VRの六畳一間

 俺は見慣れない天井を眺めながら、膝に置いたヘッドセットを撫で回し、口を開いた。


「まだですか、ミタカさん」

「もう少し待ってくださいね」


 苛立ちを隠しきれないミタカの声が返ってくる。


「申し訳ありません、急な設定で手間取っていて……あと少しで出来ますので」

「いえいえ、待ちますよ」


 ミタカに答えたのは、記者の男だ。幸いなことに、こちらは苛立っていない。


「ケモプロのVRバージョンを先行体験できるんですから――少しぐらいどうってことないですよ!」


 ◇ ◇ ◇


 12月1日。


 ケモノプロ野球はオープン戦を終え、開幕戦を迎えている。

 ちなみにオープン戦の順位は東京、伊豆、青森、鳥取、電脳、島根となった。東京セクシーパラディオンがゴリラ砲をもって独走し、他はダントツ最下位の島根ツナイデルスを除けば勝率にあまり差はない。

 島根に関してはあまりの打線の繋がらなさっぷりに、『ツナゲナイス』などと呼ばれているありさまだ。マスコットの製麺機ロボも『ツナゲナイロボ』と呼ばれている。それでも視聴率は全球団中一位なのだから、ナゲノの実況とずーみーの漫画の力だろう。


 ともかく一区切りを迎えたので、初めてのアップデートを計画している。マイルーム機能拡張とVRモードの追加だ。そこで各媒体に宣伝をしてもらおうと、記者にVRモードを先行体験してもらっている。


 場所はこの日のために借りたネット回線付きの貸し会議室。俺と記者が同時にVRするための機材は、KeMPBの事務所には入らない。そもそもネット回線もないし。

 ということで朝から貸し会議室に機材を持ち込み、取材対応を行っている。まだ試合の始まっていない時間だったので、これまでテストサーバを使って記者の応対をしてきたのだが、最後の記者の番でデーゲームが始まったので、せっかくだからそれを見よう、と提案したところこうなった。


「何を手間取っているのでしょうか?」


 よそ行きの戦闘態勢のままミタカに問いかけると、ミタカも顔面に笑顔を貼り付けたまま。


「希望の席が人気で埋まっていて、なかなか二人を並べて置けなくてですね」


 ――余計なことしやがって、という心の声が聞こえる。


「あのう、外野席とかでもいいですよ」

「それは――」


 記者の助け舟に、ミタカがこちらに確認を取る。見栄えのいい席がよかったが、あの様子だと少し難しいのだろう。これ以上時間をかけるわけにはいかない。


「ではミタカさん、場所はお任せします」

「……わかりました。準備できましたので、代表はヘッドセットをつけてください。記者の方はお手伝いしますので……」

「おお、助かります」


 VRヘッドセットをつけると、徐々に視界が明るくなって球場が見えてくる。外野席の中腹のほうだ。


「おお、すごい」


 隣から声がする。横を向くと、ゲスト用に用意したネコ系のケモノが、ゆっくりとあたりを見回していた。

 俺と記者は実際には会議室内の端と端にいるのだが、球場では隣に座る。何度経験しても変な感じだ。


「周りもケモノだらけだ。いやあ、ほとんど空席がない。すごいな。ケモプロの世界に入り込んだみたいですね。これ、みんな今ログインしてる方たちですか?」

「全員ではないですね」


 ちなみに俺はネズミ系ケモノだ。なぜゲストをネコにしたんだ。


「実際に操作しなくても、ユーザーはアバターを球場へ応援に行くよう設定しておくことができます。大半はその機能で予約して置かれたアバターです」


 とはいえ予約も週単位でしかできないようにしているので、これだけの数が週一回以上はログインしてくれていることになる。ありがたいことだ。


「ああ、そういう機能がありましたね。……しかし、思ったより静かですね」

「操作されていないアバターは、条件に応じてリアクションをしますが、それ以外は見てるだけですから。逆に言うと今周りとは違う動きをしているのが、ユーザーが現在ログインしているアバターですね」


 いちおう雑談めいたザワザワ音はするのだが、音量は下げてある。あまり騒がしすぎると、バットがボールを叩く音なんかが聞こえないからだ。


「今はこうして代表とお話をしているわけですが、VRモードだと隣に座る人と会話が出来るのでしょうか?」

「一定範囲までのボイスチャットが再生される仕組みになっています」

「知らない人の会話とかも聞こえるわけですか。ちょっとわずらわしい人もいるんじゃないかと思うんですが」

「いくつかフィルタオプションがあります。フレンド以外のボイスチャットをオフにするか、ケモノ語に変換するかですね」

「ケモノ語?」


 シム語というか――要するにゲーム内独自の解読不能な言語に変換する機能だ。これを使うと「このヘボバッター! やめちまえ!」とかいう野次も、「ウゴウガァー! ウッホウッホ!」という感じに変換される。文字数や音の高低は無視し、ニュアンスだけを微妙に抽出するので、『何か文句を言っているな』という程度にしか分からない。

 試しに記者にケモノ語変換をしてもらって、実感してもらう。


「おお、これはいいですね。異世界って感じがします」

「VRモード以外でもボイスチャットに対応するので、いずれ球場も騒がしくなるかもしれません」

「あ、すいません、今機能をオフにしたのでもう一回お願いします」


 ………。


「いや、これは友達と待ち合わせて観戦したくなりますね。ところでなぜ準備に時間がかかったのでしょう?」

「ああ、それは」


 座席に座るとき、すでにそこに誰かのアバターが座っている場合、そのアバターは一定の区切られたエリア内の別の席か、すべての席が埋まっていれば別のエリアに表示される。ただしこれはその人の主観においてであって、正式な視点からすると、その席には依然として先ほどのアバターが座っていて、別席に重複して座ろうとしたアバターが配置されている。

 つまり俺ことネズミがクマの座席を押しのけて座り、その隣に記者ことネコが座った場合、ネコには隣にクマがいるように見える。ネズミからはネコが空席に座ればネコが、ネコが誰かを押しのけていればその誰かがいるように見えるのだ。


「――というわけで、並んだ空席を見つけるのに苦労していたのです」

「なるほど。友達と並んで座るのはちょっと難しいかもしれませんね」


 予約したアバターは開場と同時に座っているからな……。


「フレンド優先とか調整を考えるべきか――痛ッ」

「どうしました?」

「いえ、なんでもありません」


 足を蹴られた。ミタカか、ミタカだな。


「他にVRモード独自の売りはありますか?」

「ラジオが聞けます」

「ラジオ」

「動画サイトの音声だけ聞くことができる機能です。ちょうどナゲ――ふれいむ☆さんが実況しているので聞いてみましょうか」


 UIの操作の仕方を教える。


「おおっ……なるほど! これは、ラジオですね。音声だけ聞こえるのがニクい。球場にいる臨場感が増します」

「そうでしょう。まあスマホを使えば動画どころかなんでも見れますが」

「スマホなんてアイテムを実装したんですか?」

「いえ、お手元のものです。ちょっと自分のスマホを握って、UIメニューから……」


 UIを操作すると、VR内のケモノの手がスマホを構える。その画面には自分のスマホの待ち受けが映っているはずだ。


「うわッ……僕のだ。ええ? これはいったい……うわ、操作したら画面が反映される!」

「スマホから画像を出力してそれを合成しています」

「ああ……! 充電させてくれるのかと思ってたけど、あれはMHLケーブル……? なるほど、PS VRのanywareVRみたいな感じか……専用ソフトではなくてゲーム中に取り込む事例は初めてだと思いますが……いや、便利ですね。レスポンスもいい」


 これはいいぞ、と記者はスマホをいじる。……みんな同じような反応するんだな。


「そんなにいいものでしょうか。こちらとしてはオマケ機能なのですが」


 気がついたら従姉が一晩で実装していたと、ミタカが言っていた。


「いや便利ですよ。VRゲームやってるときって、視界がふさがってVRゲーム以外できないからスマホに通知きたりすると、いちいち脱がないといけなくて面倒くさいんですが、これなら普通のコンソールゲームをやってる時みたいに、中断せずに確認できますからね。見ることを主体としたケモプロにはぴったりの機能ですよ。VR上で構えてくれるから持ち上げなくていいし……」

「評判が良かったと開発者には伝えておきます」


 従姉も喜ぶだろう。


「意外な新機能でした。他にはどうでしょうか?」

「今日はご用意できませんでしたが、コントローラーがあればグローブを使えます」

「グローブ……というともしかして、ホームランボールを?」

「ええ、キャッチできます」


 ちなみにグローブは有料アイテムだ。なくても素手キャッチできるし、中身のいないアバターも足元までくれば拾う。グローブがあればキャッチしやすい程度なので、あまり売れないとは思うが。


「キャッチしたホームランボールは、マイルームに飾れるようになります。ということでマイルームに移動しましょう」


 メニューを選択して移動する。六畳一間のワンルーム。テレビとちゃぶ台、小さな棚が置かれた質素な空間。


「マイルームにはアイテムを飾れます。例えばユニフォームですね」


 ユニフォームをハンガーに吊るして壁にかける。全球団のユニフォームを持っているユーザーは飾りがいがあるだろう。


「なるほど。ホームランボールなんかはこの棚に飾れるわけですね?」

「ええ。その辺に転がしても構いませんが」

「それはちょっと……ありがたみが……」

「マイルーム専用のアイテムも販売予定です。選手のポスターとか」


 ダイトラのポスターを壁に貼る。VR内で見るとなんともふてぶてしい顔をしている。


「いいですね。配置は自由ですか?」

「重力からは逃れられませんが、基本的には自由です」

「飾れるのは有料アイテムだけ?」

「来場特典という形で小物を配布する場合もあります。課金しないと部屋が寂しい、ということはないと思いますよ」

「ログインボーナスのようなものですね。ああ、マイルームの広さはこれで固定ですか?」

「今のところは」


 あまり広くするのはちょっと、とミタカとニャニアンに渋られている。サーバ代に響くらしい。


「マイルームにはフレンドを招待できますので、いろいろ飾って遊んでもらえればと思っています」

「なるほど。デフォルトで設置されるのはテレビとちゃぶ台ですか……テレビ……テレビが見れるんですか?」

「地上波は見れませんが」


 俺はリモコンを操作した。


「今やっている試合と、過去の試合を見ることができますよ」


 フレンドだけで試合を観戦したい、という要望に応えるものだ。ちなみにテレビも課金アイテムで複数のサイズを取り揃えている。なぜか14型なんていう、デフォルトより小さなものもあるが……売れるだろうか……。


「あー……そうか、そうですよね」


 俺の心配をよそに、記者は別の方向でがっくりしていた。


「……テレビ、駄目でしたか?」

「ああいや、いいと思いますよ。ビールとか置いたら雰囲気出ると思います。いや、ただ自分の部屋よりいい部屋なものだから」


 六畳一間よりも……? いやワンルームだったら寝床なんかの生活空間も必要だから、それより広いかもしれないが……。


 俺がなんと言おうか考えている間に、記者の声のトーンは自動的にネコの顔を笑顔にした。


「野球もいいけど、アニメも見れたら最高だなって思っただけです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る