秘書とマネージャー

「まったく、今日もお疲れ様だなユウよ」

「俺より、むしろシオミの方が疲れたんじゃないか?」


 インタビューを受けたあと、ユキミたちと駅近くの居酒屋で会食となった。相変わらずユキミは細い体にいっぱい食べ物を詰め込むし、シオミは残り二人に付き合わされてだいぶ酒を飲んでいた。

 お開きになって三人を見送った後、こうして二人で駅まで並んで歩いていても、シオミから酒の匂いが伝わってくる。


「俺が飲めない分、飲まされたような感じだったが……」

「ふん。子供が飲めないのは当然だ。気にするな――そう不味いものでもない」


 言葉ははっきりしているが、多少は酔っているのだろう。腕を組んで歩くとか、普段しないものな。


「二十歳になったら俺も飲むようになって、シオミの負担が減らせるようになるかな?」

「お前がどんな感じに酔うのかには興味があるが――ふふ。まあ、飲んでみて決めればいい。こういった会食は今後増えていくだろう。社長業とはそういうことだ。だが、飲まなきゃ絶対にできないものではないぞ。今だってできている」


 できてる――でいいのだろうか。目に見えた成果がないと、たまに不安になる。


「社会全体のモラルは間違いなく向上している。アルハラと騒がれるようになったのもその証拠さ。飲まない代表がいたって、今の世間なら受け入れてくれるだろう。お前が飲めない体質だったとしても、問題ないさ」

「そういうものか」

「ああ。まあ古臭い人間の中には、飲まなきゃ納得しないやつもいるだろうがな。そのときは私に任せておけばいい。そう易々とは潰れんぞ」

「確かに、潰れたところは見たことがないな」


 各地の出張に同行してもらい、そのたび会合先との会食に出てもらっているが、最後までピンピンしているのがシオミだった。


「そうだろう。なに、お前が私を潰してもいいんだぞ? 面倒は見てもらうがな」


 潰れるほど飲んだら体に悪いと思うんだが。


「んぅ? なんだ? そんなとこさすっても何もでないぞ?」

「いや――スマホだ。誰かな」


 ちょうどシオミがくっついてきている方にスマホをしまっていたのだった。振りほどいて、通知を確認する――いや、着信か。このアイコンは誰だったっけ。


「俺だ」

『出るのが遅いわよ』

「――誰だ?」

『……出ておいて聞いてこないでよ。エーコよエーコ』

「ああ、オヨコ」

『エーコ! って、そういうんじゃなくて!』


 タイガ選手のマネージャー、エーコは息を弾ませて言う。


『連絡を取りたい相手がいるんだけど、君、どうにかできない?』



 ◇ ◇ ◇



「元気にしてるかね」


 向かいに座った男がそう声をかけてくる。俺は頭を下げた。


「はい。おかげさまで、俺も従姉も健康です」

「そうか、それならよかった。娘から聞いてはいたがね……実際に顔を合わせてより安心したよ」


 目じりにしわを寄せて笑う、恰幅のいい男は――カナの父親だ。


「それで、あなたがユウ君の話にあった……」

「はい。ツヅラエイコと申します」


 俺の隣に座るエーコは、名刺を出して頭を下げた。


「今日は娘さんについてお話させていただきたく」


 ◇ ◇ ◇


 エーコが連絡を取りたいと言った相手は、カナだった。

 どうも以前教えてもらった連絡先には繋がらないらしい。

 特にスマホを変えた話はしてなかったと思うが――と思いながら俺が連絡をしてみても、繋がらなかった。


 後から教えてもらったところでは、カナもニシンも通知がきまくってスマホがまともに使えず、電源が切れていたらしい。

 そんなオチを知らない俺は、カナの実家の家電に電話をして――おじさんに繋がった。


 未だにカナの家は記者に見張られているらしく、夜も遅いのでカナが出ることはできない。

 そこでおじさんが、ファミレスまで出張ってきてくれたのだった。


 ◇ ◇ ◇


「娘……ね」


 おじさんが目を細める。先ほど俺に向けた笑みではなく――古い記憶にある、冷たく鋭い目だ。


「ユウ君の紹介だし、急ぎだというから、こんな深夜でも出てはきたが、最近娘に対する『話』を持ってくる有象無象が多くてね。失礼だが、もう少し自己紹介していただけるかな?」

「ご心配はもっともです。私はツヅラ――いえ、登録名の方が通りがいいですね。タイガ選手の叔母で、トレーナーとマネージャーを兼任しています」

「ほう……タイガ選手の」


 おじさんの態度が少し柔らかくなる。


「となると、今忙しいのではないかね?」

「タイガの出番は終わりましたし……こちらの方が今は重要です」

「ふむ……トレーナーとのことだが、何かスポーツの経験が?」

「高校まで水泳と……それからは女子ソフトボール1部リーグのチームに所属していました」


 初耳だ。エーコはプロ選手だったのか。


「とはいえご存じないと思います。日本代表に選ばれることもありませんでしたし、タイガが中学のとき、彼女のサポートをするために引退しましたので」

「ほう……中学時代から」

「私よりよほど才能がありましたからね。スポーツ医学を学ぶため大学に入りなおして……と、私のことはこれぐらいでよろしいでしょうか?」


 おじさんが頷くのを見て、エーコは本題を切り出す。


「端的に言うと、娘さん――カナさんのマネージャーをさせてください。NPBに行く決意をしたのなら、そのサポートをしたいのです。タイガが受け入れられ始めたとはいえ、NPBはまだまだ男社会です。女の身では難しいこともあります」

「……なぜ、うちの娘を?」

「実は以前にもお会いしたことがありまして……その際、うちのタイガがそそのかすようなことを言いましたので……」


 エーコなりに責任を感じているらしい。おじさんが黙っていると、エーコは逆におじさんへ質問した。


「お父様はどう考えているのでしょうか? 娘さんがNPBに行くことについて」

「戸惑いはあるが……応援しているよ。なんせ、娘を少年野球に入れたのは私だからね」


 そうだったのか。小学一年の頃だからちょっと記憶があいまいだな。


「中学からマネージャーに専念すると言ったのは残念だったが、まあ女の子だしそんなものかと思っていた。それがプロになりたいと言い、全国準優勝したうえ、NPBのドラフトに育成といえどかかるのだから驚いたよ」

「応援するとのことですが、やっていけると思いますか?」

「娘ならやるさ。……まあ、やる前から世間を騒がせているのは困惑している。特に女子プロの方だな」


 おじさんは腕を組んでうなる。


「娘はNPBに行くと言ったのに、まだ何度も電話をかけてきて、会いたいと言うんだ。もう声を覚えてしまったから、一言聞いたら切ってるよ。まったく困ったものだ」


 それはしつこいな。まあ交渉権を得たチームとしては、諦めきれないのかもしれないが……。


「……では、今一番困っていることは、その女子プロ――JWBLの対応ですね?」

「今のところはそうだな」

「でしたら」


 エーコは身を乗り出して言う。


「まずはその解決のお手伝いをさせてください。マネージャーの件は、その後で決めていただければ」

「……正直なところ」


 おじさんは顎をなでる。


「なぜあなたがウチの娘にそこまでしてくれるのか、不思議に思っている。責任を感じているようなことはおっしゃられたが、その程度の理由では……それに娘のマネージャーをするとして、タイガ選手はどうするのか?」

「……タイガは……」


 エーコは、時間をかけて口を開いた。


「タイガの時は、才能のある子を守りたかったんです。あの子は不器用で真っ直ぐで……支えて守らなければと。それがNPBに行きたいと言うから、もっと大変になって。女子ソフトでプロをやっていたときの人脈なんかも使って環境を整えて……。でも、今は守るというより、見ていたいんです。タイガ選手が活躍するところを」


 タイガには内緒ですが、とエーコは苦笑した。


「カナさんについても同じです。あの才能がどこまでNPBで通用するのか見たい。それをサポートしたいんです。これまでタイガの盾になってきた実績があると自負しています。カナさんに野球以外の余計なものを近づけないよう、邪魔をさせないようにしたい。さすがにタイガの面倒を見ながらトレーナー業まではできませんが、スケジューリングや球団との交渉なら、力になれると考えています」

「ふむ……ユウ君はどう思うかね?」

「俺が?」


 急に話を振られたが、意図がわからない。どういうことだろう?


「今の話に賛成かどうか、思ったことを言ってみたまえ」

「……NPBの女子選手のマネージャーをしている人間は、今世界に一人しかいない。その経験を得られるのなら、とてもいい話だと思う」


 それにタイガを見ていれば分かる。エーコに信頼を寄せていることが。それに。


「――それに、エーコはいい人だからな。そこは俺が保証する」

「ッ……き、君ね……」

「はっはっは。いい人か……ユウ君が言うならそうなんだろう」


 エーコはなぜか目元を赤くして睨みつけてきて、おじさんは笑う。


「いい人はともかく、前段の理由はしっかりしていた。社長業を始めたと聞いてはいたが、いまいち実感が持てなくてね……あの時娘が連れてきた男の子が、立派になったものだ」


 あの時、か。よく考えてみたら、娘の友達だというだけで家に住まわせてくれるとは、なかなか度胸のあることだと思う。


「……あの時は、お世話になりました」

「子供が気にすることじゃない。それに、実は息子が欲しかったんだよ。だから短い間とはいえ、息子ができたようで楽しかった。妻には何をのんきなことを、と怒られたがね」


 そうだったのか。おばさんにこそだいぶ甘やかされた気がするのだが……。


「なんなら今から息子になるかね? ははは……冗談だよ、娘に怒られる」


 まあ同い年の弟ができても困るだろうしな。


「とにかく……息子同然の男の言葉だ。信じてみようじゃないか」

「お任せください。必ず、娘さんの力になってみせます」


 エーコは力強く、頷いた。


「まずはこの事態をややこしくした張本人たちと話をつけて――手腕を認めていただきましょうか」

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