ホームベース無縁の虎

「えぇ……」


 俺の膝の中で、ずーみーは魂が抜けたような声を出す。


「……怪我の状態って、いつ分かるんでしたっけ?」

「退場した場合は、試合後に病院からの報告、という形で表示されるな」


 今ルーサーの詳細を見ても、『病院で治療中』としか書かれていない。


「足だし、死ぬことはないだろう」

「でも……」


 頭とかだと死ぬ可能性もあったりするし、そうでなくても怪我を理由に引退……というケースも発生する。

 ケモプロはゲームだが、セーブはない。ルーサーの怪我はなかったことにはできない。


 結果を待つことしかできないのだ。


『さあツナイデルスの第二捕手、ブルペンの重鎮、ダイトラがマスクをかぶります。状況は2アウトランナー一塁。バッターは先頭に回って一番、北砂きたずなジャック。相変わらずギラギラした目つきでバッターボックスに入ります』


 目の周りの毛皮が灰色の、ウサギ系ケモノだ。見た目が怖い。前職が葬儀屋なのだが、違う意味の葬儀屋にしか見えないと評判だ。


『ダイトラ、守備陣に定位置の指示を出しました』


 ダイトラの指示にあわせて守備陣が移動する。――が。


『? 何? えーと……ダイトラ、センターのレイにもっと左に寄れと指示を出しています。レイはメリーちゃんのカバーのため普段からライト寄りに立っているのですが……』


 レイが自分を指差し、ダイトラが頷く。レイは少し中央に寄って止まり――ダイトラは首を振る。


『あー、やり取りが続いていますが、どうやらダイトラはメリーのカバーをやめろと言いたいようですね。今、レイが不満そうにセンターの通常の定位置につきました。ツナイデルスとしてはレイの俊足を生かしてライト方向の守備も任せたほうがいいと思いますが……試合に出てないから、その辺が分からないのかしら?』


 レイはチラチラとライト方向を気にする。ライトのメリーはといえば、見るからに緊張していた。


『ダイトラ、腰を下ろして――アウトコース指示? ダンは首を振ります。ライト方向を警戒していますね……あッ、この虎ッ! めんどくさいとばかりに次はど真ん中を指示して動きません。そしてダン、第一球を――真ん中、ストライッ、ハアッ!? に、二塁送球!』


 すばやく立ち上がったダイトラが送球し、ダンが慌てて身をかがめる。が――一塁ランナーは走っていない。そして。


『ショート後逸! ボールは転がって……レイ、キャッチしました。ランナーは動きません。あーあー、ダンとテル、イブヤが怒鳴り散らしてますね。相手ランナーも盗塁を想定していない場面だったから助かりましたが、一歩間違えば二塁まで進むところでした。――まぁ、盗塁してないからエラーはつかないけど……なにやってんのよ……』

「ダイトラ、またよく分からないことしてる……」

「盗塁のモーションでも見えたんじゃないか?」


 ちなみにショートの土屋つちやドーラ……黒ブタ系金色ドレッドヘアのギャルケモノは、その体格どおり足が遅い。今回の後逸も、ドタドタ走ったが間に合わなかったのが原因だ。それゆえ、ツナイデルスの第二の穴と言われている。……メリーと違って、追いつきさえすれば問題ないのだが。


『一塁ランナー、湖森こもりヨウ助、先ほどのプレイを見てか大きくリードを取ります。2アウトですが二塁まで進めばさらに追加点が見込めますからね……ダンもランナーを警戒します。ダイトラはまたもアウトコース指示。今度はまったく動きません。……ダン、ついに首を振るのをやめ、投げたッ!』


 ガキッ!


『詰まった打球! 浅いライトフライ――メリーちゃん前に出て……ああッと、落球! 一塁ランナーヨウ助、待ち構えていたかのように二塁へ! ジャックも一塁に悠々到達、二死一、二塁のピンチになりました!』


 メリーはバッテリーに向けてペコペコと頭を下げる。ダンは構わないと言いたげにヘラヘラと手を振り、ダイトラはフンッと息を吐いてマスクをかぶりなおした。

 ――それにしても、守備職人のニシンがモーションのお手本のはずなのにどうしてこうも守備力に難のある選手が出てくるのだろう。距離感の認識とか、体格の違いとか、その辺が俺の思うよりも重要なんだろうか……。


『八回裏、0対2、2アウトなおもランナー一、二塁。ダークナイトメア、続くバッターは二番、セカンド、大上川おおかみがわハギル。その後に待ち構えるのは三番、サード、砂林黒男。どちらも肉食ウォリアーズ出身、ダイトラの元チームメイトです』


 ニホンオオカミ系ケモノのハギルはイヨウ! とばかりにダイトラに挨拶するが、ダイトラは取り合わない。


『さあハギルへ第一球――ああッと!? セーフティーバント! 転がらないッ、ホーム近くで止まる! ダイトラ、重い腰を上げてボールを拾いますが……セーフッ! セーフティー成功、2アウト満塁! 大上川ハギル、ダイトラの雑なリードを読んでいた! 初球から狙っていきました。結果は満塁ッ! さすがは元チームメイトといったところでしょうか、的確に嫌なところをついてきました!』


 ハギルは一塁上でゲラゲラと笑う。ダイトラはついっと目をそらした。

 続いて三番の黒男がバッターボックスに立つ。ダイトラと一瞬目が合うが、お互い何も言わない。


『黒男はプレイングマネージャーですが、2アウト満塁、2点リードの場面でできることはピッチャーとの勝負だけでしょう。木渡ダン、このピンチを凌げるか? 凌ぎなさいよ!?』

「どう思う?」

「ルーサーのことが気になってあんま考えられないッス……」


 それもそうか。


『――ファール。これで1ボール2ストライク、追い込みました。追い込みましたが……ここまで3球連続で外、外、外ときて――あぁ……ダイトラ、ミットを動かしません。徹底してアウトコース。ダン、投げて――打った! ライト線! ファースト飛びつくがッ……弾いたッ! ボールは誰もいないファールグラウンドにッ! 三塁ランナーホームイン! 続いて二塁ランナーも……メリーちゃんボールに追いついた、って、暴投ッ!?』


 メリーが焦ってホームに投げたボールは、大きく高く一塁方向に逸れる。二塁ランナーはホームイン間近だが、これは――おおッ?


『ダイトラッ! ジャンプ……ベアハンド!?』


 巨体が、跳んだ。

 大きく体を伸ばして、後方に逸れようとしていたボールを掴む。


 ――素手で。


『そのままベースカバーまにあ――はッ? 送球ッ!?』


 そしてホームベースに滑り込むランナーを無視して、三塁に投げ込んだ。


『た、タッチ、アウト! 三塁に滑り込んだハギル、タッチアウト! スリーアウトチェンジです! しかしその間にランナーは生還していますので、2点追加で0対4! ダークナイトメア、この回、3点を追加しました』


 めまぐるしい展開に、俺もずーみーも声が出なかった。


「……ぷはっ」


 しばらくして。ずーみーが息継ぎのように息を吐き出す。


「うわ……なんだったんスかね。すごい動いたッスけど」

「すごく動いたが――2点取られたな」

「そうなんスよね……」


 よくよく考えれば、ダイトラはホームカバーに間に合ったかもしれないし。そうすれば1点で済んだのだ。迷いなく三塁に投げたが、あれでアウトにできなければさらに傷が広がっていたところだし。


「……ファインプレイでいいんスかね?」

「ナゲノはそう評価してないみたいだな」


 ダイトラがもっと真面目にリードしていればそもそもピンチにならなかったのだとぼやいている。


『攻守変わりまして、九回表。ツナイデルスの攻撃です。打順は二番、ヤブイヌ系女子、林縁はやしぶちイブヤから。4点差、なんとかひっくり返して欲しいところ!』


 九回。いつものツナガラナイ打線か――と思いきや、ここぞとばかりに連打を見せるツナイデルス。


『――フォアボール! 土屋ドーラ、粘りました! ドシドシと一塁に向かいます。これで一死満塁、ツナイデルス、チャンス! 今日のツナイデルス、ようやく望みをつないで――この男を迎えます……六番、山茂ダイトラ!』


 観客席がいろんな音声で沸く。悲鳴を上げるもの、ブーイングするもの、歓声を上げるもの。応援してくれるユーザーたち。


『あ、珍しくダイトラの思考が表示――これは……ルーサー?』

「ダイトラ……」

『……打ちなさいよね』


 いや、盛り上がってるところ悪いが、メリーちゃんも表示されてたぞ。……いや、別にいいんだが。


『さあダークナイトメア。抑えのエース、ロスチャイルドヤマアラシ系男子、幹成みきなりドイルがセットポジション。第1球――大きく外してボール。続いて第2球――』


 ガキィンッ!


『打ったッ!? 大きいッ!』


 その打球は、綺麗な放物線を描く。


『これは――入るか、レフトバック!』


 ダイトラは、ぽいっ、とバットを投げ捨てる。

 フンッ、といつものようにしかめ面で息を吐き、ゆったりと一塁へ向かって歩き


『――落ちたッ!? 入らないッ!』



 ホームランではなかった。



『レフト、フェンスに弾かれたボールを掴む! ダイトラ、ようやく走り出して一塁――を、蹴るッ!?』


 こちらも二塁にゆるゆると歩いていたドーラが、後ろを向いてギョッとする。


『ドーラ、ダイトラ、ツナイデルスの鈍足コンビ走る! レフト、中継に送って――三塁送球! ……アウトッ! ショートのジャック、冷静に三塁のドーラをアウトに取りました。これでランナー二人還って、2対4、二死二塁となります……なんでよォ……』

「ダイトラ、なんで走ったんスかね……止まってれば1アウト一、二塁ッスよね?」

「わからん」

「この謎の光景を漫画にしないといけないんスよね……」


 獣野球伝ダイトラは、ケモノプロ野球の出来事をダイトラを中心に描く漫画だ。今のところ、現実が漫画に二週間先行するスケジュールになっている。

 いくらわけが分からなくても、来週月曜にはこの試合を含んだネームにとりかからないといけない。


「……俺も手伝うから、がんばろう」

「はい……」


 その後、ツナイデルスの追加点はなかった。


『――試合終了! ツナイデルス、最後はやっぱりこの男、ダイトラが本塁を踏めずッ! 2対4で試合終了です! ダークナイトメアが三連戦の初戦を勝利で飾りました!』

「駄目だったッスね……」

「ダイトラがホームに帰ってきたのを見たことがないな」


 チームで唯一打点を上げた男のはずなのに、さっぱり周りから褒められていない。これがダイトラクオリティか。


『――ッと、病院からの連絡が入りました!』

「あッ、そういえば」

「忘れてたな」


 怪我で途中退場をしていたイケメン捕手、ルーサー。ずーみーが漫画の中心に絡めようとしていたケモノは――


『高原ルーサーは……左足の負傷、全治一ヶ月。島根出雲ツナイデルス、正捕手が一ヶ月試合を離れることになりました!』

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