人ってあんなに早く歩けるんだな……と思わなくもないが。


 ようやく最初のサークルにたどり着き、列に並ぶ。このあたりは最上川をモデルにしたご当地ソシャゲ『もがコレ』のサークルが集まっているようだ。スルスルと進んで机の前へ。


「新刊全部ください」

「ありが――ゲスカワくん!?」


 誰だ。……ああ、もがコレのゲスカワ君か。


「違います」


 少なくとも本人ではない。東京ゲームショウでコスプレはしたが。


「しゅ、すいません。どうぞ、1500円です」


 用意した千円札と五百円硬貨ですばやく会計を済ませて次へ向かう。


「新刊全部ください」

「すいません新刊こっちしか残って……なくて……?」

「じゃあそっちだけ」

「………」

「……? 三百円だよな?」

「アッ、ハイ」


 うーむ、さっそく買い逃しが出てしまったか。人気サークルなんだな……。


「新刊全部ください」

「ファ!? ゲスカワくん!?」


 違うというのに。


「新刊全部ください」

「タダでいいから写真いっしょに撮ってもらえる!?」

「金は払う」


 断ると長引きそうだったのでサクサク撮影して次へ。


「新刊全部ください」

「やった、来た! と、取り置いておきました、ゲスカワ様!」


 様ってなんだ。


「新刊全部ください」

「うわっ、本当にいた! ゲスカワくんだコレ!」


 なんだか珍獣扱いされている気がする。


『先輩。なんか会場でゲスカワくんが自分の新刊を求めてさまよってるってTwitterで噂が……』

『拡散しておきマシタ』


 そのせいか。まあ嫌がられているわけでもないし、楽しんでいるならいいか。


「新刊全部ください」

「あッ、握手してください!」

「新刊全部ください」

「ゲスカワくんがリバだけどいいの!?」

「新刊全部ください」

「しゃあ! ゲスカワくん来たから引いたらゲスカワくん出た!」


 もがこれ島を抜けると、そういった騒動もなくなった。もう昼過ぎか。思ったより時間がかかるな。


 次に向かうサークルは、ずーみーのリクエストが主となっている。なんでもケモノモノは散逸していて探すのが難しいのだとか、一日目は少ないのだとか言っていた。言っていたが、スケジュールが空いたのは今日だけなので仕方がない。


「新刊全部ください」

「1000円です~」


 午後になって、午前中の混雑具合から比べればほんの少しだが、人の流れが減ってきた。ようやく、周りを見渡す余裕も出てくる。

 いろいろな人がいろいろなものを出展していた。売り子にも通行人にもコスプレしている人が混じっていて、なかなか面白い。お品書きやPOPもサークルごとに特色があって見ていて飽きない。


「うん?」


 ちら、と視界に入り込んだ冊子の表紙。それに描かれたキャラクターが気になって、スペースに向かう。


「すまない。少し見せてもらってもいいだろうか?」

「あッ。は、はッ、ははッ! どうぞ、こちらですッ!」


 細っこい垂れ目の女子が、頭を下げて冊子を渡してくる。そこまでしてもらわなくてもいいのだが。

 表紙。虎と兎のケモノが、野球のユニフォームを着ている。

 POP。『ケモプロ本もあります! トラ×ラビです! コピー誌のルサ×トラ本は無料配布です!』


「これはケモノプロ野球の本だろうか?」

「はッ、ははーッ! さようで! ございます!」


 どこの武士だ。


「二冊貰ってもいいだろうか? コピー誌の方も」

「ははーッ! さしあげますッ!」

「いや金は払う」


 払ったらこちらの所有物だ。あまり長居はできないが、中をパラパラめくらせてもらう。

 うん。ずーみーの絵とはまた違うケモプロだな。ひとつひとつ、丁寧に書かれているのだろう、密度が高い。


「ケモプロの本は他にもあるんだろうか?」

「え? あ、はッ! 少しだけ見かけましたが! あまり数はないかと! スペースも散っていて!」

「そうか……」

「なにせ、冬コミの申し込みはケモプロベータテストの前でしたのでッ! ルサ×トラも準備期間が短く……夏は、増えるかとッ!」

「なるほど。そういうものなのか」


 こうして本を作ってくれる人がいるのだ。ライムではないが、話題は常に提供していかないといけないな。


「こんにちは!」

「は、はいッ!」


 急に大きな声がして、武士が背筋を伸ばして返事をする。が。


「隣だぞ」

「うッ」


 声をかけられていたのは隣のスペースだった。長い黒髪の女性が、売り子に名刺を出しながら話しかけている。


「私、ワルナス文庫の編集のススムラと申します。アマミズキ先生はいらっしゃいますか?」

「ちょっと……分からないです。あの、今トイレ行ってるので……」

「そうでしたか! 私どもは先生がWebで連載している『ストレスおじさんネコカフェひらく』に非常に興味をもっておりまして! よろしければご連絡ください、と先生にお伝えいただけますか? それから、新刊一部ください。あッ、もちろんお支払いいたします!」

「あ、は、はい」


 これが新人発掘というやつだろうか。レアな場面を見た気がする。それともコミケでは珍しくないのか……武士が目をきらきらさせているから、一般的な光景というわけではなさそうだ。


 しかし、何か気になる。

 聞き覚えがあるような――


「?」


 ふと、編集と名乗った女性と目が合う。

 特徴的な泣きボクロ。名前はススムラ――


「……ススムラ先生?」

「……オオトリくん?」


 間違いない。


 ワルナス文庫の編集のススムラとは――小学校に教育実習に来ていた、ススムラサダコだ。


 ◇ ◇ ◇


「ふーッ、おちついた」


 ビックサイトから少し離れて。にぎわうレストランの店内で向かいの席に腰を下ろしたススムラは、肩をもみながら息を吐いた。


「それにしても、コミケでオオトリくんと再会するなんて、人生何があるか分からないものね」

「俺も驚いた。教師になるんじゃなかったのか?」

「大学時代はそう思ってたんだけどね」


 ススムラは苦笑する。


「実習の二ヶ月だけでも体調崩すほどハードだったし、子供たちとは結局馴染めなかったし……悩んだけど、別の道を行くことにしたの。いちおう免許は取ったんだけど、更新するかは悩み中」

「教員免許も更新があるのか」

「そうなのよ。有効期間は10年だから、あと……うわ、もうそんなに経つのね……」


 小五の時だから7年ぐらいか。ついこの間のような気もする。

 確かにススムラは生徒とは馴染めていなかった。男子たちからは名前のせいでからかわれ、女子からの人望も薄く。クラスで浮いていた俺と仲良くしていたぐらいだから、確かに先生は難しいかもしれないな。


「それで編集者か」

「そうなの。そこそこ有名どころに入社したのよ? まあ、上司と合わなくて、どういうわけか先輩が作った小さな出版社に移籍することになったんだけど……」

「コミケには仕事で来たのか? 名刺を渡していたが……いいのか、会場から出てしまって」

「いいのよ、大体終わったし……お昼ご飯も食べたかったから。オオトリくんは注文、あれだけでいいの? 先生……じゃなかった。私、おごるわよ?」

「いや、会計は別で大丈夫だ」


 列に並んでいる間にカロリーメイトやらゼリーやらで栄養補給はしていたから、そこまで腹は減っていないのだ。


「そう? まあ、そうよね……」


 ススムラは何か頷いて納得する。すぐ後に注文した料理が届いて、食べながら話を続けた。


「コミケは作家さんに声をかけるのにちょうどいいのよ。今時連絡手段なんてメールとかTwitterとかいろいろあるけど、うちみたいな小さな出版社はそういうのだとなかなか取り合ってもらえなくて。それで顔を合わせて直接名刺を渡すわけ。こっちがあちこち地方に飛び回らずにすむのも利点ね」

「なるほど。そして短期間で済む、と」

「人気の作家さんは午前で完売しちゃうから、会えなかったりもするけど……そういう人はそもそもウチにはこないでしょうしね」

「午後からも行くアテはあるんだろう?」

「まあね。数打たないといけないから……でも、オオトリくんに会えたから、それは今日はもういいかな」

「行かないのか」

「オオトリくんの方がよほど大事よ」


 ススムラはそう言うと、食器を脇に避けて背筋を伸ばす。


「改めて……私はワルナス文庫の編集、ススムラです。お話をさせていただけますか……KeMPBのオオトリ代表?」


 ◇ ◇ ◇


 ワルナス文庫。


 思い出した。ライムの選別した出版社のひとつだ。懐かしい名前に、すっかり頭から抜けていた。


「先日、御社の公式サイトで掲載しております『獣野球伝 ダイトラ』の書籍化のご提案をさせていただいたのですが、ご存知でしょうか?」

「知っている。……担当者は断ると言っていたが」

「それなら話は早いですね。改めて、代表に直接ご説明させていただけませんか?」


 ススムラはにこりと笑ってこちらを見てくる。

 見覚えのある笑顔だ。教室で、初めてススムラが自己紹介をしたあの時と同じ。


「……わかった。聞こう」

「ありがとうございます!」


 ススムラはいっそう笑顔を深くして言葉を続ける。


「連載当初から獣野球伝には注目していました。あのクオリティ、そしてストーリー展開……とても初めて描かれた漫画とは思えません。これはぜひ、もっと世に広めるべきだと思います。そしてその方法こそは書籍化。御社もそう考えているのではないでしょうか?」

「書籍化は視野に入れて活動している」

「そうだと思いました。そしておそらく、すでにいくつかの出版社から声がかかっているのでは? ――あまり御社にとって望ましくない形。例えば公式サイトでの連載を止め、別サイトやアプリに移籍するとか、そういったことを条件に……」


 俺は頷く。

 やはり無料ですべて読めるものを書籍化するのは、相当難しいらしい。どの出版社もたいてい、何らかの制約をつけてくるのが常だった。


「それでしたら、私どもが力になれます! 弊社はWeb小説やWeb漫画の書籍化を主に行っている出版社ですが、書籍化の条件に無料掲載分の取り下げをお願いすることはありません。書籍化に必要な追加ページについても、原稿料をお支払いいたします」

「……これは疑問なんだが、そこまでして出版社側は、どうやって収益をあげるんだ?」

「本が売れればお金になります。獣野球伝のような人気があって確実に売れる、と分かっているものは……『それまで』にかかる費用が少ないので、それで十分なんです」

「それまで、というと」

「人気のある漫画ができるまで――ですね」


 ススムラいわく、例えば普通の出版社が単行本を作って売る場合、その下にはたくさんの労力があるのだという。たくさんの漫画家、たくさんの編集者、たくさんの漫画……そうしてようやく一握りの人気のある漫画が生まれ、書籍になって収益を上げる。

 けれど獣野球伝のような『人気のあるWeb漫画』を書籍化する場合は、その労力は必要がない。だから多少無料で読まれたとしても、書籍が少しでも売れれば収益があがるのだと言う。


「なるほど、仕組みは理解できた」


 元々、ライムから詳細は聞いている。以前の提案と条件は特に変わらない。


 それでも俺に。会社の代表に直接話したいと言うのであれば。


「それで、どうやって本を売るつもりなんだ?」


 ライムには話していない何かがあるのだろう、と。俺はそう考えた。

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