インフラとオタクたち

「せ、せんぱい」


 ずーみーの小さな体が小刻みに震えている。


「大丈夫だ」


 俺はその肩に手を置く。びくり、とずーみーは反応して、顔を上げた。


「任せればいい」

「でもっ、でも……」


 ずーみーは、眼鏡の向こうで瞳を揺らして訴えた。



「本当に、直るんスかね――ぱそこん……」



 ◇ ◇ ◇



 12月22日。二学期の終業式が終わり、ホームルームが終わったとき、教室に駆け込んできたのは俺の唯一の後輩だった。タブレットPCを抱えて、泣きそうな顔で呼びかけてくる。耳目を集めながら事情を聞いたところ――そのタブレットPCが壊れたらしい。


『このクソ忙しい時にマジかよ』


 さすがに教室であれこれするわけにもいかず、部室に引っ込んでチャットで相談する。


『ええっ!? ず、ずーみーちゃん、明日入稿だよね? データは!?』

「半分はクラウドに保存してあるッスけど……まだアップしてないやつが……」


 土曜にデータを上げ、ライムが写植をしてデザインを整えて月曜のアップに備えるのが獣野球伝のスケジュールなのだが、完成間近のデータはPCの中で眠りについてしまった。


『んで? BIOSまでは起動すんのか? OSは?』

「……先輩、今の分かるッスか?」

「さっぱりだ」

『オイ』


 PCなんて、電源入れたら使えるものとしか考えてなかったからなあ。


『ハァ……液タブだっけか? 何使ってんだ?』

「さーふぇすッス!」

『オ、イイデスネーSurface。ワタシも欲しいデス』


 マイクロソフトの出しているタブレット型PCだ。ずーみーはいつもこれで作業をしている。


『言ってる場合か。ってSurfaceかよ……んでどういう状況なんだ?』

「急に電源が切れた後、電源ボタン押してもつかなくなったんスよ」

『ソレ、本当に電源切れてマス? うっすら明かりついてないデスか?』

「貸してくれ。……確かにバックライトみたいのが点いているな」

『電源長押ししてみ』

「消えた」

『んじゃ電源入れてみろ』

「入らないな」

『んじゃツーボタンシャットダウンか……』

『アスカサン、Proじゃないとデキナイデスよ?』

『あー、そうだったな。おいユウ、それSurface Proか? 裏側に書いてあんだろ?』

「窓のロゴしかないが」

『キックスタンドの裏デスヨ。パタンってなるトコデス』

「ここか……Surface Pro 4って書いてあるな」

『んじゃまずはな……――』


 ミタカとニャニアンの指示に従って操作する。のだが――


『は? マジ? UEFIって画面出てこねぇの?』

「バックライトは点くが、画面は黒いままでそれ以上は進まないな。……まずいのか?」

『レアケースデスネー。だいたい、UEFIまでは行くんデスガ……』

『ダメだ。リモートじゃよくわかんねぇ。ちょっとウチまで来い。セプ吉も来るだろ?』


 ということで、電車に乗ってミタカのアパートのある吉祥寺へ。部屋に入ると、待ち構えていた二人が早速ずーみーのPCをいじくりまわす。


「うお、マジだ。UEFI出ねぇぞ」

「バックライトまでは点くってコトは、充電はあるンデスヨネ」

「放電させねーとダメか? ってんな時間ねぇか。バッテリーって抜けたっけ?」

「ムリデスヨ。分解しないとデスケド、さすがにやったことナイデスネ」

「最悪データ抜ければいいだろ?」

「CDブートできないデスカネ……アァ、UEFIで死んでるから」

「だな」


 ……なんというか。


「少し楽しそうだな?」


 ミタカとニャニアンはピタリと止まると、俺とずーみーから目をそらした。


「そ、そんなわけねーよ。なぁセプ吉」

「真剣デス! 真剣デストモ!」

「真剣なのは疑っていないが」


 その後二人は少し話し合うと、ミタカがこちらを向いて口を開く。


「とりあえず、今すぐコイツをどうにかすんのは無理だ」

「な、直せないんスか。お店に持ち込むとか……」

「Surfaceは修理してくれナイデスヨ。交換だけデスネ。非公式ならやってるトコもアリマスケド、そーゆー店がこの状態から直せるとは思えマセン」

「いちおう、バッテリーの充電が全部なくなってからの再充電・再起動ってェのが最後の希望だが――ほぼ満タンだったんだろ? んじゃ二、三日は無理だし、それを待つ時間もねェだろ?」

「……一週ぐらいなら、休載しても問題ないと思うが」

「それは……なるべくしたくないッス。自分の仕事なんで」


 ずーみーは唇を噛んで言う。


「データが取り出せないなら……いや、それでも徹夜すればなんとか、ギリギリ……」

「データは取り出せる、かもしれねぇ」

「ッ! ほんとッスか!」

「ただ分解して中のSSDをぶっこ抜くから……まァ、壊れる可能性が高いわな。無傷で分解できても、バッテリー抜いて再起動できなきゃ本格的に死んでるし――」

「つまり?」


 ミタカは息を長く吐いてから、目を鋭くして言った。


「仕事したけりゃ新しいの買ってこい。壊してもいいならデータ救出はトライしてやる」

「わかった。買おう」

「せ、先輩?」

「ずーみーの漫画はKeMPBにとって必要なものだ。新しいPCも会社の経費にするから気にしなくていい。……次回の掲載に間に合わせるためにはこれしかない、と二人が言っているんだ。俺はそれを信じる。ただ、ずーみーが今のPCを壊されるのが嫌なら、やめよう。その時はやはり休載するしかないと思うが……どうだろうか?」


 ずーみーは……ゆっくり首を振った。


「今さらッスよ。先輩についていくッス。アスカ先輩、ニャン先輩、お願いします!」

「マッカセテ! 実はちょっと、Surface、分解してみたかったンデスヨネ~」

「あ、それはオレも――ゴホン。んじゃ駅のほうにヨドバシがあるからさっさと買ってこい」


 ミタカに追い出されて、ずーみーと一緒にクリスマスムードの町をヨドバシカメラに向かって歩く。


「それで、何を買う?」

「新しいモデルのSurfaceッスかねー。もうあの感じに慣れちゃったんで。持ち運びも便利だし」


 大通りに面した店舗の一階へ。さて、目当てのSurfaceは――


「ブフッ」

「どうした、風邪か?」


 突然鼻水を噴き出したずーみーを、ティッシュでぬぐってやる。疲れがでたのかもしれない。熱はあるかな――


「あっ、いやっ、そのっ、ちがっ! 風邪じゃないッス!」


 額に手をやって熱を測っていると、ずーみーは慌てて手を振って、向こうを指し示した。


「じゃなくて、あれ……あれがッ」


 ――気づくのが先だったら俺が鼻水を出していたかもしれない。

 ずーみーが指した先は、PCのモニタコーナーで、そのデモに表示されていたのが――


『さあ始まります! 島根ツナイデルス対電脳カウンターズ、三連戦! 第四回戦の模様をお伝えします!』


 ケモプロだった。


 他のモニタが何かの高品質グラフィックのゲームのデモを流している中、一枚だけ、音量も大きくケモプロが映っている。


『三回戦までの戦績は1勝2敗と負け越していますが、今のツナイデルスは一味違う! トップを独走していた東京セクシーパラディオンズを六連戦全勝で打ち砕き、リーグトップから引きずりおろした! 順位も最下位から電脳を抜いて四位タイ! 一位との差はわずか2ゲーム! 流れはツナイデルスにあるッ! 先発はヨーロッパバイソン系男子、村森むらもりブソン、速球大好きおじさん。そして今日もマスクをかぶるのはこの男、六連勝の立役者、山茂ダイトラ! 今日もミラクルを起こしてみせるか!? やっちゃいなさいよね!』


 最近の島根ツナイデルスは調子がいい。ナゲノのノリノリの実況が、店内に響いていた。


「いや、しかし東京六連戦の前、青森との三連戦は結局ダイトラの自爆で三連敗したようなものだからな。電脳とはどうだろう。どう思う?」

「え、いやそのォ……自分は……い、いいから、早く買って帰るッスよ!」


 顔を赤くしたずーみーに引きずられるようにしてその場を後にする。購入するPCもさっさと選んで会計して、店の外へ。


「あー……緊張したッス」

「会社のカードだから大丈夫だぞ」

「いや金額的なことじゃなくて……」


 そうか。わりと俺は金額に驚いたんだが。キーボードついてると高いんだな。


「自分たちの作ったものが日常に出てくると、なんか緊張しないッスか?」

「驚きはするな。あとは……嬉しい」


 自分たちが進んできた道は、少なくとも誰かと交わっているのだと実感する。


「それは、自分もッスよ」


 喋っている間にアパートに到着する。中に入ると、バラバラになった旧Surfaceを放り出して、ミタカとニャニアンはPCのモニタを覗き込んでいた。すごくイキイキとしている。


「っし、生きてるな。OSとUEFIが飛んだだけか? あとはBitlockerだな」

「イヤー、パキッ、って音がしたときはビビリマシタケド、綺麗に分解できて満足デス。オッ、オ二人サン、オカエリナサイ」

「おーう、データは救出できそうだぜ」

「マジッスか! ぎゃー! アスカ先輩、ニャン先輩、愛してるッスー!」


 少し作業をして無事データを救出できたずーみーは、さっそく新しいSurfaceにデータを移した。


「いやー焦ったッス。マジ助かったッスよ」

「Bookかよ、いいやつ買ってんな。つか、今回はデータが生きてたからいいけどよ、普段のバックアップってどうしてんだよ?」

「保存ッスか? 出来上がったのをクラウドに上げる以外は、特にしてないっすよ?」

「マジかよ……んじゃ、作業中のデータは?」

「Surfaceの中だけッスね。学校の部室で作業することが多いんで……スマホにテザリングしてアップすると、あっというまに速度規制されちゃうし……」

「……家ん中だと?」

「そのままWi-Fiでクラウドに上げてるッスよ?」


 ミタカはニャニアンと顔を合わせて、ガリガリと頭をかく。


「……だよな。普通の女子高生ってんなもんだよな……周りの基準に毒されてたわ」

「背筋が続いてイキマスネ」

「なんで続くんだよ。ともかく、こんままじゃダメだ。バックアップ体制を構築しねぇと。部室ってネット通ってんのか?」

「漫画部はないッスね」

「一部の部室には通ってるらしいが」


 漫画部はレジェンドの活躍以来ずっと幽霊の棲家だから、設備の更新がされているわけがなかった。


「そっからか……どうするよセプ吉?」

「ローカルバックアップぐらいはやりたいデスネ。NASとか置きマスカネ……イヤデモ、やっぱりネットは……ウン」


 ニャニアンはひとつ頷くと、パッと笑顔になって言った。


「それじゃ、オ二人の学校訪問とイキマショウ!」



 ◇ ◇ ◇



「お前な、俺を便利キャラ扱いするのやめろよな?」


 終業式の終わった私立棚田高校。ほとんどの生徒が帰宅した中で、唯一活発に活動しているのが野球部で、その顧問のライパチ先生は非常に捕まえやすかった。


「ライパチ先生がいなくても上手く回ってそうに見えたから、つい」

「お前……寂しいこと言うなよ……」


 保護者でも関係者でもないニャニアンを構内に入れるには、ちょっとした手続きが必要だった。ライパチ先生をつれて守衛室に行き、入館手続きをして、ようやく部室に向かうことができる。


「……もう野球部に戻ってもいいんだぞ?」

「お前……寂しいこと言うなよ。こんな美人を案内できるんだから、役得だろ?」

「アハハ。照れマスネー」


 保健室の先生はもういいのか、ライパチ先生。かっこつけているけれど、ジャージだからどうかと思う。


「ここが漫画部の部室ッス!」

「オー、いい感じデスネ。狭いケド。……エッ、これコンセントどこデスカ……?」

「たぶんその辺の棚の裏で……」


 ゴソゴソ、とずーみーとニャニアンが室内をかき回す。俺とライパチ先生は重いもの担当だ。


「ンー……LANコンセントみたいなのはないデスネ。エット、ライパチ先生? 他の部ではインターネットできるらしいデスケド、全体的にドーナッテルか知ってイマス?」

「あー、どうだったか……確か申請して工事するんだったっけかな……」

「フウン? 管理体制はどーなってマス? 大本のルータとかスイッチは?」

「――詳しい先生呼んできていいですかね?」


 ライパチ先生は早々にギブアップした。職員室から一人の先生を連れてくる。あのおじさんは……確か数学の教師だったような……。


「どうも。ウルシバラです。いちおう、IT担当みたいなことをやらされてます」

「ニャニアン・セプタ。日本人デス!」

「は、はぁ……」


 ウルシバラは頭の上に疑問符を三つぐらい浮かべながら、ニャニアンと握手する。


「学校のネットワーク環境について聞きたいンデスガ?」

「そうですね。随分前に、業者に回線を引いてもらって……機器もずっとそのままですね」

「ホウホウ。ソーナルト、新しい部屋への配線はご自分デ?」

「そうなんですよ。回線を引き回して……これが大変で。あとは、何かトラブルがあると自分が呼ばれますが、電源入れなおすぐらいしかできないんですがねえ……速度遅いとか言われても困るし……」

「ワカリマス。フムフム。ネット利用の申請はどれぐらいあるのデスカ?」

「ほぼ全室から申請があるような状況ですが、手が回らなくて……」

「学校としては、ネット対応にシタイ?」

「ですね。理事会でも何度か話題には。ただ話がなかなか進まなくて……子供が勝手に使って悪質なサイトにアクセスしたらどうするんだとか……」

「見取り図とか貰えマス?」


 ニャニアンは図面を見て頷くと、スマホを操作して画面をウルシバラに見せた。


「ザッとデスケド、こんな感じでドウデショウ? 全室にLANを引いて、後は機器もリプレースして。接続機器は登録してある機器にのみ限定、Webサイトのフィルタリングもデキマス。ご希望ならアクセスポイントも一台これぐらいで設置シマスヨ」

「ほお……これは。失礼ですが、セプタさんは業者さんで?」

「インフラの何でも屋デスヨ。工事自体は信頼できる業者に発注してマス」


 ニャニアンはニヤリと笑う。ウルシバラは感心したように頷いた。


「予算は積み立ててあるので、なんとかなりそうですね。工事期間はどれぐらいですか?」

「三日もあれば十分デスヨ」

「できれば生徒が休みの間にお願いしたいのですが。冬休みと春休みがここからここで」

「エート、業者に聞いてみまショウネ。サスガに冬休みは……」


 ニャニアンはスマホを操作して――硬い笑顔を浮かべた。


「エェト、急にキャンセルになった工事がアッテ、ムシロ年末なら工事できるソウデスガ――発注間に合いマスカ? ちなみに、春休みは全部アウトで、その次だと夏休みデス」


 ウルシバラは――決意の表情でうなずいた。


「承認を取ってみせます。これで古臭いシステムの管理役から解放される……! よし、まずは校長だッ!」

「アッ……ハイ……本見積もりも作ってオキ、マス……」


 意気揚々と校長室にウルシバラが向かっていき――


「グフゥッ」

「にゃ、ニャン先輩!?」


 ニャニアンは崩れ落ちた。


「どうしたんだ。仕事が取れてよかったんじゃないか?」


 ケモプロの仕事以外では、こういう仕事をしているのだと聞いていたが。


「ウググ……商売ッ気を出したばかりに……スケジュールが……」

「うん?」

「コミケ……一日ダケ……なんとかやりくりシテ、搾り出したのに……ッ! 工事が入ると……行けない……デス……グウゥゥッ」


 ……あの状況から一日分の日程を捻出していたのか。すごい執念だな。


「ウウゥ、グスッ……これは、こっそり一人だけコミケに行こうとした罰デスカ……?」

「ニャン先輩――そんなことないッス。自分も、その気持ちは分かるッスよ」


 ずーみーが小さな体でニャニアンの背中を抱くと、二人は抱き合って何かよく分からない単語を叫びあいながら慰めあった。


「――そんなに、コミケに行きたかったのか」

「行きたいデスヨ! 委託してないトコもたくさんあるし!」

「せめて本だけでも読みたいッス……!」

「なら」


 俺は言った。深く考えもせずに。


「一日だけならなんとかなりそうだ。――俺が買ってこようか?」

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