報酬と代表の仕事

 11月末日。


 俺とシオミは事務所にやってきていた。

 来客の応対にしか使っていない狭い事務所だが、今は俺とシオミの他に誰もいない。


「では始めるか」


 書類を机の上に置いて、シオミが言う。


「俺たちだけでいいのか? 大事な話なんだろう?」

「お前の集めた人間だし、私も信頼はしているが……念には念をだ」


 シオミは度の入っていないメガネを取り出してかけると、秘書モードになって言う。


「お金というのは、人をたやすく変えてしまうのですよ、ユウ様」


 ◇ ◇ ◇


 KeMPB設立以来、会社は様々な手段で活動資金を確保してきた。

 銀行からの融資。球団のオーナー権、ゲーム内に登場する物品へのスポンサー、球場の看板広告の販売。そしてクラウドファンディング。


 けれどそれらの収入は、メンバーの懐には入っていない。銀行への返済、月賦にした機材の支払い、データセンターや回線などのインフラ固定費、交通費や交際費――この事務所の家賃を含めた、活動資金としてだけ使われている。


 正式サービスが始まってユーザーからの収益が上がるまでは、給料――報酬はなし。そういう約束で、これまでやってきた。

 そしてついに11月、正式サービスが開始してユーザーから支払いを受けたのだ。


「税金など細かい話は置いておくとして――KeMPBでは全員が『従業員』ではなく『社員』ですので、役員報酬の形でお支払いする形になります。役員報酬は会社の定款に記載するので、全員がどれだけお金を得るのか、最終的に全員が把握することにはなりますが」

「定款……というと、確か全社員の同意がないと書き換えができなかったんじゃないか?」

「ユウ様のみ変更できるよう定款に定めていますので、そこは問題ありません。いちおう、皆様に同意もいただきますが」

「そういえばそうだったな。じゃあ自由に決められるのか?」

「最低限押さえてほしいことがいくつか」


 シオミはメガネを直しながら言う。


「まず、定款に記載するのは毎月の報酬額です。そして、これを変更できるタイミングは限られています。今回は最初の支払いが12月ということで決算月を調整済みですが、基本的に一度決めた報酬は6ヶ月は変更ができないと考えてください」

「基本的……変えることもできるのか?」

「業績が著しく悪化した場合は減額できます。体面が悪いのでよほどの場合でないとオススメできませんね。増額は新しい期が始まってから3ヶ月以内ならできますが、税金を余分に持っていかれます」

「儲かった月は増やして、儲からなかった月は減らす、ということはできないのか」

「できないというより、させないための制度ですね」


 なかなか会社というのも難しいな。社長ってやりたい放題のイメージがあったんだが。


「儲かって余ったらその分はどうなる?」

「会社の資金になりますので、問題ありません。逆に足りないと問題があります」

「つまり、これから6ヶ月支払って問題ない額で決める必要があるのか」

「そうなります。ということで、こちらが現在の状況を踏まえた資料です」


 渡された書類に目を通す。今月の売上、これからの収益の予想、それを踏まえた役員報酬の金額とその分配案。


「広告費など毎月固定で入ってくるものが増えれば、報酬も増やしやすいのですが……」


 シオミはその金額を問題視しているが、俺はその数字の量ではないほうに注目した。

 俺、従姉、ずーみー、ミタカ、ニャニアン、シオミ、ライム……それぞれ報酬額が違う。


「……この分配案だと、それぞれ報酬が違うのだが――山分けにはできないのか?」

「できないことはありませんが」


 シオミは眉を寄せる。


「モチベーション的にも、将来的にも、貢献度で増減させたほうが不満は出ないかと」

「どういうことだ?」

「わかりやすいのは、ホヅミさんですね」


 ずーみーが?


「彼女は現在、漫画を連載しています。いずれこれを紙の本にする計画でしょう? そうすればホヅミさんは印税を得ることになる。全員が関わって作るゲーム以外のコンテンツでの収益です。この印税、ホヅミさんではなく会社のものとしますか?」

「――いや」


 原作・原案としてKeMPBが名を連ねて、その一部を貰うならともかく、全部は違う気がする。そもそもケモノのデザインもずーみーだし。なんならこういったゲームからの二次コンテンツの創作は誰がやってもいいわけで、ずーみーがKeMPBの社員だからといってその権利を巻き上げるのは違うだろう。


「となると、役員報酬を山分けにしても、ホヅミさんだけが印税分儲かることになりますね」

「結局差が出てくるなら、最初から個別に額を決めようということか」

「貢献度については全員から、個別に項目ごとに回答を得ています。皆さんの認識と大きな乖離はないかと。あまり差がつき過ぎないように、一定額を山分けし、それ以上を貢献度によって上積みする形にしましたし……」


 たしかに極端な金額差になっていないし、俺の認識ともだいたい合っている。ただ――


「……俺の分が多すぎないか?」


 雑用係にしては多すぎる。

 そう指摘すると、シオミは溜め息を吐いてメガネを外した。


「過小評価しすぎだ、ユウ。お前がいなければこれだけのメンバーは集まらなかったし、オーナーとの交渉も決まらなかったかもしれん。対外的な矢面に立ち、スポンサー契約のために連日走り回っているし、最近はサポート業務もしているだろう?」

「仕事量で言えば、それでもまだ俺が一番少ないんじゃないか? 学校にも行ってるし、生活費のためバイトもしている。一日中ゲームを作っているツグ姉と比べたら、仕事をしている時間は圧倒的に短い」

「……学校はともかく、バイトはツグという重要人物を動かすために必要なものだろう。というか、引きこもりと作業時間を比べるな」


 まあ職場=家の従姉の実働時間を追い抜ける気は、確かにしないが。


「貢献度を上積みする前の――山分け分の報酬は、どれぐらいなんだ?」

「この部分だ」


 半分ぐらいか。


「なら、俺はこの部分だけでいい。余った分は会社の資金になるんだろう?」

「……私たちの評価が間違っていると?」

「そうは言っていない。認めてもらえて嬉しい」

「なら正当な報酬は受け取れ」

「でも俺は会社の代表だから、俺の貢献が積まれるのはここだろう」


 山分け分の部分を指す。全員が必ず受け取る部分。


「ここを増やすように努力するのが代表の役目なんじゃないか?」

「その部分は誰が努力しても増える。志は立派だが、代表のお前だけに責任があるわけじゃない――報酬を受け取ることの何が不満なんだ?」


 不満?

 いや、お金はあったほうがいい。ストーブも買いたいし。コタツだけで乗り切った昨年は辛かった。肉をたくさん買えれば、従姉との食卓戦争も回避できるだろう。

 うん、お金、ほしい。


 なのになぜ俺は――ああ、そうか。


「……不満じゃない。どうやら、怖いみたいだ」

「怖い? 何がだ?」

「いくら皆が評価してくれていても、俺が駄目なんだ。代表としてまだまだ力不足だと思う。だから、過分な報酬を受け取るのが怖い。怖くて――逃げ出そうとした」


 報酬を受け取らなければ、偽りでも心が軽くなると思って。


「なら、逃げるな」


 シオミが俺の肩に手を置いて言った。昔のように。


「今自信が持てないなら、自信が持てるように努力を続ければいい。評価に値するような人間になれ。その報酬が、お前に課せられた期待だと思ってな」

「……そうだな」


 重い期待だ。そうやって俺が深呼吸をすると、シオミは溜め息を吐いた。


「まったく、金は人を変えると言いはしたが、お前が変わってどうする」

「実感した。確かにシオミと二人きりでよかったよ」

「契約ではもっと大きな金を動かしてるだろう? それに比べたらこの程度、アタフタするほうがどうかしているぞ」

「会社ではなく自分の財布に入ると思うと、また別の感覚なんだ」


 金額がそのまま責任として感じ取れる。

 これに見合うだけの仕事をし続けなければいけない。


「……代表として、KeMPBにより貢献するにはどうしたらいい?」

「正直なところ、まずは時間を作ってほしい。これだけ貰えば、バイトは不要だろう?」


 確かに。同居人である従姉にも家賃と生活費を折半してもらえば、さすがに余力が出る。ストーブが買える。


「今お前がやっている仕事に割く時間を増やすだけでも、クジョウと私の動ける範囲が広がるからな。そこを見越しての設定でもある」

「わかった。店長と相談してみよう。他には?」

「今の仕事をしてくれれば十分だが……そうだな……」


 シオミは腕を組んで考える。


「……経理の仕事をできるのが私だけだからな。簿記は理解していたほうが……いや、そう考えるとそもそも人不足だから、人を増やしたほうがいいんじゃないかとも思うが……労働時間も……」

「人をか?」

「誰かが急病で入院――というような事態になったら、だいぶ困るだろう?」


 確かに。仕事は共有するようにしているが、どうしてもその人でないと分からないこともあるし、そもそも人手が足りなくなってしまう。


「だが安易に増やすのも考えものだ。良くも悪くも、ユウ、この会社はお前を中心にまとまっている。だからもし人を増やすとしても、お前がトップであることを受け入れ、他の皆にも受け入れられるような人物でなければいけない。加えて、ミタカから無能は入れるなと言われているし」


 シオミは苦笑して続ける。


「そういう意味では、クジョウは拾い物だったな。経緯はめちゃくちゃだが、今はお前になついている。営業能力は高いし、ミタカもプログラミング能力を買っている。多少暴走気味なのが玉に瑕、といったところか……」


 確かに。ライムがいなければKeMPBは今と違った未来を迎えていたかもしれない。あの魔法のような広報手腕がなければ、クラウドファンディングも危うかっただろう。


「まったくどこでどうやって能力を身につけたのか。そもそも、あいつは今どうやって暮らしている?」

「マンションで一人暮らししているとは言っていたが……」


 謎だな。飯をちゃんと食べているか心配になってきた。


「……代表としては、ある程度把握しておくべきか?」

「かもしれんな」


 シオミはククッと喉を鳴らして笑う。


「まあ、そういうところだよ、ユウ」

「ん?」

「やるべき仕事を、お前はこれまで自分で見つけてきた。今さら私があれこれ言うよりも、お前が自分で考えて進んでいけばいい。もちろん、求められればアドバイスはするがな」

「……そうかもしれないな」


 確かに、ここまでやってきたのだ。そしてついてきてもらった。今さら迷うわけにはいかない。前を向いて進むだけだ。


「ちなみに、今だと他にどんなアドバイスが出る?」

「事務所が手狭かもしれんな。オンライン会議も人が増えてくれば難しいし、もう少し大きな場所を用意してもいいかもしれん。いっそ全員が集まる仕事場にするとかな」


 確かに、オンライン会議だと発言がかぶることがある。顔を見ればタイミングはつかめるだろうし、大きいところに引っ越して皆で集まって仕事するのもいいかもしれない。

 ――しれない、が……。


「……ひきこもりが、外に出るかな?」

「……そういうところも、お前の仕事だ」


 課題も悩みも、探せばいくらでも出てくるものだった。

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