少女たちの選択
「そんなわけで、大変なんだよー」
コタツに突っ伏して、ツインテールの幼馴染がうめく。
「家にも学校にもマスコミが来ててさ。ほんと、移動するのも一苦労だよ。みんなが協力してくれたから、なんとか抜け出せたけど」
「ここに来て大丈夫なのか?」
「ユウのアパートぐらいでしょ、見張られてないのはさ」
どういうわけか俺の親が住んでいるマンションまで監視の目があるらしい。何がどうなっているのやら。
「こんなことになるなんて思ってなかったよ~」
ニシンがゴリゴリと机に額を押しつけて言うと、もう一人が申し訳なさそうに苦笑する。
「あはは……ごめんね、ニシンちゃん」
「いやいや、カナの方が大変だからね!?」
「どっちも同じくらい大変だろう?」
俺は食事の用意をしながら言う。今日もかぼちゃが安かった。汁物にしよう。
「二人ともドライチなんだから」
◇ ◇ ◇
女子プロ野球のドラフト会議で、一位一巡目に指名されたカナ。そして一位二巡目に指名されたのがニシンだった。さすがに三球団からの指名ではなかったが。
「それこそ寝耳に水だよ! あたし、入団テストも、プロ志望届もだしてないのに!」
「あれ、そうだったのか? この前受けると話していた気がしたんだが」
「タイガ選手と勝負したときでしょ。そのときはそのつもりだったんだけど」
ニシンはカナと目を合わせる。
「――まー、カナの結果が出てからでもいいかなって。女子の入団テストって、11月とかにもあるしさ。だから受けてなかったんだけど……まさかドラフト指名とはね。むちゃくちゃすぎんよ! って思いましたぁ!」
「無茶苦茶……というと?」
「女子はプロ志望届いらないことになってるじゃん? 高野連に入ってるときは別だけど。だからドラフトしようにも誰がドラフトされたいのかわかんないのさ。これまで入団テストでしか採ってなかったからね。でも今年はカナが入団テストを受けてくれないからって、プロ志望届を出してるからって、ドラフト会議をすることにしたわけさ」
「わたしのためかどうかは……」
「いやいや、絶対そうだって! 超自分勝手だよ、あいつら!」
ニシンはフグのように膨れる。
「んで、プロ志望届を出してる女子は少ないから、『今年は告知が間に合わなかったから』って理由で、入団テスト合格者に加えて、夏の大会に参加した学校の三年は全員対象、ってことにしたんだって。で、あたしも選ばれたわけ」
「実力が評価されたというわけだ」
「二位までで終わるドラフトに、そんなに価値ないと思うけどねー」
それはなかなか寂しいドラフトだったな……。
「その口ぶりだと、行かないのか? 女子プロ」
「うーん……ぶっちゃけめっちゃ不信感はある! カナがちゃんと職員さんにNPBに行く、って説明してたのに、こういうことするし。――でも」
ニシンは、黙って座るカナの目を見て言う。
「カナが行くって言うなら、ついていくよ。別チームだけど」
「ニシンちゃん……」
「勝手に指名した方もだけど、あたしはカナが育成十三位なんて評価のほうも怒ってるよ! 絶対おかしい! 最下位指名なんて――」
「ニシンちゃん、おちついて」
「おちつけないね! なにさ、怪物とか新星とか! カナのほうがよっぽど打撃うまいし――」
「ニシンちゃ――」
「皿置いていいか?」
机に身を乗り出して話されると、皿が置けん。
「あ……うん」
「ごめんね……ご飯時に押しかけちゃって」
「いや、タイミングがよかった。俺も帰ってきたばかりだったからな」
おかげで食事を四人分作れた。これが作ってる途中だったらバラバラに用意することになるところだった。
「ツグ姉も、手は空くか?」
「う……うん。大丈夫。アスカちゃんと相談してただけだし、終わったから」
「今週でしたっけ、正式サービス。やっぱり、忙しいですか?」
「課金機能の解放とか、アバター周りのことだったり……あとはチーム練習とかしてるぐらいで……だいじょうぶ」
「すごいですよね。ニュースサイトでも話題になっているって、学校の友達が――」
「まあそれぐらいにして、食べてくれ。煮込みうどんだ。具はかぼちゃだけだが」
ずるずる、ずぞぞ……と、コタツを囲んでうどんをすする。
「……ユウ、料理めっちゃうまくなってない?」
「ほめられて悪い気はしないが、市販のだしと味噌だぞ」
「いや、この肉巻きかぼちゃとかさあ!」
「肉を巻いて焼いただけだぞ……」
この程度で上手といわれると、ニシンの腕前のほうが気になるんだが。
「あ……ドラフト、おめでとう」
「あっ、ありがとうございます」
思い出したように従姉が言い、カナが頭を下げる。
「記者会見とか……するの? あの、ああいうのって」
「事前にドラフト指名の連絡があるような有力選手なら、記者会見の場所を選手側が用意するそうですよ。わたしはどちらからも連絡はなかったですし、NPBは育成最下位でしたし」
「まっ、普通ならこんなことにはなってないよね」
腹にうどんが入って少しは溜飲が下がったのか、ニシンが落ち着いて言う。
「学校に来た記者、らいぱっつぁんが対応しようとして、断られたって。スーツ着ていったらしいけど。お、画像来た。ほらこれ」
「かわいそうに」
美少女打者を撮りに来て、無精ひげのおっさんを出されたら気持ちはわからなくもない。写真のライパチ先生はがっくり肩を落としていた。
「それでどっちに入るの?」
おそらく作業に集中していて何も聞いていなかったであろう従姉が、話を蒸し返した。二人の箸がぴたりと止まり――カナが先に口を開く。
「いろいろ考えたの。とりあえず、比較しないといけないのは待遇と環境だよね?」
「待遇っていうと……まぁ、お金かな? NPBは最低年俸の240万だろうね。上に十人以上いるんだしさ」
「女子もトップ選手でもそれぐらいって聞くよね」
「最低200万だったっけ? 確かトップ選手でもあまり変わらないって聞くよ。さすがにカナは少し上乗せがあるだろうけど……懐事情的に、そう変わらないだろーねー」
「試合数では、女子は年間約50試合。NPBは約140、二軍でも130、三軍もそれほど変わらない試合数を組むって、記者会見で言ってた」
「女子は試合がない日はほぼチラシ配りとかって、テレビでやってたなぁ」
ニシンは腕を組む。
「まとめるとさ。ドライチの評価に応えて、女子プロを盛り上げにいくか。NPBでタイガ選手みたいにいろいろ言われながらも上を目指すか、ってことだよね」
「うん……」
「……なーなー、ユウはどう思う?」
「俺か? そうだな……」
カナが活躍するところを想像してみる。
「――三年と持たずに追い出されるんじゃないか?」
「えぇ!? ひどっ! さすがにあんまりだよ、ユウ!」
「言い過ぎかもしれないが……そうなるとしか思えん」
現実はしっかりと見つめるべきだ。
「女子プロに行ったらゲームバランスが崩壊してカナのいるチーム一強になってしまう。一年目はそれでいいかもしれないが、二年目は難しいだろう」
「――は?」
「強すぎて居場所がなくなってしまう、というやつだ」
十割打てる打者相手に、まともに投げる投手はいない。大会でもそうだったように、カナ相手にはおそらく満塁でさえ敬遠が選ばれるようになる。もしかしたら絶対敬遠しないように、というお達しが出るかもしれないが、それはそれでダメだろう。
そう言うと、ニシンはポカンとして、カナはくすくす笑った。
「ユウくんは信じてくれてるんだね、わたしが強いって」
「確信している。女子プロに入ったらぶっちぎりの最強だ」
「ふふ。そうだね――そう言った方が、かっこいいかな?」
「えぇ……カナ?」
「わたしは――挑戦するよ」
カナは力強く言う。
「ぶっちぎりの最強選手としてじゃなく、ぶっちぎりの最下位選手として」
そして不敵に笑う。
「育成ドラフトで十三位って、ある意味、もう絶対抜かれない記録だよね?」
◇ ◇ ◇
「アタシ、辞めることにしたわ」
バイト先のコンビニで商品を並べていると、ナゲノは隣に立ってそう言った。
「辞める――」
心当たりは三つあった。そしてわざわざ俺に言うということは――
「――それは困る」
「なんでアンタが困るのよ」
「俺が困るほうではないのか」
「そうよ」
ナゲノはマスクの内側でフンッと鼻息を鳴らす。実況ではないとすると――
「辞めるわ、大学」
「――単位が足りない、とか」
「まだ一年目で単位足りないとかあるわけないでしょうが」
そうなのか。大学はよく分からん。なにせ高校生だし、進学の予定もないし。
「ま、半分はアンタのせいよね」
ナゲノはやれやれ、といった感じのジェスチャーをする。
「アンタがケモプロをつくったから、辞めることになったわけよ」
◇ ◇ ◇
話は10月27日。ケモプロドラフト会議終了後の、六球団代表者への合同インタビューに遡る。
椅子を一列に並べて、記者たちからの質問にそれぞれ答えていく。ケモプロと組んだ理由、チーム名の意味、今後のチーム構想など。そしてそろそろインタビューも終了となったところで、ひとり、手を上げてそれをさえぎった。
「失礼。ひとつ、私からお知らせしたいことがありました」
手を上げたのはイルマだ。予定にないことで、その場で仕切っていたシオミは冷や汗をかいたという。
「ケモプロはUGCを大切にするゲームとして作られていますが、先ほどユキミ編集長がおっしゃったように、なかなかそううまくいくかというと疑問です。ユーザーの動きは読めませんからね。そこで日刊オールドウォッチさんが速報サイトを作るように、こちらでもひとつ動くことにしました――試合の実況放送です」
イルマはにこやかな顔のまま語った。
「島根出雲ツナイデルスの公式コンテンツとして、ツナイデルス参加の全試合の実況生放送を実施します。ええ、もちろん実績のある実況者にお願いしました。ベータテストの公式動画を実況したフレイムさんですよ。先日、専属契約をさせていただきました。大学生とのことなので、都合が会わない日もあるでしょうから、その場合は別の実況者さんを手配する予定です。まぁ――」
イルマは――表情を変えずに締めくくった。
「ケモプロが盛り上がらなければ、先はないわけですからね。KeMPBさんが用意したシステムだけに頼らず、私たちオーナー側も協力し、コンテンツを作って発信していきますよ」
◇ ◇ ◇
「――全試合を実況しようと思ったら、大学の都合がつかないのよ。だから思い切って辞めたわけ」
「イルマの話じゃ、ナゲノさんができないときは別の実況者を使うと」
「そうね。最初はアタシの知り合いを紹介するつもりだった、んだけど」
ナゲノは拳をぎゅっと握る。
「悔しいじゃない。なんか……無責任っていうの? 担当できてない感じ? それに――ケモプロの完成度を見ていたら、思ったのよ。ケモプロ専属の実況者になるのと、野球実況アナウンサーになるのと、違いはないんじゃない? って」
ナゲノの夢は、女性初の専属野球実況アナウンサーだと言った。
そして今、ケモプロの実況者がそれと同じだという。その言葉は重く感じた。
「それから――アタシも挑戦したくなったのよ。ねえ、知ってるでしょ? さすがに知ってるわよね? 今年のドラフト!」
「うん?」
「ほら、女子の! オオムラ選手よ!」
ナゲノが目を輝かせる。
うむ、知ってる。よく知っているが、何の関係があるんだ?
「最下位指名という立場からどれだけ上にいけるか挑戦したい――くうぅっ! しびれた! 感動した! NPBで二人目の女子選手として挑戦するって! ねえ!」
先日、学校で開いた記者会見での話だ。テレビで何度も放送されている。
「第一位の座は渡せないけど、もうオオムラ選手は第二位に入れてあげるわ!」
「なんの順位だ?」
「アタシの中のファン度の順位よ! 一位は不動のタイガ選手ね! 大学野球時代からファンだから、これはもう動かせないわ!」
十年間ぐらいは不動の一位ということか。
「……だから、アタシもオオムラ選手を見習って、全力で挑戦することにしたのよ。つまりその――アンタに全賭けすることにしたんだから、がんばりなさいよね」
「ああ、わかった」
「――本当にわかってる?」
「わかっているとも」
俺は頷いて言った。
「ケモプロを何十年も続けることができれば、ナゲノとはこれからもずっと一緒に仕事ができるということだろう」
ナゲノは――何も言わずに動きを止める。
いや、止めるという感じじゃなくて、何かをこらえているというか。
あ、そうか、しまった。
「……ナゲノ
肘鉄を食らう前に訂正すると、ナゲノは――深く息を吐き出した。
「……呼び捨てでいいわよ、もう。ほら、同じ仕事に関わるわけだし……その、社長だし……?」
「わかった。よろしく頼む、ホムラ」
「苗字でよッ!」
「ウガッ……」
痛い。脇が痛い。
「たく、油断も隙もないんだから。誰が、名前呼びなんて」
ナゲノは腕を組んでそっぽを向く。
「とにかく、そういうことだから、ちゃんとサービス開始、コケずにやってよね。コンビニのバイトはアンタも続けるんでしょ? 失敗したら、容赦しないから」
「心しておこう」
俺にできることは、祈ることしかないが。
「よろしく頼む、ナゲノ」
「フン。任せときなさい」
「あと、喜ぶと思うから、ファンだということは伝えておく」
「は? ――あぁ。アンタ、タイガ選手とツテがあるんだったわよね。うらやましい。……いいわよ、別に、すでにいっぱいファンがいるんだから」
「カナにはまだ、そんなにファンがいないと思うんだが」
「? 誰?」
「オオムラカナに伝えておく」
ナゲノは目を丸くして――首を振って、手をポンと叩く。
「そうか! 棚田高校! アンタと同じ学校ね。って、アタシを口実に近づこうってわけ? やめなさいよ、そんな浅ましいマネは。同期という立場を利用して、お近づきになろうなんて。諦めなさい、アンタとは別世界に羽ばたいていく人間よ」
「別世界に?」
「プロ野球界にね! あの打撃センス! 絶対、オオムラ選手が不動の指名打者になるのよ! そしたら年俸は億とか行くでしょうね! そりゃもう住む世界が違うと思わない?」
そういうものだろうか。確かにスケジュールは合わなくなりそうだが。
「とにかく、急に同じ学校だからって近づいたりしたら迷惑でしょ。無理して伝えないでいいから」
「……そうか、わかった」
確かにカナは忙しいらしい。学校に押し寄せる取材陣は記者会見をすることで減ったらしいが、それでも個別に取材を申し込む記者が残っているらしく、それを追い払うのに学校も大変だそうだ。球団や女子プロとの話し合いもしないといけないという。……うん、確かに忙しいな。
「無理には伝えない」
忙しくて会って話すのは無理だろうから、LINEで教えておいてやろう。
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